ニンカツその二十三「天幕に映る影絵」
「トゥイユ、コンフィ、ムニエール、ポワレ。皆、狂乱している」
「ますます厄介な奴だな!」
「フレンジードッグめ、感染した獲物を放置する習性もあるのか」
「そんなん、ウチらアイツらを助けに来たんやで! 魔法で焼き尽くしてもうたら、もうアカンやんか!」
「くそっ! コンフィを止めろ! 呪文を唱えてやがる! トゥイユも来るぞ」
「……来たれ炎……我が敵……焼き尽くせ」
「トーヤ! リエットを抱け!」
「うぇえっ!? 今!?」
動転するトーヤに取り合わず、抱き抱えていた軽戦士を投げ渡すと、ラピスは両手を目まぐるしく動かし、魔力を様々な色の線や記号に変化させ、魔法陣を描き出す。
「黙して語らぬ岩よ、砂となりて口を塞げ。沈黙の砂嵐! サブルム・ニンブス・タキトゥス!」
錯乱したコンフィを追い抜き唱えた呪文に応じ、魔法陣から吹きすさぶ砂嵐が級友たちを襲う。
「げほっ! ごほっ! ぐぇえっ!」
粉塵を巻き上げる風は汗や涎の飛散も封じ込め、突進してきた獣戦士の眼も塞がせた。
「いいねいいね。そのままだよん。ジェビさんお試し効いたらバンザイん」
ジェビが首からかけた小瓶の白い粉末を、大きな皮袋に注いでよく振り、中身を勢いよくぶちまける!
「ぐぎいいいいいいっっ!?」
砂嵐の中で水筒の水を浴びた四人が苦痛の声を上げ、床にバタバタと倒れた。
砂嵐が収まるや、彼らの全身からどろりと垂れ流れ、離れていく黄色い粘液。
「な、なんだ!? 何をした!?」
「塩水を嫌がる粘菌が居てねん。ジェビさん、ぶっかけてやったのん」
「忌避物質か。よく思いついたな。そういえばフレンジードッグも感染者も水を嫌う」
「新発見やねえ。よっしゃあ! 焼いといたるわ!」
サシャが魔法でアメーバを焼却している間に、ベルガとサン・クが四人の息を確かめる。
「無事だぜ! 咬み傷やひっかき傷だらけだけどな、大きな怪我はねえぜ」
「念のためだ! 塩水を飲ませろ!」
薄めた塩水を飲ませると、吐く者もいたが、それも焼いておく。
「気付け薬だ。まずポワレを起こす。僧侶なら治癒魔法が使えるから」
「早くリエットの脚を治療しないと!」
「キヒヒ、んじゃジェビさんは精力剤やねん。コンロを使うよん」
懐から小瓶を取り出し、ポワレに嗅がせるツムギの隣で、ジェビは嬉々として背嚢から干物や粉薬を取り出した。
「奮発してサンショウウオだよん。トカゲやイモリより効き目バッチリん」
たちまち立ちこめる異臭に、皆が鼻をつまみ顔をしかめ。
「塩水より効くんじゃないか、これ?」
「目覚めたばかりで悪いなポワレ。アレを飲んでもらうぞ」
「大丈夫、あとの三人も飲ませるから」
「ぅあ……え、ごぷっ!? んんんっ、んぉぶぶぶ~~っ!?」
どろりとした煎じ汁を無理矢理飲まされ、手足をバタつかせて悶える女僧侶が哀れだった。
「慈悲深く我らを見守りたる癒しの妹神よ、この者の苦痛を取り除きたまえ……治癒」
静かな祈りと共に、傷口に添えられたポワレの手に神秘の輝きが灯る。
ほのかな暖かみを周りの者にも感じさせて、リエットの脚の傷が塞がれ、血の気も少し戻った。
「失われた脚を回復させるには、神殿で治療する必要があります。それまで保つでしょう」
「お疲れさま。大変だったな」
やはり大物を倒し解体した痕を避けて、テントを張り終えたツムギが手渡すコーヒーを受け取ると、ポワレはありがとうと微笑んだ。
「ええ。大変でした。ガストロは最後までがんばってくれたんですね。リエットにラギ、アーミアも」
