第3話 帰還計画2
「スノウが起きたって!?」
不意に部屋の扉が無遠慮に開かれた。入室してきたのは仲間の一人、黒髪の少年シュウだ。
「ほんっと良かった。あれから全然起きないんだもん。気が気じゃなかったよ」
「ああ、シュウか。お前にも心配かけたな」
シュウは、ソールと共に自分が毒薬を飲んだ時にその場に居合わせている。一刻を争う状況だったため、詳しい説明をしないまま事に臨んでしまった。その自覚があったスノウは、少年の明るい顔を見ることができて安堵した。
しかし当のシュウは、いつものように生意気な笑みを浮かべて答えた。
「別に~。セグレトの毒くらいでスノウが死ぬわけないって分かってたけどね」
「ったく、相変わらず口が減らないな……」
スノウがそう言うと、シュウは得意げに目を細めた。
「あ、そうだ。ところでセグレト見なかった?」
「いや、見ていないな。どうした、また何かやらかしたのか?」
スノウは眉をひそめた。あのイカれ薬師が見当たらないとは、聞き捨てならない状況だ。あいつ、またろくでもないことを企んではいないだろうか。
「それがさ、ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃったんだ。ここにはあいつの研究室が無いし、一人でいると何しでかすか分かんないじゃん? スノウ、一緒に探してくれない?」
セグレトは毒物に異常な興味を持っている変人で、普段はゴルダ村にある自分の研究室に四六時中籠もっているようなやつだ。
しかし村を離れてからは毒物の研究ができないため、暇を持て余して問題行動ばかりしている。
銀狼党のアジトで起こした毒キノコ事件しかりだ。
「分かった。俺も行こう。今度こそあいつには手加減なしで分からせてやる」
「そんなことしたらまた調子に乗るだけじゃないかな~」
遠くを見る目をしてシュウが呟いたが、スノウにはよく分からなかったので軽く流した。それから立ち上がり、シュウと共に出入り口へ向かう。
「ソール、俺はセグを探してくる。これからの事はまた後で話そう」
「ええ、そうね……」
ソールが曖昧な笑みを見せて返した。なぜソールがそんな顔をしているのかスノウは不思議に思ったが、大方セグレトに辟易しているからだろうと思い、深く追求することなく部屋を出た。
◆◇◆
「あんた、どういうつもりなの?」
ソールは長椅子に座ったまま、じろりと目の前の椅子に同じように座る相手を睨み上げた。
しかしサンダースは臆することなく、のんびりとした笑顔を返すだけだ。
「どうって、なにが?」
サンダースは質問の意図がとんとわからないというような顔をしている。それが余計にソールをイラつかせた。
この男はいつもこうだ。何も考えていないような顔をして、ヘラヘラして。
……まあ、本当に何も考えてないのかもしれないけど。
「スノウとお嬢ちゃんに同行するって言ったことよ! なんなの? 何が目的?」
「目的? 目的ってどういうこと?」
「そんなことしたって、あんたになんのメリットも無いじゃない! あたしがあんたの立場だったら、何も言わないで黙ってるわ!」
「え、なんで?」
ポカンと口を開けて目を丸くするサンダースに、ソールは心底疲れてため息を吐いた。
「本当に分からないの? あんたが同行してもしなくても結果は同じ。反対されたってスノウはお嬢ちゃんと二人でイルムガードに向かっていたわ。私たちの同意なんて、スノウにとっては重要じゃない!」
「そうなの?」
ソールはサンダースのあほ面にほとほと呆れた。
いくら自分たちが反対しても、きっとスノウの行動は変わらなかっただろう。
仮に自分が最後まで同意しなかったとしても、彼は黙ってこの王宮から姿を消していたはずだ。あの少女とともに──。
結局は変わらないのだ。
ツルギ・ハインロットの行動が変わらない限り。
「スノウは私たちに反対されたってイルムガードに向かっていたわ。だから……私は、あんたの考えてることが分からない。だって、あんたはスノウがいなくなった方が──」
そこまで言って、ソールは言葉を切った。
スノウがいなくなった方が、サンダースにとっては都合が良い。なぜならサンダースは、ソールのことが好きなのだから──。
それは自惚れではない。彼は何度もその気持ちを伝えてきたし、ソールも彼の好意を知りながら時にはそれを利用している。
本来なら、スノウという障害が取り除かれれば、サンダースにとってはチャンスのはずなのだ。
それなのに、なぜ自ら進んでスノウと少女の間に立とうとしているのか。
「私の気持ちは知っているでしょ? スノウがいなくなって傷心の私にだったら、付け入るスキがあると思わないの?」
