第七話:影の予言者と、光を拒む剣
レイの怪我は、思っていたよりも深かった。
魔物の攻撃に込められていた“呪詛”のせいで、学院の治癒魔法が効かず、彼は今も静かに寝台に横たわっている。
けれど、それ以上に心を締めつけたのは──
彼が、私に会おうとしないことだった。
「面会は……しばらく遠慮してほしいって」
学院医務室の看護師の言葉が、私の胸に突き刺さった。
どうして?
私、あの時──ちゃんと守ったはずなのに。
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その日の午後。
私はふと、学院の回廊の端で誰かの気配を感じた。
振り返ると、そこに立っていたのは……銀髪の少女、あの“ミントの香り”の彼女だった。
「また会ったわね。シア=クロフォード」
「あなた……どうして私のことを……」
「私は“記録管理局”──いえ、今はもうそんな肩書きはどうでもいいか。……名前で呼んで。私は、ミーア」
ミーアは、小さく笑った。その笑顔はどこか、哀しげだった。
「あなたに会いに来たの。“影の予言者”として、ね」
「……予言?」
「この世界はもうすぐ、“軸”が崩れるわ。神が描いた物語が、限界に達しようとしてる。あなたが来たことで、均衡が揺れた」
ミーアは、私の前に一冊の小さな本を差し出した。
「それは“幻史”──過去でも未来でもない、“可能性だけ”が記された書」
私は震える手で、その表紙に触れた。金色の装飾が、熱を帯びていた。
ページをめくると、そこには──
私が、レイに剣を向けている場面が描かれていた。
「……なに、これ……?」
「これはひとつの“未来”。あなたが選ばなければならない結末の、ひとつよ」
「嘘よ。私が……レイに、そんなこと……」
「あなたは“光”。レイは“剣”。神が物語を綴る時、剣は光を守るものではなく──時に、光を拒むの」
意味が、わからなかった。
けれど、ミーアの言葉が胸に深く突き刺さる。
「あなたに見てほしいの。レイが“何を隠しているか”を」
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夜。
私は再び、レイの部屋を訪れた。扉は、少しだけ開いていた。
中から、かすかな声が漏れていた。
「……どうして僕なんだ。兄じゃない、僕なんかに……」
(……兄……?)
「……彼女を守れ? それで僕が……“彼女の敵”になるって言うのか……?」
その声は震えていた。怒りでも、悲しみでもなく。
自分自身を、どうしても信じ切れないような、そんな声だった。
私は、そっと扉を閉じた。
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翌朝、学院中庭。
私はレイと向き合っていた。彼は、もういつものように笑っていなかった。
「……レイ、話して。何を隠してるの?」
「……それを話したら、君は僕から離れる」
「離れない。信じたいから。信じるって、そういうことでしょう?」
レイは、しばらく黙っていた。けれどやがて、ゆっくり口を開いた。
「……僕は、“君を殺す運命”にある。未来の幻視で見た。僕が君を、光を……手にかける場面を」
風が、吹き抜けた。
私の胸は、強く締めつけられた。
「だから、距離を置こうと思った。僕を信じると、君が壊れてしまうかもしれないから」
「それでも──私は、君の手を取る」
レイの目が、驚きに見開かれた。
「怖いよ。未来はいつだって、不確かだ。でも、私が信じたい未来は、“君と並んで歩く未来”なの」
「……シア」
私はその手を、もう一度握った。
「神様が綴った物語の中で、主役じゃなくてもいい。私は、君の隣にいたい。それだけ」
彼は、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
その瞬間、空が微かに割れた。
空間に走る光の筋。まるで、世界そのものが“分岐”する予兆のように。
神の物語が、歪みはじめていた。
でも、それでも──私たちは手を離さなかった。
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その夜、ミーアは独り呟いた。
「光が、拒絶されずに結ばれるとき……神の“綴り”は白紙になる」
そして彼女の背後に、新たな影が現れる。
「……予定通り、次の“扉”を開きましょうか。君の記憶も、そろそろ戻ってくる頃だものね」
彼女は、暗く、冷たい笑みを浮かべた。
物語はもう、戻れない。
けれど私は信じている。
この目に映る、たったひとつのシネマ。
その最後のカットには、きっと君がいる。