1.東英世
船旅はルリの体感では何事もなく終わった。
デモクラとの関係が大きく進展するということもなく、海の中から大きな怪物が現れて船をつかむことも、近くを走行する監獄船の囚人が反乱を起こすということもなかった。
だが、1つ嬉しいことはあった。
フヨウ以外にルリと同じ言語をあやつるヒトがいた。アムの付き人フジヨシだ。
「うわー久々にこの言葉聞いた~。結構少ないんだよね、あたしたちと同じ母国語のヒト。藤吉ヒナギクだよ」
「玄間瑠璃です。エルミナスに転生してどれくらいなんですか?」
「えっと、最初のマーケットの前年に転生したから……20年以上かな?」
「じゃ、じゃあ2000年より前ですか」
「ノストラダムスの大予言外れたんだ‼やったね!」
「ノストラダムス……?」
フジヨシはしまったという顔をして「ジェネギャだ~!!」と叫んだ。
ルリが聞き返そうとしたところで、カルーナとサタニエルが近くに来て遮られてしまう。
「二人ともそろそろ部屋へ戻って、明日船を降りるための片づけをして」
「は、はい」とフジヨシ。
「すみません」とルリ。
フジヨシは軽く会釈してからそそくさと部屋へ戻っていった。
それを見送ってからサタニエルが口を開く。
「マルーリさん。ココさんとはうまくやれていますか?」
ルリはまだ喋り慣れていない異形の言葉で答えを探す。
「えー、デモクラさんはいいヒトです。うまくやっていきたいとおもいます」
「それはよかった。私もお話したいことがありますが、明日の馬車の中ででもお話しいたしましょう」
「それは……ぜひ」
グリマラで聞いていた口調も丁寧な口調だったが、異形の言語をそのまま耳にしているとカルーナやデモクラの話す言葉遣い、話すトーンともサタニエルのものは違うように感じる。
古典の中の人物のような話し方で、歌なら演歌やオペラを思い起こさせる。
それを意識すると、デモクラもそれを真似たような話し方をしているかもしれないと、足を進めながら思った。
ノブを捻って、片付いている客室へ入る。フヨウが出ていた荷物を全部しまい終えており、やることはなかった。
片付ける前はルリに異形の言語を教えるためと、単語のカードが壁中に張られていたのだが、きれいさっぱり無くなっていた。ルリは一瞬部屋を間違えたのかと思った。
「おかえり。カードは片付けたよ。その代わりにコレ」
フヨウがルリに手渡したのは、単語帳だ。カードが紐でくくられている。
「単語帳……」
「あいうえお順にしてるよ。それと、旦那が部屋に来てほしいって。もっと他に伝えたいことがあったら旦那に辞書を貸してもらうといい」
デモクラはこの航海中、昼間はデッキで手帳を開き、夕食後はそそくさと一人寝室にこもっていて、とにかく一人で過ごしていた。ルリが部屋に入ると、デモクラはベッドに座り、本を読んでいた。
「読書中でしたか?」
「いや」デモクラは本を閉じて、右手に持っていたペンを置く。
「お前を待ってた」
「なんのご用事ですか?」
デモクラはベッドの隣をぽんぽんと叩く。「隣に座れ」
言われた通りにルリが座るとデモクラの手が、ルリの手へ吸い付く。触られるというよりもこの表現の方が正しい。
「体調は?」
「あ、大丈夫です。元気ですよ」
「そうか」とデモクラは手を放す。「ならよかった」
「あの、それでお話って……」
「ああ……。俺は明日までにお前へ言わなければいけないことがある」
ルリはごくりと生唾を飲み込む。何を言われるのだろうと不安になる。
デモクラは目をつぶる。そして、ゆっくりと目を開いてから言った。
「その首輪を正式なものにしないといけない。その状態は、まだ不完全なんだ」
「不完全……正式……?」
「ああ、そうだ。ルリには言っていなかったから知らないだろうが、それは婚約首輪だ」
「こ、こんや……え、ええっ⁉」
その単語にカリミラの言葉がフラッシュバックする。
――なんで転生者の奴隷を買うのかって?そりゃあ、財産的な問題だよ。身内が増えてしまうと後の財産分与が面倒になるからね。お金持ちの間じゃ転生者を買って結婚するのがここ最近のトレンドなんだよ。
カリミラの冗談だと思って流していたが、それが本来の目的だったことを今知る。
「そ、それは……デモクラさんは私と結婚がしたいということですか?」
デモクラは片眉を上げてルリの顔を覗く。
