グリマラ 春の大マーケット最終日 夜
時刻は変わって夕方。
沈みかけた夕日がマーケットを熱く照らす。
一人で出掛けたガロウは、髪が短くなって両手にはいくつもの紙袋を下げている。
向かう方角は自身の店ボーエンではなく、別方向。
通りの店が影になって、その道にある色とりどりの灯りが際立つ。
マーケットの中でも夜が本番のこの通り。ここにはカルーナの息のかかった大きな店が一軒ある。
だが、ガロウが入るのはその店の玄関からではなく裏から。狭い通路を通って薄暗い部屋に入る。
「ガロウ、よく来たね」
二本の角をピンクのレースでくるんだ異形の主人がガロウへ声をかける。
「すみませんアムさん、あの人もう来てますか?」
「あー、確かに来たけれど、荷物だけ置いて出てっちゃった。倒れた弟の様子を見てからまたくるって」
「よかった。メイクルーム使いますね」
「どうぞ」
アムはガロウの荷物を受け取り、店の奥にある化粧台へと案内した。
「あのお方はお土産買わないとってバタバタしていたけれど、この荷物は?」
「おいの新しか服と、サタニエル様にお土産として持って帰っていただくものです」
「……4つ袋があるけれど」
「3つはおいの、1つがサタニエル様にです」
「ああ、君らしいね」
「マーケットの時期くらいしか、海の向こうの流行りもんは買えんので」
アムはガロウの服を壁かけにかけ、上着もハンガーにかける。
「君も一度船に乗って島を出たらどう?」
「いや……島ん外出たら言葉通じんくなるんでしょう?不便やし、それに仕事があいから……」
「言葉の不便さは確かにあるけれど……、仕事はまだ他の人に任せられる範疇だよ。君のところのヒトも休みとって羽伸ばしてほしいって言ってたよ?」
「んにゃ……。一番怖かとは、言葉通じんことをええことに金吹っ掛けられてしまうかもしれんことですね」
「ああ……。それは困るね。じゃあ、まあそれも考慮して考えてみる?」
「考えるだけじゃどうにもならんので、おいはこのままがよかです」
アムはガロウの髪をセットし、メイクをしていく。
「今年も短くしたんだね。冬場のふわふわなガロウくんもかわいいけれど、ショートの君もすっきりしていてスマート。」
「ありがとうございます。……アムさん店出てなくてええんですか?」
「今夜は予約で貸し切り……だったんだけど、女の子たちもマーケット最終日だからって遊び出ちゃったんだよね。食事に飲み物はどうとでもなるんだけれど、接待がね。気が重くってカウンターでじっとしてるよりはガロウくんと話してたほうが有意義かな」
「そうですか」
アムはガロウの唇に紅を引き、目尻に淡いピンクを乗せる。
「あの、できればビジネス用に可愛くはしないでほしいんですけれど」
「お願い、ガロウくん。サタニエルの相手しながらほかのお客さんの相手もしてくれないかな?」
「ええ……?」
「さすがのボクでも一人で団体客の接待は無茶だよ!お客さんは同業者で、今回のマーケットの打ち上げだからまあいけるかもって思ったし、同じ空間にいるサタニエルにビビッておとなしくなる可能性も考えられるけど確実じゃないし、深夜まで一人じゃ持たない!」
「……そういうことでしたら、……わかりました。時給はなんぼにしましょうか」
「今日のスタッフはボクとガロウ君含めて3人だけだから、売り上げは山分けにする」
「あともう一人は?」
「フジヨシちゃん。彼女はウェイター専門」
「ああー。マーケットの小屋を作ってくれる方ですね」
「ここ最近は【条件を達成しないと出られない部屋】に凝ってる。その開発時間削って手伝ってくれるの」
「……接待がおいとアムさんだけって、店のコンセプトとしてどうなんですか」
「今日はマーケットのお客は打ち上げで知り合いばかりだから……高級クラブってよりは居酒屋かな」
「くっ、下賤!!」
アムはガロウの前髪をヘアピンで留める。
「はい、できたよ」
「ありがとうございます。……あ」
「どうしたの?」
「あの、サタニエル様ってお酒お飲みになりますか?」
「今日はストッパーがいないから飲まないはず」
ガロウはホッとし、アムも軽く笑う。
「アムさんって結構サタニエル様のこと知ってらっしゃいますよね」
「年の近いはとこだからね。近いって言っても40くらい離れてるけど……。学校通うのにシステムとかあれこれ整備してくれたし、この仕事やる前までの支援してもらってたからよく会ってるんだ。サタニエルの姉のカルーナ様は今の上司だけど、血縁上は他人になるから面白いよねー」
ガロウは思う。
――あー!!これからこういうことに付き合うマルーリさん大変やなぁ!!おいは絶対いやや!!
