1-9:孤島経営
トマトと魚介による大商いを引き起こしてしまった翌日、私とお父様はダンヴァース様に呼び出された。
今は、屋敷の廊下で入室の許しが出るのを待っている。
ちなみに契約見直しの後、小麦が安くなった分、ハルさんには調味料、特に香辛料が買い与えられた。本人からその言葉を聞いて、とても嬉しかった。成功は、あの子がトマトソースのレシピをアレンジして味を調えたおかげだもの。
研究好きなのは、島の技師であったというお爺さま譲りかもしれない。錬金術師を名乗り、贋金で捕まったお爺さまは、晩年は竈や金物作りで島に貢献されたということだ。
ハルさんはすごい子だと思う。
ただ――私はすでに胃が重い。
「クリスティナ」
「平気ですわ、お父様」
「そうか。私は頭が痛くなってきたよ」
「…………お父様のは、二日酔いでしょうっ!?」
お父様はもうかなり島の人と仲良くなって、昨日は一緒にお酒を飲んでいた。
堅苦しい貴族らしい装束はすでに脱いでいて、つぎはぎだけど動きやすい、島の衣服をどこからか入手しています。
適応が早すぎではないでしょうか?
やがてハルさんが部屋から出てきて、私達を招き入れた。
「さて、お二人とも」
ダンヴァース様は、奥の大机から私達に向きあう。
「昨日はお見事でした。島民の間でも不人気だったトマトを、交易船へ売るとは」
「……私は、ただ売っただけです」
ほめられたのが申し訳なくて、口を挟んでしまう。
領主さまは目を細めた。
「商人なら、実績は誇りなさい。単に私は貿易に伝手があり、各地から入る作物のいくつかを、試験的に島で育てただけ。イモ類は麦よりもできやすく、すぐ島に根付きました。しかしトマトは最近、導入したもので――」
ダンヴァース様は苦笑する。
「見た目のため、あまり人気が出ませんでした。土がよいせいか、菜園で今年はかなり収穫できたのですけどね。あなたも商いをするなら覚えておいてほしいのだけど――食事に対しては、人は保守的なもの」
領主様は座ったまま礼をした。
「お礼を言わせてちょうだい、二人とも」
「娘がなしたことです。お言葉は、おそれながら娘に」
「そう。ありがとう、クリスティナ」
島で不人気のトマトをきっかけにして、割高だった小麦の買値を、少しだけ安くした。
言ってみればそれだけ。
でも――私もちょっと喜んでいいだろうか。
両肩をほんの少しすぼめた。
「光栄です」
「……その才能が、島をよくすることを願いましょう」
さて、と話題を変えるダンヴァース様。
「お二人とも、私は、島に来て二日経った島民に、決まった質問をしています。この島で、なにかしたい仕事を見つけましたか?」
被せるように、ダンヴァース様は言う。
「……流刑という処遇に、受け容れがたい気持ちもあるでしょう」
一瞬、領主様の目に探るような光が浮かんだ気がした。
……この人は、冤罪の可能性を感じているのだろうか。流刑先の領主という立場上、裁定を疑う言葉は出せないと思うのだけど。
ダンヴァース様は言葉を継いだ。
「こうも問いましょう。政争で敗れただけにせよ、本当に罪を犯したにせよ、あなた方は仕事を決めなくてはなりません。これは領主としての命令です」
殿下から婚約破棄を突きつけられた時のことが胸を過ぎる。
お父様が口を開いた。
「……貴族の当主は、結果に責任を持たなくてはいけません。流刑にされたというのも、私自身の未熟がいたすところ」
お父様は一礼する。
「どうぞ、漁師でも、農夫でも、いかようにもこの体をつかってください。歳はまだ40と少し、体は十分に動きます」
私に目を向け、お父様は目を潤ませた。
「ただ、気の毒なのは娘です。クリスティナにはどうか……望む仕事を与えてやってくださいませんか?」
ダンヴァース様は顎を引いた。
「いいでしょう。ウィリアム殿、あなたには漁業、漁師の仕事を任せます。さて、クリスティナ」
「……はい」
「あなたは、どうしますか? この島で、したい仕事はありますか?」
まっすぐに領主様を見つめて言った。
「私は……」
冤罪なんです、という言葉は喉に押し込める。
それよりも、したいことができていた。
「……島のお役に立てるかもしれません。ただ、なんと申し上げていいか」
ダンヴァース様は無言で続きを促してくださる。
「この島、ずっと違和感を覚えていました。魚がたくさんいるのに、それを捕る船がない。いいお野菜があるのに、それを料理に使えていない」
言葉を選ぶ。
緊張。
似たような経験をしたことがある。妃候補の時や、男爵領を立て直す時――これは商談だ。
