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第一話 クラスメイトの天使スバルちゃんはテレパシストだった

 人生を生きてきて、生きるのがつらいと思ったことは多い。


 それは他人から見ても多い方なのかは自信がないというか、それぞれに苦労した人生を送っている人々がたくさん世の中にいる中、自分だけがこんなに辛いんだ、と主張することにとりわけ価値を見いだせなくはあるのだが、とにもかくにも、ぼく、七原七史(ななはらななふみ)の人生は、いつも灰色で、どこか辛く、楽しさというものをあまり感じられないものだった。


 日本には、歴然としたカースト制度のようなものが、肉眼には見えない形で、でも確かに実体をもって、灰色の幽霊のように存在していると感じることがある。


 ぼくは中流と下流の間くらいの庶民の家に生まれ、イケメンとは一度も言われたことがない平凡な容姿と、ちょっと勉強は得意で本などを読むことに惹かれるインドアな性格と、女子にはモテそうもない劣った運動神経を持った個体としてこの現代日本を生きてきたわけだが、この女子にモテないという部分こそ、思春期の少年にとって、非常に原始的かつ非常に絶望的な生きづらさを生んでしまうものであると思う。


 ぼくにも人並みに異性への興味というものがあり、かわいらしい女の子を見るとドキドキとしてしまう心があり、恋に我を失ってしまう少年らしいところがあるのだが、残念なことにそんなぼくが勇気を出して告白をするというイベントは、この人生においてはいまだ一度も起きていなかった。


 だって、特にイケメンでもない、運動もできない、眼鏡をかけたおとなしい陰キャに告白されて、うれしい女子がいるとはぼくには到底思えなかったのだ。


 ぼくが勝手に想いを募らせて、自分でもあまり好きになれない性欲をこじらせたり、パニックになりそうなほどの感情の奔流に押し流されたりして苦しんでいたとしても、そんなことは当の女子からしてみれば知ったことではないだろう。


 そこに、その女子がぼくを愛する必然性は何もなく、たいていの場合は気持ち悪がられて終わり、下手をすると女子同士の噂話のネットワークでいやなことをたくさん言われてしまうかもしれない。


 ぼくは、そんな中で愚かにも告白をするほどの蛮勇を持ち合わせてはいなかった。


 いい大人からしてみれば、未熟な少年の独りよがりな悩み事、程度に思われる事象だろう。


 でもぼくはいまだ中学3年生の若き少年で、日々可愛い女子の短いスカートを見るたびに焦がされるような性欲を抑えるのに苦労していて、そんなぼくにも目が合うとニコっと微笑んでくれる天使のようなスバルちゃんのことが、ぼくは好きで好きでたまらなかった。


 スバルちゃんは、星海昴(ほしうみすばる)というとても素敵な名前を持った女の子で、学園のアイドルと呼ばれるのにこれほど相応しい女の子はほかにいないと思えるくらいのまばゆい美少女なのだが、その性格はどこか不思議なところがあって、いつもニコニコと楽しそうにしているようにも見えるが、どこかその本質は達観していて、友人の女子が悩み相談などをすると、ハッとするような一言を放ってその女子のもやもやをたちどころに晴らしてしまうような、不思議な知性と魅力的な人格を持った女の子だった。


 ぼくは、いったい前世でどんな徳を積んだらこんな女の子と付き合うことができるのだろう、なんて考えながら、教室の片隅から今日もスバルちゃんを見つめている。


 スバルちゃんは、いわゆる陽キャのグループとも、陰キャのグループとも分け隔てなく付き合い、万人に愛されながらも、それらのすべてと一定の距離をとってずっと高いところから見つめているような、どこか常人離れしたところのある女の子だった。それでいて、圧倒的な人柄の魅力故に、そうした女の子によくある虐めや孤立とは無縁である。


 今は、陽キャのグループ、サッカー部の島野というイケメンが、スバルちゃんに運動部の友達たちを引き連れて話しかけている。


 噂によると、島野はスバルちゃんが好きらしい。


 島野はそのことを隠そうともせず、楽しそうに頬を上気させながらスバルちゃんにテンション高く話しかけている。


「いやマジ、ゆるせねぇよなぁ! こいつ、モンハン真っ最中にいきなりいびきかいて寝始めるんだぜ! これが同じ人間のすることかよって感じじゃね!? 許されると思う!? なぁ、スバルちゃん!?」


