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14.首輪をつけさせた日

 ======




 それは、学園に入学してから数ヶ月が経過した頃。

 僕は相変わらず、新しいご主人様を探していました。

「聞きました?シエノーク・ヴォルコの話」

「あ、ご主人様になってくださいっていろんな人に言ってる人ですよね?僕もその子にご主人様になってくださいって言われました……急に現れて怖かったぁ……」

「ルスラン様にもそう言ったそうですよ。身の程知らずな……」


 僕は、学園の廊下で僕の噂をする彼らのすぐ近くで、彼らの話に耳を傾けていました。

 僕がすぐ近くにいることには、誰も気づいていません。


「あの子、自分の父親に犬扱いされておかしくなっちゃったんですって」


 この頃には、お父様の悪口を言われることにも随分慣れていました。僕がどれだけ自分の愚鈍さをアピールしてもお父様は悪く言われる一方でしたから、『お父様の素晴らしさは僕だけがわかっていればいいのだ』と諦めたのです。

 とはいえ、不快は不快です。この後お父様の悪口を言うのでしょうから、おしゃべりはここまでにしてもらいましょう。


「わん」


 僕が声を出すと、そこでようやく僕の存在に気が付いたようで、貴族の子供たちは悲鳴を上げて逃げていきました。

 あんなに急いで廊下を走って……。先生に怒られてしまわないでしょうか?逃げていく子供たちの背中を見ながら、僕は彼らを心配しました。


 後ろから「おい」と声をかけられます。

 振り返ると、そこにいたのは、ルスラン・テオス・ゾロテスティ様でした。僕はルスラン様に向き直り、笑顔で返事をしました。


「わん」

「……っ!!やめろ!人の言葉を話せ」

「命令とあらば」


 ルスラン様が舌打ちしました。なにをそんなに怒っているのでしょう?怒っているなら、僕のご主人様になって、僕で発散してくれればいいのになぁ。


「貴族のくせに下僕ぶりやがって。気持ちが悪い」

「申し訳ございません」

「っ、申し訳ないと思うならやめろ!そんなごっこ遊びができるのはお前が恵まれた環境にいるからだろ!」

「そうでしょうか」

「恵まれた貴族のくせに勉強もせず民のことも考えず犬になることばかり考えやがって!!お前は貴族以下だ!!」

「はい」


 ルスラン様は僕の胸倉を掴みました。

 騒ぎを聞きつけて、他の生徒達が集まってきます。僕たちを見て、ひそひそ話す声が離れたところから聞こえてきます。


「お前は罰されるべきだ!!」


 ……まさか、躾をしてくれるのでしょうか?お父様みたいに。そう思って、期待のまなざしを向けます。


「恵まれた環境にいるくせになんの義務も果たさないどころか、ごっこ遊びで人に害を与、え、……」


 僕の目を見た途端、ルスラン様が固まって、驚愕の表情を浮かべます。

 ルスラン様の目がどんどん丸くなって、ルスラン様の顔がみるみるうちに赤くなっていきます。


 ……怒りすぎでしょうか?


 ルスラン様は、口をはくはく動かした後、手を放しました。

 期待した痛みがやってこなくて、僕はがっかりしました。


「……な、ん、……」


 ルスラン様は一歩、二歩、後ずさると、……どこかへと去って行ってしまいました。




 その次の日から、自分の物がなくなったり、食堂で飲み物をこぼされたり、密室に少しの時間閉じ込められたり、通りすがりに足を蹴られたりするようになりました。

 まるで、ヴォルコ家にいたときのようです。




 なんということでしょう。


 こんな、こんなに、




 こんなに喜ばしいことはありません!


 皆、僕を見て笑顔になってくれます。困ったり、汚れたり、声を上げて助けを求めたり、無様に転んで這いつくばったりする僕を見て、くすくす笑ってくださいます。僕に嫌がらせをして、僕を見て、喜んでくださるのです。

 ようやく、ようやく僕の幸せな日々が戻ってきました。

 諦めずにアピールし続けてよかった。

 頑張ったかいがありました。

 やっと、僕の使い方に気づいていただけたのです!




