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13.ずれ

 翌日から授業が始まり、しょっちゅう寮で第一王女と第二王子に声をかけられて他愛もない雑談が始まり周囲にざわつかれる以外は何事もなく、数日が経過しました。




 僕は初等部で習う内容をすでにある程度勉強してしまっていますから、ただ先生の話を聞いて授業を受けるだけでは非常に退屈です。

 しかし、国立学園では授業中に別の内容を自習することが許可されています。僕のように家庭教師をつけて先の勉強をしてきた生徒が来ることも多いためです。

 自習と称して遊んでばかりの生徒や、居眠りしてしまう生徒もいますが……、定期的な試験で一定以上の点を取らないと家に報告されてしまうため、そういう生徒は大抵、後から慌てて試験勉強をすることになります。


 僕は当然、真面目に勉強します。

 今日も、先生の声を聞き流しながら、あらかじめ図書館から借りてきていた本を開いて熟読し、覚えておきたい内容を要約してまとめる作業を開始しました。




 ちなみに、隣にはいつもルスラン様が座っています。

 というか僕がいつもルスラン様の隣に座っています。


 テオスの家の子供に対しては皆恐縮してしまうようで、誰もルスラン様の隣に座ろうとしないため、ルスラン様の隣の席はいつでも空いているのです。

 ルスラン様の隣が空いていると、僕はついつい吸い込まれるように近づいて座ってしまいます。


 もしかするとルスラン様になんだこいつと思われているかもしれませんが、ルスラン様は全ての貴族に対してなんだこいつと思っているため、誤差です。

 元々嫌われていることを知っているので、嫌われるかもしれないなど考えることもなく、毎日挨拶をしてルスラン様の隣に座ることができるのです。


 ルスラン様は『前』と違い、挨拶を返してくれています。


 ……『前』のことはまだよく思い出せませんが、『今』の様子を見るに、『前』はおそらく他の生徒に挨拶してもらえるようになるまで随分時間がかかっていたはずです。

 数週間、あるいは数ヶ月してから挨拶されて、『今まで自分を避けていたくせに、今更挨拶をされても返したいと思えない』と考えて、それで無視していたのかもしれません。


 もしかして、『前』のルスラン様も、『今』のように最初から挨拶してもらえていれば、挨拶を返していたのではないでしょうか。

 僕の勝手な予想なので、見当はずれかもしれませんが……、……なんにせよ、ルスラン様に挨拶を返していただいて、その美声を毎朝聞けることは喜ばしいことです。


 ルスラン様も当たり前のように自習をしています。流石です。




 ただ、自習ができない授業もあります。

 体を使う授業です。

 僕は『前』から、体を使う授業が苦手でした。のろまな上に体力がなく、すぐへばってしまうのです。

 今回は入学までにもう少し動けるようになりたくて、なるべくソバキン家で体を鍛えようと考えていたのですが……、怪我のこともあり、ちゃんと運動できたのは一ヶ月程度です。その一ヶ月も、少しでも無理するとすぐイヴァン様に止められたので、大して動けていません。




 不安を抱えながら迎えた、体を動かす授業の第一回目は、護身術の授業でした。

 しばらく護身術とはなんたるかの基本の話をされた後、簡単なものを一つ練習してみましょうと言われ、二人一組になるように伝えられました。

 すでに仲良くなっていた生徒同士があっという間にペアを作っていく中、僕は一人ぽつんと立っているルスラン様に吸い込まれて行きました。

 ルスラン様が少し離れたところに立っていたというよりは、ルスラン様以外の生徒がルスラン様から離れていたので、流れに逆らう形です。

 ルスラン様は僕の姿を捉えると、目を見開きました。


「……お、前、まさか、俺とペアになる気か……?」

「はい」


 貴族と組むのが嫌なのでしょうが、このクラスは貴族しかいない上に、偶数です。絶対に貴族の誰かと組まなくてはいけません。

 例えルスラン様が拒んだとしても、どうせ他の生徒はルスラン様以外の他の生徒と組みたがり、なぜかいつもルスラン様の隣にいる僕にルスラン様のペアになってもらおうと考えるでしょうから、結局は僕たちが余って組まざるを得なくなるのです。


 ルスラン様もそれはわかっているのか、拒み切れない様子です。視線を泳がせてなにやら呟いています。

 僕はルスラン様の美声に耳を傾けましたが……、他の生徒の声が邪魔をして聞こえませんでした。


 ルスラン様のお言葉は一つも聞き逃したくないのに!!


 僕が悔しがっている間に覚悟を決めたのか、ルスラン様は溜息をついて、「……わかったよ」と諦めてくださいました。




 先生は、全員がペアを組んだのを確認し、解説しながら簡単な護身術の手本を見せると、こうおっしゃいました。


「では、生徒同士で実践してみましょう、ペアの片方がもう片方の腕を掴んで、掴まれた方は、教えられた方法を使って抜け出すようにしてみてください。一度行ったら役割を交代して、もう一度行ってください」


 ……え!?

