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黄昏の語り部フィオラ ―聖教会が恐れた禁忌の記録、語り部が紡ぐ真実の逆転劇―  作者: 弌黑流人
第二章 深緑の双子月

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第14話 仮面の来訪者

 「シャリン――」


 錫杖の輪が触れ合う、冷たく、そして鋭い音が森の空気を震わせた。

 その一音だけで、フィオラの「冥顕」によって地表へ滲み出していた死者たちの影が、まるで熱湯を浴びせられた霧のように掻き消えた。関所を覆っていた不自然な黒雲が裂け、再び湿った初夏の陽光が差し込む。しかし、そこに平穏は戻らなかった。光が差したことで、かえって仮面の二人組が放つ異様な威圧感が際立ち、関所の石畳には長く不吉な影が伸びる。


 「……死者の声を無理やり引きずり出し、この森の調和を乱す不浄の仔。それがレオファングの末娘か」


 錫杖を手にした仮面の女が、氷のように冷徹な声を放った。


 「我らは双子月の守護者。この森の静寂を乱す者は、たとえ獅子の仔であろうと、等しく土へと還すのが理。……自らの罪深さを知り、その喉を差し出すがいい」


 仮面の奥にある瞳は、人間らしい揺らぎを一切排除し、ただ対象を「排除すべき異物」として定めている。その増長な物言い、自分たちを最初から罪人として断じ、理不尽な「静寂」を強いる言葉に、アルドナの眉が不快げに跳ね上がった。


 「御託はそれだけ? 調和だの不浄だの、勝手な理屈で私の家族に触ろうとしないで。……その不気味な面ごと、叩き割ってあげるわ!」


 アルドナが地を蹴った。

 一歩の踏み込みで、関所の石畳が爆ぜる。至高の剣技が、大剣「裂界の牙」に漆黒の魔力を纏わせ、真空の断層を作り出す。狙いは錫杖の女。だが、その一撃が届く直前、短剣の男が影から這い出るような速度で割り込んだ。


 「遅い。……森の静寂を知らぬ、騒がしい獅子よ」


 男の短剣が、アルドナの断層を「受け流す」のではなく、針の穴を通すような精密さで魔力の結節点を突き刺した。カキン、と高い音が響き、アルドナの渾身の一撃が、霧散するように軌道を逸らされる。


 「何っ!?」


 驚愕に目を見開くアルドナの腹部へ、男の鋭い蹴りが叩き込まれた。

 鋼のような筋肉を持つアルドナが数メートル後退し、馬車の車輪を粉砕して止まる。彼女の口から苦しげな吐息が漏れた。肺が潰れたかのような衝撃に顔を歪めながらも、彼女は即座に剣を構え直す。だが、その腕の震えは隠せなかった。


 「姉さん! ……くっ、演算開始! 『幾何学的拘束ジオメトリック・バインド』!」


 シリュウスが血を吐きながら魔導書を掲げた。

 彼の周囲に無数の光の鎖が生成され、二人組を全方位から包囲しようとする。だが、仮面の女は眉一つ動かさず、再び錫杖を地面に突いた。


 「シャリン――」


 再びの鳴音。

 シリュウスが心血を注いで編み上げた複雑な術式が、まるで最初から存在しなかったかのように、文字通り「消滅」した。術を破られた反動で、シリュウスの脳内に激痛が走り、鼻から鮮血が噴き出す。彼は視界を真っ赤に染めながら、その場に膝をついた。


 「お兄ちゃん! アルドナ姉さん!」


 フィオラが叫び、倒れ込んだ二人に駆け寄ろうとする。

 しかし、彼女の前に、音もなく錫杖の女が立ち塞がった。女の影がフィオラを飲み込み、周囲の温度が急速に奪われていく。


 「案ずるな、娘。お前たちの命に興味はない。我らが求めるのは、その身に宿る『調和を乱す力』の封印。そして、この中立地帯に不浄の種を持ち込ませぬことだ」


 女の手が、フィオラの喉元へと伸びる。

 その指先は白く、死人のように冷たかった。フィオラは恐怖で足が竦み、声も出せない。彼女の耳には、再び死者たちの悲鳴が届き始めていた。この関所で殺され、守護者たちによって無理やり沈められた、無数の「声」たちが、地面の底から彼女に救いを求めて指を伸ばしてくる。

 

(……たすけて……くるしい……このおんな、ぼくたちの……こころを……たべてる……)


 一人の少年の震える声が、フィオラの芯に触れた。その少年は、かつて関所の礎として埋められたのか、あるいは飢えて行き倒れたのか。冷たい暗闇の中で、誰にも名前を呼ばれぬまま、ただ「森の調和」という名目のもとに沈黙を強要されている。

 その瞬間、フィオラの琥珀色の瞳に、これまでとは違う、静かで烈しい「輝き」が宿った。


 「……違う。調和なんて、嘘よ」


 フィオラが、掠れた、けれど力強い声で言った。

 錫杖の女の手が止まる。仮面の奥の瞳に、わずかな疑惑の色が浮かぶ。


 「あなたたちは、死んだ人たちの声を閉じ込めているだけ。……この人たちは、ただ眠りたいだけなのに。あなたたちが無理やり静かにさせて、石の下に閉じ込めているから……だから、こんなに冷たいのよ! これは調和じゃない。ただの、残酷な沈黙よ!」


 フィオラの胸元にある山吹の押し花が、彼女の感情に呼応して、黄金色の淡い光を放ち始めた。

 ガリウスが託した「人間としての温もり」の記憶。誰かが誰かを想い、花一輪を大切に思う心。それが、フィオラの魔力を、単なる死霊術ではない、より根源的な「癒やし」と「記憶」の力へと変質させていく。


