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司令官はまつろわない4〜帰還編~  作者: 綾部みね子


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第16話 日常の裏側で

 ──副官、なんか様子が変だったんだよな……。


 ガンデルクに向かう列車の中で、ヒメルはひとり座席に座り窓の外を眺めていた。別れ際の、元上司の様子を思い出して頬杖を付く。


 なにか言いたげにこっちを見てたような。

 まあ、表向きだけでも部下だったわけだし、しっかりやれよ。ぐらい言うつもりだった……とか?




 ──いや、ないないない。


 ヒメルはすぐに思考を振り払った。


 だってあの副官だよ?

 冷静沈着どころかテンション常に氷点下な副官が、他人と馴れ合うなんてするはずがない。ましてや相手を気遣って言葉を掛けるなんて、言っちゃあなんだがちょっと不気味ですらある。そもそも、あの人そんなことを言うようなタイプじゃない。


(気のせい気のせい……)


 本当の副官は、裏社会の冷徹な殺し屋だ。



 司令官一行とイルムガード入国後、ヒメルは彼らとすぐに別れた。自分だけはユリス邸には向かわずに、共和国軍ガンデルク基地に戻るためだ。


 車窓の外には、黄金色に輝く麦畑が広がっていた。風に揺れる麦穂が、まるで大地のキャンバスに描かれた波のようにうねっている。時折、麦畑の中にぽつんと立つ一本の木が、その風景にアクセントを加えていた。隣接する牧草地の木陰では羊たちがのんびりと草を食んでいる。なんとも平和な光景だ。


(そうそう、きっと気のせい。私に何か言いたいことがあったとしても、どうせいつもの嫌味に決まってる……)


 ヒメルは再び目を閉じ、まぶたの裏に麦の金色を思い浮かべた。副官の顔を一旦頭の中から追い払う。


 やがて、列車の速度が増し、風景が変わり始める。遠くに見えていた青々とした山々が次第に近づき、その稜線がはっきりと見えるようになってきた。そして、山の向こう側には、青く輝く海が広がっていた。


 海岸線に沿って列車が走り出すと、車窓からの風景は一変する。

 白い砂浜、打ち寄せる波、空を舞う海鳥たち。遠くには、カラフルな船が停泊する小さな漁村が見える。


(もうすぐだ)


 海の景色を眺めていると、心が少しずつ落ち着いていくのをヒメルは感じた。これでやっと、ガンデルク基地に帰れる。


 それにしても、短い間に本当に色々なことがあった。


 ごく普通の共和国軍人だったはずの自分が、司令官について祖国を離れ、魔女との戦いに加わることになるなんて。

 いまだに現実のこととして受け止めきれていない。こうやって一人の時間を過ごしていると、今までのことは全部夢を見ていたのではないかという気にさえなってくる。


 でも、あれは確かに現実だったのだ。


 ヒメルは、アルフ・アーウを出立する前に司令官に言われた言葉を思い出した。


『ガンデルクに帰ってほしいのは、そこで、あなたにしかできない特別な任務があるからだよ──』


 私にしかできない、特別な任務。

 できるだろうか、たった一人で……。


 胸によぎった不安を振り払うように、ヒメルはかぶりを大きく振った。


 できるかどうかじゃない。

 やるしかないんだ──!




 久しぶりに帰ってきたガンデルク基地は、拍子抜けするくらいいつも通りだった。

 正門に立つ守衛の兵士に身分証を提示し、ヒメルは基地の中に足を踏み入れた。

 見慣れたアスファルトの道路、その先にある無機質な庁舎。訓練場から聞こえてくる号令と、どこからともなく漂う機械油の匂い。それは、ヒメルが基地を離れる前と何も変わらない光景だ。

 あの嵐のような日々は何だったのだろう。そう思ってしまうほど、自分がここに存在しない間も、ガンデルクはガンデルクのままだったのだ。


 まあ、当然といえば当然なんだけど……。


 そう言えば、司令官誘拐事件以来、この場所を離れていた自分の処遇は一体どうなっているのだろう。急にいなくなった形になってしまい、兵舎の同室の子は心配しているはずだ。


