愛し子の条件
とあるライトノベルの話をしよう。
それはファンタジージャンルで、挿絵もほんわかとした感じの優しい印象があるもので、事前情報も何も知らなければスローライフだとか日常ほのぼの系だと思われるような作品だった。
タイトルも婚約破棄だとかざまぁだとか断罪返しだとかの文字は一つもなくて、なんというか優しい世界を連想させるような……ともあれ初見であればそういったふわふわした優しい話だろうと思われるもので。
イルマは前世、たまたま表紙が目について気になったからそのライトノベルを手に取って購入した。
内容は、とある少女が周囲から迫害一歩手前くらいに扱われてそれはもうこれでもかと不幸な展開に見舞われるものだった。
主人公の少女は穏やかで優しく親切なのだが、いかんせん周囲の人間がとことんまで彼女と相性が悪すぎるのか主人公はどんどん不幸のどん底へと突き進んでいくのである。
そんなドリルで地底掘り進むがごとく不幸になってくって事ある!? と思いながらも、そのうち彼女を助けるヒーローとか現れてそれこそシンデレラみたいなハッピーエンドになるんだよね……!? とハラハラしながら読んでいた。
最初はただの暇潰しに買った本だというのに、気付けば主人公が幸せになるまで途中で読むのやめるとかとてもとても……となってしまっていたわけだ。
だがしかし、主人公を助けてくれる相手はいたけれど、しかしそれでも幸せにはなれなかった。
最終的に着の身着のまま追放されて、マトモな手持ちもなければ食料もないが故に主人公は野垂れ死ぬのだ。
と、これだけを聞けば主人公かそれ本当に? と言いたくなるが、主人公はこの後今まで主人公を助けてくれた相手のところへ行って魂は幸せになりました、みたいなエンディングを迎える。
主人公目線で見ればようやくの救いでハッピーエンドかもしれない。けれど読者からするとどう足掻いてもバッドエンドにしか思えず、そういう意味でこの話はメリーバッドエンドで終わっている。
さて、そんな主人公にイルマは転生した。
ガッデム!!
と転生したと気づき自分がいる世界について心当たりがありすぎた時点でそりゃもう叫んだ。
周囲に人がいたらひそひそされるだろうから、人の滅多に来ないような森の奥深くでそりゃもうシャウトした。
なんでや!
転生するならもうちょっとこう……さぁ!? ねぇ!? と、具体的な言葉は何を言えばいいのかもわからずどうしようもない感じで誰かに縋りつきたくなる始末。
これなら正直まだ悪役令嬢に転生した方がマシだった。
だって悪役令嬢は悪役だろうとも令嬢、つまりはお貴族様。家族仲とか周囲の人間関係にもよるけれど、少なくとも衣食住の生活に困る事はない。ドアマット系ヒロインみたいなタイプじゃない限りは。
というかドアマットヒロインみたいな悪役令嬢とか流石に属性が相反しすぎてお目にかかる事はまずないと思えてくる。
その場合どう考えても冤罪ふっかけられるタイプではなかろうか。
さておき。
何が悲しゅうて最終的に死ぬヒロインにならねばならぬのか。そりゃ人間いつかは死ぬけれども。
主人公、といっても何か凄い力を持ってるわけではない。あくまでもその作品はたまたまイルマにスポットを当てられた、みたいな感じだった。
だから一歩間違ったらイルマじゃない別の誰かが主人公になっていても何もおかしくはないと言えなくもない。
だがしかし、自分はどう足掻いてもイルマという名の少女で、間違いなく前世で読んだライトノベルの主人公であった。
内容については細かく覚えてはいない。
何せ、主人公は善良なのに何でか周囲が悪意に満ちてる。落とし物を拾って届ければお前が盗んだんだろうと濡れ衣を着せられ、どこそこの家に泥棒が入ったとなれば何故か真っ先に疑われる始末。
確かにイルマの家は裕福とは言い難い。
とりあえず毎日細々と暮らしていけるけれど、カツカツである。むしろ火の車。いっそ何もかも燃えてしまえアッハッハー! くらい開き直ればいいのかもしれないが、そこまでする程でもない程度のギリギリ加減。
両親も早々に死んでしまったために、一人で暮らしているイルマの立場は村の中ではとても低かった。スクールカースト最底辺並み。それも治安の悪い学校レベル。
冗談ではない。
イルマは決意した。何をどうしたって不幸な目に遭う人生とかノーサンキューだと。
そもそもだ、そうやって今を生きてるこの現状、とことん不幸のどん底に落ちて、最終的に主人公の中では死こそが救いみたいになっていた。
死ぬ事が救いだという部分について否定をするつもりはない。人によっては確かにそういう救いがあるのは事実なので。
だがイルマはその救いを希望として生きていくつもりはなかった。真っ平ごめんである。
そもそも、作中イルマを助けてくれる存在はいたけれど、それは精霊で誰彼構わず目に見えるというものではない。
実際今も、何となく助けられてはいるのだろう。親もいないロクな仕事もなく稼ぎも微々たる物でこんなんで生活とかマジでできんの? と言いたくなるくらいの状況だというのに、イルマは何だかんだギリギリのところで生きてはいけているのだ。
これが全て自分の力によるものだとは思っていない。
店の商品を買うお金がなくとも、森の奥に行けば一応食べられる果物だとかを入手できるし、山菜やキノコも見つける事ができた。
前世のイルマはそういった事とは縁が遠かったので、山のどのあたりに入ればどういう山菜やキノコが採れるのか、というのはわかっていない。
けれども今のイルマは何となく誰かに誘導されているような感覚に従って山や森の中を進んでいけば、そこで食べられる物を見つけたりできていたのだ。
川で釣りをすれば、短時間で数匹釣れる。
釣りなんて下手をすれば時間を一日使っても釣れない時は釣れないと聞いていたけれど、イルマは今のところそういった事もない。
村の外れにある家に住んでいるイルマは、他の村人よりも森に近い位置に住んでいる。それもあって家の近くに罠を仕掛けたりもしていた。何せ森からやってくる獣がいつ家を襲ってくるかもわからないし。
だが、そうして仕掛けた罠に引っかかった獲物は、一応食べる事ができる生き物で。
村の人たちは冷たいけれど、食べる分には困らない。
とはいえ、料理は全部自分で作らなければならないので、食事のメニューはこれっぽっちも変わり映えがしなかった。とても苦痛である。
一応そこらで収穫した物を加工したりして近くの町に売りにいけば、お金も手には入る。
けれども稼ぎは微々たる量。それも当然だろう。自分一人で作った物など量に限りがあるのだから。
いっその事どっかの山とかで宝石とか掘り当てられないかなとか考えたけれど、イルマが暮らす村近くの山では鉱石が採掘できるだとかそういった話は出てきていない。あくまでも森の恵みとして食料が確保できるだけだ。
イルマの右手の甲には花のように見えなくもない痣が生まれつき存在していた。
その痣が、村の人からすると不吉に見えるらしい。というか、生まれつきそういったものがある、という人間は前世で何かしたからだろうという迷信が信じられていた。これが、イルマが迫害されている原因の一つである。
だがしかしイルマは知っている。作中のイルマは最初のうちは理解していなかったけれど、この痣こそが、精霊の愛し子であるという証なのだという事を。
どんどん不幸な立場になっていくイルマを、精霊たちは陰ながら助けていた。
そうしてその回数が増えていくたびに、作中のイルマは何となく右手の甲が温かく感じる事が増えてきているという風に気付き、そしてそこから精霊との繋がりを感じるようになる。