 掴む!?

 ルスラン様の腕を!?

 腕を掴まれる!?

 ルスラン様に!?


 護身術の授業で作らされたペアのため、触れ合いが発生することは当たり前なのですが、そのことがすっかり頭から抜けていて、僕は動揺してしまいました。


「えっあっ……」


 突然挙動不審になる僕に、ルスラン様は怪訝そうな顔をした後、「……とりあえず、俺が抜け出す方やるから」と提案してくださいました。


 そう言われれば、拒むことはできません。僕は緊張しながら、ルスラン様に両手を伸ばし、掴みます。


 きゅ……。


 太い……!

 僕が細すぎるのもありますが、ルスラン様の腕は僕より二回りくらい太いように感じました。

 ルスラン様は僕よりずっと身長も高くて子供ながら筋肉も少しついているのです。

 かっこいい……!


 どきどきして集中できなくなりそうでしたが、僕は心を鬼にして、全力で握りました。

 もしかしたら痛いかもしれませんが、僕はただでさえ体が小さくて力が弱いので、そうしないと授業の意味がありません。

 僕が一生懸命力を入れていると、ルスラン様が言いました。


「え、それ全力?」

「はい……!」

「……」


 スル…


「あ……」


 あっさり抜かれました。

 護身術を使ったせいでしょうが、本当に僕の力が伝わっていたのかと疑うほどあっさりです。

 あんなに一生懸命握ったのに……。護身術はすごいです。

 そしてなによりそれをすぐに身に着けたルスラン様がすごいです。

 僕が自分の両手を見つめて呆けていると、ルスラン様が「……じゃあ、掴むけど……」と言いました。


「あ、はい!」


 僕は腕を差し出しました。

 ルスラン様がためらいがちに手を伸ばし、力強く握ります。


 ぎゅち……っ。


 ……え!?

 痛いです!

 すごく痛いです!


 ……流石ルスラン様、本気で授業に臨んでいるのでしょう。おかげでどきどきする余裕もありません。

 僕はあまりの痛みに顔を歪めつつ、抜け出そうとします。




 抜け出せません。




 あれ?


 言われた通りにやっているはずなのに……。

 なにか力の入れ方がよくないのかと角度を変えて試してみますが、上手くいきません。




「…………うっ、ん……っ、……ぐぅ……」


 ……だんだん疲れてきました。

 どうしましょう、これではいつまで経ってもルスラン様に掴まれたままです。

 僕が目に涙を浮かべながら焦っていると、ルスラン様が急に手を離しました。


「わっ」


 僕はよろけて転びそうになって……、

 ……次の瞬間、ルスラン様の腕の中にいました。


 腕を掴み直されて引っ張られ、抱き止められたのだと、遅れて気づきます。


 つまり、僕は今、ルスラン様に包まれています。




 ルスラン様に包まれています!?

 包まれていますか!?

 僕が!?

 ルスラン様に!?


「……ぇあ……」


 僕がルスラン様の過剰摂取で意味のない音しか発せないでいると、ルスラン様は「やりすぎた」と言って、僕を解放してくださいました。


 ようやく息ができるようになり、ぜーはーしていると、ルスラン様がこんなことを尋ねました。


「……痛い?」


 僕は反射的に、小さくこくりと頷きます。


 ……しまった、と思いました。


 痛いか聞かれたときは、元気に返事せずに小さく頷くだけにするのが、一番喜ばれます。

 お父様も、『前』のルスラン様もそうでした。

 だから小さく頷く対応が染み付いていて、咄嗟に頷いてしまいましたが……、今回は痛めつけられるだけの犬にはならないのでした。

 なるべく、痛めつけて使おうと思われないようにするために、喜ばれないようにしないといけないのに……。

 今から何か余計なことを言ったら『痛めつけても楽しくないな』と思っていただけないでしょうか?


「……ゃ、やっぱり痛くないです」


 僕がそう言うと、ルスラン様は顔を顰めてくださいました。なんとか、喜ばれるのは免れたようです。

 ルスラン様に不快な思いをさせてしまったのは申し訳ないですが、破滅の道を進ませないために必要なことです。

 なんとか軌道修正できてほっとしていると、「見せて」と言われます。


「えっ」

「あざになってるかもしれない。見せて」


 二回も命令されてしまうと、犬の僕は体が勝手に動きそうになります。

 しかし、見られて喜ばれたら困るのです。僕は勇気を振り絞り、なんとか首を横に振りました。

 ルスラン様がより眉間に皺を寄せて、更に何か言おうとしたところで、「そこまで」という先生の声が響きました。


 助かった、という気持ちで先生の方に視線を向けると、先生が最後に「今できた人も、相手が大人だと抜け出せない場合もあります。そんなときのためにどうするかも、次の授業で学んでいきましょう」と言って、授業は終わりました。




