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黄昏の語り部フィオラ ―聖教会が恐れた禁忌の記録、語り部が紡ぐ真実の逆転劇―  作者: 弌黑流人
第三章 猛る嵐の月

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第37話 レオファングの真実

 白銀の巨門が、重低音を響かせながら背後で閉ざされた。

 外の喧騒、聖教会の追手たちが放つ殺意に満ちた怒号、そして肌を焼き、肺を凍らせるほどに吹き荒れていた極寒の風。それらすべてが物理的に断絶され、四人は異様なほどに濃密な静寂の中へと放り出された。

 そこは、天空に浮かぶ遺跡の内部という言葉から連想されるような石造りの回廊ではなかった。

 見上げるほどに高く、果てしない広がりを持つその空間は、巨大な「知の墓標」であり、あるいは世界そのものの記憶を収めた書庫であった。

 天井が見えないほど高く広大な空間には、幾千、幾万という青白い光の結晶が、精密な時計仕掛けのように規則正しく空中に浮遊している。一つ一つの結晶の中には、古代の数式や未知の文字、流動的な幾何学模様が脈動するように動き続けており、それはまるで深海から見上げた星々の瞬きのようでもあった。


 「……何、ここ。建物っていうより……、誰かの巨大な頭の中に入り込んだみたい」


 アルドナが、愛剣「裂界の牙」を構えたまま周囲を警戒する。彼女の野性的な直感が、この場所が持つ圧倒的な異質さに警鐘を鳴らしていた。ここは人間が踏み入るために作られた場所ではない。生命の温もりを排し、ただ事実だけを保存するために構築された異界。

 エリンは、ぐったりと肩を貸していたシリュウスの体を支え直し、その蒼白な顔色を窺う。


 「シリュウス、大丈夫? 気分は……。無理をしないで」

 「……ああ。不思議だ。ここに入った瞬間、腕章が発していたあの忌々しい熱が引いていく。……まるで、僕の欠落した記憶を、この空間そのものが補ってくれているような……。ずっと求めていた答えの中に浸っているような、穏やかな感覚なんだ」


 シリュウスがゆっくりとエリンの肩から手を離し、独力で歩き出す。

 彼の右腕の黄金琥珀が、周囲の青白い結晶体と静かに共鳴し、低く穏やかなハミングを奏でていた。それは、迷い子がようやく自分の家を見つけたかのような、切なくも確かな反応だった。

 その時、空間の中央に位置する、ひときわ巨大な、星の核のような結晶が、フィオラの持つ語り部の笛に反応した。


 「見て! 何かが……映し出される!」


 フィオラの叫びと共に、空間全体の光彩が反転した。

 四人を囲む虚空が巨大な投影機へと変貌し、光の粒子が編み合わされていく。

 そこに浮かび上がったのは、千年前の光景。聖教会が配布する聖典に記された「神による創造」とは全く異なる、残酷で無慈悲な世界の成り立ちが記録されていた。


 「……これは……、レオファング……!? 僕たちの先祖なの……?」


 シリュウスが絶句した。

 光の中に映し出されていたのは、当時、人類の守護者として外敵と戦っていた、誇り高き一族の姿であった。

 彼らはその強靭な肉体と、星の脈動から直接魔力を引き出す独自の術を用い、世界を滅ぼそうとした厄災を退けた英雄たちであった。彼らは獣の力を持っていたのではない。星の力を使いこなすために、肉体を最適化させる進化を遂げた者たちだったのだ。

 しかし、厄災が去った後に訪れたのは平和ではなかった。人々の中に芽生えたのは、人知を超えた力を持つ英雄への、醜く矮小な「恐怖」であった。


 「……記録によると……」


 シリュウスが、吸い寄せられるようにその巨大な結晶に触れる。

 その瞬間、彼の瞳に膨大な情報が濁流となって流れ込んだ。失われていた知識のピースが、強制的に埋められていく衝撃に、彼の体は細かく震える。


 「……初代の教皇は、レオファングの一族を恐れた。彼らがその気になれば、教会の支配など一日で瓦解してしまうから。……だから、教会は物語を書き換えたんだ。彼らが戦った相手こそが神であり、彼らは神を傷つけた罰として、獣の姿に変えられた『呪われた一族』であると」