 この変化は、どうやらルスラン様によってもたらされたようです。


「恵まれてるくせに犬になることばかり考えて」

「貴族としての義務を果たしていないのに、なんの罰も与えられないなんて……」


 だって、僕に嫌がらせをして笑ってくださる生徒たちがみんな、ルスラン様と同じことを言うのです。

 

「神が怒っていますよ」

「これは天罰です」

「悔い改めましょうね」


 宗教の話を避けるはずの貴族の子供たちが、なぜかみんな神の話をするのです。


 そうして、今までずっと一人で過ごしていたルスラン様が、あの日からずっと生徒に囲まれているのです。




 ルスラン様が他の生徒に接触し、生徒達の心を掴み、僕を躾ける空気を整えてくださったのは明白でした。

 まるで、お父様みたい!

 ルスラン様は、僕のご主人様になってくれるのでしょうか?

 そう期待して何度かルスラン様に近づこうとしたのですが、そのたびにルスラン様の周りにいる生徒が、僕をルスラン様から遠ざけました。

 きっと、ルスラン様が他の生徒に僕を遠ざけるように命じているのでしょうから、僕はあまりしつこくしませんでした。

 ルスラン様はお父様によく似ているから、僕が必要になったら向こうから呼んでくれるでしょう。




 そんなある日、僕はルスラン様の取り巻きに空き教室に呼び出されました。

 僕は上級生を含む数人の生徒に殴られ、蹴られました。顔は狙われませんでした。

 皆、そんな僕の様子を見て頬を紅潮させて楽しそうにしてくださいました。

 服を捲り、傷跡を見て気持ち悪いと罵倒し、僕の体に、更に新しい傷を増やしました。


 段々意識が朦朧としてきて、この後寮に戻れるかほんの少しだけ不安になっていたら、空き教室の扉が開きました。

 生徒たちが一斉に僕の前に立って壁になり、僕の姿が外から見えないように盾になりました。


「ルスラン様!」


 誰かが言いました。入ってきたのはルスラン様のようです。

 僕は僕に幸せを与えてくれたルスラン様のお顔が見たくて、閉じかけていた目を無理やり開けました。


 生徒がルスラン様を避けるように二手に分かれ、ルスラン様と僕を繋ぐ道ができます。

 廊下から差す光がルスラン様の背中に当たっていて、後光のように見えました。

 美しい、僕の神様。


 自分が今、床に力なく横たわり、服が半分ほど脱げて新しい傷も古傷も晒してしまっている、ぼろ雑巾のような姿であることも忘れて、ルスラン様に微笑んでいました。



 

 ルスラン様は、そんな僕を見て目を見開き、……みるみるうちに青ざめていきました。

 僕はきょとんと瞬きします。どうしたのでしょうか?


「天罰を与えていました」


 そう言って、上級生の体の大きい生徒がもう一度僕の体を蹴ります。お腹に当たって、僕は激しくせき込みました。


「やめろ」


 震える声を出したのは、ルスラン様でした。


「えっ、」

「……ここまで、やれ、なんて……、……」


 ルスラン様は、なにか言いかけて口を閉じ、しばし無言になった後、「……後は、俺がやるから、もう帰っていい」と、か細い声で言いました。

 生徒たちは視線を彷徨わせ、おろおろとしている様子でしたが、ルスラン様に鋭く「帰れ」と言われ、慌てて教室から出て行きました。


 生徒たちが出て行ってから、僕に更に近づいて、へなへなと座り込むルスラン様。




 なんとなく状況が読めて、僕はがっかりしました。


 ルスラン様は、僕をここまで躾けるつもりはなかったのです。

 少しだけ罰を与えてやるつもりで皆を唆しただけなのに、いつの間にか取り巻きが勝手にエスカレートして、今日の集団での暴行に至ったのでしょう。


 ルスラン様の意思で行われた躾ではないため、これからルスラン様が皆にやめろと言って回ったら、この躾はもう味わえない可能性が高いです。


 せっかく幸せだったのに。


 ルスラン様とお父様は、やっぱり違うみたいです。




「……ごめん……」


 ルスラン様の目から、ぽろぽろと涙がこぼれます。


「ごめん、なさい……、ごめんなさい……」


 弱弱しく、謝罪の言葉を口にするルスラン様。


 僕はそんなルスラン様の姿を見て、あることに気づきました。




 こんなに申し訳なさそうにしている今なら、僕のお願いを聞いてくれるのではないでしょうか?