ここまではっきり言えば、いくら頭の悪いこの男でもわかるだろう。
「ああ~そうか、確かにそうだね」
案の定、頭の後ろをポリポリとかきながら、サンダースが自分の行動を軽く笑い飛ばした。
やっぱり、この男、気付いていなかったんだ。本当に馬鹿──
「──でも、やっぱり俺はスノウに付いていくことを選んだかな。だって、ソールちゃんが悲しむところなんて、俺、見たくないもん」
にっこりと笑ってサンダースが言った。その緑色の瞳がまっすぐにこちらを見ている。
「俺、ソールちゃんにはいつも笑顔でいてほしいんだ。そりゃあ俺のこと好きになってくれたら嬉しいけど、別にそれはどうでもいいんだよ。大事なのはソールちゃんが笑顔でいることだから……」
その言葉に、嘘偽りはないのだろう。そんな駆け引きが計算できるような頭、この男は持ち合わせていない。だからこそ、これは純粋な彼の本心なのだ。
(なんなのよまったく、イライラする)
サンダースの純粋さに苛立ちを覚えつつも、心のどこかでは心地よいとも感じている自分がいる。
「わけわかんないこと言ってんじゃないわよ。もういいわ。あんたに難しい話をしても無駄。この話は終わりよ。あんたもセグレトを探しに行きなさい!」
ソールは緑の目から顔を背け、猫を追い払うようにしっしと手を振った。
サンダースが「えー俺も行くの〜?」と面倒くさそうな顔をして立ち上がる。それから渋々と部屋を出ていこうと扉に向かって歩き出したが、急に立ち止まって振り向いた。
「なあ、ソールちゃん。無事にスノウを連れて戻ってきたら、ご褒美をくれない? それだったら、俺、すんごい頑張っちゃうな~」
去り際まで軽口をたたくサンダース。ソールはかっと顔を赤らめて怒鳴った。
「馬鹿言ってないでさっさと行きなさい!」
「はいは〜い。まったくもう、セグのやつどこ行ったかな〜」
遠ざかっていくサンダースのぼやきを聞きながら、ソールはため息を吐いた。だが吐いた息を吸い込むと、その顔には無意識に少しの笑みが浮かんだ。
「……ホントに、馬鹿なんだから」
◆◇◆
副官、あれから司令官に会えたのかな。
ヒメルはきらきらと陽光が降り注ぐ王宮図書館の天井を見上げながら思った。
ここに来るときに一緒に来た侯爵様は、よほど集中して本を読んでいるのか話しかけても反応してくれない。
「すいません、侯爵様。私、一足先に戻りますね」
やっぱり返事はない。
仕方ない。中庭に戻って途中だった草むしりを再開しよう。
ヒメルは図書館をあとにして中庭に向かった。
王宮の内部は、壮麗で荘厳な雰囲気に満ちていた。高い天井からは、金色に輝くシャンデリアが吊り下げられ、柔らかな光を放っている。壁には、歴代の王族のものだと思われる肖像画が並び、その威厳ある眼差しが訪れる者を見守っていた。
広々とした廊下は、白い大理石と金で装飾されており、その美しさは訪れる者を圧倒する。廊下の両側には、豪華な彫刻が施された扉が並び、その一つ一つがまた別の豪華な部屋へと続いているのだ。
廊下は徐々に開けていき、やがて大きなアーチ型の扉にたどり着いた。その扉を押し開けると、そこは王宮の中庭へと続く広場だ。
中庭は、四季折々の花々で彩られ、その香りが空気を満たしている。水を湛えた噴水が中央にあり、水しぶきがキラキラと光を反射していた。
本当にこんなところで生活しているなんて、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだようだ。
しかしこれはあくまでも一時の夢みたいなもの。自分にはちゃんと帰らなければいけない場所がある。
「はあ~、いつになったら家に帰れるんだろう」
ヒメルはため息をつきながら花壇の草をむしった。
しばらくそうしていたら、誰かが近付いてくる気配がして顔を上げた。
誰かが広場を横切って歩いていく。
「あれは、料理長?」
料理長はズボンのポケットに手を突っ込んで、俯きながら歩き去っていく。ヒメルは慌ててその背中を追いかけた。
近付くと、不意に料理長はその場に立ち尽くし、深いため息をついた。目は遠くを見つめ、額には思い悩む者特有のしわが刻まれている。手は無意識にズボンのポケットをもてあそび、その動きには心の中の不安が反映されているかのようだった。
「料理長、どうしたんですか? 司令官とは一緒じゃなかったんですか?」
料理長はなんだか反応するのも面倒くさそうな表情でヒメルの顔を見た。
「ああ、ヒメルか。知らねぇ。あいつとなんかよくわかんねえこと話してるぞ」
そう答えた料理長の声にはいつもの力強さがなく、どこか遠くへ行ってしまったような響きがあった。
「あいつって誰ですか?」
ヒメルが尋ねると、料理長はふと我に返り、こちらを見た。その瞳には、何かが彼の心に重くのしかかっている様子が見て取れた。
