グリマラ 春の大マーケット最終日 前編
気が付いた時、ルリの首輪がなかった。
恐らくあの閃光は盗みの杖からのもの。ルリに当てたはず。
ルリは思う。
――首輪が私にとって大切なもの?いや、それよりもほかに大切なものって……デモクラの声が変わったりしたら嫌だな。
「デモクラさん」
デモクラは薄く目を開けて
「マルーリ、無事か?」
――よかった、声は変わってない。
「ああ、首輪が持ってかれたか。それで済んでよかった」
「あの光に当たったのはデモクラさんだったんですか?」
「すまない。また黙って触手を忍ばせていた」
デモクラは目をつぶって何か構えたが、何も起こらなかったのでまたルリを見てから扉の方を向いた。
「ガロウ、外の様子を見てきてもらえるか?」
「かしこまりました」
店内を見回すとフヨウと宙を浮いていたヤマメがいなくなっている。
ガロウは開いたままの扉から出て行った。
「デモクラさんはその調子で帰られるんですか?」
「多分無理だ。無事だとわかったら服を緩めて寝る」
形こそつなぎとめているが、もう骨が通っているような伸びた背筋はしていない。放すとそのまま席の下に落ちていきそうだ。
外の方がだんだんと騒がしくなってくる。
知らない声がガロウに声をかけている。
「ガロウ殿、こちらにいらっしゃいましたか」
「うぇ、あ、おいん店ん中にデモクラ様達とおいの弟二人もおります。あとカルーナさんの偽もんも」
「シェイプシフターが今回もまぎれていますか。でしたら入らないほうがいいですね。朝が明けてから事務所へお願いいたします」
「わかいました朝に必ず。ヤマメさん!フヨウさん!」
二人の名前をガロウが呼んだところで声が遠のいた。ルリは窓際の壁に耳を当てて済ませる。その動きに合わせてデモクラが倒れた。
「どうですか?」
「取り戻すものは取り返せたよ。首輪と、そいつの充電していた魔力。他にも色々盗ってるみたいね」
「人のもの全部返してから、ボクに杖を返してもらおうかな」
「タンゲアの杖を集めるつもり?」
「クリスタルを取り戻すのにはちょうどいいから、友人にあげたものを返してもらうわけにはいかないでしょ? 」
「首輪をデモクラさんに返してきます」
「うんおねがい」
デモクラも音のする方向を顔だけ向けて、目は閉じていた。
「人が多いな」
扉からガロウは戻ってきてデモクラの前に首輪を置いた。
「デモクラさん、おいはカルーナさんのとこ行ってきます。ホタル、ユウガ。休憩部屋のクッションとひざ掛けとを持ってきて」
「ガロウはどうなると思う?」
「……今回のマーケットは赤字やろうなあ」
その夜3人が戻ってくるのは明け方近かったのかもしれない。
疲れなのか足取りが悪くバタバタと音がしていたのでデモクラが目覚めた。だが、声はかけずにそのまま目を閉じて眠った。
朝、コーヒーの香りで目覚めた。
フヨウが暗い顔でドロドロのコーヒーをカップへ注ぎ、ほんの少しの水を入れた。残った分にはお湯を注いで普通のコーヒーにしてデモクラの前に置いた。
「フヨウ、お前寝られたのか?」
「……」デモクラの問いにフヨウは答えずドロドロのままのコーヒーを飲む。
「……今日はどうするんだ?」
「朝食後すぐカルーナ様のもとへ行きます。そこに置いてるの、台本です」
カウンターに置かれた、折りたたまれている紙を指さす。
「なぜ台本がいるんだ?」
「昨晩のことを受けて本日到着予定のメホヒヌ王の船が英世へ引き返すことになり、その代役が旦那に回ってきました」
「……それは春のマーケット最終日にやるものだろ?」
なんのことだろうとルリに興味がわく。早くデモクラにあの紙をとって開いてほしい。
「確かに例年5日間の開催ですが、今年は4日目で終わらせることに昨晩なりました。実際に解決したと公表して、すぐに店をかたずけてグリマラを出ようとしているところもいましたよ」
「カルーナがそんな判断を……」
「グリマラに争いを持ち込まないって契約に違反したからね」