 「お下がりなさい、守護者さん。この人たちの物語は、あなたたちのものではないわ! ……彼らは、石じゃない。心を持った、人間だったのよ!」


 フィオラが地面に両手を突いた。


 「冥顕」――。


 だがそれは、以前のような、恐怖に突き動かされた無秩序な死者の氾濫ではなかった。

 関所の地面から、無数の山吹の花が、幻影となって咲き乱れる。黄金の花々が、死者たちの影を優しく、慈しむように包み込み、冷たく尖っていた彼らの思念に温かな「形」を与えていく。

 影たちは次第に、生前の姿――旅をする親子、冗談を言い合う兵士、幼い子供――の輪郭を取り戻していく。彼らはもはや守護者の手駒ではなく、自らの意志を持つ「記憶の具現」となった。


 「な、なんだ……この輝きは!? 森の魔力ではない、これは……『記憶』の質量そのものか! 我らの調伏を力ずくで書き換えたというのか……!」


 仮面の女が初めて動揺を見せ、大きく後退した。

 黄金の花に触れた死者たちの影が、守護者たちの足を掴む。それは憎しみによる攻撃ではなく、自分たちを無視し続けた者への「重み」としての拒絶だった。短剣の男もまた、かつて自分が葬った者たちの「重圧」に動きを封じられ、焦燥の声を上げる。


 「今よ、アルドナ姉さん!」


 フィオラの叫びを受け、アルドナが再び立ち上がった。

 その右腕の紋章は、もはや彼女を蝕むだけの呪いではなかった。フィオラが放つ黄金の光を吸い込み、戦うための純粋なエネルギーへと昇華されていた。彼女は「裂界の牙」を両手で握り直し、黄金の花が咲き乱れる戦場を、風を切り裂き疾走する。


 「よくやったわ、フィオラ! 最高の舞台じゃないの! ……食らいなさい、これがレオファングの、生き抜くための意地よ! 『獅子王・天壊斬ししおう・てんかいざん』!」


 漆黒の剣気が、黄金の花びらを嵐のように巻き込みながら、二人組を真っ向から両断せんと放たれた。空間そのものが悲鳴を上げ、絶対の防御を誇っていた関所の石門が、紙細工のように粉々へと粉砕される。

 砂塵と黄金の光が混ざり合い、視界を完全に白濁させる。

 シリュウスは朦朧とする意識の中で、フィオラを強く抱き寄せた。演算能力は限界を超え、視界は半分欠けていたが、今の彼には、フィオラが示した「新しい可能性」が希望に見えていた。

 砂煙が晴れた時、そこには二人組の姿はなかった。

 ただ、地面に一枚だけ、緑色の石でできた仮面の破片が、痛々しく落ちていた。


 「……逃げたか。だが、深追いは無用だ。……関所は開いた。姉さん、フィオラ、今のうちだ! 追っ手が立て直す前に!」


 ガリウスの知人である御者が、腰を抜かしながらも、崩壊した石門の瓦礫を乗り越えて馬車を走らせ始めた。

 粉砕された石門を通り抜け、馬車はついに「聖教圏」の外側、未知なる自由貿易都市への街道へと飛び出した。

 フィオラは荷台の揺れに身を任せながら、急速に遠ざかっていく関所を見つめていた。

 そこにはもう、死者たちの悲鳴は聞こえない。黄金の花の幻影が消えた後には、ただ静かな、そして少しだけ温かな、本当の意味での「安息」が残っていた。地面の下で眠る彼らは、ようやく名前を持った人間として、歴史の隙間で息をつくことができたのかもしれない。


 「……お兄ちゃん。私、あの人たちの声を、ちゃんと聞けたかな。誰にも届かなかった物語を、拾い上げることができたのかな」


 フィオラが自分の掌を見つめながら呟く。その手には、戦いの最中に握りしめた押し花の香りが、微かに移っていた。

 「ああ。君が、あの凍りついていた時間を動かしたんだ。……フィオラ、君はもう、立派な語り部だね。……僕も、君が拾い集めた物語を、いつか世界中の人が読めるように、何としても生き延びてみせるよ」

 シリュウスは、亀裂の入った眼鏡をそっと直し、フィオラの泥に汚れた手を優しく、包み込むように握った。彼の微笑みには、長男としての誇らしさが滲んでいた。

 アルドナは御者台の横で、大剣の血振りを済ませ、鞘に収めながら不器用そうに鼻を鳴らした。


 「ふん、語り部の力ってのも、案外頼りになるじゃない。……あんたがあんな派手なことするから、私の剣まで黄金色に光っちゃって、調子が狂ったわよ。……でも、まあ、悪くなかったわ。あの守護者とかいう奴らの驚いた態度、傑作だったもの」


 アルドナはそう言うと、フィオラの頭をガシガシと乱暴に、けれど慈しむように撫でた。


 「あんたの『語り』が、私たちの道を開いた。……よくやったわね、フィオラ」


 深緑の双子月。

 二人の強力な守護者を退け、三兄妹はついに物理的な、そして精神的な国境をも越えた。

 しかし、彼らが辿り着いた「自由」の世界――混沌の貿易都市もまた、一筋縄ではいかない。そこでは、教会の法ではなく、欲と力が支配する新たな「物語」が彼らを待ち受けている。

 馬車は、深緑の森を抜け、開けた大平原へと突き進んでいく。

 遠くに見える街の灯を、フィオラは琥珀色の瞳にしっかりと焼き付けた。


 次回、『第15話 混沌の貿易都市』


 ――国境の関所を越え、馬車がたどり着いたのは、深緑の森の終端に広がる自由貿易都市「ザ・ラード」だった。


 ご拝読ありがとうございます。次回をお楽しみに!

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