第21話 海底への序章
「うん……そう、その映像に映ってた漁船団は本物。先導していたキズのおじいさんは仕込みだけどね。サイファスさんっていうの。その人を通じて、近隣の漁師さんたちに船の上で盛大な宴会を開いてもらったんだ」
司令官の声は得意げで、いつも以上に楽しそうだ。通信の向こうからは、安堵よりも呆れが勝るような、複雑なため息が漏れ聞こえてくる。おそらくはリチャードだろう。その感情には、スノウも激しく同意したい。
ここは、窓から広い海が見渡せる、海上研究所の居住区ブロックの一室。女性警備準備班として潜入している彼らに割り当てられた居室には、スノウ、サンダース、そしてハインロット司令官の3人が揃っていた。
「……そうそう、その女性兵士もあたしたちの仲間なの。うまくみんなを誘導できていたみたいだね。……え? そうなんだ。うん、わかった。あとはこっちに任せて。絶対ジール総督を捕まえて、ユリスを助け出すから!」
司令官は力強く言い放つと、電話を切って立ち上がった。
「よし、行こう!」
立ち上がるや否や、少女は迷いなく居室のドアを開け放った。まるで待ちに待った祭りにでも駆け出すような勢いだ。
ベッドに寝転がっていたサンダースが「おいおい!」と慌てて声を上げたが、司令官は一向に立ち止まらない。スノウは直感的にその後を追った。
「司令官、リチャードはなんと?」
静まり返った廊下に出ると、司令官は急に立ち止まり、不敵な笑みを浮かべて振り返った。
「ふっふっふ、みんなで宴会してました大作戦、大成功ー!!」
親指を立てたこぶしを突き出して見せる司令官。
そんな風に言われても、スノウはどこか釈然としない。
「計画通り、ジール総督の戦時大総督就任は阻止できたよ。もうすぐ、評議会から正式に捕縛命令が下されるって」
「捕縛命令?」
スノウが問うと、司令官は頷いて答える。
「国家反逆罪。ジール総督は完全に失脚したってことだね」
「姫さんすげー。本当に総督をやっつけちまった!」
遅れて居室から出てきたサンダースが興奮気味に声を上げたが、スノウは冷静に尋ねる。
「それで、ジールは捕縛されたのですか?」
「ううん、まだ。総督は議会にはリモート参加していたみたい。本人はいま、この研究所にいる」
「──ってことは、これから総督を捕まえに行くってことだな!」
サンダースが片腕をぶんぶんと振り回しながら鼻息を荒くする。だがすぐにはたと動きを止め、「……で? 総督ってのはどこにいるんだ?」と言ってあほ面をさらした。
(まったくこいつは。相変わらず勢いだけの男だな……)
スノウはため息を一つついてから、淡々と分析を口にした。
「リモートに軍の専用回線を使っていたのなら、ジールは警備隊の管轄エリア内にいるはずだ」
「おお! そこだったら俺たちでも自由に入れるじゃん。行こうぜ!」
「いや、待て」
今にも走り出しそうなサンダースを、スノウは静かに制す。
「なんで止めるんだよ!」
「今捕まえれば、ユリスの居場所が分からなくなる」
「はあ? 海底ラボにいるってスモークの男が言ってたじゃねえか!」
「監禁場所までは特定できていない」
「そんなの、総督とっつかまえて吐かせれば──」
「俺たちがジールに構ってる間に、スモークがユリスを他の場所に移送してしまう危険がある」
「──チッ、面倒くせえな! じゃあ、どうしたらいいんだよ!」
イライラを隠さないサンダース。こいつはもともと頭を使う仕事には向いていない。スノウは深く呼吸をしてから言葉を継いだ。
「いいか、ここは海の真ん中だ。海軍部が連絡船を管理している以上、簡単に外には出られない。追われる身となったジールは、警備隊が手出しできないエリア──海底ラボに逃げ込むだろう」
スノウの言葉に、司令官とサンダースが顔を見合わせる。
「海底エレベーターの乗り口で、ジールが来るのを待ち伏せる。奴がエレベーターに乗り込んだ後を追って、俺たちも海底ラボに潜入するんだ。上手く行けば──」
「総督の方からあたしたちをユリスの元に案内してくれる!」
ひらめいたとばかりに司令官が声を上げる。
「完璧じゃん! そうと決まれば急ごうぜ!」