「で、ナリアとテリーヌ、ビフは?」
「分かりません。ここで両頭大蛇を倒して、私たちは四階に向かいました」
治療後も眠っている三人を眺めつつ、ポワレは悔やみきれない様子で呟く。
「あの時は階層守護者を二体も倒して、浮かれていたんだと思います。誰も大きな怪我をしてなくて」
「好調だったんだな。余裕があれば引き返さないさ。オレたちだって」
「でも、引き返すべきでした。四階について通路に出て、最初の十字路……いきなりリエットが倒れて、右足がなくて!」
「敵は何だった?」
「分かりません! ビフとテリーヌさんが、地を這う怪物に弾き飛ばされたんです。それで皆、わっと散ってしまって」
「分断されたか。で、各々で脱出した」
「はい。ガストロたちは私が見つからず、リエットを担いで上に向かったのでしょう。私たちは四階で合流しました」
「三階から上り階段の間に行く途中で、別の怪物に出くわしたんだろうな。君たちは下り階段の間で疫犬。弱り目に祟り目だ」
うなだれたポワレの膝に、落ちる涙。
これ以上尋ねても新たな手掛かりはなさそうで、慰めた方がいいと思ったが。
「う、ううっ!」
「ムニエール!? 目が覚めたのね! すぐ行くから! ツムギ……心配してくれてありがとう」
「ああ、行ってやれ」
どうやら自分より適任が居ると察して、ツムギはポワレを立たせた。
「ははっ、振られたな色男よぉ」
「下心はなかったさ、ベルガ。それとも妬いてたのか?」
「いい気になんな! バカヤロウ!」
熔鉄を打ってる時より顔を真っ赤にしたドワーフ娘に舌を出し、更に赤面させると臑を蹴られた。
板金入りのブーツなので、中々痛い。
「痛てて。砂糖を入れすぎたな」
臑の痛みと甘酸っぱさに顔をしかめ、甲斐甲斐しく錬金術士の手当てする女僧侶の様子に苦笑しながら、ツムギはコーヒーを飲み干した。
「私は三番か。睡眠不足は魔法使いの大敵だぞ。誰か代わらないか?」
「お、一番だ」
「くじ運ええなあ。ウチ二番」
「ふむ。では僕がサシャ嬢に蹴られるワケか!」
「オレも三番だなー。小難しい話は勘弁してくれよ、ラピス」
「黙って本でも読んでろってんだ。オレも三番……てことは」
「ワヒヒヒ。悪いねジェビさん一番だねん」
「ラピス、代わろうぜ」
「いや、今夜中に書かねばならない記号学の課題があるのを思い出した」
「ベルガぁ」
「ゆっくり寝やがれ。こっちゃ疲れてんだ」
「トーヤぁぁぁぁっ!!」
「羨ましいけど、ここは譲るぜ相棒。イイ夢見ろよ!」
「ンヒヒ。一緒に寝よねんツムギん。快適安眠のお薬とマッサージ、どっちがいいん?」
「どっちも要らん、引きずんなぁ、意外に力持ち!? 誰か助けてぇ!」
「テントには怪我人が寝てんだ! 静かにしてろ!」
「僕たちは食事と見張りだ。しっかり食わねばな」
「火が使えるだけマシだぜ。ここは換気してる」
トーヤは焚き火から立ち上る煙を目で追い、細く割った薪を火にくべた。
こうした構造も、罠を見破る一助になる。常に観察は欠かせない。
「モロコシと豆の煮込み、パンにチーズたっぷり、んでハーブ入りの特大ソーセージや! がぶっといきや!」
「んひひひ。ジェビさんもがぶっとイキたいねん。ツムギんの」
「くっそ、テントに入るなりコレかよ!」
毛布にくるまる間もなく、ツムギの服を脱がそうとするジェビ。
「だってねん。ジェビさんもツムギんも、粘菌除けのお薬を塗るん。皆みたいにん」
「粘菌除け?」