 島野の話はぼくから聞いてもなかなか楽しく聞ける雰囲気のものであり、スバルちゃんも天使のような美少女フェイスに明るさを帯びさせて、こんな返答をする。


「まあ人間眠たいときには寝るのが一番ですよ? 島野くんは古龍が狩りたかったけど、熊原くんはぐーすかぴーってしたかった。各々やりたいことがあって、各々自由に生きてて、いいじゃないですか」


「そのせいで狩り失敗した俺の身にもなってくれよー! てか、スバルちゃんもモンハンわかるんだね!」


「わたしはお兄ちゃんがいるので、いっしょにモンハンしてましたよ。小学生のころ、ワールドにだいぶハマってました。あれは楽しかったですねぇ」


「おーまじか! スバルちゃんにモンハンのイメージまったくなかったわ! スバルちゃんとモンハンしてぇ~~~!」


「ふふ、別にいいですよ。わたしもsteam版のワイルズ持ってますから。discordとか交換しましょうか?」


「え、いいの!? マジ!? 人生最高の瞬間だわ!」


 その瞬間の島野の笑顔は、こんなにうれしそうな人間を見る瞬間もなかなかないだろうというくらいの笑顔で、それだけにぼくの心が曇るのもまた避けられなかった。


「そんなにうれしがることもないと思いますけどね」


「いやいやいや、スバルちゃんは自分の天使ポイントを過小評価してるって」


「天使ポイントっていうのがあるんですか? なんですかそれ?」


「スバルちゃんマジ天使だけど、天使すぎて自分の天使っぷりに無自覚なんだよなー」


「わたしは普通の人間ですよ?」


「いやいやいや、なんていうんだろう、スバルちゃんは、なんか話してるだけで、人の心の闇を晴らしていくような、不思議な力を感じるんだよなー」


「そうなんですか? 癒し系ってやつですかね?」


「うんうん、なんかそういってしまうと陳腐だけど、まじで癒されるんだよなー。俺本当、スバルちゃん大好きだもん」


「そうなんですか? 愛の告白ってやつですかね?」


「実を言うとね」


「ふふ、島野君も面白いですよ?」


「照れるわぁー」


 島野は、おそらく本気で自分が思ったままに好きだと言っているようだったが、スバルちゃんの不思議空間の力で冗談にされていて、少し可哀そうだなとは思った。


 とはいえ、スバルちゃんとあのような楽し気な会話をして、愛の告白ってやつですかね、なんて言われているのを聞くと、無性にうらやましくなってしまう。


 だが、教室の片隅でぼんやりしているぼくと彼ら彼女らの間には目に見えない巨大な壁、カーストの差というものがあり、ぼくはどんなに混ざりたくても話しかけることすらできない。


 こんな時、彼らはあんなにも楽しそうな会話をしているのに、ぼくは無性に生きるのがつらくなってしまう。


 世界の苦しむ人々に比べれば、どうということはない苦しみではあるのだろうが、ぼくにとっては非常に切実で、非常に困った問題。


 それがこの、思春期の恋という問題なのであった。





 *****






 放課後、灰色の空を眺めながら、ぼくは一人帰路についた。


 ぼくにも一応は友達らしきものはいるのだが、それは学校にいる間だけの関係であり、家に帰ってからも遊ぶような親密さはなかった。


 そんな自分のことを、ぼくは結構孤独だと思っている。


 とはいえ、孤独というのは悪いことばかりでもない。


 孤独には自分を研ぎ澄ます作用があると、何かの動画で見たことがある。


 孤独の中にいると、自分の中のもやもやとした不安定さ、抑えきれない衝動のようなものが、研ぎ澄まされて、昇華されて、エネルギーと指向性をもってなにかを変えていくような妄想をかんじることがある。


