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第2話 帰還計画

 それはとても幸福な時間だった。


 清々しい林の中を通り抜ける心地よい風が、甘い花の香りを伴ってスノウの鼻腔に届いた。

 この香りの源は、自分の腕の中にいる一人の少女だ。

 彼女という存在が今ここにある。その事実が、スノウの心を静かに満たしていた。


 この時間ができるだけ長く続けばいい。

 確かなものを胸の奥に感じながら、琥珀色の髪の中に顔をうずめる。


 しかしスノウの思いをよそに、存外早くその時間は終わりを告げた。

 少女が身じろぎをして、自分の胸からその身を離したのだ。


「それじゃあ、いつ出発する?」


 少し興奮気味に言った少女の言葉に、スノウはすぐに返すことができなかった。

 正直、落胆してしまったのだ。

 少女の発した言葉に、ではない。

 スノウはこの幸せなひとときを、もう少し長く味わいたかった。

 少女から感じる心地良い温もり。抱きしめると、優しく抱き返してくる細い腕。互いの身体がパズルのピースのようにぴったりと合わさる感覚。それらが永遠に続けばいいと思っていた。だが、現実はそう甘くはないようだ。


 少し寂しさを感じ少女の瞳をじっと見つめても、司令官は何も察することなく話し続けた。


「向こうではとりあえずあたしの家に泊ればいいから、荷物はそんなにいらないよね! あとは〜……」

「い、いや、ちょっと待ってください!」


 ひとりで話を進めようとする司令官に、スノウは慌てて制止をかけた。

 まずい。こちらが感傷に浸っている間に、どんどん彼女が突っ走っていってしまいそうだ。


「そんなすぐになんていくらなんでも無理です!」

「なんで?」

「なんでって、いろいろ準備も必要ですし……。第一、まわりにどう説明するつもりですか?」

「説明?」


 司令官は心底わからないという表情でこちらを見返した。キョトンと首を傾げるそのしぐさが可愛らしい子犬のようで、スノウは思わずうっと息を飲む。だがすぐに胸中でかぶりを振って邪念を振り払った。


「ここには私の組織の仲間もいます。彼らに事情を説明せず勝手に行くことはできません。あなただって、ジェイスやサイファスたちに何も言わずにここをたつことはできないでしょう?」

「そっか、それもそうだね。ちゃんと説明していかないと、ジェイス、怒りそうだもんね……」


 とりあえず少女の同意を得られ、スノウはほっと胸を撫でおろした。


 サイファスはジェイスを新国王に擁立することに専念しているだろうからともかく。ジェイスは自らを司令官の保護者だと考えているフシがある。あいつには、司令官が自ら事情を説明しておかないと、きっと想像以上に面倒なことになるだろう。


 先刻ここで司令官と一緒にいたジェイスの様子を思い出し、スノウの胸中にもやもやとした感情が湧き上がった。


 やつは先ほど、ここで一緒に暮らさないかと、司令官にプロポーズめいたことをほざいていた。

 司令官には全くその気はないし、なんならジェイスの向けている感情に気付いてすらいない。彼女がこの王宮で、やつと暮らすという選択肢を選ぶことはあり得ないだろう。

 しかしだからといって安心はできない。

 自分も含め、司令官はこの王宮、ひいては次期国王ジェラルド・イルーク王子に庇護されている立場。その立場を逆手に取られ、自分と司令官の間に横槍を入れられるような事態は避けなければならない。

 是が非でも司令官から直接、ジェイスに最後の鉄槌……もとい、事情の説明をしてもらわなければ。



「当然、説明は必要です。しかし、かと言ってあまり時間をかけていられないのも事実……」

「え〜、じゃあ、どうしたらいいの?」


 スノウはわざと悩むようなしぐさをして見せた。そうすれば、少女がぐっと話に引き込まれるだろうと思ったからだ。


「ではこうしましょう。役割を分担するのです」

「分担って?」


 思った通り、司令官は覗き込むように聞いてくる。


「手分けをして周りを説得するのです。私はゴルダの殺し屋たちを、司令官はジェイスやサイファスといった銀郎党のメンバーの説得に当たってください。同時にあたれば、それだけ時間の短縮になります」

