3-18:仮面
商人連合会による『総会』は、3日後に始まる予定だった。関係者の懇談、そして思惑の探り合いを兼ねた夜会は、その翌日にまず設けられる。
エンリケさんの協力で夜会に交じることができれば、各都市の代表や、『開拓騎士団』のような有力者と商談できるはずだ。
それまでの都合4日間、私達は考えられる限りの手を打つことにした。
他所の商会との情報交換は継続。北方商圏についても困っている商人へ打診し、感触を探った。
平行して、塩の実験も進める。
質の悪い『黒塩』を海水に投じて煮立て、良質な『白塩』を精製するやり方だ。
見通しは明るい。
火加減にコツがあるけれど、燃料さえ都合がつけば塩のコスト上昇を数倍から、たった2、3割に抑えられることが確かめられた。
こうなると、いよいよ燃料である木炭の確保が急務となる。
商人連合会の出方も詳細に調べた。国内の新興、中小商人は、大商会からの認可を受ければ、関税なく商いができるという。なら、『海の株式会社』を認めてもらえればいい。
もっともこちらは案の定というべきか、負担金や、ノウハウの供与を求められ、とてもではないが受け入れられない条件だった。
領主様からいただいた手紙もまた、送り先の教会を見つけたけれど――こちらも不発に終わる。宛先の神父様が不在で、数日は待つことになりそうなのだ。
そんな中、思わぬ収穫もある。
私達が先日食事屋さんに卸したニシンが、評判を呼んだことだ。
規制によって、産物の品質に商人達は今まで以上に敏感になっている。
閉め出され、王国外の商いに挑まざるをえなくなった商人達。彼らは、運ぶ価値がある高品質なものを求めたのだ。
『美味しいニシン』の噂は広がり、同じ産地のを今のうちに買い占めようという動きが出た。その樽に書かれた産地がなんと――彼らにしてみればだが――流刑地だったのである。
以前から、産地を記載していたのが幸いした。
楽園島のニシンが美味しいことを知っている商人もいて、彼らが私達の事業がきちんとしていることを証明してくれたのだ。
『流刑地』の風評をずっと気にしていたけれど、この時ばかりは拍子抜けするほどいい方に働く。
商いが続くか続かないかの緊急事態では、むしろ目立つポイントとなった。王国北の辺境という点も、北方商圏を知る人には魅力となる。
警戒したり怪しんだりした人からも問い合わせがあり、結果的に、商談や、情報交換が次々に舞い込んだ。
完全に嬉しい誤算。
こんな時でなければ、思わぬ宣伝に両手をあげて喜んだだろう。
そして社長の正体が、王宮を追放された令嬢だということは、幸いまだ知られていないようだ。少なくとも、今はまだ。
◆
「さて、お楽しみです」
エンリケさんはにっこりした。
本当に本当に楽しそうで、私とログさんは後ずさってしまう。
商人連合会が主催する夜会、その前日の朝。
私とログさんが馬車に乗ってやってきたのは、フィレス王国が置いている大使館だった。
目的はもちろん、夜会に出席する準備。来て早々、王子エンリケさんが満面の笑みだったというわけである。
「……やっぱり、俺もやるのか?」
と、ログさん。
エンリケさんが指を立てて振る。
「お洒落に気乗りしないかい? でも『夜会』とは音楽やダンス、そして料理に美酒を楽しむ社交場だよ。目的が商談でも、それなりの装いが必要だ」
金髪をかきあげるエンリケさん。
「ああ僕としては、商聖女を着飾れるだけでもよいのだけど……」
「――社長、この人で大丈夫か」
「……信じましょう、ログさん」
しかしてその腕は、確かに大したものだった。
いえ、この場合はエンリケさんが連れてきた髪結師や仕立師の腕、というべきかもしれないけれど。
「わぁ……」
鏡の中の私自身に、思わず息をのんでしまった。
海を思わせる青色のドレスが、腰からふわりと広がる。袖や肩は、身体の細さを際立させる流行の膨らみ形。装飾は目立つほど華美ではないけれど、繊細で確かな銀刺繍に彩られていた。