そうして、力のある精霊はイルマに語り掛けるのだ。
もうじき、貴方を真の意味で救い出す事ができる、と。
それがまぁ、死んで魂だけ精霊たちの国へ、みたいな展開になるわけなんですが。
周囲の人間たちに冷たくされまくってイルマはもう生きている事に希望なんて持っていなかった。両親だって死んでるし、他に頼れる誰かがいたわけではない。
ここで恋人とか友人とか他にもっといたならともかく、そういうのもいないのだ。ひとりぼっちのイルマが精霊たちに助けられていると認識し、そんな精霊たちとやがて一緒になんて聞かされれば、イルマの救いはそちらに傾くのは当然と言えただろう。
作中でイルマが何をどこまで思っていたか、前世ではよくわからなかった。
なんていうか、とことんまでお人好しで性善説で生きてるようなイルマだったから。
一歩間違ったらあまりのいい子ちゃん具合に反吐が出る、とか言われてもおかしくないくらいに、作中のイルマは善人すぎたのだ。
けれども、今ここにいるイルマは違う。
なんで親切で行動した結果犯罪者みたいな目で見られてやってもいない事の濡れ衣を着せられなければならないのか。作中のイルマはそれでも村の人たちにも何か事情があるのだわ、とか相手の気持ちを優先して考えていたけれど、今のイルマにそういった気持ちはこれっぽっちもない。
いやだって、親切にするまではいい。けれど見返りを求めてるわけでもないのに何かすっごく向こうがこっちを悪く思ってくるのなら、それこそ関わらない方がお互いのためではないか。
気に入らない奴に親切にされて村の人が苛ついて、結果こちらが嫌な思いをするのならお互い関わらない方が身のためだろう。
大体、作中で村の人たちはイルマの親切を求めていたのか? という話でもある。
作中のイルマがそんな、それこそ周囲は皆敵、みたいな村の外れで暮らしていたのは、それでもここが両親とともに生まれ育った場所だから。
唯一自分に優しくして育ててくれた両親が眠る土地だから。
思い出があるのだ。イルマには。
だが、作中ではそんなイルマを健気な子だねぇ、とか思って見てたけど今こうして自分がイルマとなって思うのは。
いやこんなクソみてぇな土地さっさと離れろよ、である。
確かにイルマにとってここは故郷だ。
けれど、両親が眠っているとはいえ、とっくに埋葬も終わって――土葬である――恐らくはもう骨だけになってる両親は土の中。
なんだったらちょっと前に埋めた場所は大雨で土砂崩れを起こした挙句、その後何やら動物たちがあつまって荒らしていたらしいので多分骨とかも掘り返されてる可能性すらある。
両親の墓があった場所はもうとっくに荒れに荒れて原型なんて留めていない。
土砂崩れの際に倒れた大木だってあったし、イルマが自力でそこを整えるとなればとてもじゃないが時間がかかりすぎる。どうせ村の連中は協力してくれないのがわかっているので。
じゃあもう諦めていっそこの村出てもいいのでは? というのが今のイルマの嘘偽りのない感想である。
お墓がなくたって、別にお祈りするだけならどこでだってできる。
両親の思い出がある土地だからとて、別にここに固執する必要はどこにもない。
だって思い出は、土地だけではない。イルマの中にもあるのだから。
その思いを抱えて生きていけば充分ではないか。
恐らくこの考えはイルマに前世があるから思えるものだろう。
そうでなければきっとそうは思わなかった。
むしろ嫌な思いばかりをしている土地に固執して生活して、いつか両親との思い出すら忘れるくらい嫌な思い出で一杯になってしまうより、さっさと新天地を求めた方が余程マシなのでは。
勿論女一人で旅をするとなると大変なのは言うまでもない。
何せ前世と違ってこちらの世界それなりにファンタジー要素のある世界だから。
移動に用いられているのは大抵馬車とかそういう系。自動車とか影も形もありゃしない。
なので飛行機とか以ての外である。船はあるだろうけれど、多分イルマが思い描くものよりは大分微妙な感じだろうと思える。
まぁ、とはいえ精霊がいる世界だ。
この村では魔法が使える者はいないようだが、もしかしたら他の所では魔法使いだとかがいて生活に魔法が根付いているとかあっても何もおかしくはない。
作中のイルマは死んだあと、精霊たちのところへ行ってそこでようやく幸せになれた、みたいな描写だったけれど死後の世界に想いを馳せるには聊か早すぎる。
生きてるうちに幸せになったっていいじゃない! というのが今のイルマの正直な気持ちだ。
そりゃあ人生山あり谷あり、良い事もあれば悪い事もあるのは当然だけど死後は良い感じになるから生きてる時は悪い事盛りだくさんだよ! とか言われて納得できる奴が果たしてどれだけいるというのか。
なんだったら手っ取り早く自殺でもしてやろうかとも思わなかったわけではない。
けれども、イルマがそれを実行しようとすると恐らくは精霊が留めるのだろう。
ことごとく何らかの邪魔が入るのだ。
生かすなら生かすで生きてる間にハッピーライフをくれよと思っても仕方が無いのではなかろうか。
なので、イルマは幸せは自ら掴むものと行動に出る事にしたのである。
要するに、村を出る。
作中でイルマが精霊の愛し子であるというのが周囲に知られるのは、後半も後半、終盤というかもうイルマが死ぬ一歩手前くらいである。
お前のような疫病神を今まで村に置いてやってたんだ、とか散々言われて村を追い出された後。
イルマがいなくなった後で、村にはとある人物が訪れるのだ。
旅人としての風貌ではあるものの、しかし高貴さを漂わせ明らかにやんごとなき身分であるというのがわかる青年は、国の神殿を任されている神官長であった。
彼は神託を受け、精霊の愛し子の存在を知る。
実は精霊の愛し子は、そこにいるだけで土地を豊かにさせる祝福を持っているのだとか。
あぁ、だからこんなちっぽけな村でも飢えだけは無縁だったのね……と前世のイルマは思っていた。
実際、作中のイルマはちょっと森だとか川に行けば食料はたっぷり手に入っていたのだ。
それは精霊たちがせっせと土地を豊かにしていたから。
疫病神だと思っていたイルマは、実はその逆だった。
その事実を知った村人たちは、最初はしかしすぐには信じていなかった。
けれども、それが真実であるとばかりに、イルマを追い出してから数日が経過した時点で収穫できる食料が減ってきたのである。
イルマが生まれたその時点で、精霊たちの祝福はあった。だからイルマが生まれる前は実際これくらいの収穫量だったとしても、今までずっと実りの恩恵を受けていた村人たちは昔の不毛な時期などとうに忘れてしまっていたのだ。
それこそ、昔は土地の開墾も精一杯だったけど、今こうして昔の努力が実ったとでも思っていたのかもしれない。というか、精霊の存在を認識できなければ自分たちの力だと思うのは当然と言える。
今までは村にイルマがいたから、精霊の恩恵を村人たちも受けていた。
けれどそのイルマは数十日も前に村から追い出してしまったのだ。
女の足でどこまで行けるか、そう大した距離ではないだろう。今から行けばまだ間に合うのではないか、そんな風に村人たちは思ったけれど、そもそも着の身着のまま追い出したのは村人たちだ。
ロクな荷物も持たせないまま追い出した。
とりあえず近くの町までなら、今までイルマも行っていた。人のいる場所へ行けば、誰かの助けはあるかもしれない。そう思ってイルマが町へ行ったなら、町で何らかの情報は得られるのではないか……!?