 脳裏に浮かんだのはスバルちゃんのことだ。


 スバルちゃんは、今頃島野の奴と楽しくモンハンをするため、アカウントを教え合ったりしているかもしれない。


 彼らが過ごす楽しい時間を想うと、ぼくは無性に胸が苦しくなり、孤独が心を満たす。


 孤独が自分を研ぎ澄ますのなら。


 自分のこの苦しさも、いつか光り輝くなにかに変わることもあるのだろうか。


 せめて、スバルちゃんと自分も楽しく会話したい……


 そんなことを考えながら、とぼとぼと住宅街を歩いていると――


 ――自転車の音が背後からしたかと思ったら、突然天使の声が響いた。


「あれ、七原くんだ。奇遇ですね」


 驚きすぎてすごい振り返り方をしてしまい、とたんに後悔した。


「わ、すごいびっくりしてますね。ダメですよ、日々なにが起こるかわからないからこそ、平常心を保たないと」


 そんなことをいいながら楽しげな表情を浮かべた天使は、灰色の雲に灰色の住宅街の中にありながら、荘厳な宗教画の主人公のように光り輝く個性と魅力を放っていた。


 サイドテールにまとめた濡れたような黒髪をひょこひょこと揺らしながら、まん丸の猫のような瞳が彼女にしかない独特の魔性を帯びてぼくをまっすぐに捉えていた。そしてぼくはすでにその瞳の中に囚われてしまっていた。


「い、いや、星海さんがぼくに話しかけることって珍しいから、びっくりしちゃって……」


 こんなタイミングで挙動不審になってしまう自分が憎い。


「そうですか? 普段もちゃんと目が合ったら、にこって挨拶してたつもりでしたけどね」


「あれ挨拶だったんだ……」


「そうですよ? 笑顔は大事っていいますよね」


「そ、そうかな?」


 き、気まずい……

 せっかくの幸運すぎるほどの幸運なのに、ぼくの陰キャさが邪魔をして、楽しく会話をすることができない……

 こんなふうに天使が話しかけてくれることなんて、もうぼくの人生で二度と訪れないかもしれないのに……


「ふふ……七原くんは見かけより面白い男の子ですよね?」


「え? そ、そんなことないと思うけど」


「そうですか? そういえば、今日、わたしに天使ポイントみたいなのがあるって島野くんに言われたんですけどね。実をいうと、自分でもちょっと心当たりみたいなものがあってですね」


「そ、そうなんだ」


「うん。実を言うとわたし、ほかの人が何考えてるか、だいたいわかっちゃうんですよね」


「……え?」


 それは非常に唐突な告白だったが、続く言葉でぼくはそれどころではいられなくなった。


「……こんなふうに天使が話しかけてくれることなんて、もうぼくの人生で二度と訪れないかもしれないのに……とかですね」


 その悪戯げな笑顔でさらっと放たれた言葉は、一瞬にして致死量に達するほどの強烈なダメージをぼくに残した。


「え。え。ええええええ!?」


「あはは。冗談ですよ……え、当たってました?」


「……いやいやいや……偶然でそんな当たる事、なくない?」


「おー。これ自分の妄想なのかなって思ってました。はからずもテストできてしまったですね」


「え? え? いや、当たっている以上本当なんだろうけど……だとすると、ぼくは死ぬしかないんじゃないか?」


「なんで死ぬんですか?」


「クラスメイトの女の子のこと心の中で天使と呼んでいたとバレるとか、死ぬしかなくない?」


「べつにいいんじゃないですか? わたしのこと好きなんですよね? 個人の自由だと思いますけど」


「さらっというなぁ……ぼくにとっては非常に重い悩み事だったんだけど」


「ふふ、知ってますよ。実を言うと、これほど強くわたしに思いを寄せてる人は珍しいから、私も七原君のこと、ちょっと気になってたんですよね」


「え?」


「七原君、にこっと微笑んであげたときの心の中のリアクションが可愛いから、ついつい可愛く微笑みかけちゃうんですよね」


「え? え? えええええ?」


 スバルちゃんはそんなことを言いながら、容赦なくにこっと可愛く微笑みかけてきている。この子は鬼か? 心が読まれていると知りながら笑顔に見とれざるを得ない身にもなってほしいのだが。


「七原君は自分にあまり自信がないみたいですけど……素敵なところもいっぱいあると思います。自分のことを、もう少し好きになってあげてもいいんじゃないですか?」


「い、いやでも……ぼくみたいな陰キャで友達もちゃんといないような男、だれも好きにならないし……」


「ふふ、今はそうでも、未来どうなるかなんて誰もわからないものですよ。もしかしたら、未来の七原くんにわたしがメロメロになってることだって、あるかもしれませんよ?」


 な、なんでスバルちゃんはそんなことをいうんだろう。いたいけなぼくをからかって遊んでいるのだろうか? そうとしか思えないが、ぼくは彼女がそんな性格ではないことを知っているはずだった。