 「そんな……! じゃあ、私たちの特異体質は……、呪いなんかじゃなかったっていうの!?」


 フィオラの声が、激しい怒りと悲しみで震える。

 聖教会が千年にわたって説き続け、世界中に広めてきたあの残酷な教義。レオファングは不浄であり、一生を贖罪と迫害の中で過ごさねばならないという、あの物語。

 それが、ただの一族を支配下に置くための「政治的な創作」であったという事実に、彼女の奏でてきた物語の世界が音を立てて崩れていく。


 「……そうよ。……あそこに映っている強制排熱の術式……」


 エリンが、鍛冶師としての鋭い眼差しで映像の一端を指差した。

 彼女の眼には、術の魔力的な美しさではなく、その物理的な構造が見えていた。


 「レオファングが獣の姿に変わるのは、呪いなんかじゃない。……外部から取り込んだ過剰な星のエネルギーを、肉体が処理しきれなくなった時の、一種の安全弁……強制排熱反応だわ。……教会はそれを『醜い呪い』だと定義することで、一族から自尊心と居場所を奪い、精神的に去勢したのね」


 エリンの言葉は、鍛え上げられた鋼の刃のように冷たく、本質を射抜いていた。

 教会はレオファングを抹殺したかったのではない。自分たちに牙を剥かないよう、「自分たちは汚れている、劣っている」という嘘の物語を刷り込むことで、その強大な力を封じ込め、影で軍事力として管理し続けてきたのだ。

 その管理から外れようとする者、真実に触れようとする者は、今回のレオン・ヴァルムのように「物語の不純物」として処理される。


 「……ふざけないでよ」


 アルドナの拳が、白銀の床を叩き、激しい火花を散らした。

 床に刻まれた幾何学模様が、彼女の怒りを吸収して赤く染まる。


 「アイゼン村のみんなは、私たちを信じてくれた……。故郷のように大切に思ってくれた。なのに、それ以外の場所では、誰もが私たちを汚いものを見るような目で見て……! 私たちが、自分たちの血の熱さをどれだけ呪って生きてきたか……! それが全部、誰かの書いたデタラメだったなんて……、そんなの、許せるわけないじゃない!!」


 アルドナの魂の咆哮に呼応するように、保管庫の深部からさらなる光の帯が触手のように伸びてきた。

 それは、この知識の墓場のさらに奥、この世界の設計図そのものが眠るという遺跡の中枢へと繋がる、光の回廊であった。


 「シリュウス、見て。あそこに……見たこともない装置がある」


 エリンが指し示した先には、複雑な魔導回路を内包した円形の巨大なプラットフォームがあった。

 周囲を無数の浮遊回路が衛星のように回り、中心からは成層圏を突き抜け、虚空の果てまで届くような、純白の光の柱が立ち昇っている。


 「あれは……転移装置だ。……この場所はまだ、真相を記しただけの入り口に過ぎない。この真上に、教会の枢機卿たちですら決して辿り着くことができない『真実の玉座』がある。僕たちが、この物語を完結させるための場所が」


 シリュウスは、自身の黄金の腕章を見つめた。

 かつて彼は記憶と知識を失うことで、世界から脱落しかけた。しかし今、この保管庫にある膨大な外部記憶が、腕章を介して、彼の失われた知性をかつてない純度で再構築しようとしている。

 彼はもう、怯える必要はなかった。


 「……姉さん、フィオラ。……エリン。……行こう。……僕たちの物語は、もう教会の指先一つで書き換えられるような、安いお伽噺じゃない。僕たちが、僕たちの意志で書き記す、真実の物語だ」


 シリュウスが転移装置の中心へと、迷いのない足取りで踏み入れる。

 エリンがその隣に寄り添い、二振りの短剣をしっかりと握りしめる。


 「どこまでもついていくわ、シリュウス。あなたが新しい物語を書き留める、その最初の一文字を打つための、火花になるために」


 アルドナが不敵な笑みを浮かべ、砕けかけた心を繋ぎ直したフィオラが、自身の笛を空高く掲げた。


 「真実の逆転劇……。その第一幕は、今ここで終わる。……次は、偽物の物語を押し付けてきた神様を引きずり下ろす番よ!」


 四人が装置の上に揃った瞬間、保管庫のすべての結晶が激しく共鳴し、空間が白一色の光に塗りつぶされた。

 重力から解き放たれ、意識が光速を超えて加速していく。

 目指すは、空の遺跡の最上階。この世界の「嘘」が生まれ、今なお管理されている物語の源流。


 次回、『第38話 偽りの神への宣戦布告』


 ――転移装置による空間跳躍が終わったことを悟り、シリュウスはゆっくりと目を開けた。そこは、先ほどの薄暗い保管庫とは対照的な、天上の色彩に満ちた回廊であった。


 ご拝読ありがとうございます。次回をお楽しみに!

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