「やだなぁ、ガロウくん。顔に出てるよ?」
アムがガロウの頬をむにむにと揉んだ。
「あ、すみません。そういえばアムさんもマト・アム・イーターメイルスで、異形の王族の出でいらっしゃいましたね」
「おっ!よく覚えてたね!曾おじい様がかつて魔王でいらっしゃったサタニエル一世。今、お帰りを待っているのがサタニエル二世。曾おじい様が一緒だよ」
ガロウは指を折りながらアムの親戚たちを思い出す。
王位を引き継いでいる異形のキングスファミリーの家長であるメホヒヌが魔王。妻にイヴィ王妃がいて、その連れ子がカルーナ。
メホヒヌとイヴィの間の最初の子がサタニエル。間に15人くらいいて最後にデモクラだ。
アムのメイルス家は、アムの祖母が複数人と婚約していることもあって数多くおり、今なお増えていると聞く……。
カルーナの元で働いている猫耳のオリオンはその兄のパジオがマトと従弟になるが異母兄弟のオリオンは他人になる。
「メホヒヌ王は不倫のうわさもなく、王妃との間に子供16人だからすごいよ」
マトの言い方に引っかかった。
「お二人ともないんですよね?」
「いや。イヴィ王妃は常々言われてるし、サタニエルも不義の子って一時期騒がれてた時期がある」
「そうなんですか⁉」
「もしそうだったらボクとサタニエルははとこじゃなくって従弟だったかもしれない」
カラカラと笑った後マトはドアの方向を見た。ガロウもつられて向きを変えた時、ドアがノックされアムは返事をする。
開いてウェイタースーツのフジヨシが顔を出す。
「アム様、サタニエル様が戻られました。」
「ありがとうフジヨシちゃん。……ガロウくん、行こうか」
「はい!」
アムは先に部屋を出る。
ガロウはフジヨシに軽く会釈してアムの後をついていった。
「いらっしゃい、サタニエル」
「こんばんは。よい夜ですね」
おっとりと優しい微笑みでサタニエルが返事をする。
サタニエルの格好は光沢のあるマントを前までキッチリと閉じ、頭には金のうろこ模様が入った赤い帽子をかぶっている。足元はフラットシューズで寒そうにも見える。
「まだ予約客がきていませんから」
「おや、お邪魔でしょうか?」
「いえ、ただ、ガロウくんをお借りしたいのです。対応できるスタッフが今日は皆出払っていまして」
「なるほど……」
サタニエルは広い店内を見回して頬に手を当てた。
「でしたら、私もお手伝いいたしましょう」
「えっ⁉」アムが肩をはねさせて驚いた。
「さ、サタニエル様!それはなりません!貴方は……」
ガロウがアムの後ろから慌てて言うが、サタニエルが手を挙げてやんわりと制される。
「鬼の手も借りたいのではありませんか?私も接待の経験はあります。あとガロウさんがこんなにかわいらしくおめかししていてうらやましいので、私にもしていただけませんか?」
赤橙色の目を細めて、サタニエルは笑う。
アムは手を叩いて喜んですぐ、手を口に当てた。
「サタニエルの身長に合う服があるかどうか」
ガロウが見上げるくらいには身長が高いサタニエル。さすが、鬼神と呼ばれるお方と思うところだが、体の線は細い。
「アム様、あの服があります」
「あの服……ああ!あれだね」
マトがメイクルームへの扉を開けてサタニエルを手招く。
「こちらへどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
ガロウはサタニエルが入っていくのを見届けてから、キッチンへ行く。
「フジヨシさん、先にサタニエル様の飲み物と食事を出しておきたいんですが……」
「こちらに出してあります。お好きな席にもっていってください」
フジヨシはキッチンの出入り口に置かれたお盆を指さした。
「冷えてもよさそうな料理あったら持っていきますので、言ってください」
「了解です。出しておきますね」
店内の準備を済ませてしまい、ボトルバケツを置いた頃にサタニエルとアムが出てきた。
サタニエルは赤い上半身の体のラインがよく出る服にもともと着ていたであろう下履きで、メイクはそれほど変わらない。
「フジヨシの言っていった通り、ぴったりだったよさすが~」
とアムがフジヨシの背中をペシペシと叩く。
サタニエルは満足そうな顔で店の姿身で服を見ている。
「あの、サタニエル様……。他のお客さんが来る前に本題話しませんか?」
「え?ああ!申し訳ございません!」
用意していた席へ案内して、ガロウはサタニエルの向かい側に座る。
「えっと、今年のバカンス休暇ですが……」
「ええ、ガロウさんの宿でサニーフレアを楽しもうと考えております」
本題を尋ねる前に、サタニエルが満面の笑みで答えた。
「あ、はい。それで、あの」
ガロウは言いよどんでしまう。