「そうだね! いい考え! それで行こう! そうと決まれば、さっそくお城に戻ってジェイスたちに話をしなきゃ!」


 そう言うと、司令官は完全にスノウの腕の中から抜け出して、生き生きとした足取りで林の外に向かって歩き出した。


(やれやれ……)


 遠くなっていく少女の背中に寂しさを見い出しつつ、スノウもゆっくりと歩き出す。すると不意に少女がこちらに戻ってきてスノウの腕を掴んだ。


「ほら早く! あたしたちの愛の逃避行のためなんだから!」


 そのままぐいぐい腕を引いて歩く少女。その腕の力強さに、胸の奥が温まる。

 他の誰でもなく、この少女は自分の腕を取ってくれる。それがあれば、少しの寂しさなんて忘れることができた。


(愛の逃避行、か……)


 そう簡単にことが運んでくれればいいのだが……。


 少女の揺れる髪を見ながら、スノウはあらぬ方向に向かって息を吐いた。




◆◇◆




 司令官と別れ、スノウは自分が寝かされていた居室に戻った。部屋にはソールとサンダースが残っており、先ほど司令官と打ち合わせた通り、イルムガード行きの計画を二人に打ち明けたのだが、途中からソールは不満げで、結局こちらの話を最後まで聞くことなく反対の意を強く示してきた。


「ダメ! 絶対に認めないわ!!」


(やっぱりな……)


 想像していた通りのソールの反応に、スノウは深く長いため息を吐いた。



 スノウは先ほどまで、この一室のベッドで寝かされていた。自ら自決用の毒を飲んだのだ。

 その毒は、仲間の一人であるセグレトという薬師が調合したもので、幸い解毒薬が存在する。もちろんそれが分かった上で服用したのだ。おかげで一命を取り留めることができた。

 目を覚ました時、一か月という時間が経過していたと知って驚きはしたが──。


 眠っている間に、この部屋は自分が所属する殺し屋組織ゴルダのメンバーたちの居住空間となっていたらしい。

 ゴルダには合計五人のメンバーがおり、そのうちの一人がいま目の前にいるソールだ。彼女は組織の紅一点で、殺し屋たちを束ねるリーダーでもある。

 残りの四人は全員男で、二人ずつで部屋を共有しているのだと先ほどソールから聞いた。

 スノウと相部屋になっているのは、女装が趣味という風変わりな殺し屋、サンダースだ。

 サンダースもこの場には同席しているが、ソールの厳しい態度に圧倒されて、静かに事の成り行きを見守っている。



「あなたとお嬢ちゃんの二人だけでイルムガードに行くなんて絶対に駄目よ! これからゴルダを再建していこうって時に、スノウにはいてもらわないと困るわ。グラールにいる元締めの体調が安定したら、すぐにでも迎えに行かなきゃいけないし、村の様子も確認しに行かないと。やるべきことは山ほどあるのよ?」


 ソールの言葉は正しい。

 親衛隊の襲撃で大打撃を受けたゴルダだが、アルフ・アーウの情勢が変わった今、組織が狙われる心配はひとまずなくなった。一刻も早く元の生活を取り戻そうとするのは、元締め代行であるソールにとっては当然のことだ。


「だいたい、イルムガードを追われてこの国に来たっていうのに、その国に戻ってどうするつもりなの?」


 ソールは室内の長椅子の真ん中に足を組んで腰掛け、腕組みをしながら睨みつけてくる。


「司令官はジール総督のところにいるクローンを助け出そうとしている。自分と同じ境遇のクローンたちを放っておけないんだ」

「は? ジール総督って、共軍の親玉でしょう? 助け出すって、あのお嬢ちゃん、まさか共軍に殴りこむつもり?」

「勝算がないわけじゃない。今の司令官は魔女の力を完全に使いこなせる。共軍の本部に乗り込むことだって、不可能ではないはずだ」

「そうなのか? あのお姫さま実はすげーんだな」


 横から茶々を入れられ、ソールがサンダースにキッと鋭い視線を向けた。サンダースが小さくなって黙る。


「なんだかよくわからないけど、あのお嬢ちゃんなら可能だとして、それにスノウがついていく理由は?」

「彼女が行くというのなら俺も行く」

「だから、なんでスノウが巻き込まれなきゃいけないのよッ⁉」

「俺がそうしたいからだッ!」


 そう声を張ると、ソールはぐっと言葉を飲み込んだ。

 彼女の目からは、自分と司令官が二人きりでイルムガードに行くことへの不安が見て取れる。それは組織の再建以上の、個人的な感情から来るものだということは、スノウも気付いていた。