村の実りがイルマがいたからと知った村人たちは大慌てで町まで行ったけれど、しかしそこにイルマらしき人物が来たという話は一切なく。
もしかして、どこかでもう死んじまってるんじゃぁ……という最悪の想像を村人の一人が零したところで、場面は変わるのである。
正直今までイルマに対して冷たく当たりに当たっていた連中がこれからは食料などに事欠くのがわかりきった時点でちょっとだけざまぁと思えるものではあったけれど、しかし描写はそこで終わっている。本格的にこの後村が落ち目になっていくとかそういう事は書かれていないので、ざまぁ要素は低めであった。
近くの町へ行ったのではないか、と思われていた作中のイルマであったけれど。
しかし実際は異なる。
この頃には精霊たちとほんのり交流できていたイルマは、これでようやく彼らの元に行けると思っていたのだ。
だからこそ町がある方向とは正反対の――森を抜け、山を越え、そうしてその先にある荒野へと進んでいた。
飲まず食わずロクに眠らずでそこまで辿り着けたのは、イルマの意地というよりは精霊たちの力だろう。
けれども何もない荒野までやってきて、そこでイルマは力尽きて倒れてしまう。
だが、イルマの表情は満足そうで、
「これでようやくいけるのね……」
なんて呟いて目を閉じる。
そうして眠るように息を引き取ったイルマは、魂だけの存在となって精霊たちの元へ旅立つのだ。
イルマが通ってきた荒野、倒れた場所は精霊たちの祝福か、緑が芽吹き始めていたのであった……
と、まぁ、作中ではそういう終わりなわけだ。
そして改めて言おう。
そんな主人公にイルマは転生している。
ファッキン!!
てっきり主人公を助けにやってきたヒーローの登場か!? それにしては遅いけどまぁヒーローは遅れてやってくるっていうしな、とか思ってたけど神官長ヒーローですらなかった! 挿絵ではいかにもな風格だったのに!
ラブもロマンスも始まらない。
いやまぁ、そこまで読んでたらそんなもん始まらないのはわかってたんだけど、でもちょっと期待したのだこれでも。ページ数の残りからしてそんな展開はないってわかってても、それでも期待する事はある。
もしかしたらこれ一巻で二巻に続くとかかな? とか思ってたけど完全に一冊読み切りだった。
ちなみに後日談ぽい感じで最後の最後ではイルマが今まで存在を感じていてもマトモに見る事ができなかった精霊の面々と楽しくキャッキャしてるシーンがチラッとあったけど、正直何の救いにもなってない気しかしない。
そりゃあイルマは今まで自分を助けてくれたけどロクに姿も見えないし声もほとんど聞こえない相手とようやく楽しく関われるから幸せハッピーかもしれないけど、死んでるんですよ。
死んだあと楽しくてもさぁ……とやるせない気持ちになったって仕方がないだろう。
というわけで、イルマとしては生きている今こそ幸せにならずしてどうするのか、という思いでいっぱいなので村を出る事にしたのである。
先の展開わかってるのに何故虐げられ続ける暮らしをしなければならないのか。
自分がこの村を出た事でこの周辺の実りがイルマが生まれる前と同じ程度に戻るとしても、そんなもんは知った事ではなかった。なに、人間努力と知恵と工夫を凝らせば多少劣悪な環境でも生きてはいけるさ。イルマが生まれる前でもここで暮らしていたのだから、今更ちょっと実りが減ったとしてもまぁどうとでもなるだろう。
別に自分を常に崇め奉りちやほやしろとまではいかない。精霊の愛し子であるという事実を村の人は知らないのだから。でも、今までしてきた親切に対しての態度、あれは駄目だ。恩を仇で返すような事ばかりする相手のために、更に親切にしてやろうだなんて思えるはずもない。
そりゃあ人間だものちょっとイライラして八つ当たりをする事だってあるとは思う。でも親切にされたらありがとうって言葉があってもいいとは思うし、八つ当たりだとかでやらかしたと思ってるならごめんなさいを言えなくてどうするという話だ。
それを何か知らんが一方的に不吉の象徴みたいに認識して迫害してきたのだから、イルマが村を見捨てたとして果たして誰がイルマを責めようか。
村の言い伝えで精霊の愛し子に浮かぶ痣と多分別の何かが混ざって最終的に痣持ちが不吉みたいになったのだろうな、とは作中でも察せられたけど、わざわざ自分は精霊の愛し子ですと言うつもりもない。どうせ言ったところで村の人たちが信じるとも思えなかった。
根っから痣持ちが不吉だと信じてる相手に、でもこの痣精霊の愛し子の証なんですよと言ったところで、しかも痣を持ってる本人の口から言われて信じるはずがない。
実際村の人たちがようやく信じたのは、神官長というこんな村にはまずもって訪れる事がないようなそれこそ雲の上かと思える身分の人が言ったからだ。そしてその頃には村の近辺で採れるはずの食料が徐々に減っていたこともあっての事だ。
つまりは、実りが減ったという事実と、あとは権力者の発言でようやく信じる事になったわけで。
いくらイルマが真実を伝えたところで、イルマが村にいる以上実りはたっぷりのまま。村での立場が最低辺のイルマが何を言ったところで、村人が素直に信じるはずはなかったのだ。
イルマが町へ出かけたりした際、一日程度村を離れたくらいでは特に変化もなかった。
変化が出たのは村を追い出されたからだ。もうここにイルマが戻ることはない、と精霊たちも判断したからこそ。また後で戻ってくる、とわかっているのなら、精霊も村周辺の実りはそのままにしたかもしれない。イルマが戻ってきた時に困るだろうと思うはずだ。
神官長への神託が手遅れすぎんだよな~、と思われそうだが、実の所その神託、割と早い段階であったらしい。
それならさっさとイルマを迎えに来てくれれば、イルマは村を追い出されずに済んだのに! と思うものの、神官長がいる神殿、というか王都でもその頃色々とごたごたした事件があってそのせいで精霊の愛し子を迎えに行くというのが遅れてしまったのである。
神官長もまさか精霊の愛し子が村で迫害を受けているとは思わず、ちょっと遅れても大丈夫だろうと思ってしまったらしい。結果手遅れになったわけだが。
王都、とりわけ神殿では精霊の愛し子について広く知られているので、イルマの手の甲にある痣を見れば一発で判明するのは確かだろう。
つまりイルマが村を出た後向かうべきは、王都である。
王都なら精霊の愛し子に関して妙な誤解を受ける事もない。忌むべき子として迫害される心配は少なくともする必要がないだろう。