「何か問題でも?」とサタニエルが首をかしげる。
「いえ……その……そんなに早くお決めになってよろしいんですか?」
「悩む点はありませんでしたよ。海までの距離、生命の樹の広場までの距離、どれをとっても満足です。きっと弟たちも気に入ります。そこでなのですが」
サタニエルはガロウにずいっと近寄る。
耳に口を寄せて、
「今年の夏から数年分一部屋ご契約できませんか?」
「え⁉」
「お嫌ですか?」
サタニエルの下がった眉毛に罪悪感が湧いて、ガロウはブンブンと首を横に振って否定する。
「じゃ、じゃけど、夏のバカンスシーズン以外は面白みのなか里ですよ?マーケットんときの宿としては遠かし……」
「その方が気に入るんです。それでなんですが」
サタニエルが言いかけた時、ガランガランとドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」とフジヨシが対応しているのが聞こえる。
「この話はお客様が帰ってからにしましょうか」
サタニエルはガロウに微笑んでから、姿勢を正した。
デモクラは車いすに載せられてボーエンまで戻った。
荷物を持って山を下りてきたフヨウは案の定、顔色を白黒させてデモクラにまくし立て、その後「カルーナに文句言ってくる」と言って飛び出そうとするのをデモクラが触手でからめとって止めた。
「姉さんは今、俺の説明対応に追われてもいる。その罰だけで十分だろう。船も出してくれるんだ」
デモクラが穏やかに話しかけた。
フヨウが悶々としながら、食事の準備をしているところへサタニエルはやってきた。
ルリはサタニエルのその身長に驚いた。デモクラも高い方だと思っていたが、それよりも大きく細身だ。
「ごきげんようココさん。本日の式典には父上の代わりに出られ、体調を崩されたとお聞きしました。その後のご容体はいかがでしょうか」
「ご心配おかけしました、もう大丈夫です。」デモクラが答える。
フヨウはサタニエルの突然の来訪で手に持ったフライパンをフライ返しで強めにこすりながらサタニエルのことをにらみつけないように心がけていた。
「失礼ですが、お手伝いは必要でしょうか」とサタニエル。
フヨウの手際が悪かったことと、頭に血が上っていることが相まって返答は苛々した様子になって漏れた。
「いえ、結構です」
サタニエルがフヨウに微笑みかける。その笑顔はフヨウの神経を逆なでするものだったが、その裏にある考えを察してフヨウは口をつぐむことにした。
「お気遣いありがとうございます」とデモクラが告げた。「よろしければ一緒に食事でもいかがですか」
「お申し出はうれしいのですが、すでに予定がありまして。このマーケットが終わったら英世へ帰ってくるのでしょう?」
「ええ、そうなってしまいました」
「英世への旅は人数が多いほど退屈しません。ココさんについては巻き込んだことへの罪悪感がありますし、カルーナさんへは少々我儘をさせていただきました」
「え?あの、英世への船のことでしょうか」
「夏恒例の私のバカンスです。勝手ではありますがココさん達の分の予約の料金をカルーナさんへ払っていただくことを承諾いただきました」
デモクラが口をぽかんと開ける。
「さた、サタニエル兄さまのバカンスといったら……」
「ええ。今年の夏はァモンさん、ベティさん、バブゼエルさんもグリマラへやってきます」
デモクラは必死に笑顔を作り「そうですか。それは楽しみです」と答えた。
フライパンの方からは怪しい音が鳴りだし慌ててフヨウが皿に盛りつける。
「こればかりは明日より早く伝えたかったので。では私も御用がありますのでこれで」
「はい。また明日」
サタニエルは優雅にお辞儀をしてからボーエンを出て行った。
出て行ったのを確認するなり、デモクラは眉間にしわを刻む。
「サタニエル兄さんめ……俺がベティ兄さんとバブゼエル兄さんが苦手なの知ってるはずなのに……」
隣に座るルリが「いじめられたとか?」
「いや。そういったことをされたことはない。むしろいい兄たちだ。けどな、あの二人のことを見ると思い出してしまうものがあって……サイズ感が嫌なんだ」
「サイズ感?」
「ベティ兄さんはさっきのサタニエル兄さんよりも身長が高い。それに対し、バブゼエル兄さんはそこのヤマメと同じくらいだ」
「子供サイズ……。小人と巨人のサイズ感がどうしてそんなに……」
「昔、同級生の奴に見せられた裏ビデオがある。見せてきた同級生が子ども時代に主演を務めたビデオだ」
ルリはまずビデオという概念が存在してるのかと顔をしかめ、ビデオの内容をデモクラが口へ出す前に手を挙げて止めさせた。