「そうだ。念のため言っておく。ルリではなく、別の人物だったらこの首輪とは違う隷従の首輪をつけさせていた。フジヨシやローリーが着けているような首輪だ」
「え、ええっと……」ルリは動揺を隠せずに目線があちらこちらへ飛ぶ。
「あと、伝えたはずだ。もっと自分を遺してみたくなったと。俺は、お前に残りの人生を捧げたい。俺が死ぬまででいいんだ」
「あ、えと……その……」ルリは枕を手繰り寄せて抱きしめる。顔が真っ赤だ。「わ、私なんかのどこがいいんですか?」
「全てだ」
デモクラはルリに顔を近づける。鼻同士が触れあう距離で彼は言った。
「お前の全てを愛したいんだ。だから俺の妻になってくれ」
ルリは目をつぶって顔をそむける。
デモクラは立ち上がり、胸元から小さな箱を取り出し、それを開いた。
中に入っていたのは緑色の宝石だった。デモクラの瞳の色によく似ている。
「今すぐにとは言わない。英世についた後でもかまわない」
そういってルリの頬をなでる。
「俺はもうお前を手放すつもりはないんだ」
「この、宝石は?」
「首輪のくぼみにはめる。そうすれば、首輪は正式な婚約首輪になる」
ルリは自身の首輪にさわり、前の方に宝石が入るくらいのくぼみが開いていることを確認した。「デモクラさん……。私で、いいんですか?」
「お前がいいんだ」
ルリは立ち上がり、彼の胸元に顔をうずめるように飛び込む。
「私も……」
「そうか」と彼はルリの身体を抱きしめた。
翌日、英世に着き船から降りた時、目の前に広がっていたのは今まで生では見たことがない景色だった。
色とりどりの石造りの建物が並び、低い屋根が印象的。緩やかな登り坂が港の奥に続いている。
屋根飾りが多種多様で、風見鶏のようなものから、的のようなものが飾られているのが見える。
同行していた監獄船は沖の方で停泊しており、飛んで行き来している天使たちが見えている。
「監獄船は南英世に行くからあそこで止まってる。まあこれで一安心だろう」
待機していた馬車に乗り込み、東英世の城ドゥランティス城へ向かう。
同じ馬車に乗ったのはデモクラ、フヨウはもちろんとして、サタニエルも昨晩の約束通り一緒になった。
サタニエルはルリを見て目を細めて微笑む。
「ココさん。お話できたのですね」
「は……はい」
「マルーリさんは、異形の出自はどれくらいご存知でしょうか」
狭い馬車の中では二人の声がよく響く。フヨウに持たされた単語帳を片手にどうにか伝える。
「エルミナス、別のところ、生まれる。異形のない種族、から、逃げて、たどり着いた」
「そうです。その通り。」
「カリミラさんから聞かされたそうです。兄さまがお話されたいこととは?」
デモクラのそわそわとした様子を見て、サタニエルが座りなおして話し出す。
「ココさんは伯父様からお聞きになっていますか?」
デモクラは眉間に深いしわを刻んで「はい」と答えた。
「元の世界、ブレーランから逃げてきたのは異形でない種族との戦争が理由ですが、その戦争が起きたことにも明確に理由があります」
「あれを聞かせるんですか?」
「家族になるのなら、必要なことですよココさん」
デモクラは暗い顔つきを曇らせた。
「戦争が起きた理由は、私たちの祖父、ジタリス王が異形でない種族から人を一人攫い、薬物実験をし、最終的に殺害したことが理由です。ブレーランからの逃亡の際、そのことを唯一知っていた伯父様はジタリス王を見捨てることを決意して、民を率いて国を捨てました」
ルリは少し引っかかる。
「このこと、家族しか知らない?メホヒヌ王は聞くまで知らなかった?何故、伯父だけ知っていた?」
「まあ、鋭い指摘ですね。伯父様……ゴーティエスさんはその攫われた人とジタリス王の間に生まれた方です。私たちの父、メホヒヌ王とは異母兄弟になります。祖母はこのことを探ろうとして処刑されたと聞いています」
ルリは言葉を失う。サタニエルは続ける。
「さらに遡りますと、曾祖父、サタニエル1世は異形でない種族の者でした。ジタリスはハーフ。ゴーティエスさんはクォーター。しかも異形の血の方が薄いのです。このことを理由にして王座をメホヒヌ王に譲っています」
「それで終わりですよね?兄さま」
サタニエルは口で微笑みを作りうなずく。
「くれぐれも、口外はなさらぬよう」
