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黄昏の語り部フィオラ ―聖教会が恐れた禁忌の記録、語り部が紡ぐ真実の逆転劇―  作者: 弌黑流人
第三章 猛る嵐の月

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第36話 神の沈黙と語り部の宣誓

 空の遺跡。その白銀の巨門の前に広がる空間は、一瞬にして生命の鼓動を拒絶する「絶対的な無」の世界へと変貌した。

 聖教会の最高指導層である枢機卿会が、その直轄として秘匿し続けてきた十二人の封印守護騎士。彼らが抜き放った、装飾を排し実用のみを追求した白銀の剣が頭上で交差した瞬間、物理法則さえも強引に書き換える絶対的な結界領域が展開された。


 聖教会の禁忌奥義、沈黙の結界。

 それは単に音を奪う術ではない。空気の微細な振動を完全に停止させ、大気中の魔力マナの流れを瞬時に凍結させ、この空間内に存在するあらゆる「意志ある響き」を否定する断絶の法。

 アルドナが、血管を浮き上がらせて愛剣「裂界の牙」を振り抜こうとしたが、その鋼の筋肉が駆動するよりも早く、肉体の自由が「沈黙」という名の不可視の鎖に縛られた。

 末妹のフィオラが、震える指で唇に当てた笛を吹こうとしても、肺から吐き出される息は音の形を成す前に霧散し、無機質な静寂の中に吸い込まれて消えていく。

 そしてシリュウス。彼の右腕に巻かれた黄金琥珀の腕章が、あまりの空間圧力に激しく黒い火花を散らし、沈黙の奔流に抵抗しようとしていた。しかし、魔導術式の構築に不可欠な「概念言語」そのものが、脳の端から暴力的に剥ぎ取られていく。


 (音が……消えた……。いや、世界そのものが、僕たちを語ること、僕たちがここにいることを拒んでいるのか)


 シリュウスは、喉をかきむしりたくなるような、底なしの絶望に襲われた。記憶を食らわれ、さらに自分を定義するための言葉さえも奪われれば、自分は何をもって「シリュウス」という一人の人間を証明すればいいのか。このまま静寂の中に溶け、世界の不純物として処理されてしまうのか。


 「無駄な足掻きだ。言葉なき獣、音なき物語に価値はない。貴様らはここで、誰に語られることも、誰の記憶に残ることもない塵として、永劫の虚無に還るのだ」


 守護騎士の長が、音のない「断罪の意志」を直接脳内に叩き込んでくる。それは個人の声ではなく、数千年の歴史が積み上げてきた、抗いようのない「正義」の重圧。

 十二人の守護騎士が、一分の乱れもない、まるで精巧な自動人形のような冷徹な動作で白銀の剣を振り上げた。沈黙の中、死という終止符だけが、着実に、そして確実に四人の首元へと迫る。

 だが、その絶対的な静寂を、神の理を、そして予定調和の絶望を、あまりにも野蛮で、暴力的な「火花」が真っ向から突き破った。

 エリンだった。

 魔導の才能を持たず、高等な術式など知る由もない彼女。しかし、だからこそ彼女だけが、この「魔導による沈黙」の影響を受けない唯一の存在であった。

 彼女は鍛冶職人として、日々、鉄と対話し、火の機嫌を伺い、物質が持つ剥き出しの性質を指先に刻んできた。彼女にとって、この世界は神の美しい言葉で編まれたものではなく、重く、熱く、時には爆発的な力を秘めた「物質」の積み重ねでできているのだ。

 エリンは、沈黙に縛られ動けない仲間の影を縫うように、重力を嘲笑う身のこなしで跳躍した。彼女の手には、カシウスから譲り受けた特殊な高純度金属粉と、自身の最高傑作である、アイゼン村の秘伝を詰め込んだ「極圧火薬筒」が握られていた。


 「……神様なんて知らないわ! 私は、目の前のこの人を守るだけ!!」


 声にはならない絶叫。しかし、その意志は爆圧となって解き放たれた。

 エリンが守護騎士たちの中心部、結界の要となる地点へその筒を叩きつける。

 直後、静寂を、空間を、そして神の定めた理を根底から否定する大爆ぜが起こった。

 ドォォォォォォン!!

 それは魔導による美しい発動音などではない。急激な熱膨張と衝撃波による、あまりにも泥臭く、しかし力強い物質の咆哮。

 絶対的だった「沈黙」が、物理的な圧力によってガラス細工のように粉々にひび割れる。


 「……っ、がはあぁぁ!!」


 音を奪い、高みから見下ろしていた守護騎士たちが、自身の結界を内側から強引に破壊された猛烈な反動を受け、白銀の甲冑を歪ませながら後方へと吹き飛んだ。


 「アルドナさん、今よ! フィオラ! シリュウス、音は私が……、私たちが取り戻したわ!!」


 立ち込める硝煙の中から現れたエリンが、喉を裂かんばかりに叫ぶ。彼女の両手には二振りの短剣。その刃には、神の沈黙にすら屈しない、一人の女性としての猛烈な「生」への執着が、血のような赤光となって宿っていた。