後ろでまとめていた茶髪は、丁寧に梳かれ直して、ボリュームが出る形で結い上げられる。付け髪まで使う念の入れようだ。
あまり派手に結わなかった王宮の頃と、印象を変える目的もあるという。
こういう装いをすると、身体の方も記憶を思い出すらしい。
背筋がすっと伸びて、歩き方や所作も、王宮にいた頃に戻っていく。
「歩いてみてください」
仕立師さんの言葉で、私は歩んだ。
両手を軽く前で組んで、上半身を動かしすぎないように。
「……お見事。確かに、社交界の花形です」
呟き、エンリケさんは目を細めた。
「良花はおのずから匂いたつという。あなたがどんなに望んでも、商才や、美貌からは逃げられないようですね」
さすがに口を尖らせた。
日差しや潮風を浴び続けたため、肌や髪はかなり誤魔化したはずだろう。髪結師さんは悔しがって、「これをお使い」と香油を差し出してきたほど。
「褒めてます?」
「ふふ、もちろんですとも。さて、ログの方はどう変わったか……」
エンリケさんが別室へ入る。
しばらくの間。
やがて手を叩く音と笑い声がして、私が呆気にとられているとエンリケさんの声が響いてきた。
「ほら、諦めて早く出て来るんだっ」
「ま、待ってくれっ」
「情けないっ! デビュタント前の令嬢でも君よりは思い切りがいいぞ」
そんなやりとりの後、ログさんが半ば引きずりだされるように私の前へ出てきた。
二人して呆気にとられように向かい合う。
「……クリスティナ、か?」
「ろ、ログさん……」
ログさんは、黒を基調とした執事風の装いに変わっていた。日焼けした肌と合わさって、おそらくは護衛兼執事といったところだろう。
亡くなられたお父様からの訓練のせいか、振る舞いや、立ち姿は衣服にまったく負けていない。
正直、とっても素敵だ。
エンリケさんは顎に手を当てる。
「ふむ。上背もあるし、背筋もしゃんとしている。所作もいい。騎士の出だとは聞いたいたけれど……ログ、よほどしっかりした教育を受けて、しかも日々忘れないよう鍛錬をしているようだね」
ログさんは肩をすくめてみせる。
「……エンリケ殿に褒められると、こそばゆいな」
「まぁ、王族だからね。品だけでなく、所作への目利きも必須と言うわけだ」
エンリケさんが数歩下がって、私とログさんに目くばせをした。
「す、すごいです、ログさん」
「あ、ああ。君もすごい……」
「君達は語彙をどうしたんだ」
だって、うまく言葉が出てこないんですもの!
エンリケさんはひとしきりニヤニヤしてから、ようやく咳払いした。
「とはいえ、だ。これだけだと、クリスティナの素顔が丸わかりだ」
「ええ。夜会には、王宮の人もいるでしょうし……」
さすがに追放された身で、素顔をさらして夜会へ行くわけも行くまい。
エンリケさんは指を鳴らす。
大使館の係員が、ビロードのクッションを運んできた。上には、3つの仮面が置かれている。
「フィレスは商業の都市国家であると共に、瀟洒の国でもあります。ここは僕の国の伝統的なやり方で、素顔を隠しましょう」
エンリケさんは微笑んだ。
「仮面舞踏会です」
あまりにもいい笑顔に『……楽しんでない?』と思ったのは、秘密。
目元を隠すタイプの3つの仮面が、窓からの陽にきらりとした。
キーワード解説
〔塩の精製〕
塩水から塩を得る場合、天日で干すことのほか、燃料で煮たてて上澄みを取るやり方もある。
後者は燃料代のコストがかかるが、不純物の少ない塩を得ることができた。
逆に天日で干す場合は混ざり物が多く、緑や茶色の色がつきがちだった。
昔のヨーロッパでは、塩漬けニシンのために岩塩窟の近くで大量の塩水が汲み上げられ、周辺の森を伐採、地盤沈下と自然破壊を起こしながら産業を支えた。
こうした白い塩はいつしか『白い黄金』と呼ばれ、『大型化した船で低品質塩の大量輸送→精製』が成立する年代まで価値は高いままだった。
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続きは10月26日(木)に投稿予定です。