フヨウより高い声が頭上で響く。
上を向くとそこではヤマメが宙に浮かんでいた。
「グリマラの外でならどんなに争っても構わない。奪い合っても構わない。一度グリマラを閉じる」
「このチビの登場により、今のグリマラに定住している者以外は一度海へ出ることになりました。つまり、サニーフレア、ダークウィン、ライトウィンの住人とマーケットの管理組合員以外は全員でないといけません」
「結構妥協したよ?」
肩まゆを上げてヤマメは口をゆがめる。
「そのおかげで屋敷の建築に遅れが……」
「そうか。フヨウは荷物をまとめに行ってくれ。閉じている宿についてはカルーナへ頼んでみよう」
「かしこまりました。旦那は食べながらでも台本を読んでください」
フヨウが手を動かすと紙がふわりと浮いてデモクラの前へ移動した。
朝食が出来上がってもガロウは姿を現さなかった。
「彼は朝弱いからね」
ヤマメの言葉にフヨウがむせる。
「ぜー、ぜー……」
「フヨウ、今日は無茶せずに休んで構わないからな」
「これはそういうわけではないんですけれど……。まあ、荷物をまとめたら今日は休みます。絶対に、一人に、なれる、ところで」
――あの緑のヒトなにを思い浮かべながら言ったんだろう。
あまりよく眠れなかったからなのか、朝食がよく喉を通らない。
一番早く皿を空にしたフヨウはまたカウンター向こうに立ってまた作業を始める。
「まだつくるのか?」
「いえ、朝食をとりに来られる方もいるでしょうから仕込まれていた分を調理します」
フヨウが言ったようにほかの店の店員たちが朝食を取りに来た。パタパタとガロウの弟たちも弁当の配達に出た。
ヒトが多くなってきたところでデモクラが席を立つ。
「マルーリ今日は俺についてきてくれ。ヤマメ……さんもよろしければ」
「うんついてくよ」
ヤマメは少しだけ浮いて席を離れる。
「マルーリの後ろについていただけますか」
「この子だね。目の色が夕焼けの海に似た金だ。同じ目をしているのがもう一人いたなァ」
じっと目を見てからヤマメは地面近くまで下りてきた。その足元を見ればヤマメが履いている靴は厚底に急なヒールでとても歩ける想像ができるものではなかった。
外は騒がしい。
片付けを行うため荷車を店の前に止めていたり、最終日割引の看板を取り付けたりしている。どのヒトも暗い顔をしており疲れが見える。
その中でもカルーナの案内所はさらに暗かった。天使たちの詰め所への扉には「休憩中。お静かにお願いいたします」とかけられている。
「ヤマメさん、どれくらいでグリマラを皆に出るよう要求したんですか?」
「3日猶予を与えたよ。その間に残る人物はリストアップしてもらうし、残らずに帰るものは片付けてちゃっちゃか海に出てもらう」
「無茶苦茶だ……」
「その無茶苦茶を通させてきたのがヤマメさんだからね」
カルーナが机の陰から出てきた。
「急な頼みでごめんよココ」
「サタニエル兄さんは?毎年父上よりも早くにグリマラに到着していたでしょう」
「あいつはサニーフレアへ下見に行ってる。だから呼び寄せても式典の時間には間に合わない」
「だからといって、末弟にやらせるか普通」
「私はメホヒヌ父さんと血が繋がってないし、サタニエルは母の不貞の子という疑惑が払拭できてない。ココは元々次の魔王候補筆頭だったし、メホヒヌ父さんもココを代読にご指名された」
「へー君、お世継ぎだったんだ」
ヤマメが感嘆の声を上げる。
「じゃあ、君はこの子を婚約相手に?お目が高いね」
「どういうこと?」
カルーナがヤマメの言葉に引っかかる。
「この子が自由の身ならボクはこの子の元につくよ。だってこの子、グリマラの擬人体なんだもの。カリミラくんもそれ知ってて君に売ったんだろうよ」
「そんなことは聞いていませんが」
デモクラの声が小さくなる。
「そういえばマルーリには共通語は教えなくていいと叔父さんには言われてた。母国語が共通語なレアものかなと思ってたけどそうきたか……」
当の本人はぴんと来ず首をひねって居心地悪そうにする。