なんだったら、しばらく教会とかに身を置かせてもらえればなとも思っている。修道院とかでもいいのだが、とりあえずは雨風を防げる場所で暮らせれば一先ずはそれで。
王都であれば仕事も探せばそれなりにあるだろうし、そうして手に職つければ村での暮らしよりマシな生活ができるはずだ。
精霊の愛し子であれば丁重に持て成される可能性もあるけれど、そこら辺はあまり期待しない方がいいだろう。下手に期待して裏切られてガッカリするくらいなら、最初から期待はしない方がいい。
――というわけで、前からコツコツと町に物を売りに行って貯め込んだお金を町の乗合馬車で使い、イルマは王都へと辿り着いたのである。
その後の展開はトントン拍子と言っても過言ではなかった。
まず、イルマは教会へお祈りをしに行った。その際に右手の甲にあった愛し子の証である痣が見えるようにしたのは、まぁ打算もあった。
新しい生活が上手くいきますように、という祈りは早々に叶えられたのだ。
愛し子の証である痣を見たシスターたちの動きは早かった。
あっという間に神殿へ連絡されて神官や巫女に囲まれあれよあれよといううちに神官長まで出てきてイルマは精霊の愛し子であると正式に証明されたのだ。
普段は何か遅い感じのお役所も動くのがとても早かった。
イルマは故郷の村に居場所がなくなって、出稼ぎに王都に来たのだと告げればあっという間に居場所は与えられた。
出稼ぎというか一時的に教会とかそっちに身を置けないかなとも思っていたが、教会すっ飛ばして神殿に居場所を与えられてしまったのである。
着る服も最低限しか持っていなかったイルマには、すぐさま新しい服が与えられ、温かい食事も与えらえた。新しい環境にすぐに慣れないだろうから、とイルマはしばらく神殿でゆっくりする事を提案されて、とりあえず当面の間お言葉に甘える事にしたのである。
実際あまりの好待遇っぷりに「え、こんな手厚く対応されんの?」と困惑したのも事実であるので。
それもそのはず。
精霊の愛し子がそこにいるというのであれば、その近辺は大地の実りの心配がいらなくなる。
むしろどうぞどうぞ好きなだけ居てくださいとなるのは当然であったのだ。
何せ王都周辺、近年は作物が不作がちだったせいで、食料も周辺から買い取る事が増えつつあった。最初のうちはともかく、それが続くと商人だって足元を見てくる。もっと吹っ掛けても売れるとなれば、食料の値段は上がる一方。あまり高すぎると買わなくなるのでそこら辺の見極めは流石商人と言わざるを得ず、このままいけば増税か、はたまた商人を襲って強奪しようという賊の増加か、どちらにしてもロクな事にはならないだろう未来が想像されていた。
けれどもそこに現れた精霊の愛し子。
食糧問題はすぐに解決とはいかないが、それでも光明が見えたのは確かである。神殿がしっかり確保するのは当然の流れだった。
王都から少し離れた国内はまだそこまで不作ではなかったとはいえ、それでもいずれは……と思われていたのだ。そんな事実が……とイルマは巫女から話を聞いて「ほえー」と間の抜けた声を知らず出してしまっていたくらいだ。
つまり、もし作中と同じような展開を迎えていたら、この国食料問題が深刻な感じになってしかも悪化してく方向性だったというわけか……
えっ、だったらなおさら神官長は急いで精霊の愛し子を迎えに来るべきだったのでは!? と思ったけれど、何と今、王都ではとある事件が起きていてそれの解決に神官長も駆り出されているのだとか。
あまり詳しくはお話できないんですけれど……と前置かれてふわっと説明された内容をイルマの中で噛み砕けば。
婚約破棄・冤罪。
とりあえずこれだけでもう把握するのは充分だろう。
現在そんなわけで、貴族同士の派閥争いが水面下でバチバチになってる挙句、このままいけば王家と敵対する家もいくつか出てしまいそうで、正直内乱一歩手前状態なのだとか。
成程そりゃあいくら食糧問題も解決したいけど食料そのものはまだどうにかなってるなら、先にそっち片付けるわな、とイルマは大いに納得した。
やべぇ時期に来ちまったな……という思いもないわけではなかったが、しかし作中の事を思えばこの事件はとりあえず解決するのがわかっている。解決して、それからようやく神官長は精霊の愛し子を迎えにあの村にやって来たのだから。解決してなかったらそもそも来てないだろう。というか、解決してなくても来れるならまずもっと早くに来ていたはずだ。
こういう……精霊の愛し子とかって神殿で保護される展開も前世の話でイルマは知っているけれど、でも大抵その後って王家とかだよなぁ、といくつかの作品を思い出したが現状王家にイルマが保護されるのはむしろ危険でしかなさそうなので下手な事は言わないに限るなと思うだけだった。
ここで王家に保護されたいなんて言えば、今現在王家と敵対する家から何をされるかわかったものではない。むしろ精霊の愛し子を利用して自分たちの家の立場をどうにか強化しようとか考える奴が出てきても何もおかしくないのだ。
その点神殿はそういった派閥が特にないようなので、肉体的にも精神的にも安全面は高そうである。
まぁ、まったく争いがないわけではないのだけれど、けれどもそれはまだ許容範囲内だった。
本来ならばこの案件を解決させて急いで精霊の愛し子を迎えに行かねばと思っていた神官長は、しかし愛し子自らやって来た事でそういった焦りもなくなったのか事件の解決は多少早まったように思う。
作中で神官長が村にやって来た季節はもう少し先だ。事件を解決させて急いであの村に行ったとしても、今の時期から考えたら村に辿り着くのは作中より早くなるだろう。
精霊の愛し子について知っている者たちは、イルマが王都に来た事を快く受け入れてくれた。
実のところ王家で精霊の愛し子を保護しようという話も事件解決後に出なかったわけではない。
けれどもイルマは辞退した。
確かに煌びやかな生活に憧れないわけではないが、礼儀作法とか詳しくないし余計な気を使って疲れそうだとも思ってしまったのだ。
自分の立場を考えれば、ちょっとくらい失礼な事をしてもそれなりに大目に見てもらえるだろうけれど、内心で自分の立場が下方修正されるのは間違いない。そのうち飼い殺される未来に辿り着きそうだったので、イルマは我儘を言っていいのならこのまま神殿預かりで……とのたまったのである。