 ヒメルは急に不安になり、兵舎に急いだ。



 女子用の兵舎の廊下は、午後の訓練や任務を終えた兵士たちの控えめな話し声と、奥のシャワー室から聞こえるドライヤーの音が混じり合っていた。

 ずらりと並ぶ個室の扉には、それぞれ可愛らしいイラストや小洒落たカフェ風のプレートが飾られており、まるで大学の女子寮のようだ。休日にはたまにお菓子を焼いているような匂いが漂ってくることもあり、ともするとここが軍の施設だということを忘れそうになる。


 廊下を歩いていると、前方から初々しい顔つきの若い女性兵士二人がやってきた。見慣れない顔。今年入ったばかりの新兵に違いない。彼女たちは、ヒメルに気づくと、少し遠慮がちに、しかし丁寧に頭を下げた。ヒメルは、軽く目礼を返し、自分の部屋へと続く階段を駆け上った。


 シンプルな文字で「ヒメル」「リリア」と書かれた花柄のプレート。そのプレートが付いた扉の前にたどり着いたヒメルは、少し緊張しながら扉を開いた。午後の柔らかな日差しが窓から差し込み、簡素な部屋の中を照らし出している。

 奥には見慣れた二段ベッドが一つ。下段が自分のスペースだ。薄い緑色の掛け布団はきちんと畳まれ、枕が壁際に寄せられている。ふと目線を上げると、上段のリリアのスペースはタオルケットが少し乱れていた。


(あれ、リリアいる。今日は非番なのかな?)


 寝具は毎朝きれいに整えてから出勤するのが決まりだ。それが乱れているということは、在室していることを意味している。


 基地の兵舎は二人部屋で、左右の壁際にはそれぞれ一つずつ、デスクとキャスター付きの椅子、スチール製の簡素なロッカーが並んでいる。自分のロッカーの扉はきちんと閉じられ、置かれた位置も、表面に刻まれた小さな傷も、何も変わっていない。向かい側のリリアのロッカーは、なぜか少しだけ扉が開いており、隙間から彼女のお気に入りの、裾にレースの付いたハンカチの端が覗いていた。


(もうすぐ、戻ってくるかもしれないな)


 そう思ったその時、背後から聞き慣れた明るい声が響いた。


「ヒメル!?」


 振り返ると、目を丸くしたリリアが立っていた。少し日焼けした頬は、驚きで明るくなっている。


「わー、本当にヒメルだ! おかえり!」


 リリアは駆け寄り、ヒメルの腕を軽く叩いた。


「た、ただいま」


 そう答えたヒメルの笑顔は少々ぎこちなくはあったが、仲の良いルームメイトに再会できたことは素直に喜ばしい。


「いやー、びっくりしたよ! しばらく隔離病棟に入院してたって聞いてたから、戻ってくるのはまだもうちょっとかかるかなーって思ってたんだよ!」

「え? 隔離病棟?」

「なんだっけ、なんとかって言う変な伝染病だったんでしょ? 基地司令官とロウ副官と、あとドライバーさんだっけ? みんな同じ病気で療養してるって聞いたけど、違うの?」


(一般の兵士にはそういう話になってるんだ──!)


 それもそうか。

 司令官の誘拐もその犯人が帝国のスパイだってことも、きっと大っぴらに言えるようなことじゃない。当事者である自分は仕方ないにしても、一般兵が知っても混乱を招くだけだと、上層部は判断したのだろう。ここはめったなことを言わない方がいい。