「今はまず式典を例年通り行うことが目的だよ。ココは奥で台本読んでて」
「分かりました」
ルリをちらりと見てからカルーナの指差す扉へすすんだ。
――ついてって読んでるとこ聞きたいな。
カルーナはヤマメへなおり、話題を戻す。
「ガロウが誰かを隠しているのは感じていましたけれど、この子の存在を知ってようやく姿をあらわしたんですか?」
椅子をルリへ用意するがカルーナは立ったまま話を続ける。
「たまたまだよ。偶然ガロウくんがあの洞窟に新しい住人を招いたから。ずっとヒトの目が有るってなると、ずっと隠れているのは難しいから出てきた。昨日【ネクシス】から狙われているのを知ってその子への感触の意味が分かった。あのフヨウっていう僕の色違いコスプレは分かってたみたいだね」
カルーナが外を見てから別の部屋に移る。
「デモクラが君を家族にと考えているのなら……。軽く、私たち異形について話しておかないとね」
部屋の棚に1つガラスケースがあり、その中の本を取り出す。角が擦り切れているが皮の装丁は鈍い輝きを放っている。
「これは私が私の先生からもらい受けた異形の特徴図鑑。毎年ちょっとずつページを増やしてる。異形との婚約にあたり一番重要なのが、凸性と凹性。君の世界にも雄しべと雌しべってものはあった?」
「ありました。呼び名で……なんとなく想像できます。凸性が雄しべ、凹性が雌しべの役割ということでしょうか」
「そう。大抵の生き物は生まれ持って片方の性を持つんだけれど、異形はそうじゃない。体が成熟するとどちらにするか選ぶことができる。そうじゃない人間とも交配ができるんだけれど……どこかでそういう契約を先祖たちがしたのだろう」
「どちらか選ばないということもできるんですか?」
「できるよ。だけど大抵は凸性になる。凹性の特性を持ったままだと定期的に産卵をするのが辛いってのが理由でね」
「ボクはそれが原因で君たちの一族が滅ぶんじゃないかって心配だよ」
「実際、この選択を巡って犯罪に走ったものもいる。手を変え品を変えとしているからイタチごっこだ……。まあいいとして、ココ……デモクラは病による体の負担で凸性にならざるおえなかったと主治医から聞いた」
「じゃあ、私は凹性に?そもそもバイサーバ人は異形の枠組みに入れるんですか?」
「早まらなくっていいよ。その時が来ればココが頼んでくるさ。バイサーバ人は異形の体をベースに作ったけれど、他の渡り、九竜とも間に子をもうけられる。実際にほかの種族と結婚する異形もいる。というか、君はもうその心積もりができているのか?」
「それは……あまり。ただ、デモクラさんのそばにはいたいです」
カルーナは手を口に当てて、4つの目で試すようにルリを見る。
「なぜ?他の転生者たちは『魔法を教えてくれ』『もっと強い能力を』『文明の革新を』というが、そういったことは望まないのか?」
ルリはうなずく。
「欲しいものはないと?」
「あるにはありますが……取り戻せないと思っていたものが、かなり早く近くに来たというか……」
「何でもできる召使い?」
ヤマメの言葉にルリは首を振る。
「そ、その……私が欲しかったものは……」
両手を10通りの握り方でせわしなく動かしてから、その両手で顔を隠した。
それをみて、カルーナの3対のヤギ耳が上を向く。
「も、申し訳ない。そんなに追い込むつもりはなかった。無理に話す必要はないよ」
――口にして笑われるのが想像できる。フヨウは笑わなかったけれど、ヤマメは笑いそうだ。
「カルーナさんはエルミナスに移ってきた時、何が欲しかったんですか?」
「いい質問だね。私が欲しかったのは甘いもの……デザートと明るくて広い空。エルミナスに来たときはほんの小さな子ども。一生住むことになるかもしれない暗い迷宮で、先遣隊が倒した魔物を料理して食べた」
「迷宮がグリマラに続いていて先遣隊の隊長、ゴーティエスがボクらに頼み込んだ。『国民全員が追われている。助けてほしい。分けられるものはすべて分ける』これまでにここへたどり着いた中で一番必死さを感じたよ。だから住まわせてあげた。そしてボクらエレメトは食事の楽しみと、薬を覚えた」
