第四話:ミントの香りが弾けるような
魔物襲撃の翌日、学院の空気は一変していた。
校門前の破損は修復され、事件は「結界の一時的な乱れによる偶発的な侵入」として処理されたが、誰もがうすうす感じていた。──あれは偶然ではない。
「何かが、始まってる……」
私は塔の窓から、遠く王都の中央塔を見つめながら呟いた。
あの日以来、レイと私は以前よりも距離を縮めていた。夕方になると自然に隣にいて、言葉がなくても通じ合えるような、そんな時間が増えた。
でも、同時に不思議な“違和感”もあった。
あの日──魔物を倒した直後、ほんの一瞬。レイの剣が光ったとき、見覚えのない“紋章”が浮かんだのだ。
私が転移したとき、光の中で見たものと、よく似た──。
(……もしかして、レイも“神様の物語”の登場人物なのかも)
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その日の放課後、学院の庭園でレイと待ち合わせをしていたときのこと。
私はふと、すれ違った少女の香りに足を止めた。
ミントの香り。
すうっと清涼感のある、でもどこか懐かしいような匂い。
振り返ると、白銀の髪をもつ少女が、ひとりで歩いていた。
「……あの、すみません」
「はい?」
声をかけると、彼女は微笑んだ。やさしくて、でも底知れない微笑み。
「あなた、最近魔物と戦った子ね。……光の魔法、使ったでしょ?」
「えっ、な、なんで……」
「私は“記録管理局”の者よ。この国の歴史と魔法の流れを監視しているの」
名前も名乗らず、彼女は静かに続けた。
「貴女の魔力は、世界の“表層”に属していない。とても珍しいわ。……というより、“特別”」
「……前の世界から来たこと、知ってるの?」
「もちろん。神の干渉があった異物──それを放っておくほど、私たちも無能じゃないの」
一歩、少女が近づいてくる。瞳の奥に何かが揺れていた。
「でも安心して。私は、敵じゃない。……今は、ね」
そのまま彼女はすれ違いざまに、小さく囁いた。
「“鍵”がすべて開かれたとき、君たちの物語は……運命を変えるわ」
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「シア!」
庭園に着いたとき、レイがベンチで待っていた。
「……ごめん、遅くなって」
「いいよ。今日は風が気持ちいいから」
レイはふと、手に持っていた紙包みを差し出した。
「これ、焼き菓子。王都の新しい店で買ったんだ。なんだか、君に似た香りがして……」
受け取ると、包みからふわっとミントの香りが立ちのぼった。
(……私に、似てる?)
「……嬉しい。ありがとう」
口に入れると、やさしい甘さのあとに、すうっと清涼感が広がった。まるで──
ミントの香りが弾けるような、運命の瞬間。
気づけば、私はレイをじっと見つめていた。
「ねえ、レイ。これって……“運命”だと思う?」
「……うん。そう思いたい」
彼の瞳はまっすぐだった。迷いも、過去の影もなく、ただ私を見ていた。
「この世界に来て、君に会って、魔法が使えるようになって……自分の居場所を、やっと見つけた気がする」
「僕もだよ、シア」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
この瞬間だけは、世界に何が起ころうと構わない。
今、君の声が響いている。
それだけで──泣いてもいい、と思えた。
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しかし、その夜。
学院の外れで見つかった“結界の裂け目”と、そこに残された奇妙な魔石は、すべての始まりに過ぎなかった。
闇は、確かに近づいている。
次に試されるのは──レイの心。そして、私たちの“約束”。