 「よくやったわ、エリン!! 最高の開幕の合図じゃないの!!」


 身体を縛る鎖から解き放たれたアルドナが、黒く変色した右腕を、咆哮と共に振り抜いた。

 「裂界の牙」が空気を爆ぜさせ、体勢を立て直そうとする守護騎士の盾を紙切れのように引き裂く。アルドナの攻撃は、もはや剣技ですらなく、妹たちを守り抜くという長姉としての意地が具現化した、原始的な暴力の嵐であった。


 フィオラもまた、震える手で笛を握り直し、その孔に全霊の息を吹き込んだ。

 彼女の瞳には、頬を伝う涙を遥かに凌駕する、運命への怒りの火が燃え盛っていた。


 「私たちの物語を、勝手に選別させない! 神様にも、教会の記録にも、……そして、落選という名の絶望にも!! 私たちは、今、ここで呼吸し、戦っているんだ!!」


 フィオラの奏でる旋律は、エリンが放った爆発音を核にして、これまでにないほど激しく、狂おしいまでの熱量で戦場を支配した。それは「死者を悼むための調べ」などではない。今この残酷な世界を生き抜こうとする者たちのための、誇り高き「生存の宣誓」であった。

 シリュウスの黄金琥珀の腕章が、仲間の叫び、姉の咆哮、そして恋人の鼓動をすべて吸い込み、視界を焼き潰すほどの輝きを放ち始めた。


 (言葉はいらない。理屈も、失った知識も関係ない。……僕の中にあるのは、かつて覚えた術式なんかじゃない。今、目の前で僕の名前を呼び、血を流して戦ってくれている、彼女たちの『愛』だ!)


 シリュウスはエリンの、火薬の臭いの染み付いた手を、二度と離さぬように強く握りしめた。


 「エリン……。君が僕を呼ぶ声が、僕の新しい術式だ」


 シリュウスが腕章を通して解き放ったのは、雷でも炎でも、ましてや洗練された魔導でもなかった。

 それは、空間そのものを物理的に震わせ、沈黙の残滓を根こそぎ消滅させる「魂の奔流」。

 黄金の琥珀から放たれた衝撃波は、守護騎士たちの白銀の剣を脆い陶器のように塵へと変え、遺跡の巨大な門に施されていた数千年の封印を、力任せに、その根源から粉砕していった。

 守護騎士たちは、その圧倒的な「生のエネルギー」の奔流の前に、膝を折り、地に伏した。彼らが信じてきた「沈黙こそが至高」という教義は、四人が奏でる騒がしくも美しい生命の音色に、無残に敗北したのだ。


 「馬鹿な……。言葉なき、呪われた獣たちが、……これほどまでの……純粋な意志を……」


 守護騎士の長の最期の言葉は、巨大な門が、ついにその重い口を開き始める轟音によって、無慈悲にかき消された。

 ズゥゥゥゥゥゥ……ッ!!

 数千年の間、一度も、誰に対しても開かれることのなかった空の遺跡の入り口が、四人の、一握りの希望を握りしめた者たちの意志に屈するように、ゆっくりと、しかし確実に開いていく。

 門の向こう側から溢れ出してきたのは、想像していたような温かな神の光ではなかった。

 それは、あまりにも冷酷で、無機質で、それでいてあまりにも巨大な「世界の裏側」を予感させる、星の記憶アーカイブが発する、青白く、静謐な燐光であった。

 フィオラは、立ち上る光の中に、一歩、また一歩と踏み出した。


 「行きましょう。……本当の物語を、私たちの手で書き直すために」


 四人は、傷だらけの身体を互いに支え合い、決して一人にならぬよう肩を並べて、開かれた門の向こう側、未知なる領域へと吸い込まれていく。

 背後には、砕け散った聖教会の虚飾の誇りと、彼らを縛り付けていた沈黙の残骸だけが、虚しく残された。


 彼らの戦いは、綺麗に綴られた公募作品のような、整った物語ではないかもしれない。

 それは、血を流し、大切なものを奪われ、それでも「私たちはここにいる」と叫び続ける、泥臭くも気高く、この地上で最も熱い、唯一無二の、黄昏の語り部の物語。


 門の向こう側。静寂に満ちた遺跡の深淵で、彼らを待ち受けていたのは、かつてレオファングと呼ばれた自分たちの先祖が、なぜ呪われなければならなかったのかという残酷な記録。

 そして、この世界を「管理」し、物語を自分たちの都合の良いように選別・消去し続けてきた、「真の敵」の正体であった。


 次回、『第37話 レオファングの真実』


 ――外の喧騒、聖教会の追手たちが放つ殺意に満ちた怒号、そして肌を焼き、肺を凍らせるほどに吹き荒れていた極寒の風。それらすべてが物理的に断絶され、四人は異様なほどに濃密な静寂の中へと放り出された。


 ご拝読ありがとうございます。次回をお楽しみに!

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