カルーナが懐かしいといって笑う。
「異形とエレメトの間に問題は起こらなかったんですか?その異形がエレメトのものを盗むとか……」
「当時のボクらは逃げてきた異形達よりも、物は持ってなかったし知らなかった。髪や目が光っている以外は、異形が怖がる人間に似てるってことで結構怖がられたし、別物だって認識が浸透するまで結構掛かった。迷宮の奥に住む精霊ってことにもしたね」
「その方が説明でしっくりきましたから。つい近年エルミナスを船で一周してどこにもブレーランの土地がないことを確認できて、怯えているヒトは減った。山の噴火で迷宮の出口もふさがれたことだし」
二人の盛り上がる昔話にルリはついていけない。どうにか、整理するために質問を考える。
「地中にブレーランがあるということですか?」
「40年くらいはそう思っていたけれど、九竜の種族が空からやってきて真向から否定された。【エルミナスは球体だ。地中にそんな空間ができるわけがない】」
「異形の君たちが文化をもってきたのなら、化学を持ってきたのは九竜だね。渡りだけなんの害もないけれど、ライ族はあの迷宮について【ゲート】と呼んでた。時間も空間も全く違う場所へつなぐものだって。ブレーランは【ゲート】の向こうにある。マルーリ。君の場合、体に【ゲート】が開き、君という魂を迎え入れた。ボクはそう解釈するよ」
その後はマルーリそっちのけでカルーナとヤマメで、ヤマメが姿をくらませていた時期についての話をしていた。
奥の部屋から出てきたデモクラは頭を掻きながら台本とカルーナを交互に見る。
「姉さん。俺みたいな若いのがコレ読んでいいのか?」
「いいのいいの。スピーチならメホヒヌ父さんよりココの方が上手そうだし。若い異形も聞いてくれそうだし」
カルーナは説得するがデモクラは納得していない様子。
「とりあえず、読むさ。これを家族の集まりのネタにしないのなら」
「ココが立派だって話はメホヒヌ父さん喜ぶよ?」
「ほめてくれる分にはいい。けど、これ以上期待させすぎないようにしてほしい」
ルリを見てからカルーナに向かって小さな声で何か言った。
「……だから、やめてほしい。その期待を他の15人の兄さん姉さんに向けてほしい」
「ヤマメさんが見つかったんだ。もう少し上向きに自分の人生を見なさいココ」
「その時間をささげるつもりだ」
デモクラの迷いのない眼に対して、カルーナは眉間にしわを寄せた。
「この式典での祝辞は、毎年映像オーブと音声オーブで記録してる。失敗したら他にもみられるから、適当にはしないでしっかりやって」
返事はせずにうなずいた。
ところ変わって、昼前にようやく起きたガロウは鏡の前で髪と耳に櫛を通していた。
「ガロウちゃん。あたしは一度山に行って荷物を取ってくる。夜はまたここ使わせてもらうから」
「わかりました。ヤマメさんは?おらんようですが」
「アタシの代わりで、デモクラについて行ってもらってる。何か予定があった?」
「いえありません。おいはいくつか予定があって、夜遅くになってから戻ってくるんで食事はあるものでつくって下さい。ホタルとユウガの分は大丈夫です。今日はサニーフレアに帰るんで」
「夜遅いんだ。じゃあ夕食は残しておく?それとも食べて帰ってくるの?」
「食べて帰ってきます!」
ガロウは特に目立たない恰好で店を出て行った。
客足もなくなったためフヨウは店を閉めて山の方向へ。
同時刻ごろマーケットの中央広場にて式典が行われていた。
渡りのものだという厄払いの火薬の破裂音がして、空に白く散る。
やりたくないの訴え後デモクラはカルーナに連れられて、次に姿を現した時には出会った最初の日と似た格好で、少しばかり装飾が多くなり、体も大きく見える。
「姉さん、詰めすぎじゃないか?動きにくい」
「何もしなかったら細すぎて、民が心配する。まだ生きるつもりなら健康的に見えていないと、葬式ムードになる」