「クラスメイトに見せている顔というのは、その人の本質を捉えたものなんでしょうかね? ひょっとすると、今の七原君に意地悪なことをしているわたしが、いつもよりずっと本当のわたしに近いわたしなのかもしれませんよ?」


「そ、そうなの? で、でも、だとすると……」


「だとすると……そんなわたしのことはもっと好きになってしまいそう、ですか?」


「う、うう……なんでぼくがいきなりこんな目に……」


 心を読まれるのが辛すぎて思わず恨み言を言ってしまった。天使であるスバルちゃんにそんな言葉を投げかけていいはずはないのに……


「ふふふ、からかいすぎちゃいましたね。ちょっと悪いなと思ったので、お詫びをしてあげます」


「え?」


 スバルちゃんは、すとんと自転車を降りて止めると、サイドテールをふわふわ揺らしながらぼくの方に歩いてきて、ああ、近くで見るとあまりにも可愛い、可愛すぎる、なんて思ってる間に、流れるような動きでぼくのほっぺたにキスをした。


「……え? えええええ!? な、ななな、なんで……!?」


「わたしは天使らしいですからね。ほっぺたにキスくらいしてもおかしくないんじゃないですか?」


「い、いや、いやいやいやいや……」


「そんな風に何も言えなくなるところが見てみたいなって思っただけですよ? 深い意味はありません。……このことは、二人だけの秘密ですからね?」


 ああ、なんで……

 どうしてこの天使は、ここまでぼくの心をずたずたに引き裂くようなことを次々と行ってくるのだろう……


 ぼくはこれ以上ないほどにノックアウトされて、ただ呆然とスバルちゃんの美しすぎる瞳に囚われ続けることしかできなかった。


「……人は恋に落ちていると思っていても、意外と本当には恋に落ちていないものです」


「え?」


「本物の恋って、そんな風に鮮烈で、忘れようがないものなんですよ。わたしとしても、感じていて心地がいい、愉快な感情です」


 その彼女の物言いには、これ以上ないほど恋に落ちてしまっていたからこそ、どこか神経を逆撫でする何かがあった。


「星海さんは……愉快だからこんなことをしているの?」


「そうですよ」


「……それは、悪い事な気がする」


「わたし、実は悪い子なんですよ?」


「それは、良く分かった」


「ふふ、まあ、異性って、悪いくらいが一番魅力的に感じてしまうものですからね」


「全部、全部わかってるんだね、星海さんは」


「そうですよ。全部、全部わかるからこその楽しみを味わっているのです」


「……星海さんは、ぼくがちんけな妄想で想像していたより、何倍も鮮烈で、何十倍も生々しくて、何百倍も魅力的だよ」


「そうですか。素敵な愛の言葉をありがとうございます。わたしもそういってもらえて、うれしいですよ? あなたの期待する天使ではなかったかもしれませんが」


「まったくもってその通りだけど、天使なんかより星海さんの方が可愛いって分かったよ」


「そうなんです。わたしって実は可愛いんですよ? わかっていただけて嬉しいです」


 なんとも奇妙な会話をしているが、ぼくは、この会話の本質は捕食だ、と直感してしまっていた。


 これは、一人の少女が、一人の少年の魂を、無慈悲に捕食している図なのだ。


「ふふ、そういう賢いところも素敵なんですけど、いかに賢くても魅力的な異性にはかなわないものですよね」


「悲しいことに」


「……そろそろ行きます。また学校で会いましょうね」


 そういうと彼女は滑らかな動きで自転車に乗り、サイドテールと短めのスカートを揺らしながら、振り返らず去っていった。


 ぼくは、呆然と今起こったことをひたすら頭の中でループさせることしかできなくなっていた。


 スバルちゃんにキスされた。スバルちゃんに弄ばれた。スバルちゃんが好きだ好きだ好きだなんでこんな可愛いんだこの子は意味わからない意味わからない意味わからない――


 恋とは本質的に魂を傷つけることなのかもしれないと思った。


 ぼくの魂はこれ以上ないほどズタズタに引き裂かれていたから――


 ぼくはその日、スバルちゃんで5回オナニーした。


 それは最高にみじめな時間で、それ故に人生最高に気持ちよかった。


 確かに言えることは、この日、僕の魂は取り返しがつかないやり方で変質してしまっていて――

 その変化はこの後に起こる長い長い物語全体において、甚大な影響を保ち続ける変化であったということだった――

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