「うん、行こう。海底エレベーターへ!」
嬉々として明るい表情を浮かべる二人。その様子に、スノウもわずかに口元を緩める。だがすぐに気を引き締めた。
スノウの胸には、別の予感があったのだ。
失脚し、追い詰められたこの状況で、なぜジールは逃亡したのか。
逃亡し、次の一手として何をしようとしているのか。
海底には何かある。戦況を、あるいは運命を巻き返すほどの、強大な何かが──。
◆◇◆
海底エレベーター前のロビーは静まり返っていた。議会での混乱が嘘のような静けさだ。ドーム屋根から降り注ぐ陽光が、エレベーターの光沢のある外観を照らしている。その光景は、これから始まる戦いの不気味さを、かえって強調しているかのようだった。
そんな不穏な静寂の中、スノウたちはロビーの隅にある自動販売機の陰から、エレベーター前の様子を窺っていた。そして、そこに現れた人物を見て、さらに息をひそめた。
共和国軍司令長官、ジール・マクシミリアン総督。
軍服姿の数人の部下を周りに配置しながら、ジールはロビーにやってきた。警戒してはいるが、彼らの様子に焦りは見られない。それどころかジールは、堂々とした態度でそこに立っていた。背筋を伸ばし、周囲を睥睨するその姿は、失脚した国家反逆者とは思えないほど、圧倒的な威圧感を放っていた。
(……タロンはいないな)
部下と思われる者の中に、タロンの姿はなかった。
それもそうか。タロンは、この研究所に研究員として潜り込んでいるのだから、軍服を着ているわけがない。おそらく今ジールの周りにいる男たちは、一般の兵士か、もしくは海底ラボへの潜入任務についていないスモーク隊員なのだろう。
(あいつはすでに中にいるのかもしれないな……)
「あ、ジール総督がエレベーターに入っていくよ!」
司令官が小さな声を上げた。
見ると、ロビーに部下を残し、ジールがエレベーターに入っていくのが見える。研究員ではない軍服の男たちは、海底ラボの中には入れないのだ。
「俺たちも行こうぜ!」
急かすようにサンダースが言う。だが、事はそう簡単ではない。
「司令官、我々の顔を魔術で変えてください」
スノウがそう言うと、少女は一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに思い当たったように口を開けた。
「ああ、そうだった。顔を借りるんだったね。えっと、スノウはタロンで、サンダースはバイパーにして……。えっとあたしは……」
少女の動きが止まる。
「……どうかしましたか?」
「ごめん、3人目の顔が思い出せないや。タロンとバイパーは良く知っているから思い出せるんだけど~」
「おいおい、しっかりしてくれよ姫さん!」
急かすサンダースに、司令官が口を尖らせる。
「しょうがないじゃん、食堂でちょっと見ただけなんだから!」
それでも司令官は何とかして思い出そうと、まぶたを閉じて唸る。
「司令官、あまり時間が──」
スノウが再び催促すると、司令官は明るい声を出した。
「よし、分かった。これで行こう! 二人とも動かないで!」
司令官はそう言うと両手を前に突き出して、スノウ、サンダース、それぞれの胸に触れた。
次の瞬間、ふらっと立ち眩みのような感覚に襲われたスノウは、それを振り払うように頭を左右に振った。
「オッケー。これで完璧! 見てみて」
司令官の声が聞こえ、顔を上げる。だが彼女に変化はない。見て、とは何のことを言っているのだろうとサンダースを見ると、奴の顔が別人に変わっていた。
頬が少しこけ、見開かれた黒目がギョロッとしている。名前は確かバイパーと言ったか。スモーク隊員の一人のはずだ。
「うわあ、お前、スノウ? スノウだよな? すげー! 服装まで変わってる!」
サンダースはバイパーの顔でこちらを見て、ひどく驚いている。どうやら自分の見た目もサンダース同様に変化しているらしい。
「これ本物なのか?」
確かめるように触れてこようとするサンダース。スノウはその手を無言で振り払うと、ふと司令官の方を見やった。
「司令官──!?」
スノウは息を呑んだ。いつの間にか少女の姿が、想像もしないものに変わっていたのだ。