金色の蓮の形のバッチを腰巻へつけてマントの形も整え、カルーナがチェックする。
「メイクはフヨウにはかなわないな。もっと自然に血色よくみせたかったけれど」
「十分でしょう。昨晩はベッドで眠れていないし元の条件も悪い」
――確かにふかふかの枕が恋しい。今日はどうかな。
深い紺碧色のマントをたなびかせながら会場へ出る。
「ヤマメさんとマルーリはこの小屋の2階から見ているといいよ」
カルーナが指を鳴らすと開いたのを見ていない扉が開いた。
「私の部屋がある。茶菓子をおいているからくつろぐといいよ」
カルーナを待つデモクラの目が鋭く刺さる。
「ごめんココ!船上ではしっかりもてなすから」
カルーナがデモクラの背中をたたく。
「あ、あの」
ルリが声をかける。
「……なんだ」
「その……頑張ってください」
「……」
デモクラは返事をせずに会場へ入っていった。
ヤマメがにやにやとしながらルリを見る。
「な、なんですか?」
「いや、フヨウの言っていた通りとねえ。これは面白いものが見られそうだよ」
「何を言って……」
「デモクラは君のことが気になって仕方ないんだ。だから、ああやって突き放す」
ヤマメがルリに顔を近づける。
「あの……その……私は別にまだ、好きとか嫌いとかじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「えと……その……一緒にいて欲しいので」
「へえー。あ、いや待って。やっぱりマルーリはいい子だね!ちゃんと言葉にする君は偉いよ!」
ヤマメが笑いながら撫でてくる。
「う、うん?」
ルリは疑問符を浮かべながらも頷いておいた。
カルーナの小屋の2階はホテルの一室のようになっており、その高価な素材の一片までカルーナの趣味のものであることが見て取れる。
ヤマメは部屋の中のテーブルに置かれた籠を手にもって窓の方へ。
「結構高いね。広場がよく見えるよ」
ベランダへ出て見回すと、広場と隣接する建物はどれも高い。このマーケット中何度か通っているはずなのに気が付いてなかった。
ほかの建物の方には警備の天使が会場の広場と、そこへつながる道に目を光らせている。
「ほら、来たよ」
カルーナとデモクラが出てきた。どよめきが広がる。まだ子の表情の残る貴族がそろって2人に向け指を指す。しかし、カルーナが指を動かすだけでみな鏡のように同じ動作を取れば沈黙しおとなしくなる。
広場で佇み深く息を吸うと会場内にスピーチが轟いた。
祝辞はデモクラの言葉ではなかったが、スピーチは完ぺきだった。
あの声、抑揚、間。
ルリにとって、この3つさえ揃っていれば原稿の内容なんて頭には入らなかった。ヤマメとカルーナの話していた単語があったような気もするが、その声を聞いていて全部が別のものとして進んでいく。
あの声を聴いていると失った前世の空気を思い出せる。
時間が終わり広場は拍手の嵐になり、それに応じてカルーナの声が聞こえる。デモクラは疲労を隠しきれず、カルーナに支えられるとそのまま倒れそうになった。
天使たちが駆け寄るよりも早くにヤマメが飛び立って、カルーナと反対側から支えた。いつの間にやらフードを深くかぶっており、誰だかわからないようにしている。
何故かわからないが身長も伸びている気がする。
ヤマメがカルーナに何か言って、デモクラを抱えると地面を蹴ってルリのいるベランダへ飛んで戻ってきた。
「フヨウに薬は持たされてる。部屋で寝かせるから、マルーリはお水持ってきて。」
「は、はい!」
ルリが駆けだすと、ヤマメも後を追う。
階段を駆け下りると案内所の係員がボトルを持っており、すぐにルリへ渡した。「ありがとう」
係員は深く礼をすると持ち場へ戻った。ルリは水をもって2階へ駆け上がる。
ヤマメがデモクラを寝かしつけて、そのころには広場の騒ぎも落ち着いて次の登壇者の咳払いが聞こえる。
「はあー面白い体してるなあ。全部形態模写か。よくやるよ。お、いい量だね。そこの桶に水をうつしておいて」
