プロローグ
食後普段と違う感覚に襲われ、その場に膝をつく。
離れだす意識には周りの音すら遠く、すべてが曇る。
自分がなぜこんな目に合うのか、そう考えるのは後にして、今はそっと目をつむった。
玄間瑠璃はその容貌が理由で殺された。
特別美しかったわけではないが、ルリがいた場所でよく話題に上がっていた人物にそっくりだった。その人物はアイドルグループの一人で、行方不明になっていた。デマでもファンの妄想でもなく、実際に行方不明になっていたサトミマノに似ていた。
マノとそっくりのルリを近くに出入りさせるよう、ルリを信用させた。その信頼は一部にとっては本物だった。
平日学校へ通う日に昼食にはルリの好物を必ず買って与えられた。ルリ自身もこの特別扱いを嫌がることはなかった。
ある日ルリは囲いの人達の会話を耳にした。
「近くにあるリンネ教支部の前通った時に貰った冊子、面白くって全部読んじゃった~!」
「やめなよー、あれカルトでしょ」
「いやいや、あんた何にも知らないからそう言っちゃうんだよ。ちゃんと知ってからカルトって呼んでよね。」
「なにがそんなに熱心になっちゃうのさ」
「えっとね。魂の神カリミラに肉体をささげればヒトを生き返らせることができるってとこ。」
「うさんくさすぎ。」
「でも条件があってね。姿背格好がそっくりで一番重要なのは目の色が同じであることなの。」声を小さくして「思い浮かぶことない?」
「あっ……」
二人がこちらを見るのでルリはリンネ教が気になって手元のスマートフォンで検索して、その事に気がついていない振りをした。
リンネ教と検索するとホームページがヒットする。
タップして開けば双葉の画像が出てきて下へスワイプしていく。
教義が浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えを繰り返した。
実際にヒトが生き返ったという動画も出てきた。
「私は、大切な○○のためにこの体をささげようと思います。このカリミラ様特性の薬は体の持ち主と魂を離れさせるものです」
薬を飲むと苦しみ出してカメラの外へ倒れた。
次にカメラが体を写すとその周りに複数人の足が現れた。声を合わせて
「○○、○○、この体へお入りください。○○、○○、この体へお入りください」
体がピクリと動いて、地面に手を着き起き上がるところで動画は終わった。
ルリはそのとき、さすがにそんなバカなことはしないだろうと自分に言い聞かせた。
その後の変化に気が付きさえすればよかったのかもしれない。
毎日の食事は必ず、一番よくしてくれているその場所のサークルリーダーが買ってきてはルリに手渡ししていた。
その日だけは違った。
あの時の会話をしていたうちの一人がルリに買ってきた。
それをいつもと同じことだと思いながら口にしたことでルリは命を落としてしまい、記憶も一部欠落してしまった。
次にルリが起きたのは、倒れた床とは違う別の床だった。
狭い空間で、張られた木の床にはワックスがけがされておらずささくれだっている。
上を見上げるとヒト一人通れそうな小さな小窓が。
外は夜で星のほのかな光が唯一の光源となっている。けれども自分の状態を見るには足りない。
ペタペタと自身の首元、肩と触って、違和感を覚える。
――着てた服じゃない。
髪もべたついて2日風呂に入っていないどころではない。
不快感を全身に覚えつつ、壁に手をついて立ち上がり、天井に手を伸ばす。肘がすこし曲がる程度には天井は低い。
小窓の枠を押して開けようとするが、びくともしない。
「はぁ」
息を息を吸い込んだときに臭いにも気が付く。床に目を凝らせば自身の吐いたものが反射して見える。
今いる場所が汚れているという嫌悪感から、壁へ強く拳を打ち付ける。
「うん?」
頭の上から声が聞こえた。
その後すぐ上からパタパタと小さな羽音が近づく。
「おや、起きたみたいね。起きたみたいよ。外に出してあげなきゃね。あげないとね」
と声がする方へと目をやると、見たことのない虹色の羽をもった小さなヒトが小窓から入ってきていた。小人たちは羽ばたいて小窓から出ていくと上でカチャカチャと音を立ててから小窓を外し、ずるずると音を立てながらロープの梯子を下した。
「あがってあがってー。あっ言葉分かんないか!」
指示を聞いてロープに手をかける。言語の種類はわからないが、意味だけはルリに通じた。
顔を出して撫でられる風によってようやくここがどこなのか分かった。
――海の上、船の上だ。
――この小人はなんなんだろう、なんで服が変わっていて時間が立った風なんだろう
よく考えを巡らせると疑問が浮かぶ。
小人たちはパタパタとルリの服をつかんで引っ張る。
「こっち、こっち~」
力の向く方向へ足を動かす。
甲板から船室への扉へ誘導され、さらに扉の奥へ通される。
「主さま、一人転生に成功いたしました!」
「うん、ご苦労さま。そこへ座らせて。」