神殿では巫女たちがある程度世話を焼いてくれたけれど、それでも何もかもを人任せにしているわけではない。貴族の令嬢のように着替えを手伝ってもらう事はないし、お風呂に関しても自分付きのメイドがピカピカに磨き上げるでもない。むしろそんなのイルマからすれば遠慮したい事態である。
ある程度自分の事は自分でやるけれど、それ以外は好きにしていい生活。村での暮らしに比べれば圧倒的にマシであった。
仕事を、と思っていたのだがいてくれればそれでいいとまで言われてしまい、何か必要な物があれば言ってくれれば用意するとまで。
イルマが考えなしの女でドレスや宝石が欲しいとか言い出したらどうするんだろう……と思っていたものの、服はある程度新しいのを用意されているし――しかも村で着ていた物よりも上質だった――生活に使う道具は神殿に揃っている。必死にお金を稼ぐ必要性が今の所ないので、イルマはあくせく働かず手伝える範囲での手伝いでお駄賃をもらう暮らしをしていた。
あとはまぁ、村では読み書きなどする必要もなかったのもあって、神殿で新たに読み書きを教わったりだとか。
村にいた時、誰かに見せるわけでもないからとメモをする際前世の文字で充分だったが、流石にこちらでそれを見られてしまうのは問題だろうと思ったのもある。
それに折角本などが読める環境にも来たのだ。暇を潰すのに読書は打ってつけだし、読み書きができるに越した事はない。
――そうしてイルマが神殿に身を置いて一年、二年と経過した。
すっかり神殿での暮らしに慣れたイルマは充実した日々を過ごしていた。
何より神殿に保管されている本は大量で、この世界の文字を覚えてからというもの毎日のように本を読んでいるが全て読み終わるまでとなると先の長い話だ。
王都周辺の不作はすっかり解消されて以前とは見違えるくらいに収穫できるようになったし、王都に近い港では魚が獲れる量が倍以上に増えた。毎日大漁である。
王都の近くにあった村では家畜を育てていたが、その家畜も以前は飼料がダメだったのかあまり育たず、子も産まれても死産が多かったが最近はそういった事もなく動物たちもすくすく育っている。
たった二年でここまで劇的に変わるのか……と神官長は驚いていたが、食糧問題が解決したのは喜ばしい。
少し前に王都を騒がせた事件も解決し、貴族たちの派閥に若干の変動こそあれど王都は平和になりつつあった。もしあのまま解決せずに更に食糧問題も解決する見込みがなければ、今頃は周辺の国からの輸入する金額は更に上げられていたかもしれないし、そうでなくとも他国が食料援助を理由にこちらの国に政治的介入をしていたかもしれない。
最悪なのは内乱が起きた時を狙って他国が侵略……そうなれば最悪この国は滅んでいた。かろうじて残ったとしても戦に勝利する事は難しく、どこかの国の属国となっていた事だろう。
神官長は時々イルマの様子を確認するために、共にお茶を飲んだりして話をする事があった。
そういった話を聞かされて、イルマとしては「ひぇぇ……」という声しか出てこない。
作中ではそこまで書かれていなかったのだ。精々精霊の愛し子がいなくなった村は大変だろうなぁ、くらいで。
しかしもしそんな事になっていたら、全ての元凶はあの村にあり、とかなってそう。
確かに村の連中はイルマを迫害していたようなものだけど、じゃあ皆殺しにされたとしてやったぁざまぁみろキャホー☆ とまでは流石にならない。
いや、一瞬ちらっと思うかもしれないけれど、それにしたってやりすぎというか、死ぬくらいなら生きてその分償えというのがイルマの正直な気持ちである。
ほら、何かの作品でも言われるけど、破壊は簡単でも創造は難しいって言いますし……死んでそこで終わるより、生きて償えはそういう意味ではイルマは賛同できる。ただ、前世だと刑務所の中での生活がよくわからないので無駄に税金使ってメシ食わせてんじゃねーぞ、という国民の声もわからんでもない。
たまにちょっと大きなお店で刑務所の人たちが作った物を売ってたりするけれど、あぁこういうの作ったりするんだな、くらいにしかわからないわけだし。
ともあれ、もしかしたら最悪滅亡の危機もあったとなればイルマとしてはよくやった自分という気持ちにもなる。あの村についてはちょっとくらい困った事になればいい、とは思うけれど流石に国全体滅べとまでは思わないので。
作中のイルマが迫害されていたのはあくまであの村の中だけでの話であって、もし神官長があの村に少しでも早く辿り着いて作中のイルマを保護していたのなら、今のイルマのように過ごしていたに違いないのだから。少なくとも王都で知り合った人たちは皆イルマに良くしてくれている。だから、死ねばいいなんて思うはずもない。
このまま平穏な日々が続けばいいな、とイルマは思っていた。
後から考えたらこの考え、どう考えてもフラグだったんじゃないか? となったわけだが。
異変はイルマが王都で暮らし始めて五年程過ぎてからだった。
手の甲にあった精霊の愛し子の証である痣が、薄れているような気がしたのだ。
作中では迫害されて村を追い出されるより前、精霊たちもイルマを手助けしていたし、声が聞こえずとも呼び掛けていたらしい描写はあった。力ある精霊の声は聞こえても、それより弱い精霊の声は空耳か何かだと思われていたのだ。
けれども、それでも手の甲の痣がかすかに温かく感じたりして、そういう時にもしかして精霊がいるのかな? と思える感じはしていたのだ。少なくとも読者目線では。
だが王都で生活しているイルマは当然迫害されてなどいないので、そういった精霊たちがわざわざ助けるために何か力を使ったりする描写はない。
日々平穏に、健やかに暮らしているのは勿論精霊が周囲の土地に祝福を与えているからなのだけれど、その力に関しては手の甲を通じて何か感じ取れるという事はなかった。
とはいえ、何となく気になったのでイルマは神官長へ相談を持ち掛けたのだ。
「――もう、か……思っていたより早かったな……」
「え?」
神官長はまるでこの日が来ることをわかっているような態度だった。目を伏せどこか気まずそうな声を出す。
「イルマ」
「はい」
「なるべく急いでこの国を脱出しなさい」
「え?」
冗談を言っているようには聞こえず、しかし言われた言葉があまりにも予想外すぎてイルマは神官長の言葉をいっそ冗談であれとすら思った。
「そんな急にどうして」
「このままでは君が殺される」
は……と声というよりは息が漏れた。
殺される? それは随分と穏やかではない。
しかし一体誰に……?