サタニエルはそう言って目を伏せた。
「カルーナさんにもお話しできていないのです。あの方には私たちの血への嫌悪は通じ合えるとは思えません」とサタニエルは念を押して言った。
次にサタニエルは城に着いてからのことを話した。
「到着したらお二人はココさんの部屋で待機していてください。夕食時に声がかかります」
馬車から外を見ると緑の庭園が広がっていた。城の敷地内に入ったらしい。ドゥランティス城にルリ達が到着するのは予想より早かった。昼過ぎに城へ到着し、各々の部屋に連れていかれた。
道中の道をおぼえることはまだルリにはできなかった。曲がり、ドアを開けて、また曲がりとして、今城のどのあたりにいるのかもわからなかった。
デモクラの部屋につきようやく一息つく。
デモクラがソファを指さして「座っていてくれ」と言うのでソファーへ座る。デモクラは部屋の奥へ行って、棚を漁っている。
「何か探し物ですか?」と聞くと、彼は「いや。ちょっとな」と答えた。
並ぶ本の題名からして、子供向けの百科事典や、絵本が並んでいる。この部屋はデモクラが幼少期に住んでいた部屋のようだ。
本と本の間から紙が出てきて、それを箱にいれた。箱には鍵がかけられており、その鍵はデモクラに吸い込まれていった。
「それは?」
「……子供時代の隠したい秘密だ」
それ以上を尋ねなかった。聞かれたくないことだろうと思いルリは口を閉じる。
しばらくして夕食時となり、広い談話室へと連れてこられた。
蝋燭台に灯った炎の温かな光が2人を迎え入れた。そして真ん中に大きな木製の食卓があり、すでに人数分座る席があった。
サタニエルはすでにほかの席に座っており、大きな扉の前に兵士たちが待機していた。
席順は概ね兄弟の生まれ順。家族がいる場合はその隣に座っている。メホヒヌ王の近くにはその子たちでデモクラより奥へ行くとカルーナがまず居て、伯父、大叔父、大叔母となっている。
伯父、ゴーティエスは疲れた緑色の目をしている白髪の術師という印象。その弟のメホヒヌ王に比べるとかなり老けているように見えた。
「ゴーティエス伯父様。お久しぶりです」
「ん……ああ、ココだね。この声は」
目を細めてデモクラの方を見る。
「おや、カルーナとの間の席にも誰かいるね。紹介してくれるかい?」
「俺の婚約者の、マルーリと言います」
「よろしくお願いいたします」
挨拶をするとゆっくりとルリの方をみて微笑んだ。
「ようこそドゥランティス城へ、マルーリ」
目じりに深い皺を何本も刻んでいる。
隣のカルーナが耳打ちをする。「ゴーティエスさんは異形の血が薄いから倍くらい年を取られるのが早いんだ。ただ寿命は異形と同じくらい。まだまだこれからだ。ご本人は明日には死ぬくらいのつもりでいらっしゃるが」
見回すといくつか空席が見える。メホヒヌ王側に3席。より遠い席には1席。ルリはカルーナに尋ねる。「あの席は?」
「前の方は行方不明のが1人、仕事で来られないのが2人。奥の方も仕事で来られないって」
「行方不明?」
「そう、行方不明。多分その下は顔も知らないね。ココも肖像画しか見たことないでしょ?」
デモクラはうなずく。
前にデモクラが言っていた兄弟は一目でピンときた。前の方で正装に身を包んだサングラスの子供がおり、あれがバブゼエルなのだと思った。隣席の長髪が食事をとってあげている。それがルフェゴーラなのだろう。
少し食事をした後、メホヒヌ王が立ち上がって全員の視線を集めた。
「みんな。今日集まってもらったのは先日、グリマラマーケットで事件があったからだ。毎年行う式典を私は欠席し、代わりにデモクラが立ってくれた。改めて礼を言おう」
メホヒヌ王は軽く頭を下げる。「ありがとう、デモクラ」
「いえ、お気になさらず」
「そして、その件で調査が現在進められている。件の南英世、西英世が【ネクシス】の勢力地域だ。そちらの地域へ行く際にはよく気を付けてくれ。特に無謀な行為はしないよう」
「御意に」とほぼすべての傍席がうなずく。
「最後に。次に皆で会うのはグリマラでとなるだろう。今夜はこの城でゆっくり過ごしてくれ。以上だ。」
メホヒヌ王が席を立ち退室すると、それに続いてイヴィ妃が退室した。
ゴーティエスは隣席に座っていた人物に支えられながら退室した。
ほどなくしてデモクラが席を立ったのでルリもそれに続いた。