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黄昏の語り部フィオラ  作者: 弌黑流人


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第6話 芽吹きの陽光月・夕映えの黄金

 中立都市アライアの巨大な尖塔が、傾きかけた太陽の光を浴びて、燃えるような朱色に染まっていた。

 街道の両脇を埋め尽くしていた山吹の黄金色は、夕闇の訪れと共にしっとりとした深い影を帯び、代わって都市の活気が風に乗って三人の鼻をくすぐる。石畳の焼ける匂い、屋台から漂うスパイスの香り、そして何千もの人々が吐き出す、喧騒という名の熱気。


 「……着いたね。ここが自由と交易の街、アライアだ」


 シリュウスが、眼鏡の奥の瞳を細めて呟いた。

 彼の視線は、街を囲む白亜の城壁の上を鋭く走査している。そこにはアライア独自の自警団が配備されているが、ガリウスが警告した通り、その中に混じって「銀色の甲冑」を纏った一団が、入城する旅人たちを冷徹な目で見下ろしていた。


 「……チッ。本当にいやがったわね、教会の連中」


 アルドナが、肩に担いだ大剣の重みを調整するふりをして、外套を深く引き寄せた。彼女の右腕、包帯の下にある「竜の紋章」が、聖騎士たちの放つ純白の魔力に反応して、微かな熱を帯び始める。それは、獲物を前にした獣が唸りを上げるような、不吉な脈動だった。

 三人は不自然にならない程度の距離を保ちながら、門へと続く長い列に並んだ。


 「フィオラ、下を向いて。君の瞳は目立ちすぎる。……シリュウス、あんたは『いつもの』をお願い」

 「わかっているよ、姉さん」


 シリュウスは歩きながら、魔導書のページを一枚、指先で弾いた。

 無詠唱で展開された小規模な「認識阻害結界」。それは、他者の目に映る彼らの特徴を「どこにでもいる平凡な旅人」へと上書きする術式だ。結界が三人を包み込むと、周囲の旅人たちの視線が、まるで水が岩を避けるように彼らを素通りしていく。だが、この術式は魔力の消費が激しく、何より高度な魔力感知能力を持つ聖騎士相手には、ほんの僅かな「揺らぎ」が命取りになる。シリュウスの額に、薄い汗が滲んだ。

 列が進み、いよいよ三人の番が来た。

 門衛の隣に立つ、彫像のように動かない銀の騎士。その胸元には、教会の象徴である「双翼の天秤」が刻まれている。騎士の視線が、ゆっくりと三人の上を通過した。


 「……次。出身と目的を」


 門衛の無機質な問いに、シリュウスが淀みなく答える。


 「北方の小村から。商談と、妹の病の療養のために参りました。名はアンバーです」


 騎士の視線が、シリュウスの持つ魔導書で一度止まった。

 空気が凍りつく。アルドナが外套の下で、いつでも「裂界の牙」を引き抜けるよう重心を下げたのを、フィオラは肌で感じていた。


 「……その魔導書、古そうだな。見せてみろ」


 騎士の冷徹な声が響く。シリュウスは一瞬の躊躇も見せず、穏やかな笑みを浮かべて本を差し出した。


 「ええ、祖父の代からの古い物でして。……中身は、家系図と簡単な生活魔法のメモ書きですよ。お見せするほどのものでは」


 騎士がその手袋をはめた手で表紙に触れようとした、その時だった。


 「おーい! 騎士様! そいつらは私の恩人だ!」


 列の後方から、耳をつんざくような大声が響いた。

 振り返ると、先ほど助けた商人ガリウスが、馬車を駆って無理やり列に割り込んできていた。彼は大袈裟に汗を拭いながら、門衛と騎士に向かって愛想笑いを振りまく。


 「このアンバーさんたちは、街道で立ち往生していた私を助けてくれた、至極真っ当な旅人ですよ。アライアのギルドにも紹介する手はずになっている。……何か問題でも?」


 ガリウスの言葉には、商人の街アライアで長く商売をしてきた者特有の、ギルドを通じた「信用」という名の重みがあった。門衛が困惑したように騎士の顔色を伺う。騎士は忌々しげに鼻を鳴らし、シリュウスの魔導書から手を離した。


 「……通れ。だが、市街での無断の魔術行使は厳禁だ。異端の疑いがあれば、即座に連行する」

「肝に銘じておきます」


 シリュウスは深々と一礼し、フィオラとアルドナを促して門をくぐり抜けた。

 背後で、ガリウスが「後で宿にパンを届けるよ! あびるほど食わせてやるからな!」と明るく叫ぶのが聞こえた。その声に救われ、三人はようやく、夕映えに輝くアライアの雑踏の中へと紛れ込んだ。

 街の中は、外からの緊張感が嘘のように華やいでいた。

 石畳の両脇には色とりどりの天幕が並び、商魂逞しい商人たちの売り声が飛び交う。家々の窓からは夕餉の明かりが漏れ、路地裏からは子供たちの笑い声が聞こえる。中央広場の噴水は、夕陽を受けて溶けた黄金のように煌めき、その周囲では吟遊詩人が竪琴を鳴らし、恋人たちが愛を囁き合っていた。