ルリはヤマメの指示に従って動く。その間にヤマメはデモクラの頭を両手で鷲掴みにし、ぶるぶると揺らした。
するとデモクラの体がだんだんとしぼんでいき、出ている手足は方々へ伸びていく。
「ほーら、楽な体制になりな」
すらりとした顔も間が抜けていき、溶けたような顔になっていく。
ルリはデモクラに寄り添って眠ったときに感じた感触を思い出す。
――本当に骨がなかったんだ。
「ここが吸収用の触手だね。引っ張るよ」
首だったところから束の触手を取り出す。
「マルーリ、桶をここに」
ヤマメの開けている場所へ置く。その桶の中に触手は浮かべられた。
ローブの中からヤマメが取り出したのは紙の袋とすり鉢とすりこぎ棒。
袋の中身をすり鉢へ入れるとすりこぎ棒で砕きだした。中身は錠剤だった。
「デモクラ、粉の薬に変えた方がいいよ。君の体はほかのと構造が違うんだから。けど、その違いのおかげで長生きしてるのかもしれない。けど薬は飲みな」
間抜けな顔がほんの少し嫌そうな顔をした。
――薬苦手なんだこのヒト……。
「大丈夫。落ち着こうねえ?」
しばらくして観念したようにして大人しくなった。
ヤマメが棒をルリへ渡す。
「代わりにそばで見ていてくれない?ボク一応ボディーガードで君たち二人についてきてるからさ」
「わかりました」
「桶の方は時々混ぜてね」
デモクラの横たわるベッドへ腰を下ろす。
よく観察すると、とろけた目がルリを追っていることに気が付く。
頭だったところへ手をかざすと、手に軽く体をぶつけた。
一束触手がルリへ伸びて首元をなぞる。くすぐったくて振り払う前に首輪が落ちた。
落ちた首輪を見てからデモクラを見る。
「どうされたんですか、首輪をとるなんて……」
デモクラは瞬きをしてから、
「俺のこの姿に幻滅しないのか?」
とどこからともなく声がした。頭に響くような、けれど鼓膜にも感じる。不思議な声だったが、デモクラの声だった。
「しないですよ」
「……本当みたいだな。首輪がなくても離れない」
触手がベッドをとんとん叩くのでルリは座る位置を変えた。すると、ベッドに這いつくばったままデモクラが寄ってくる。まるで壊れ物へ振れるようにしてルリの指へ触れる。
「この姿だと、気味悪がって誰も近寄らなかった。だから体を真似て、表情がわかるようにした」
デモクラは目元をぱちぱちと開く。目の色だけは元と変わらない、輝く緑の瞳だ。
「この姿だと、マルーリには嫌われると思っていた」
「そんな、私は……」
「俺の正体がこの姿であることは、もっと後に明かすつもりでもっと親しくなってからの筈だったんだが......情けないなスピーチの1つ満足に終えられない。」
枕へ顔をうずめて触手で顔を隠す。
「あ……あの」
声をかけるが返事がない。質問できるような雰囲気でもなくなりルリは目を逸らすしかない。
桶のなかの水は綺麗に吸い取られていた。タオルで吹いてやり、デモクラの束のなかへ移動させる。
「たぷたぷする......なんでボトル1本分で薬を溶いたんだ」
デモクラが小さく愚痴を溢す。
「だって、ヤマメさんが」
「ヤマメは?」
「デモクラさん……の……お薬を溶いてから、天使たちのところに戻りました」
「加減ってのを分かってないなあの老人は」
デモクラが体を起こして、服に詰められた綿を抜く。白いモコモコは小さく千切られていてデモクラのため息で宙を舞う。
一通り綿を抜いてから服を整えて、触手を通し、髪を1本の三つ編みで纏め、ルリも見慣れたデモクラの姿に戻った。
「マルーリ」
デモクラはルリに向き直る。
「何故、そばにいてくれる?首輪がない今、逃げだすことだってできる」
外された首輪とデモクラを見比べ「首輪に、考え方を抑制する機能でもあるんですか?」
「ある。主人になつくようなまじないがかけられてる。質問に答えてくれ」
「私はあなたと一緒にいたくてここにいます」
ヤマメやカルーナの前では言えなかったが、デモクラの前ではすらっと声に出せた。