「そよん。粘菌が胞子を播いてたん。で、皆に治療薬を塗ったねん」
「おのれ粘菌、しぶとく粘着質だな。で、オレたちも、ってわけか」
「ただねん。体の中の粘菌が悪足掻きするから、軽く狂乱するねん。あんな風にん」
「は?」
ダークエルフの言うとおり、天幕の中は異様な沈黙と興奮、熱気が籠もっていた。
「怖いの、このままじゃ眠れなくて……ムニエール、忘れさせて下さいっ!」
「コンフィぃ……わふ、わぅううん……っ」
先に休ませておいたトップパーティ生き残りの四人は、隣に眠る仲間に気づかれぬようにと、声を噛み殺し。
切なく身を寄せ合い、互いの温もり、吐息、心臓の鼓動を求め合っていた。
暗闇は怖いからと、明かりの灯ったランタンが吊ってある。
目を向ければ一目で、耳をそばだてれば丸聞こえだというのに。
膏薬が効いて狂乱した男女は、隣の様子に全く気づかないまま。
今し方負ったばかりの心の傷を舐め合う、二組の影絵が、天幕に映し出されて。
「ジェビ、お前なあ」
「ニッヒッヒッ。ジェビさん寂しがり屋なん。人肌恋しくてん。でも人は選ぶよん」
にたり、と不気味に笑いながら、膏薬の壷をツムギの胸に傾ける。
「あつっ! しびっ! かゆぅっ!?」
「粘菌除けの軟膏でぇん、ぬりぬりってぇん」
「あっ、くっ、ちっくしょ、やべ、こんなのぉっ!」
どろりとした緑色の膏薬は、肌に塗り込まれると痛痒感と興奮を掻き立てた。
忍者として一通り修行したトーヤなら、毒にも薬にも強い耐性を持つが、半妖の能力しか持たないツムギの耐性は、さほど高くはない。
「くそぉ……っ。オレも感染してたのかよ。体が熱くなってきた」
「ンヒヒ、お肌つるつるやん。めっちゃ興奮するん。ほら見てん」
「うぉっ、ローブの下、着てないのかよ! で、でか……っ!」
猫背で分からなかったが、左右に拡がるジェビの胸は凄まじい大きさだった。
滑らかな青肌の胸元に浮かぶソバカスもまた、妙ないやらしさを醸し出している。
「クヒヒヒ。自慢するほどじゃないけどねん。ニャヒ、気に入ってくれたのん?」
「調子に乗るなよぉ? お返しだ!」
「ニャヒヒヒヒぃんっ! ジェ、ジェビさんにもおくすり塗ってくれるのん?」
「ああ、塗りっこだ。ジェビも感染してるよな。ほら、効いてるか?」
「ニヒぃ……お上手ぅんっ! ジェビさんもフレンジーなん」
――ぬちゅぬちゅぬちゅ。
「や、やば、テントに映ってる。オレたちの塗りっこがぁんっ!」
「ンヒ、たまんないねん……っ! で、でもぉ、他の皆も映ってるん」
パーティ壊滅を経験したばかりの若者たちの、死からの逃避、生への渇望が、天幕の中で爆発していた。
ツムギの顔に頬ずりする、黒髪ダークエルフの汗ばんだそばかす顔。
「なぁん? ジェビさんの軟膏、もっと塗り込んで欲しいなん。まだたーっぷりあるねん」
くぽぉ。とろぉ。
小ぶりの薬壷のコルク栓が抜かれ、ツムギの手のひらに垂れ落ちる膏薬。
「分かった分かった。壷が空になるまで塗ってやるよ! あ、でも外の四人の分は残しとかなきゃ」
「フヒヒヒ。アッチには飲み薬を渡しといたん。眠気覚ましって言ってねん。交代して寝てる間に、効果が出るん♪」
黒妖精の熱く潤んだ柔肌が、ぬめりを帯びてねっとり指に絡みつく感触に、ツムギは堪らず息を詰まらせる。
「オレも飲み薬で良かったじゃん!?」
「ハヒヒ。それじゃ楽しくないねん♪ ほぉら塗り塗りっとん」
「こんにゃろおおっ!」
漏れ聞こえる三組の男女の声、天幕に映る影芝居は、より激しく動き続けていた。