質のいい革張りのひじ掛け付き椅子にルリは座る。初めて座る椅子だなあと思いながら。
「さぁて、ようこそエルミナスへ。君は……言葉がわかるね?」
黄緑色の髪の人物に向かって首を縦に振る。
「口を開かないってことは、今話してる言葉はしゃべれないってわけか。少し不便だな……。1部屋自由に使っていい。辞書も渡すからそれで自己紹介文でも作ってくれないかな。」
――めんどうな感じになっちゃった。
再び立たされて、今度はこの船の主……船長の後を着いて歩く。
ルリは階段で上がってすぐの部屋に通された。
「体を洗いたければ部屋にある着替えは好きに使っていい。水の出は悪いがシャワーもある。しばらくしたらまた来るからそれまでにまとめておいてくれ」
首を大きく振る。すごく体が洗いたかったのでとても助かる。早いとこ体を洗ってしまいたいと思っていた。
中に入りその場を見渡す。奥に個室があり簡素なベッドとデスク、椅子がおかれている。入る前に用意されていたのか分厚い辞書もおかれていた。その空間にはいる前の細い廊下にある扉を開くとトイレとシャワーのある部屋が。個室を少し探すと死角だった場所に棚がありそこに服がおかれていた。下着も、サイズがぴったりではないがあった。
――体を洗ってから机に向かおう。じゃないと集中できない。
体を拭くようにサイズの合わない服をもってシャワールームに入る。
髪と体はまとめて同じ石鹸で洗った。べたべたはなくなったものの髪の指通りが不愉快。タオルなんてないので、ほとんど濡れたままで服を着た。きれいでも着心地はよくない。ちくちくする。
襟周りに爪を立てながら椅子に座って辞書を開く。
ルリには見慣れない文字だが何故だか理解ができた。これまでもずっとそうだった。
ルリが物心つくときにはすっかり体が成長していた。物心というよりは夢からようやく覚めたのは10歳頃。
ほとんど寝ていたルリは起きてからの時間は年相応の体になるための運動と勉強。寝ている間も聴覚による学習をさせられていた。
――服も変わってるからスマホなんか持ってるわけないよな。
聴覚学習の声はいつも同じで使わなくなった現在でも寝る時に聞く睡眠導入剤となっていた。あれがもうないとはっきりとわかりがっくり肩を下す。
――ないんだってわかったんだったらそれを受け入れるしかない。切り替えよう。
後ろのページの索引から言葉を探しながら、メモに書き出す。
しばらくして船長が部屋へ入ってきた。小人たちに自分用の椅子を持ってこさせて。
「さて、まずは名前を教えてもらおうか。」
「クロマ・ルリ」
「クロマ・ルリだな。どっちがファミリーネームだ?」
「クロマ。血のつながった家族はいない」
「誰かからもらった名前か。名前の意味は?」
「瑠璃色の瑠璃」
――目の色も髪の色も違うけど。
「うん。きみの生まれは知ってるよ。10年近く前から探されてた名前とおんなじだ」
「え?」
「その目の色を見た時からもしかしたら、と思っていたけど大当たりだった」
グッと拳に力が入り、次の言葉を待った。
「君の両親はカルトにハマった哀れな子羊だった。その間で君は生まれ、そして眠りにつくときの特異性に目をつけ教団の力として利用された……。君は幼かったから何も覚えてないし、むしろ忘れるべき記憶だろう」
――え?なにそれ……しらない……。またあのサトミマノと同じでそっくりなのと間違われてるの……?いや、小さい頃の記憶はほとんどないけど……。
船長の言葉にただただ困惑するだけだった。
「名前を名乗るのを忘れていた。ボクは魂のキャリミラ。この宙船の船長で、奴隷商人をしている」
「キャリミラ……カリミラ?」
リンネ教の魂の神の名前も似た響きだった。
「身内にはカリミラって呼ばれてる。」
ルリの中に聞きたい質問が浮かび上がった。辞書をめくって1つ1つ文字を指さす。
「肉体、ささげる、他の、魂……。ああ、それね。確かにボクの祝福によって完成することもあるし、しないこともある方法だよ。君はその方法でエルミナスにやってきた。ボクらが無理転生って呼んでる方法でだ」
カリミラはふと窓の外を見る。
「今は夜遅いからね。夜が明けたら見せようか。食事を運ばせておくから食べたら眠って。そうだな……ルリだということが分かったから服とベッドの質を上げよう」
知らない自分を知らされながら、次に向かおうとしてる。
ベッドは浅いものからフカフカの沈み込むものに代わり、服も心地のいいものにかわった。かゆみで起きることはなさそうだ。タオルにシャンプーとヘアオイルも用意してもらい、感じていた不自由がなくなった。
正確な時間はわからないが、ルリは普段からかならず22時には寝るようにしている。体内時計もそろそろ眠いといっているので切り上げてくれたのはちょうどよかった。
今日は十分考えこんだ。明日また考えようと枕を縦にして眠り込んだ。
ルリの寝相は少々悪い。気が付けば枕をもって掛布団の上に出てしまっているほどに。