 「……助かったわね、あのデブ商人に」


 アルドナがようやく肩の力を抜き、人混みの中で毒づいた。


 「シリュウス、あんたの結界、騎士の直前で揺らいだわよ。あいつ、ただの兵隊じゃない。……『視る』力を持った異端審問官の類いね。あのまま触られてたら、魔導書に隠した術式を剥がされてたわ」

 「面目ない。……だが、彼らがこれほど血眼になって探しているとなると、アイゼン村への追手も時間の問題かもしれない。……エリンは、あいつは大丈夫だろうか」


 シリュウスが思わず漏らした、恋人への拭いきれない不安。

 フィオラはそっとシリュウスの服の裾を引いた。


 「……大丈夫だよ、お兄ちゃん。エリンさんは強い人だもん。それに、私たちがここでしっかり『アンバー』として仕事をすれば、騎士たちの目は私たちに向くでしょ? それが、彼女を守ることになるんだよ」


 フィオラの健気な言葉に、シリュウスは自嘲気味に笑い、彼女の頭を撫でた。


 「そうだね。……さあ、まずはギルドへ行こう。地底回廊の完了報告をして、今夜の宿を確保しないと。……フィオラ、お腹が空いたんじゃないかい?」

 「うん! ガリウスさんのパン、楽しみだなぁ」


 三人は黄金色の夕光の中を、巨大な盾と翼を象った冒険者ギルド「暁の翼」の看板を目指して歩く。

 

 ギルドの重厚な扉を開けると、そこには、血の匂いと安酒、そして荒くれ者たちの体臭が混じり合った、独特の活気が満ちていた。

 受付に向かう三人の姿を、酒場にいた荒事師たちが値踏みするように見つめる。その視線は鋭く、剥き出しの敵意や好奇心が刺すように痛い。


 「……おい、見ろよ。また新顔だ。場違いなガキを連れてやがる」

 「いや、待て。真ん中の女を見ろ……あの大剣、ただの飾りじゃねえぞ。あの構え、相当やり込んでやがる」

 「ガキが連れてる杖……あれ、アンバー(琥珀)か? 妙なマナが凝縮されてやがるな。ありゃ、ただの杖じゃねえ」


 ひそひそとした囁きを無視し、シリュウスは受付のカウンターへと進んだ。

 そこには、眼鏡をかけた知的な雰囲気の女性職員が、書類の山と格闘していた。彼女は三人が近づくと、事務的な、けれどどこか冷めた視線を上げた。


 「……新規の登録ですか? それとも依頼の受注?」

 「完了報告をお願いします。……アイゼン連峰、地底回廊。依頼主トーマス」


 シリュウスが差し出した、血と泥に汚れた報告書。それを受け取った職員の手が、一瞬で凍りついたように止まった。

 彼女は眼鏡を押し上げ、三人を、特に最後尾に立つフィオラを凝視した。


 「……あなたがたが、あの依頼を? ……あそこは、過去に三つのベテランパーティが『死者の声に精神を病んで』放棄した、いわくつきの案件ですよ。まともな神経なら足を踏み入れることさえ拒むはずの場所です。……本当に、解決したのですか?」

 「ええ。証拠の原石は依頼主の元に。……そして、この通り、報告書には彼の受領印もあります。……何か不備でも?」


 シリュウスの静かな問いに、ギルド内が静まり返った。

 酒を飲んでいた男たちが手を止め、耳を傾ける。死者の怨念が渦巻くと噂され、プロの冒険者さえも見捨てた「地底回廊」。それを、昨日今日来たばかりの、およそ戦士には見えない優男と少女を含む三兄妹が、傷一つ負わずに解決したという事実。

 職員は、信じられないという表情で何度も印影を確認し、処理を始めた。


 「……確認しました。確かに本物です。報酬は金貨二十枚。……それと」


 彼女は周囲を一度見渡し、声を潜めた。


 「ギルド長が、あなたがたに直接会いたいと言っています。……『語り部』を連れたアンバーという一行の話は、山を越え、風に乗って、もうここまで届いているようですね。……二階の執務室へ。断る選択肢はありませんよ」


 シリュウスは困ったように眉を下げ、フィオラと視線を合わせた。

 目立たぬように、波風を立てぬようにと願う彼らの思惑とは裏腹に、フィオラの持つ「死者との交流」という稀有な力は、この街アライアにおいても、静かな、けれど抗えぬ旋風を巻き起こそうとしていた。


 「……どうやら、ゆっくりパンを食べている暇はなさそうね」


 アルドナが吐き捨てる。

 窓の外では、夕映えの黄金がゆっくりと、深い群青色の帳へと飲み込まれていく。

 アライアでの第一夜。

 三人の旅路は、ここで新たな出会いと、そして避けることのできない「宿命」との対峙を迎えることになる。


 「……でも、パン、焼けてるよね」


 フィオラの小さな独り言が、殺気立ったギルドの中に、温かな灯火のように灯った。彼女は空腹に耐えながら、兄の後に続いて、ギルドの奥へと続く階段を一歩ずつ登り始めた。


 次回、『第7話 芽吹きの陽光月・星霜の白銀』


 ――冒険者ギルド「暁の翼」の二階へと続く木造の階段は、一段踏みしめるごとに、三人の覚悟を試すような重い音を立てた。


 ご拝読ありがとうございます。次回をお楽しみに!


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