「副官だよ。あとから血相変えてやってきて、まだ終わってないとかなんとか……」
良かった。副官はちゃんと司令官に会えたんだ。
上官のただならぬ様子が気になっていたヒメルは、ひとまず安心する。
しかし料理長はどうしたんだろう。なんだか様子がおかしい。
「ああああもう!」
突然、料理長は頭を掻きむしり、苛立ちを隠せない声を上げた。ヒメルは驚いて料理長の顔を見上げる。
「やっぱりオレじゃ無理だよな……」
そう呟いた彼の声は、酷く疲れがにじんでいて、肩の力がすっと抜けてしまったようだった。まるで自分の限界を感じて、無力感がじわじわと心を重くしているようだ。
料理長が何か深刻な悩みを抱えていることは感じ取れる。自分の気持ちをどう処理すればいいのか分からずに悩んでいるのだろう。
気になったヒメルだったが、なんとなく聞きづらかった。
司令官に副官が会いに行って、料理長だけが戻って来た。
それってつまり、料理長がその身を引いたってことだろう。
(私なんかがきっと、触れちゃいけない部分なんだろうな……)
「腹減ったな。なんか作って食べるか」
頭を抱えていた料理長が顔を上げて言った。その声は決して逃避ではなく、現実からの一時的な解放を求める願望が込められていた。
「はい、食べましょう! 私もお手伝いさせてください!」
ヒメルは少々おおげさに応じた。その方がいいような気がしたのだ。すると料理長の顔にはほんの一瞬だけ安堵の笑みが浮かんだ。
今のヒメルには料理長の憂いを和らげることはできないかもしれない。でもせめて一緒に料理をすることで、少しでも軽くできたらいいなと思った。
「言ったな。プロの料理人の指導は厳しいぞ? って言うか、お前、厨房どこか知ってんのか?」
「もちろんです。メイド見習いですから。こちらです。案内します!」
新兵時代に嫌と言うほど教練した敬礼をびしっと決めて、ヒメルは答えた。それを見て料理長が意地悪っぽく笑う。
ああ、なんか懐かしいな、この感じ。
ガンデルク基地の食堂で、こんな毎日を送っていたっけ。
それから、二人は連れ立って厨房を目指した。
王宮の料理人さんたちに唖然とされながら、料理長と厨房で昼食を作った。あれは、一種の冒険に近い。
見たこともないような調理器具。きれいなお皿。大きな鍋。一般人ではまずお目にかかれないだろう。料理長はガンデルク基地の食堂で働いていたし、多少見慣れているようだったが、憧れの調理器具でもあったのか、こちらの存在なんか忘れて目を輝かせていた。
ヒメルは、まずは野菜を丁寧に洗い、細かく刻んでいった。ニンジン、ジャガイモ、タマネギがまな板の上で色鮮やかに並ぶ。料理長はその横で鶏肉を一口大に切り分け、鍋に油をひいて炒め始めた。ジュウジュウと音を立てる鶏肉の香ばしい匂いが厨房に広がる。
「次はシチューのルーを作るぞ」と料理長が言うと、ヒメルは小麦粉とバターを用意し、鍋でじっくりと炒め始めた。バターが溶け、小麦粉が黄金色に変わると、牛乳を少しずつ加えて滑らかなソースを作り上げた。
最新の機器がそろった素晴らしい厨房とは対照的に、作ったのはシンプルな家庭料理だったが、ハインロット家の食卓では定番の料理らしく、料理長は満足げな表情をしていた。その料理を手に、料理長の私室に戻ると、そこには予想外の光景が広がっていた。
料理長の部屋は広々としており、豪華な調度品で飾られている。部屋の中央には大きな文机があり、その上には難しそうな書類や本が積み重ねられていた。そして、部屋の一角に置かれたソファーに、なんと司令官が何食わぬ顔で座り、近くにたたずむサイファスさんと談笑していたのだ。
「司令官⁉」
ヒメルが驚きの声を上げると、料理長が苛立たしげに言った。
「お前、なんでここにいるんだよ!」
「王子、ツルギ殿は大事なお話があるそうで、王子のお帰りを私とともにお待ちしていたのです」
料理長の右腕、サイファスさんが控えめに答えた。料理長の剣幕にちょっと焦っている。しかし当の司令官は動じることなく、ただ食べ物の匂いに鼻をひくつかせた。
「なになに? ご飯作ったの? おいしそう。ジェイスの手料理なんて久しぶり。あたしが好きなやつじゃん! 食べたい!」
好きなやつと言われて悪い気はしないのだろう。料理長は少し渋々ながらも「しょうがねえなあ」とか言いながらテーブルに料理を置いた。室内にはいつの間にかヘルミナさんが戻ってきていて、冷えたお茶が入ったグラスを三人分用意してくれた。
「で? なんだよ話って」
「ああ、それがね……」
その後、食事をしながらもごもごと語り始めた司令官の話の内容に、全員が驚かされることとなった──。