 それは、とってもいいアイデアのように思えました。

 幸い、以前人の言葉を話せと命令されていますから、人の言葉で交渉することが出来ます。


 僕は痛みに耐えながら体を起こし、ルスラン様と向き合います。


 ルスラン様は慌てて僕の体を支えてくださいました。


「ルスラン、様……、反省、してるん、ですね……」


 弱弱しくとぎれとぎれになってしまいましたが、交渉には支障ないくらい話せています。これなら、大丈夫です。

 僕の言葉に、ルスラン様はこくこくと頷きます。頷いた時の頭の動きで、また涙がぼろぼろこぼれました。


「……だったら、僕の言うこと……、お願いを、聞いてほしいです」

「……お願い……?……何?どうすればいい?」


 途方に暮れたような情けない声で、「どうすれば俺は許される?」と僕に質問を重ねるルスラン様に、思わず笑みがこぼれます。


 なんて可哀想で、可愛い人。




 ただの子犬ではなくてごめんなさいね。

 僕は、欲しいものがあると、狼になるみたい。

 油断している獲物に背後から忍び寄って、噛みつくの。




 ルスラン様は、僕の微笑みを凝視して、硬直しています。僕の言葉を待っているようです。

 凍り付いたルスラン様を溶かすような気持ちで、僕はルスラン様の頬に手を添えました。




「僕は、誰かが僕を痛めつけて、喜んでくれるのが好きなんです」

「……え、」

「ねぇ。僕を痛めつけて、たのしかったですか。うれしかったですか。こうふん、しましたか」

「そ、れは……」


 ルスラン様の顔がみるみるうちに赤くなっていきます。僕の顔を直視できないのか、視線をあちこちに動かします。


「僕を見て?」


 僕の言葉に、ルスラン様がぎくりとして、僕に視線を向けて……、ルスラン様が僕にくぎ付けになったのを確認すると、僕は言葉を続けました。


「貴方が喜んでくれるなら、僕は、僕の体を貴方に捧げたいと思います。そうして、貴方の思うままに、殴って、蹴って、絞めて、罵倒して、痛めつけて、愛してほしいのです」

「……は、ぇ、」

「僕の願いは、最初から一つだけ」


 するりとルスラン様の頬を撫でて、もう片方の手で、自分の喉元に手を当てました。


「僕の、新しいご主人様になってください」


 ここに、貴方の首輪がほしいのです。




 がぶり。




 ルスラン様が、僕を押し倒します。

 そうして、顔を真っ赤にして、口角を上げて、僕の首を軽く絞めながら、ルスラン様は言うのです。


「っはは、貴族のイカレたクソ犬が。そんなにご主人様がほしいなら、お望み通りになってやるよ」


 やった。

 ご主人様が堕ちてきた。


「俺がお前のご主人様だ。返事は?」


 僕は喜びのあまり頬を紅潮させながらも、きちんとお返事しました。


「わん」




 あーあ。ルスラン様の理性は、僕に噛みちぎられてしまいました。




 ======




『思い出しました?』


 僕の目の前で、底知れぬ笑みを浮かべ続ける『前』の僕。


 思い出しました。

 どうして、『前』のルスラン様は僕のご主人様になってくれたのか。

 どのようにして、『前』の僕がルスラン様の犬になったのか。


 ルスラン様は、自らご主人様になりたがったのではありませんでした。

 むしろ、一度は自分のせいで僕が痛めつけられたことを酷く悔やみ、涙まで流していました。


 それなのに。


 僕が、僕のご主人様に堕としたのです。


 僕が、ルスラン様を狂わせたのです。




 ******




 気が付くと、僕は部屋の中で一人、座り込んでいました。

 ベッドには誰も座っていません。


 僕は湧き上がる衝動のまま、逃げるように部屋を飛び出していました。

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