「もったいないと思いました。次に、やっていないんじゃなくて、やれない理由があるのではないか、と」
ダンヴァース様の机の側には、杖がたてかけられている。
「領主様は、足がよくない。だから領民の方達の前に出て行けない。そして――」
「島民達には、残念ながら、商才はない」
あふれ出るような言葉に、領主様が見てきたこと、やってきた努力の重みを感じた。
「何世代も、島で魚を捕る暮らしを続けてきたのです。たとえ、この島が交易船の物資に麦や材木を頼り、大きく赤字を出していると知らせていてもね」
領主様は嘆息する。
「……あなたのいうとおりよ、クリスティナ。この島には魚がいて、土もいい。成功する可能性がある。でも、事業のできる人はいない」
息を呑む音は、壁際のハルさんからだった。
「物資の仕入交渉。交易船への販売。そして、魚を保存加工すること。これには……知識と体力、なによりも歩き回っても疲れない足がいるのよ。私は、少し、老いすぎました」
ダンヴァース様は深く息をついた。
問いかけたのは、これほどの人がいても、島が黒字にならなかったこと。
「……今までは、どうされていたのですか? ダンヴァース様の前の領主様は」
「流刑地には、王国から年金が出ます。10年ほど前までは、島は金貨にして数百枚の年金を受けとっていました。流刑者の受け入れは産業だったのです」
王国の貨幣単位、ギルダーに直すと数千万をゆうに超えるだろう。
『楽園島』は、流刑の収益で維持されていたのか――。
「ただし今は、遠洋に新たな流刑地が見付かりました。あなたが売り抜いたトマトをもたらしたのも、その場所です。離島での流刑より、遠方での開拓労働が理にかなうのは当然。ここに送られる流刑者も、過去7年間ではあなただけ。年金もまた、廃止されました」
流刑者は、当人にとっては災難だけど――この島には、なくてはならなかったのだろう。
「領地の赤字は、私の過去のたくわえから補填しています」
部屋の奥、大机に置かれた天秤と算盤は、商人の道具だ。
思わず喉が鳴ってしまう。
「……商人でいらっしゃったのですね」
「そうです。領主になってからは、7年が経ちました」
7年。農作物の導入や、交易船との赤字に、かなりのお金を投じたはず。
領地を整備した手腕といい、蓄えといい、大商人だったのだろう。
ハルさんが壁際から声を張った。
「りょ、領主様は、『魔女』とよばれていたくらい、すごい商人様だったのです!」
「ま、魔女!?」
領主さまはハルさんの方を見ず無表情に告げた。
「ハル、褒めていませんよ」
ハルさんが雷に打たれたように直立不動になった。汗がすごい。
後で怒られないといいけど……。
『魔女』の言葉を頭から追い出すため、私は話を戻した。
「それだけ、この島が有望とお考えなのですね」
「そうね」
ふっとダンヴァース様は笑った。
「稼ぐことだけを考えた半生でした。家族ももういない。だから爵位を買い取り、故郷の島に余生を捧げることにしたのです」
領主様は言葉を切る。
「よくわかりました。あなたの望む仕事は、島に欠けているものを補う――『商い』ですか?」
「……はい!」
「計画はありますか?」
「それは――」
息を吸って、呼吸を整える。
男爵領を立て直したし、妃教育で少しは知識も教わった。
『いいもの』であるなら、それは知られるべきだ。
「一つ、あります」
「言いなさい」
「この島には、漁船もありますし、農園もあります。商いをするのに足りないのは、魚を遠くで売れるように加工する場所です」
かつての大商人に、提案をしなければならないなんて。
気分は嵐に挑む小舟だ。
「塩漬けや燻製、そうして保存加工した魚が有望かと」
昨日のトマトは島にかなりの利益をもたらした。
けれど、実は小麦の値下げを引き出した影響が大きい。
「単価の安い食品で黒字化するには、量が必要です。有望なのは、海を埋め尽くしていたニシンかと」
領主様の口元に、確かな笑みが閃いた。
「あなたに仕事を与えましょう」
身構える私に領主様は告げる。
「それは、『経営』です」
キーワード解説
〔新たな流刑地〕
中世から近世に移行する頃、新大陸としてアメリカ、新しい航路として東回りのインド航路が開けた。
この発見からイモやトマトなどがヨーロッパにもたらされたが、新しい開拓地はやがて流刑地ともなる。
同様の流れが物語の世界でも起きており、楽園島は流刑地としての役割を失ったので、新たな産業を興さなければならない。
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続きは本日中に投稿します。