春男と選挙
春男と選挙
春男は、いまあまり身長の大きいほうではない。そんな彼は幼い頃は、やっぱり大きくなかった。
子どもの頃はみんなそんなに変わらなくても、成長期になれば、身長や体格の差は大きく出る。ただそれに、心理的成長がついてくるかというと別の話である。
あれは、小学校の五年か四年生くらいの時の話である。大きくなる子は、これくらいになればそこそこ大きくなり、成長の遅い子はそうはならない。そして、春男は後者にあたる。
当時、春男はなぜか和男という子にからかわれていた。オレも苗字は思えていない。活発で、元気ハツラツな子から見たら、春男は暗く打てば響く、絶好のからかいの的のようだった。
それがいじめ問題にまで発展しなかったのは、時代のせいか、それとも春男がまったく相手にすることもなく、ため息をついているだけの日々だったからだろう。
先生の何人かは気にしていたようだが、誰も春男に声を掛けなかったし、春男も先生に声を掛けることはなかった。もちろん、友人でもないオレは春男の存在さえほとんど気にも留めていなかった。
ある日のこと。春男は本を読みながら、帰宅していたそうだ。その道は、山に階段を掛けたようなもので、手すりの向こうは草むらの斜面である。たまに、犬の散歩コースになるくらいで、この急な階段を上ろうとする老人も、若者さえもいない。しかし、下りはたまにいる。こっちのほうが近道という者だ。
春男にとってはそんなに近道でもなかったが、静かで日差しもよく当たり、いい階段、と感想をずいぶん後から聞いたことがある。本を読みながら歩いても、かかとをぶつけながら、降りていけば危ないことはないと言っていたが、正直なところ、オレはやめたほうがいいと思った。
同時、オレは学校が終わると、グランドで友人とサッカーをしていたせいか、学校が終わるとすぐに帰宅していたということがないような気がする。
「助けて!」
春男は本から、目を離した。
その草むらの中にその声の持ち主はいた。視界に入ったのは、例の和男君である。彼は草むらの中で真っ青になって半べそをかきながら、立っていた。
「たすけてくれ!」
彼は春男を見て、声を上げたらしい。春男はため息をついて、降りて行った。目さえ合わなかったら、そのまま遠回りしてでも帰る道を変更していた、と春男は言い切っていた。彼のことが嫌いというよりも、なぜほっといてくれないのか、と思っていたのだ。
「なにか用?」
春男は基本的に、自ら助けに行くようなタイプではないのだ。
どちらかというと、面倒と思うか、自分が助けに行かなければ!と思いもしない奴なのだ。
「どうかした?」
「あ、足が動かないんだ・・・。」
和男が言う。
「はぁ?どうやってここまで・・・。」
「じゃなくて!今、滑ってきたんだ。」
ふと足元のほうを見ると、段ボールの一部があった。階段ではなく、草むらの斜面を段ボールで滑り降りるのが小学生の間で流行っていた。
「つまり、ここまで滑ってきて、いま、足が動かないと。立ってるけど?」
春男はまた自分をからかっているのだと思ったそうだ。
「う、動かないんだ、頼む、誰か呼んで来てくれ!」
「父さん、呼んでくる!待ってて!」
その声によっぽど緊急性を感じたのか、そのころ、そんなに重くなかった春男は階段を駆け降りて、自分の家に行き、父親を呼びに行ったそうだ。平日のことだが、なんでもちょうど休みだったらしい。先生より、父親を選んだのは、学校に戻るよりも家のほうが近かったからだそうだ。
平日のその間、誰も階段を通らなかったようで、和男君はそのままの姿で突っ立っていた。しかし、和男の顔は涙と汗で大変なことになっていたと、春男は語る。
春男の父親が、彼を抱えて病院に連れて行き、学校に連絡、親への連絡などを行ったそうだ。たしか、連絡網が来ていたはずで、オレも母親から聞かされた気がする。
結局、彼は足の骨が骨折していた。草むらを例の段ボールの一部で滑っているうちに、転倒して木の幹にぶつかり、折れたようだ。その後、PTAの会議でその階段の使用は禁止され、春男はいい階段だったのにと、怒っていた。段ボールで滑るのは禁止と、親にも書類で知らされた様な思い出がある。
ギブスをしっかりはめた、和男君はすっかりおとなしくなり、春男にちょっかいは出さなくなった。本人は遠まわしに感謝していたのかもしれない。そのせいか、骨折は春男のせいらしいという噂が流れたが、春男本人はまったく気にすることなく、もしかすると噂が立っていたことにも気がつかず、すごしていた。
そして彼は違う中学へと去り、オレと春男は同じ中学に進んでいった。
そんなことを階段を見ながらオレは思い出していた。なぜ、ひさしぶりにこの道のことを思い出したのか。春男を面倒だから行かないという選挙に連れ出したからだ。一票を入れに学校に向かっているのだ。
オレはゆっくりと学校への道の思い出に浸っていた。オレも春男も同じ道を通っていたのだ。あのころは、そんなことは気にもしなかったものだが。
春男はそれどころではないないようで、しゃべることもなく、肩で息をしている。階段ではなく、坂を上っているのだ。
「たったこれくらいで、運動不足だぞ。」
「し、知って・・・る・・・。だ、だから、せ、選挙は嫌…なんだ…。」
まさか、政治家たちもこんな理由で行かない奴がいるとは思ってもいないだろう。冬だというのに、汗を拭いている。
「ほら、学校が見えてるぞ。」
「さ、さっきから…ずっと見えてるんだけど…。」
「後ろから押そうか。」
「いい。」
オレはため息をついた。息が白い。学校からは選挙を済ませた人たちが坂を下りてくる。しかし、何回行っても一度も知り合いに遭遇したことはない。もちろん、その和男君を見かけることさえもない。
学校にいるときは、これが自分のすべてなのだと思っていたが、結局小学校時代の友人でいまでも連絡をとれるのが片手くらいの人数で、連絡をとる必要もない。
近くにいる春男は、小学校時代には一度も話したこともなく同じクラスにもならずにいた。そうしてみれば、自分の人生の中の六年など、本当にささいなものだったのだ。
「つ、ついた。つかれたー。」
春男は、学校の門の前でため息をつく。
「はいはい。投票はあっちだろ。」
「どっか、す、座るところは……。」
「ない。行くぞ。」
「うー。」
結局オレは、春男の背中を押しながら進むことになった。