色白と言うよりは血色の悪い顔に、切れ長の黒い瞳。黒い髪は顎のあたりで切りそろえられ、唇には鮮烈な赤い口紅が引かれている。年齢不詳なその顔には、言いようのない不気味さが見てとれた。
「し、司令官? その姿は一体……?」
「ごめんスノウ。打ち合わせした顔忘れちゃって。あたしが今思い出せるの、この顔くらいなんだよ」
「誰なのですか?」
「遺伝子研究所の主任。あたしが小さい頃にいた研究所の話、前にしたことあるでしょ。名前は知らないけど、みんなから主任って呼ばれてた。毎日顔を見ていたから、今でもよく覚えてる」
遺伝子研究所──。
司令官が幼少期を過ごした、あの研究所だ。
「遺伝子研究所は、移転して海底ラボになった。あたしと同じユリヤのクローンを造っているのがその証拠だよ。主任はあの時、さらにこの研究を進めるって言ってた。だから、あの人はこの研究所に必ずいる!」
確信に満ちた表情で、少女は言った。
その顔には、自信とは別の、決意のようなものが感じられる。
過去の自分と向き合うような──。
(予定とは違うが、変更している時間はない)
どのみち司令官がこれしかできないのなら、このまま行くしかないだろう。
「なんかよくわかんねえけど、まあいいじゃん。とっとと行こうぜ! 総督を見失っちまう」
サンダースの声を合図に、スノウたちは軽く身なりを整えた。海底エレベーターのセキュリティーゲートの前までやってくると、予想通り、警備服を着た係員が二人立っている。彼らは、通行する人物を一人ひとり、その目で確認していた。
スノウは係員の視線を避けながら、後ろから司令官に小声で囁いた。
「司令官、あなたが上位者で、我々がそれに就き従う形で通過しましょう」
司令官はコクリと頷くと、表情を切り替えた。赤い唇を弓なりにし、堂々とした態度で歩き出す。その隣には、自然な足取りでサンダースが続いた。スノウは二人から二、三歩離れて、様子を窺いながら付いていった。
「おや、トウガ主任。珍しい。こんな時間にここを通られるなんて」
係員の一人が、司令官の姿に気づき声をかけた。司令官の表情がわずかに固まる。
「それに、今日は彼らとご一緒なのですね」
係員はそう言って首を伸ばし、司令官の後ろに控える二人に目を向けた。
「ええ。おかしいかしら?」
司令官は口の端を釣り上げると、平静を装って答える。
「いえ、いつもお一人でいらっしゃるのに、珍しいなと思っただけです」
係員は、司令官に続いてバイパーの顔になったサンダースをじっと見つめた。サンダースは、その視線に全く動じることなく、係員の視線をしっかりと受け止める。バカはこういう時、無駄に度胸がある。
係員は続いて、タロンとなったスノウの顔も無言で正面から見据える。
「3人で食事をしていたの。たまには若い子ともお話ししたいでしょう?」
少しでも気を逸らそうとしてか、司令官は自ら係員に話しかけた。その効果はあったようで、係員が笑顔で返す。
「はは、それはいいですね」
「もう行っていいかしら」
「はい。もちろんです。後ろのお二方もどうぞ」
にっこりと微笑む司令官に、係員も微笑み返して通路を開けた。カツカツとハイヒールの軽い音を立てながら、司令官が堂々とした足取りでゲートを通り抜ける。彼女の後にスノウとサンダースも続いた。
よし、問題なく通過できた。
内心で、スノウは胸を撫でおろした──次の瞬間。
「ああ、そうだ。一つだけいいですか?」
係員が声を上げた。
動きを止めた司令官が、ゆっくりと振り返る。それは、錆びた蛇口の首を動かすようにぎこちない。
「……なにかしら?」
「今日は眼帯をされていないのですか?」
「え、眼帯……?」
司令官にとって、確実に予想外の言葉だったのだろう。あきらかに動揺し、声が揺れている。
「ええ。トウガ主任は、いつもは右目に眼帯を付けていらっしゃいますよね。今日は何故つけておられないのですか?」
その言葉は、係員にしてみれば至極当然の、日常的な確認なのだろう。だがスノウたちにとってそれは、強烈なボディーブローのように襲い掛かった。
「え、っと……」
司令官が言葉に詰まる。スノウの背中に、嫌な汗が噴き出した。




