第三話:神様が綴る物語の中で
風が冷たくなった。夏の名残が消え、秋の足音がすぐそこまで迫っていた。
魔法学院の裏手にある図書塔は、滅多に人が訪れない静かな場所だ。レイはいつも、何かを隠すように、ここで本を読んでいた。
「レイ、こんなところにいたんだ」
「……シア?」
彼は窓際の席から顔を上げた。陽射しが横から差し込み、彼の金の髪に光が宿る。けれどその目は、いつになく曇っていた。
「何か、あったの?」
しばらくの沈黙の後、レイはぽつりと口を開いた。
「……僕は、“選ばれた人間”じゃないんだ。学院でも、王国でも。ずっとね、誰かの“影”だった」
彼が見つめていたのは、手元の古い書物だった。ページには、かつて魔王を封印した“光の英雄”の名が刻まれていた。
「僕の兄は、“勇者”だった。優秀で、正しくて、みんなに好かれていた。僕とは……真逆の人だった」
私はそっと彼の隣に座った。レイの指先が、小さく震えているのが見えた。
「その兄が、三年前に魔物に襲われて……命を落とした。以来、僕は周りから“代わりになれ”って、そう見られてきた」
「……そんなの、ひどいよ」
「でもね、シア。君と出会って、初めて思えたんだ。“僕のままでいい”って」
レイはゆっくりと笑った。けれどその笑顔には、どこか痛みが混じっていた。
「君と話すと、世界がやわらかくなる。そう感じたんだ」
言葉が、胸の奥に沁みていく。レイの過去の痛みも、それでも誰かを守ろうとする強さも──全部、愛おしかった。
「レイ。私は、“代わり”なんかじゃない君を、ちゃんと見てるよ。だから……私のことも、見ていてくれる?」
「……ああ」
その瞬間だった。
図書塔全体が、ぐらりと揺れた。
「っ! 今の、何……!?」
「外だ。魔物……!」
レイが走り出す。私は慌ててその背中を追いかけた。
⸻
学院の正門前。巨大な黒い影が地面を揺らしながら、ゆっくりとこちらへ向かっていた。
鋭い爪。四つの目。腐敗した魔力をまとった“深層魔物”。本来、結界に阻まれ入って来られないはずの存在。
「なんで、こんな奴が……っ!」
周囲の生徒たちは恐怖に固まり、誰もが動けなかった。
でも。
「私がやる!」
私は叫んだ。全身が震えていた。でも、それ以上に強く思ったのは──「守りたい」という気持ちだった。
レイが驚いた顔で振り返る。
「シア、無理だ! 今の君じゃ──!」
「……でも、やらなきゃいけないの!」
魔法陣を描く。心を静める。震える手に力を込めて、私は祈るように詠唱を始めた。
《光よ、わたしに力を──》
次の瞬間、私の身体が淡い光に包まれた。
眩しさに目を細めながらも、私は魔法を放つ。
「光閃──!」
光の柱が、魔物を直撃した。呻き声を上げた魔物は、煙を上げてのたうち回る。
けれど、完全には倒せない。まだ息がある。
「シア、下がって!」
レイが飛び込んできた。今度は彼の剣が、魔物の胸を貫いた。光と剣とで、魔物はついに崩れ落ちた。
静寂が戻る。あまりにも長い、数秒間の後で。
「……勝ったの?」
「……ああ。やったな、シア」
その言葉と同時に、私はその場にへたり込んだ。
怖かった。震えは止まらない。でも、逃げなかった。
レイがそっと、私の手を取る。
「君の魔法……すごく、綺麗だった」
「……レイ。私、怖くて泣きそうだった」
「泣いていいよ。君は、もう十分すごいんだから」
彼の言葉に、涙が溢れた。止まらなかった。
そして私は、その時気づいた。
これは、神様がくれた物語の中で、私はただの脇役じゃない。
確かに、誰かの光になれる、そんな場所に立っているんだと──