「このままではいずれこの国の民に君は殺されてしまうだろう」
「なんで」
イルマは王都で生活している時に、誰かに喧嘩を売るような事はしていない。神殿で世話になっているのは事実だが、それでも自分でできる事は自分でやっていたし、無駄に不必要な贅沢をしただとか、精霊の愛し子であるというのを笠に着て偉ぶるような事もしていなかった。
少なくとも村で周囲が敵みたいな状況で生きてきたのだ。周囲に無駄に敵を作るような真似をこちらでするはずがない。
だというのに、それでも殺されるというのか。
一体何故。
呆然としているイルマに、神官長は少し待ちなさいと言って席を立った。
そして戻ってきた時、その手には一冊の分厚い本があった。
「これは、歴代の神官長が記録してきたものだ。こちらは今から五十年程前の神官長の手記を纏めたものとなっている」
そう言ってテーブルの上に置かれたそれは、さながら凶器にでもなりそうな分厚さである。
というか、あまり乱暴に置いたわけでもないのにドン、と重たい音が出た時点でお察しだろう。
読め、と言われてもあまりの分厚さに「えっ、これ最初からですか……? 読み終わるのにどれくらいかかるかわからないんですけど……?」と困惑たっぷりに言えば、神官長もそれはそうだと納得したのだろう。
確か……などと呟いてページを捲っていく。
急いでこの国を出ろと言われたのならこの本を最初から最後までのんびり読む時間はないだろうと思っていたが、もしかして神官長も内心で少しは混乱していたのかもしれない。
ペラペラとページがそこそこの勢いで捲られていき、恐らく神官長の目当ての部分が出たのだろう。ここだ、と言ってイルマに見やすいように向きを変える。
五十年程前の神官長、と言っていたが、どうやらこの時代の神官長は代替わりをしたばかりだったらしい。一人目の神官長は幼い頃、謂れなき理由で周囲に冷たく当たられていた人間が身近にいたが、当時は自分も幼くその人物を助ける事ができなかった事を悔いているようであった。
そしてどうやらその迫害されている人物は当時の精霊の愛し子だったらしい。
後々に成長した神官長は今思えば……という感じでその人物を思い出していた。
当時迫害されていた愛し子らしき人物がどうなったか、その頃幼かった当時の神官長は知らない。けれども迫害され続け、最後はきっとあまり大きな声で言えないような最期を迎えたのではあるまいか。
その後、例年にない程の不作に見舞われ国は大変な事になっていた。ちなみに当時の愛し子らしき人物が愛し子と確定していなかったのは、その人物は手に怪我をしていて証である痣を正確に確認できなかったから。
とはいえ、その人物がいなくなった後で起きた不作の件から恐らく間違いではないだろう、という結論になったようだ。
成人して神官長の立場になったその人へ、新たな精霊の愛し子の情報が入ってきた。
過去を繰り返してはならぬとばかりに、その神官長は愛し子を保護するべく動いた。
けれどもその時には割と手遅れで、愛し子は周囲から冷たくあたられ大きな怪我をした直後だったのだ。
それでもどうにか治癒魔法だとかで手当てをし、安全な場所で愛し子を保護していたもののその人物は結局その後死んでしまったらしい。
とはいえ、すぐに死んだわけではなく、保護されてから三年は生きていたようだ。
その間、保護していた周辺は土地が荒れていたにも関わらずじわじわと植物が育つようになっていたらしく、愛し子は死んでしまったがその後も少しなりとも植物が育つ地へと変化したそうな。
これだけを読めば、イルマが急いでこの国を出ろと言われる理由はわからない。
けれども神官長はそこから更にページを捲り、この次の神官長が記しているだろう項目へ辿り着いた。
昔はまだ精霊の愛し子の証がこういったもの、と確定していなかった事もあって、偽者が発生する事もあったのだとか。
なので偽者と発覚した時点で厳しい罰が与えられる。
最低でも鞭打ちは確定だし、最悪死罪だ。
それでも偽者は後を絶たない。それというのも、愛し子とされているうちの保証された生活だろう。
当時、外交問題による周辺の国との緊張は高まり、いつ戦争が起きてもおかしくはなかった時期があったのだとか。
もし戦争になれば、いつ死ぬかもわからない。
ただでさえ今、生活に不安を感じているのだ。それが更に今後のお先真っ暗な未来を想像すれば、嘘だろうと何だろうと一時でも何不自由しない暮らしをしたいと夢を見る者が現れても、まぁ、イルマもわからないでもないのだ。
例えば病気で余命僅かと言われた人物が、どうせ先がないなら貯金とか使って盛大にパーッと最後に楽しんじゃお! で色々散財するような気持ちだろうか。
散在し終わった後でうっかり病気が治ったりしたら金のない未来が待っているが、未来がないと言われているのだから下手に残すのもな、となる気持ちはわかる。
きっと当時の人たちもそういう気持ちだったのかもしれない。どうせ死ぬかもしれないなら今のうちに贅沢をちょっとでも……と。
まぁその結果愛し子騙ってやるのは何か違うんじゃないか? と思わなくもないが。
贅沢するにしても自分の所持している資産の中からやれと言いたい。
ともあれ、そういった偽者が現れる事が増えつつあった。
そしてそこに一人の愛し子だと名乗る者が現れた。
その人は思いつく限りの贅沢を望んだ。
実際愛し子を名乗るその人物がやってきてから本当に色々とそう思える事が発生していたので、神殿も、何だったら当時色々と大変だった王家もその愛し子を支持していたのだ。
美味しい食事。綺麗な衣装。煌びやかなパーティー。
愛し子が出てきてからというもの、近隣との仲はそれなりに緩和され戦争の危機も去っていたので王家や神殿は愛し子の願いをそれなりに叶えてきた。
だがしかし、ある時を境に愛し子の手からは証が消えたらしい。
それでも愛し子は手に同じ模様を上からなぞるように書いていた事もあって、すぐには痣が消えていると気づかれなかったのだとか。
だがしかし、ふとした時にその痣が実はインクで書かれたものだとバレてしまう。
実際本当に手に痣があった、と言う愛し子であったがインクが消えた後手の甲には痣などどこにもない状態で。
そのせいで、愛し子を騙った罪人扱いされてその愛し子は処刑されてしまったのだ。
一応今までそれっぽい祝福はあったはずだが、しかしそれらは偽者ではなく王都の別の場所に本物がいるからではないか? と思われて捜索もされていた。しかし、偽者がこうも堂々としているのだ。本物はひっそりと身を隠しているとされた。
一時期発生した偽者のせいで、本物だろうと一時的に疑いの目は向けられる。それを、本物の愛し子様は避けたのではないか、そういう噂が流れるようになったらしい。
かくして偽者とされた愛し子は処刑。