「何が理由だ」
強めの言葉。
ルリの瞬きが早くなり、緊張が指先まで広がっていく。
「わ、私の欲しいものをデモクラさんが持っていて、そ、それで一緒にいたいんです」
しどろもどろという言葉が似合うほど言いよどみながらやっと告げる。
デモクラは髪をガシガシとかき上げる。
「なんだ、欲しいものって。渡したらいなくなるのか」
「渡せるものではないです!デモクラさんの声です!」
デモクラの手が止まる。
「前世で私を支えてくれた声とデモクラさんは同じ声なんです。ここに来てもう聞けないと思っていましたが、デモクラさんが……」
ルリが口元を腕で押さえた。隠しきれない涙が溢れていた。
「答えるのはゆっくりでいい。どういう風に支えていた声だった?」
「デモクラさん、の……声……は」
ルリは嗚咽をこらえながら話し始める。
「最初は睡眠学習の声でした……。それが大きくなってからは睡眠導入に使っていて、聞けないと安心して寝付けませんでした」
デモクラはベッドへ座りなおし、ルリの背中をさする。
「その声の主は俺じゃない。別の誰かだ」
「声の主の名前は知りません。けど、声色、トーン、抑揚、伸び、全部デモクラさんと同じ声です。今日のスピーチで、この声だと確信しました」
「俺と……同じ声のやつか。偶然もあるものだな」
それからしばらく、ルリのすすり泣く声が響くなか、遠くに別のスピーチが聞こえていた。
沈黙を破り、次に話し出したのはデモクラ。
「俺は、お前とそっくりな別の誰かを夢の中で見た。その特徴をフヨウに伝えて似たバイサーバ人の奴隷を探していた。目の色、髪の色、肌の色。その目の虹彩の分かれた色も入っていて、こんな我儘な内容は的外れな奴隷をあてがわれるのだろうと。所詮絵空事と思っていただが、思い描いていた以上のものが現れた」
デモクラの夢の誰かの話を、ルリは背中をさすられながら聞く。
「お前もつ能力のおかげで、予定より早くヤマメに出会えた。明日にはここから出ないといけないが……希望が見えた。この数日でもっと自分を遺してみたくなった」
デモクラが深呼吸する。
「マルーリ。お前は俺の欲しかったもので、今一番大切なものだ」
ルリは心を落ち着けて、声を絞り出す。
「マルーリは本当の名前じゃありません」
デモクラは目を丸く見開く。
「本当の名前は、ルリです。クロマ、ルリ」
「クロマ、ルリ……。こっちの方が呼びやすいな」
デモクラは手を震わせながら首輪を見つめる。
「カリミラさんにはめられた……。最初から懐くまじないなんてかかってなかったのか」
「カリミラさんには、呼ばれる勇気ができたら呼んで貰えと言われていました」
首をかしげて「勇気が必要なほどか。ルリと呼ばれるのが」
「いや、ほんと、うれしいんですけど、恥ずかしさと、こそばゆさで、なんだか、もう。人前ではマルーリと呼んでください!」
「大げさじゃないか?」
「大げさじゃないです!」
デモクラは短く笑ってから、ルリに向き直る。
「では、改めて……。ルリ」
ルリの手を握り、恭しく尋ねる。
「本当に、そばにいてくれるか?」
ルリも手を取り返す。
「はい!もちろんです!」
「ありがとう」
手を放して、膝に置き肩の力を抜く。
「英世への旅はお前を家族へ紹介するのにちょうどいい機会になる。」
「そういえばおっしゃってましたね。えっとご兄弟が……」
「上に16人いる。俺は末っ子。父違いのカルーナが一番上だ」
「16人……覚えられるでしょうか」
「俺でさえ、順番を答えられるか怪しい。ろくに話したことのない兄姉もいる。結婚なんてしてたらその相手の名前なんて覚えていないし把握してない」
「それ、家族ですか?」
「王族という括りにするとかえって多くなるので面倒だ」
デモクラがこともなげに言うのを、ルリは笑う。
「顔を見ることができたら紹介はする」
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