「今、その同級生が俺の主治医だ。心底嫌だが、英世についたら診てもらいに行く必要があるだろう」
「なんでそんなヒトが医者に……」思わず口から洩れる。
「変態だからだろう。努力の量も外れていた」とデモクラは吐き捨てる。
「まあ、そういうわけで……2人の兄のことが苦手だ。見ただけであのビデオのことがフラッシュバックする」
「難儀ですね……」
食事の準備が終わり、テーブルに皿が並ぶ。デモクラが机越しに手を伸ばした。ルリも同様に伸ばす。
「飯を御馳走になる時、摂る相手は兄弟が多かったからな。イヴァニシオンに家族がいればこんな感じなんだろうか」
「きっと、そうですよ」
「ああ。……ありがとう」
「どういたしまして?」とルリは首を傾げる。
「いや、いいんだ」
食事は和やかに終わった。怒気を込められて作られていた食事だが、味そのものは文句なしだった。
「さきほど食後の薬を取りにいったんですが」フヨウが話を切り出した。
「なんだ?」
「錠剤が全部粉々にされていました。ヤマメの奴がやったんだと思いますが……。姿が見えないんですよね。ガロウちゃんに奴の分も作ってくれと頼まれていたので用意したのに」
ヤマメを呼ぶ度に毒づき、腰に手を当ててため息をついて見せる。
「旦那には災難ですが、粉として薬を飲んでいただくしかないですね」
「……その、お前の元素魔法でこう、ギュッと圧縮してまた錠剤に戻すってことは」
「しませんよ。面倒くさい。優しいことに小さじ何杯かってメモを残していってくれているので、これを煎じましょうか」
「いや……」デモクラは嫌そうな顔をする。「苦いし……」
「味わずさっさと飲めばいいんですよ。煎じてきます」
フヨウが薬を取りに行き、薬を煎じ始める。ほのかに不快感を感じる香りが漂う。
鍋からコップへ注ぐとドロドロになっている液体が見えた。量は一度で飲みきれそうだが、飲み込むのはつらいだろうとデモクラの顔をうかがう。
デモクラは深呼吸を1つしてから指を液体に入れる。指と液体の間の境界線は曖昧になり、液体の比率は減っていく。
コップを空にするとデモクラは水を一口のむ。
「苦い……。熱したことでさらに苦みが凝縮されてる……」
「さあ、明日からは船旅です。早く寝てしまってください」とフヨウはデモクラにクッションを投げながら言う。
「またこのソファでか……」デモクラがうつむいた。
布張りのただのソファだ。寝心地は期待できない。昨晩は仕方なくとあきらめたものの、2度目は嫌気を押えられない。
ふと、デモクラはあることを思いつく。
フヨウが座席を隠れるようにてパーティションを建てると、ルリは枕を立てながらあくびをした。
「マルーリ。お前は普通に眠れそうか」
「え?はい。これくらいならすんなりと眠れますよ」
「そうか」
ルリの返答にうなずき、衝立の向こうのフヨウの位置を確認する。
「デモクラさんは眠れないんですか?」
「ああ。硬すぎてな」
余裕そうなデモクラの顔を見て頭に疑問符を浮かせる。
「話しかけていただいても大丈夫ですが、私、デモクラさんの声聞いていたらすぐに眠れるんで」
クッションを抱えて眠る姿勢に入る。
「構わない」
と返事を聞き、クッションを抱き直して瞳を閉ざす。
「おやすみ」
デモクラがそういうと店の灯りがそっと落ちた。
ルリはデモクラの声を耳にして、少し体から力が抜けていく。
もう寝息を立てているルリに頬を緩ませながらも声をかけると同時に布のすれる音があれば振り向くくらいの注意を払う。
少しずつ体を形作っている触手をほどきながらクッションと毛布で、眠っているような姿を作る。机の下から触手を伸ばし、クッションの下に滑り込ませ、ルリの足首から触手を絡ませる。触手は音もなく、しなりながら足首に巻いていく。靴でできた小さな擦り傷に微細な触手を入れる。首の方へも同じように絡ませていく。触手が首まで到達し、ルリの呼吸に合わせて動く。
残る部分はルリにかかる毛布と混ぜて、頭に該当する部分はルリの抱えるクッションのところへ来るように。この間、ずっと痛みや感覚の発生がないか様子を伺う。
ここ数日で分かったことだが、ルリは眠りにつくと本当に起きない。操り人形状態で風呂に入れさせることができたのは驚いた。体内に侵入させた触手がしっかり固定できたのを確認し、クッションと毛布の間にできた隙間へ体を滑り込ませる。ルリの体温で温まった布が心地よい。
ルリは寝返りを打って横向きになる。
「ん」
デモクラの体が硬直する。しかし、すぐに弛緩し、ため息を一つつく。
「本当に……よく寝る子だ」
そう呟いてから目をつむった。
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