「そ、そうなの! 私もびっくりしたよ。まさか隔離までされちゃうとはね。でも、もうすっかり良くなったから。ほら! 見て! 今はピンピンしてるよ!」


 ヒメルは、わざとらしく元気な声を出して片腕を回してみせた。


「そっか! 良かったー! 本当に心配したんだから! 退院してからも自宅療養しなくちゃいけないくらい大変な病気だったんでしょ?」

「ああ……うん、まあ、そんな感じ。ちょっと厄介な病気だったんだ。でも、もう完全に治ったから大丈夫だよ! 心配かけてごめんね」


 ヒメルは言葉を選びながら曖昧に答えた。


「そっか……本当に良かった! でも、無理しないでね。また咳とか熱が出たりしたら、すぐに言いなよ!」


 リリアはまだ少し心配そうな眼差しをヒメルに向けながらも、迷うことなく二段ベッドの下段に腰を下ろし、クッション代わりにヒメルの枕を抱え込んだ。


「ありがとう、リリア。大丈夫だよ。それより、私がいない間、基地で何か変わったこととかあった?」


 ヒメルは自分のデスクの上にカバンをどんっと置くと、椅子を引き寄せてまたぐように座る。リリアの方を向いて背もたれに腕を乗せながら尋ねた。


「え? 変わったことって?」

「いや……、なんて言うか、いつもと違うなーとか、変だなーとか……」

「ええ? んー、そうだなぁ……。直接どうこうってことはないかなぁ……。あ、でも副司令官がなんかピリピリしてるかも」


 リリアは枕を抱えたまま、ヒメルのベッドに寝転がるようにして仰向いた。


「ピリピリ?」

「うん。ほら、急に司令官もロウ副官もいなくなっちゃったじゃない? その分、副司令官に負担が掛かってるんじゃないかな。まあ、あの人はそういう時の為にいる人なんだけどさ──」


 副司令官とはレオナルド・ハンター中佐のことだ。リリアは副司令官の執務室で庶務係をしており、ヒメルと同じく指揮官の身の回りの世話を主任務にしている。


「いつも温厚な副司令官がピリピリしているもんだから、司令部の上の人たちも戦々恐々だよ。廊下ですれ違う将官の人たちみんな険しい顔してる気がするんだよね。なんとなく基地全体もピリピリっていうかギスギスっていうかさぁ……」


 リリアはそこまで言うと、がばっと体を起こしてヒメルの方を見た。


「あ、あと沿警えんけいでちょっと事件があってさ!」

「沿警?」


 沿警とは、沿岸警備隊のことだ。


「それがさぁ、昨日、副司令官にくっついて沿警の巡見に行ったんだけどさ~」

「え、なんでリリアが? 庶務係が巡見に同行することなんてあるの?」

「だってドライバーさん、急に風邪で休んじゃったんだもん。あせったよ~。まあ運転したのは黒塗りじゃなくてジープだから良かったけどさ。黒塗りだったらヤバかったよ〜。ちょっと擦っただけでも処罰もの──」

「そ、それで? 沿警で何があったの?」

「あ、うん。巡見自体は問題なかったんだけど、監視塔から無線が入った途端、なんかざわつき始めてさ。話を聞いてると、どうも帝国側の沿岸に、車両かなんかの影が見えるって言うんだよ」

「車両?」

「うん! しかも、わざわざこっち側から見える位置に停車してるんだって! 今までこんなこと一度もなかったらしいんだけど。ほら、あそこの沿岸って、ずっと沿警で監視してるわけじゃん? そんなところにわざわざ停車するなんて、何が目的なのかなぁって」


 興奮気味に手を広げて見せるリリアの言葉に、ヒメルはわずかに眉をひそめたが、すぐに元の表情に戻した。


「へえ、それは大変だね。何かの訓練でもしてたのかな……」


 にこやかに笑いながらも、ヒメルの意識は一気に研ぎ澄まされた。ついにこの時が来た──リリアに見えないよう、深く息を吸い込み、こぶしを強く握り締める。


「──ねえリリア。前に休暇が取りたいって言ってたよね?」

「え? うん。言ってたけど……?」

「休暇、とってみない? そうだなぁ、せっかくだから、2週間くらいの長期休暇!」

「へ??」


 脈絡のない突然の申し出に、リリアは喜んでいいのか驚いたほうがいいのか、とにかくきょとんとした顔をしてこちらを見つめ返した。






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