第二話 スバルちゃんに弄ばれてからの、突然のクラス転移
「七原君。おはようございます」
奇妙なことは重なるもので、翌日、登校している最中、自転車が後ろからやってきた音がしたかと思うと、またしても天使の声がした。
「お、おはよう」
ぼくはどうしても気まずい思いが拭えず、ぼんやりとした挨拶を返してしまうが――
「なにかわたしとおはなしして気まずいことでもありますか? ああ、昨晩思いが抑えきれず一人でしてしま……」
「わーわーわー!」
ぼくは、心が読めるという能力が可愛い女の子と組み合わさったときにいかに凶悪な性能を発揮するかについて、まざまざと理解させられていた。
「ふふ、そんなに焦らなくてもいいでしょう? 男の子がそういうことをするのって、非常に自然で、かわいらしいことだと思いますよ? それだけ、わたしのことが好きになってしまったってことでしょう?」
「……」
ぼくは何も言うことが出来ず、黙って足を速めて彼女から少しでも離れようとしてしまう。
「逃げないでくださいよ? わたし、もっと七原君のかわいらしいところを見たいんです。わたしのことが好きなら、わたしのこと、楽しませてくださいね?」
彼女は自転車を降りて、僕の横にすたすたと歩いて追い付いてくる。その表情に浮かぶ微笑みはまぎれもなく勝利者のそれだった。
それにしても、なんという暴虐の女王のような物言いだろう。その不遜さすらたまらない魅力のように感じてしまう僕の頭が一番バグっているのは間違いないが。
「わたし、王女様ってなんとなく憧れがあるんですよね。どちらかというと普段は聖女様って感じですけどね」
「……ふつう自分で言う?」
「ふつう、なんて考えれば考えるほどつまらなくなってしまいますよ? わたしだって、ふつうじゃない七原君のことが気になっているのです。七原くんがふつうになってしまったら、ポイっと捨ててしまうことでしょう」
その冗談のように発された言葉で、ぼくは今の関係性がいかに薄氷の上にあるものなのか、彼女の気まぐれだけで成り立っているものなのかを理解してしまって、無性に胸が痛くなった。
「そんな顔をしないでください。気に入らない男の子にこんな話をわざわざしたり、ほっぺたにキスしたりはしません。ふつうに考えてもわかりますよね?」
「キミはぼくのことはなんでもわかるかもしれないけど、ぼくはキミのことは何もわからないよ」
「あ、そのキミって呼んでくれる感じもちょっと素敵ですね。これからは、星海さんとかじゃなくて、キミって呼んでくれると嬉しいです」
「わ、わかったけど……」
彼女の物言いは明らかに失礼さを孕んでおり、ぼくは一人の男としてもっと強気に外交してしかるべきなのではないかと思うものの、どうしても彼女が可愛すぎて好きすぎてたじたじになってしまう。
「思うんですけど、わたしたち、結構相性がいいと思うんですよね。実はわたし、なんだか七原くんと話すの、すごく楽しいんです」
「それは普段誰にも言ってない打ち明け話をしてるからとかじゃないかな」
「どちらかというと、七原君のリアクションが可愛いからだと思いますけどね」
「ぼくからすると、遊ばれてるだけなんだよなぁ」
「でも、遊ばれるのも遊ばれないよりは素敵な体験じゃないですか? 人生、なんでもエンジョイするのが大事だと思うんですよ」
「キミが言うべきセリフではないけどね」
「あ、それやっぱり素敵です。ふふ、七原君とお話するの、やっぱりとっても面白いですね」
「そうですか」
「あ、なんだか冷たいですね? ここが冷たくなってるんですかね?」
突然、彼女は身体を傾けて左手を伸ばして、ぼくの左胸に手のひらを当ててくる。
唐突なボディタッチ、しかも予想外の箇所への刺激に、ぼくはぞくりとくる興奮と、ぞわぞわとした快感が身体に走るのを感じてしまう。
「と、突然触れられると、こ、困るんだけど」
ぼくは精一杯自分にできる抗議をするが……
「おや、今度はなんだかほっぺたの方が温かくなったみたいですね?」
と全く意に介せず、今度はべたべたとほっぺたに手のひらを触れさせてくる。
ぼくの顔は、きっとトマトのように真っ赤になっていることだろう。
彼女の柔らかな手のひらの感触は、とっても女の子の手のひらで、それがぼくのほっぺたに触れている事実は、あまりに信じがたい快楽を僕にもたらした。
近くに彼女の髪の毛が迫ったことで、なんだか甘い桃のようないい香りが漂ってくる。
その匂いもまたぼくを興奮させてやまないものであり、ぼくはその時、勃起することが抑えられなくなってしまった。
「う。うう……」
ぼくは恥ずかしくて、その場から逃げたくてたまらなかった。
だって、心が読める彼女には、僕のいけない興奮は手に取るように伝わってしまっているはずなのだ。
「七原君、なんだか苦しそうですね? わたしが悪戯しすぎてしまったのがいけなかったでしょうか? なにか、わたしにしてほしいことはありますか? わたしにできることだったら、なんでもしてあげたいのですが」
彼女はあくまでも親切で優しい少女のように振る舞っているが、彼女が僕の興奮を煽って僕を虐めるためにあえてそのような物言いをしていることはさすがに分かった。
「た、頼むから、本当に限界だから、これ以上は勘弁してくれ……つらいんだ」
「あらら、白旗をあげてしまいましたか」
「キミはいつか男に刺されるよ」
「そしたら、わたしのことを守ってくださいね? 思わず好きになってしまうかもしれませんよ」
スバルちゃんは最後まで自分のペースを崩さないまま、ニコニコと僕を虐めていた。
傍から見れば平和な登校風景なのに、僕の心は嵐が吹き荒れんばかりに乱れて平常心を失っていたのだから、皮肉なものである。
だがこの後、ぼくどころかスバルちゃんですら、まったく予想だにしないイベントが僕たちを襲うことになる。
その日、ぼくたち東中学校3年D組は、一人残らず、異世界に転移した。
転移した先は、こう呼ばれていた。
「迷宮都市ラヴ」
この愛の名を冠する迷宮都市で、僕たちがいかなる人生を送るかこそがこの物語の主題であり、ここまでのスバルちゃんとの会話は壮大な物語の序章に過ぎないことを、ここに付記しておく。