「ソール、お前がどれだけ反対しても、俺の意志は変わらない。イルムガードに行くことは、俺自身が望んだことなんだ!」


 ソールの見開かれた茶色い目は揺れていた。そして飲み込んだ言葉はなかなか姿を現さなかった。



 ソールは魔女ルディアの一件が解決し、元の生活に戻れると思っていたのだろう。無理もない。スノウ自身もそう思っていた。だがもう元の生活には戻れない。戻るつもりもない。何故なら、自分自身が変わってしまったから。自分はもう殺し屋スノウではない。

 あの少女の隣に立つ、ただのスノウだ。



「……あなたが本当に望んでることってなに? イルムガードに行くこと? それとも、お嬢ちゃんに付いて行くこと?」


 しばらく戸惑ったように黙っていたソールが言った。


 その問いに対する自分の答えは、もう決まっている。


「言ったはずだ。司令官が行こうとするところに俺も行く。それだけだ」


 まっすぐにソールを見つめながらスノウは答えた。迷いはない。


 ソールは陰鬱な面持ちで長い吐息を吐いた。

 

「……だからって、簡単には許可できない。私は元締め代行よ。私には、組織を守る義務がある。当然、組織を構成する人材も、守る対象なの。魔女だかなんだか知らないけど、二人だけで共軍に乗り込もうなんて無謀すぎる……」


 唇を噛み、ソールは悔しそうに俯いた。だがすぐに顔を上げる。


「どうしても行くって言うなら、私も一緒に──!」

「お前までいなくなったら誰がゴルダをまとめるんだ? 俺はお前が元締めの代行をしてくれるからこそ、安心してイルムガードに行けるんだ」

「そんな──! そんな言い方は……ずるいわ……」


 再び俯いたソールは、苦しげに呟いた。

 

「……なあ、二人きりがダメなら、俺が同行するっていうのはどうだ?」


 突然、サンダースが身を乗り出し、その場の空気を一変させる一言を吐いた。


「なんだって⁉」


 思わずスノウは顔を歪めてしまった。


 ──サンダースが同行するだって? このバカでタフで救いようのない変態男が?


 スノウは嫌気がしたが、そんなことお構いなしのサンダースは、素晴らしいアイデアを思い付いたとばかりに嬉々として続ける。


「俺がスノウと一緒に行って、お姫さんとスノウがこれ以上仲良くならないように見張るよ。それならソールちゃんも安心できるだろ?」

「わ、私は別に、そんなこと、心配してるわけじゃないわよ! 私はただ、純粋に組織の為に──!!」


 ソールは口ではそう言うが、動揺しているのはスノウの目にも分かった。


「ソールちゃんは、スノウがこのまま帰ってこなくなっちまうんじゃないかって思ってるんだよな?」


 本音を言い当てられたのか、ソールがうっと押し黙る。


「だから、俺が一緒に行く。そんで絶対スノウを、ソールちゃんのところに連れて帰ってくるから! な、それならいいだろ?」


 サンダースは力強く言うが、ソールは戸惑いを隠せない様子だった。深く考え込むように目を伏せると、長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。


「……そうね、それなら……」


(おいおい、本気か……?)


「ただし、これだけは約束して。二人とも、必ず無事に帰ってくるって。ゴルダの再建には、二人の力が必要なんだから」


 スノウはうんざりしていた。サンダースが同行するとなれば、またも面倒な事態になりかねない。しかし、ソールがそれで首を縦に振ってくれるというのなら、背に腹は代えられないか。

 いやだからって、よりによってなんでこの変態女装男なんだ……?


 スノウの複雑な感情をよそに、件の変態女装男はソールの言葉に感激したように目を輝かせた。


「うん、約束する! 俺、しっかりスノウを見張る。そんでもって首に縄つけてでも、スノウを連れて帰ってくる! だからソールちゃんは安心して村で待ってて!」


(勘弁してくれ……)


 先ほどまでは、少女との二人旅に内心胸を膨らませていた。だがここに来てサンダースが付いてくるという予想外の展開。

 スノウは先のことを考え、頭痛がするほどの不安を感じた。






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