泣きながら眠りについたので目元がパキパキと感じる。シャワールームに入って顔を洗った。
窓を見上げれば明るく朝になっている。
しばらく部屋で過ごしていると小人が朝食を持ってきた。ジャムを塗った硬いパンと水の入ったグラスだけ。船の中ならこんなものなんだろうと納得して食べる。
食べ終わったタイミングでカリミラが部屋の扉を開く。
「おはよう。天気の良いいい朝だ」
体調に余裕ができてから改めてカリミラの格好を見ると、ずいぶん風変りな恰好をしていると思った。髪の色は若草色で、背にはパステルカラーの4色の翼が生えている。そのせいで背中は腰近くまで開いている。
――顔が美少年のようなので許される格好だ。
「ついてきて。君のこの世界へ来た方法について話そう」
廊下は足元のみ明るい。先ほどまでいた部屋は明かりになるものは見当たらないのに明るかった。昨日もシャワーを浴びる時気にも留めなかったが不自由しない明かりがあった。
――小人も飛んでるし、まあそういう世界なのかな。
甲板にでると見渡す限りの水平線が。見ていたら目が焼けそうなほど輝いていた。
「君の体は昨日までこの甲板の下の空間にいたバイサーバ人の一人のものだ」
「バイサーバ人?」
「バイサーバはこの星のすぐ近くにつくった実験星。そこの生き物をバイサーバ人と呼んでる。君のことを教えてくれた者たちはあっちの方が気に入っているみたいだ。」
短い瞬きをカリミラに向ける。
「で、この船に連れてきたバイサーバ人が命を落とすと、たまに君のような別の世界時代の魂がその肉体に入るんだ。確率が低いから無理転生と呼ばれてる。バイサーバの方でも時々あるようだよ」
――じゃあこの甲板の小窓1つ1つの中に死にかけのヒトがいるってことか。
「無理転生をこうやってやるのは、転生してやってきた人材に需要がある。君のように特殊な能力、ギフトを持っていることがあるんだ。そこに需要がある。役に立たなそうだったらバイサーバに戻して大冒険させる」
ルリは自身に指を向ける。
「君はもう売り手が決まってる」
「リンネ教?」
眉間に皺を寄せながら尋ねた。
「いや、そっちとは全く別だ。ボクは彼らを利用したに過ぎない。丁度いい転生者を用意して欲しいと頼まれてね。君がよさそうだ」
――奴隷商だといっていたから覚悟はしていたけれど、私も奴隷か。
「とにかく。大事な商品の1つだから魅力を損なうような船旅はさせないことだけは確かさ」
他にも起き上がった転生者がいるようで、顔を合わせないようにルリは部屋に閉じ込められた。
「こうやって名前を聞いたりするのは基本目的地に着いてからやるんだ。そこなら言葉の壁がなくなるからな。それでまず奴隷としてエルミナスで過ごすか、死を背中合わせのバイサーバへ戻るか選択させる」
小人たち以外の乗組員はいないのか、カリミラはよくルリの部屋へしゃべりに来る。
ルリもいくつか質問を用意した。
「私を購入する人物について」
「デモクラ・ココ。異形の種族の王族の出だ。病を患っていてその療養のために、目的地の島グリマラに移住する。待ち合わせ場所もグリマラだ」
「職業は?」
「元は俳優をしていた。病が発覚してからは舞台裏にまわったな」
辞書をめくりながら問いかける。
「異形の種族について……。君たち転生者とは別の方法でエルミナスへやってきた。この世界で生まれた言葉を話す種族はグリマラ島にしか存在しない。で、異形の種族についてだったね」
手を組みなおしてカリミラは話し始める。長くなりそうだとルリも覚悟をした。
「君の世界にも勇者と魔王という関係があるのだろう? その魔王側というのがボクら異形の種族だ。君らの想像物では互いに狩り合うものらしいけれど、ボクらは一方的に狩られる側だったから元の世界から多くを連れて逃げてきた。」
カリミラは手元を見つめながら。
「その時代を知ってるものは、いつか奴らもボクらを追いかけてこっちに迷い込んでくるんじゃないかと恐れている。異形って呼ばれているのはみんな姿形が一定じゃないから。ボクの両親の翼は2つだったけど、ボクは4つ生えてる。デモクラだったら、体が触手で構成されてる。見ただけじゃわからないけど」
なるほどとうなずいた。
――見ただけじゃわからないってことは化け物に買われるってわけじゃないんだ。安心した。
そこで1つ気になった。
「なんだい?ふん、なんで転生者の奴隷を買うのかって?そりゃあ、財産的な問題だよ。身内が増えてしまうと後の財産分与が面倒になるからね。お金持ちの間じゃ転生者を買って結婚するのがここ最近のトレンドだよ」
……
反応を示さないルリの顔をカリミラがのぞき込む。
肩のあたりまでの体温がすべて奪われたように寒く感じる。
「一人にした方がよさそうだね」
カリミラが去ってからベッドにルリは横になる。
――よくも殺してくれたなリンネ教……。破滅させたい。
恨み節を考えながら失ったものを数えた。