この一件から、偽者と判断されれば厳しい処罰は免れないものとなったのである。
「痣が薄くなっているとの事だったな」
「はい」
薄くなったとはいえ、痣は痣。わざわざ今見た過去の愛し子のようにインクで上から、と思ったりはしていないが、ある日綺麗に消える可能性はある。
神官長に見せれば彼は眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「恐らくいずれ痣は消える。そうなれば、本物だったとしても痣が消えれば精霊の加護も何もない。偽者とされて精霊の祝福の恩恵を失った者たちから八つ当たりで殺される事はあるだろう。
というか、その前に王家が処刑を言い渡すだろうな」
「ひぇぇ……!」
だから急いで国を出ろと言ったのか。イルマはようやく理解した。
一応本物の愛し子なのは神官長もわかっている。けれど痣が消えてしまえば、イルマに本物の痣があった事を知っている人間以外は、きっとそいつらを上手く騙した罪人だと思う事もあるだろう。その時にいくら自分は本物だと訴えても、証拠は消えてしまっているのだ。偽者が往生際悪くわめいていると思われる可能性の方が余程高い。
一部真実を知っている者がいくら庇ったところで、証明できるものが消えてしまえば大衆はそいつらも自分たちを騙していたとして最悪争いが起きる。
大惨事じゃないですかぁ……とイルマは内心でガクブルした。
神官長はそこから更にページを捲る。
「どうして愛し子の加護が消えてしまったのか。それについては数年前に調べがついた。
ここからは大体二十年程前の神官長の記述になるが……」
その代の神官長は、特に神の声を聴く事に長けていたらしい。
歴代の神官長の中でも多くの神託を受け取ったのだとか。
その時に、精霊の愛し子についても知る事ができたらしい。
そもそも愛し子がいれば、そしてそれを安全に保護できれば土地の実りについては安泰。
それもあって、国はなるべく愛し子を相手の意思で留まるようにしておきたい。無理矢理連れていけば、精霊がどんな報復手段にでるかはわからないのだ。実際無理矢理故郷から、家族や友人、それに恋人からも引き離された愛し子が過去にいたらしい。そして引き離した相手は当時名のある貴族であったが、そちらは精霊の報復かどう考えても不可解な出来事が頻繁に起こり、ついには家の存続すら難しくなってしまったのだとか。
神官長は言葉をやんわりさせていたが、その表情を見る限り一族滅亡くらいはしてそうだな……とイルマは思った。
ともあれ愛し子である。
精霊は心の綺麗な者を好む傾向にある。
なので幼い子供のうちだけちょっとだけ加護を与えられたりする者もそれなりにいるのだとか。愛し子とまではいかずとも、幼いうちだけ見守られている者はそれなりに多くいるらしい。
なので歴代の愛し子の中には生まれつきではなく後になってから痣が出現した者もいるのだとか。
イルマは生まれつき痣を持っていた。
では恐らく、精霊たちは君の魂の輝きか何かを見て惹かれたのだろう、と神官長は言う。
魂の輝き、と言われてもピンとこない。
作中のイルマであれば、そりゃああのいい子ちゃんならねぇ……と納得できるが、今のイルマは転生した、前世日本人のそこそこ俗世に塗れた人間である。
むしろそれでよく痣が出たな。
愛し子はどのような苦境に立たされてもなおその心の高潔さを失わない存在。
清く正しく美しくを体現したような存在であるとされている。
それを聞いてイルマは納得した。
あぁ、作中のイルマはそうだったかもね、と。
だが自分はそうではない。
そして先程の話の痣が消えた愛し子の話から答えに辿り着く。
「つまり、愛し子は常に理不尽な環境にあってなお心を汚さず前を向き続ける事ができる人、という事でしょうか」
「一見するとそう思われがちだが、実際は少し異なる。凛とした高潔な存在というよりは、そこに若干の愚かさを含んだ存在であるらしい」
「愚かさ、ですか」
「あぁ、過去の愛し子たちはそれなりに理不尽な環境に身を置いていた事が多いとされている。
幸せになろうと思えばなれるはずなのに、しかしその環境に自ら動いていこうとしない。そういった愚かさが精霊にとって好まれるのだとか」
「あぁ……」
余計納得した。
そりゃ作中のイルマは愛し子なわけだわ。
大体両親も友人も恋人もいないんだから、あんな理不尽な事になる村なんてさっさと捨てて新天地目指せばよかったのにそれをしなかった、って時点で納得だわ。
圧倒的光属性のお人好しで、でも現状を積極的に変えようとはしない存在。
だが自分は。転生した今のイルマは。
あんな村で一生を終えるとか冗談じゃないとばかりに村を出た。自らの手で幸せを掴もうと行動したのだ。
それでも、すぐに精霊の加護が消えなかったのは新たな土地ですぐさま上手くやっていけるかどうか……と思われたからだろうか。
かつての痣が消えた愛し子は思いつく限りの贅沢を楽しんでいた。俗世に塗れまくった欲望だらけの人間に成り下がってしまった。それもあって精霊たちは見限ったのだろう。
イルマはそこまでではなかったが、神殿でのびのび過ごしていた。
神殿に保管されていた本をこれでもかと読みふけっていた。
恐らくは、知識を蓄えていく事で精霊たちが好む無垢な存在からかけ離れてしまったのではないだろうか。
神官長が見せてきた過去の神官長の手記の纏めと神官長の話、それから自分の知識を合わせた上で出た結論は――
精霊は、可哀そ可愛い相手が推し……!
である。
多分神官長にイルマがそう告げても理解されそうにないので声には出さなかったが、なんとなくそうではないかという確信はあった。
前世では、可哀そうは可愛い、という概念が存在していた。メジャーな概念かどうかは謎だが、とにかく存在した。
前世の友人がドはまりしていたマンガのキャラで、両親を事故で亡くし幼い妹……弟だったかな? まぁともかく下の兄弟が通り魔に殺され、一人になったキャラを引き取った親戚はこれまた悪いやつで両親の残した遺産を奪いそのキャラには不遇な生活を強いて、学校ではない事ない事悪い噂が広まってそれはもう一体この子が何をした!? と言いたくなるくらいの不幸に見舞われていたキャラがいた。しかも唯一味方をしてくれていた友人は、事故に巻き込まれそうになったそのキャラを咄嗟に庇って目の前で死ぬ始末。
自分のせいで、自分がいたから。
そんな風に精神的に追い詰められるキャラを見て、前世の友人は可哀そうが過ぎる……! いっそ自分が幸せにしてやりてぇ……! と何か色々語っていた。
とはいえ、このまま不幸のどん底で絶望していてほしいとも。何か絶望顔にキュンキュンくるのだとか。
こうして今思うと、前世の友人は業の深いオタクであった。
そしてその前世の友人とこの世界の精霊とが、なんだか妙にマッチしてしまったのだ。凄い、想像するととてもしっくりくる……!