 次の授業のために移動しようと足を踏み出すと、手を掴まれます。

 驚いて振り返れば、ルスラン様でした。

 あっと思ったときにはもう遅く、ルスラン様は僕の服の袖を捲りました。




 ルスラン様が硬直します。

 ルスラン様の手から力が抜け、僕はすぐにルスラン様を振り払って、袖を戻しました。

 一瞬晒された古傷だらけの腕は、あざにはなっていませんでしたが、少しだけ赤くなっていました。




 ……見られてしまいました。

 ルスラン様が掴んだ部分だけではなく、古傷も。

 痛めつけて使う犬なのだと気づかれたでしょうか。

 そうしてもいい存在なのだと思われたでしょうか。


 傷だらけの汚い犬の言うことを、これから聞いてくれるでしょうか?


 そんなことを考えて、不安と恐怖で手足が冷たくなっていくような感覚に陥ります。


 僕は、ルスラン様に、痛めつけていい愚鈍な犬のレッテルを貼られたくないのです。

 僕の話を聞いて欲しいのです。

 死んでほしくないのです。


 僕が固まっていると、ルスラン様が口を開きました。




「……ごめん」


 苦しそうな、つらそうな顔。


 僕は、目を見開きました。

 ルスラン様は、確かに今、僕に謝罪しました。

 それは、『前』のルスラン様を知っている僕にとっては、あり得ないこと。


「痛い思いさせて、勝手に見て、ごめん」


 僕は返事をしようとして、……なにも言えませんでした。




 『前』見たのは、僕を痛めつけて嬉しそうに笑っていたルスラン様。

 『今』目の前にいるのは、僕に怪我をさせたことを悔やんで、苦しそうな顔をしているルスラン様。


 『前』とあまりに違って、この人は本当にルスラン様なのかとすら思ってしまったのです。




 ……いいえ。

 この人は、確かにルスラン様です。


 ただ、『前』と状況が違うだけ。




 ……何が違うのでしょう?




 ルスラン様は続けて、「次の授業あるから、行こう」と言葉をかけてくださいました。

 僕はなんとか頷いて、教室に戻るためにルスラン様と共に歩き出しました。




 ******




 その日最後の授業を受けながら、僕は考えました。




 『今』のルスラン様が、僕を嫌っているようには見えません。

 むしろ、他の生徒よりも優しくしてもらえているような気がします。


 どうしてこんなに違うのでしょう。


 先に図書館で会って話したから?

 国を変えると言ったから?

 毎日挨拶して隣に座ったから?

 初対面でご主人様を要求しなかったから?

 

 どれもきっとその通りで、でも、それだけじゃこの違いは、説明しきれない気がするのです。


 なにか、なにか、すごく引っかかります。


 何度も考えた疑問が再度浮かびます。

 ルスラン様は、どうして僕を犬にしてくれたのでしょう?




 考えているうちに授業が終わっていたようで、気がついたらあたりが生徒の声で騒がしくなっていて、ルスラン様もいなくなっていました。


 僕はぼんやりしたまま、寮に戻りました。







 自室の扉を開けると、黒髪の男性がベッドに座っていました。


『こんにちは。そろそろ僕に向き合ってくださいませんか?無視されてばかりで寂しいです』


 光のないドス黒い目を細め、眉を下げ、『寂しそうな笑顔』を作るその人は、

 18歳の、『前』の僕。


『運良くソバキン伯爵令嬢に懐かれて、運良く第三王子に目をかけてもらえて、運良くルスラン様に優しくしてもらえて、随分幸せそうですよね。羨ましいなぁ』


 体が固まって、嫌な汗が吹き出して、呼吸が浅くなります。


『……おいで。子犬ちゃん(シエノーク)


 その言葉を聞いた瞬間、何かに操られているかのように、僕の手足が動き始めました。

 入りたくないのに部屋に入って、閉めたくないのに扉を閉めて、近づきたくないのにベッドに近づいて、『前』の僕の数歩手前で、膝を揃えて畳んで座って、『おすわり』の格好になるのです。

 それは、罰として鞭打たれるときの座り方。


『ソバキン伯爵令嬢と第三王子におかしくないなんて嘘をついてもらって、救われた気になっていたようですけど。周りを利用して僕から目を逸らしたところで、異常性が消えたわけではないんですよ?』


 『前』の僕は、ベッドの上から僕を見下ろして、首輪によく似たチョーカーをいじりながら、『困ったような笑顔』で話します。

 そうして、目を逸らして逃げた僕に、言葉の鞭を振り下ろすのです。


『思い出してくださいね。自分がおかしい人間だということ』


 


『ルスラン様を狂わせたこと』

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