確かに思い返せば作中のイルマはそれはもう可哀そうな状況だった。あまりにも理不尽が過ぎると言ってもいいくらいに酷い環境にいたけれど、しかしそれでも健気に耐えていたのだ。
可哀そうな状況だけど、でも可愛い……! そんな風に精霊たちは思っていたのだろう。きっと。
精霊の加護は多分推しに対する課金とかそんな気持ちだったのかもしれない。
そう考えるとなんていうか……微妙な気持ちになってくる。
だって精霊の愛し子であるというのはつまり、精霊の加護があって周囲に実りをもたらすけれど、しかし当人は不幸なままでいなければならないのだ。幸せになると精霊的に解釈違いになって推しやめますとなるし、その結果痣が消える。その後、愛し子を騙った偽者として処刑された場合死んだ後の魂がどうなるかはわからない。
僕らの推しが戻ってきた! となるのか、それとももう推しやめたからその後どうなろうと知ったこっちゃない、なのか。
作中、イルマが死んだ後魂だけの状態となって精霊たちとキャッキャしているシーンは多分、友人曰くの今まで不幸だった推しを自分が幸せにしてやろうのターンなのかもしれない。
どっちにしてもだ。
思うだけならともかく微妙に弊害が出てる時点で。
「これだから人外は……」
とイルマが思うのも無理はなかったのである。
ただの人間なら精々ちょっと面倒なストーカーになるくらいかもしれないが、精霊は加護というものを与えている。そして愛し子と周囲に知れ渡ればそれなりの恩恵は確かにあるけれど、精霊が加護を与えるのを止めればその後は破滅まっしぐら。
しかも相手は人外なので人の法が通用しない。
お互い上手くやっていければいいが、そうでなければとことん迷惑な存在である。
いやまぁ、イルマ自身精霊の愛し子であることを利用していたのも事実なので完全な被害者面をするつもりはないけれども。しかしメリットとデメリットがイルマの中で釣り合わない。
ともあれ、国から出て逃げろという神官長の言葉はとてもよく理解できた。
急いで荷物を纏める事にする。
「あぁそうだイルマ」
「はい?」
「餞別としてこれも渡しておこう」
そう言って神官長がテーブルの上に置いたのは、明らかに重たいとわかる革の袋だった。じゃりっという音でなんとなく中身を察する。
「今まではいてくれるだけでいいと言っていたし、生活の大半の費用はこちらで出していた。とはいえ、君がいたおかげでもたらされた実りによる報酬がそれだけというわけにもいくまい」
本来ならばもっと用意するべきではないか、とも思っていたのだがな……と神官長は少しばかり苦い表情をしていたけれど。
「君は、働かなくてもいいと言われていてもそれでもいくつかの手伝いをしてくれた。そんな君を追い出すというのだ。せめてもの旅費と当面の生活費として受け取って欲しい」
「え、え……? 本当に、いいんですか?」
もらいすぎでは? という気がする。
だって手伝いといってもそこまで大したことはしていないのだ。
お駄賃程度に報酬はもらっていたし、それだってコツコツ貯めていたからここを出ていくにあたっての旅費分くらいにはなるはずだ。
そこから更にこの皮袋の中身を加算すれば、当面――それこそ贅沢をしなければ何年かは生活に困らないのではないか。それくらいの大金が袋の中には入っていたのである。
大丈夫かしら、これ盗まれたら大変……と別の意味で心配になってくる。
ともあれ、受け取り給えと神官長はイルマの手にその革袋を持たせる。
イルマに与えられた部屋の中は、基本的に常に片付けていたので荷造りをするにしてもそう時間はかからないだろう。
この国よりも海の向こうの大陸まで行く方が安全だろうと言われて、更には神殿から港町まで馬車を出してくれるというのでありがたく乗せてもらう事にした。
海を挟んだ向こうの大陸は、精霊信仰など盛んではないらしいので、仮にまだ痣があったとしてもそれを見られて祀り上げられたりはしないだろうとの事。そして痣が消えたからとて偽者扱いをされる事もない。
神官長には何だかんだで世話になったな、と思いつつも、イルマは神殿が用意してくれた馬車に乗り込む。
「イルマ、元気で」
「はい。神官長様もお元気で」
向こうに着いたら手紙とか出しても大丈夫ですか? と聞けば、神官長は普段滅多に変えない表情を笑みの形に変えた。普段は割と眉間に皺を寄せて難しい顔をする事の方が多い神官長の珍しい表情に、思わずイルマの口がぱかっと開いてしまう。
「あぁ、君との話は割と面白かったからな。向こうでの生活が落ち着いたら色々と聞きたい。是非手紙を送ってくれ」
「はい、はいっ、必ず!」
そんな神官長の言葉に嬉しくなって、イルマもつい笑顔を浮かべていた。
精霊の加護はいずれ消える。愛し子ではなくなる。
けれども、それで良かった。
イルマは人間で、普段目に見えない精霊と仲良くするよりは同じ人間と仲良くしていきたいのだ。
流石に愛し子として知れ渡ったこの国にいる事は難しくなるけれど、それでも神官長の言葉でイルマは独りぼっちではないと確かに思えたのだ。
前世、イルマが小説を読んで神官長とのラブもロマンスもねぇ、と嘆いていたけれど。
こうして転生して彼とそこそこの付き合いをしていても、そういった関係になる事はなかったけれど。
そもそもそういった関係になりたかったわけでもないし、イルマと神官長の関係は今のままで充分だとさえ思えた。
友と離れる事は寂しいけれど、それでも手紙でのやり取りは可能であるならば。
直接会う事ができなくなっても、手紙で繋がりがあるのなら。
イルマは孤独ではない。それだけで充分だった。
だからこそ、イルマは馬車に乗る直前に、行ってきます! と元気に告げる事ができた。
新天地での生活に不安がないわけではないけれど、それでも村にいた時に比べればきっとどこだってマシだろう。そう信じて。
ちなみに、イルマがいなくなった後、愛し子の件についてどうするのかと問えば神官長はしれっとこう言った。
「何、君と似た背格好の罪人がいないわけではない。それをちょいと偽装して愛し子は死んだと公表するだけだ」
――と。
ひえ怖ぁ……と思ったものの、愛し子が失踪とかそっちの方が周囲に面倒をかけそうなので、イルマはその偽装工作に反対などできるはずもない。
更に後日談ではあるけれど。
無事新天地に辿り着いたイルマはある程度生活が落ち着いた時点でそれこそ言葉通り神官長へと手紙を書いた。
自分の近況、そちらの国との違い。そういった、些細な話題は最初のうちだけだ。
神殿って思ってる程クリーンな場所じゃないよな……と思ったイルマは町の噂話を集めて、この国のあれこれを纏めて手紙を送る事もあった。
もしいつか、この国とあちらの国が戦争を、なんてこともないとは言い切れないし。もしそうなったら神官長と神殿の人たちだけでもせめてどうにか……という気持ちもあった。
神官長としては元気な様子のイルマに安堵していたのだが、徐々に報告書じみた内容の手紙に難しい表情をするようになったものの……
とりあえず、戦争にはならなかったが、貿易に関する事で役に立つ情報があったらしくイルマのところに届いた手紙には礼が述べられていた。
そこからはまた普通の手紙のやりとりかと思いきや……
イルマの社交性は思っていた以上に凄かったらしく、友達ができたんですよ! という内容をよくよく読めばその国でのかなり有力な貴族だったり、最近酒場で飲み友達ができました! というのをよく調べてみればお忍びで遊びに来てる国王だったり。
観劇で知り合ったお嬢さんがとても素敵な人で! という内容のお相手は向こうの国で豪商と言われている商人の家の跡取り娘だった。
知り合いのラインナップが怖い。
とはいえ、それらの情報の中には色々と有益なものがたっぷり含まれていたので、神官長もそれなりに有効活用した。
結果として。
神殿を逃げるように去っていく事になってしまったイルマは、しかし今では神官長子飼いの諜報員的立場として神殿の者からは認識されている。
本人は全く自覚がない。だってそんな扱い受けてるなんて神官長の手紙にも書かれていないので。
イルマにとってあくまでも神官長はずっ友である。