3-17:目指すべき商圏
料理屋の店主さんは、私達のニシンを本当に喜んでくれた。
季節外れのニシンは味が落ちるものだけれど、『海の株式会社』のニシンなら、臭みもなく、本来の香りも保っている。都には都の料理があるもので、店主さんは次来た時に美味しいニシン料理を割り引くとまで申し出てくれた。
近々、みんなと一緒に訪れようと、私は決意を固くする。
――やっぱり、商いが好きだ。
欲深い面もある。
儲けを目指すためには、嘘や策略だって必要だ。でも『いいもの』を売って喜ばれることの全部が、悪いことだとは思えない。
「さて――」
私は、逗留する一軒家の広間にいる。
ハルさんは『試したいこと』があるそうで、帰った後いそいそと別室へこもっていた。ログさんと同じように、ハルさんも状況を打開できる術を探しているらしい。
他のみんなも外出中である。
一軒家の広間には、ここ数日でさまざな情報が集められていた。
体調不良で動けなかった間に、みんなが商談や情報交換を通じて、意思決定をするための材料を集めてくれたのだ。
両手で頬をぴしゃりと叩く。
帰ったきたら、きちんとお礼を言おう。
結った髪を結び直して、気持ちを立て直した。
唸りながら、私は今回の規制が与える影響を、二つに整理した。
そもそもは関税による外国商人や、中小、新興商人の閉め出しである。以降、神聖ロマニア王国の商いは、大商会が独占することになるはずだ。
これから、金貨の表と裏のように、二つの現象が起こるだろう。
一つは、商人連合会の権力が強まること。
もう一つは、その範囲が狭まるということ。
今まで商人連合会は、楽園島よりずっと北の国から、西方都市の一部まで、多くの都市が加盟していた。けれども神聖ロマニア王国を中心とする商圏から、急に閉め出されたらどうなるだろう?
ギュンターさんの言葉じゃないけど、『付き合っていられるか』となるのが当然だ。
互恵主義というのだけれど、関税や貿易上の取り扱いは、持ちつ持たれつ。大商会がライバルの閉め出しに動くなら、閉め出された方は商人連合会を抜けていくはずだ。
私は顎に手を当てる。
「……穀物や、塩、そうした必需品を仕入れている所は、すぐには脱退はできないでしょうけど……」
頭を過ぎるのは、エンリケさんの顔だ。
販売用の株式会社を作って北方商圏に参入すると言っていたけれど、そうした人には有利な面もある。なぜなら商人連合会の船が抜けた穴を、彼らが埋めることになるからだ。
問題は――
「運ぶものがないこと」
私は地図の載った机に、両手をついた。
「あらゆる物資は、ここ、リューネを起点に貿易されてる」
楽園島にとっての塩がそうだ。
商人連合会が作る『白塩』はリューネを発している。ギュンターさん達が行っていた材木と穀物の取引も、起点はリューネだ。
生産には原材料が要る。
原材料の仕入ルートは、商いを縛る鎖のようなもの。多数の原材料が通過する場所、リューネを押さえているのが商人連合会の強みなのだろう。
逆に言えば、である。
「リューネを通して卸されている原材料を、他から仕入れられれば――商人連合会の影響はなくなる」
ぱちん、と頭で算盤の音が弾けた。
できるだろうか?
海峡を東西に隔てる巨大な半島、その西側の根元にリューネはあった。
地図の上、リューネから指を走らせて、北の海峡へ向かう。
楽園島のニシン。北方やシェリウッドの材木。『開拓騎士団』の鉄や炭。
北方の産物は様々なのだが、いずれも主要な取引先はリューネだ。もちろん仕入の航路がそのまま販売の航路だから、売り先としても重要である。
「でも……」
違った考え方もある、と思う。
地図に沿わせた指を、北方の海から南へ戻す。
北の産物は、ほとんど全てリューネへ運ばれていた。
内陸、神聖ロマニア王国内へ行くものもあるけれど、一部は航路を戻る形で北へ向かっている。わざわざ北からリューネへ運びつつも、リューネから北へ流れる動きもあるということだ。
材木や、木炭、毛皮などなど――産地が北方であるにも関わらず、リューネが間に入るのは、行き来するのが商人連合会の船だからだろう。かつて北方商圏が潰された時に、北方を結ぶ航路も丸ごと整理されてしまったのかもしれない。
また、リューネは交易の要衝だから、常に船が出入りする。
多くの商いのチャンスがあるリューネへ一度運ばれるのは利があることだ。さまざまな物資を一箇所に集めることは、需要に応じて各地へ送るのに都合もいい。
つまり、今は北方同士で交易することは少なく、売りも買いもほとんどリューネ相手だ。
私はふっと息をつく。
重ね重ね、領主様には感謝しなければいけない。
『北方商圏』という言葉を教わってから、私はこうした産物の動きもまた領主様から習っていた。出発前に預けられた手紙は、その知識を補強するためのものだろうか。
「北方で、北方の産物に需要があるなら、リューネを通す必要はない。これを機に、互いの貿易を活発にすればいい」
もちろん簡単にはいかない。
リューネに集まっていた産物の流れを、一度バラバラにして、組み立て直すような、途方もない構想が必要だ。
でも過去、それを目指した商圏がある。
仮に実現すれば、航路が増える。『楽園島』にとっては塩漬けニシンの販売経路が増すことにつながる。
ごくり、と喉が動いた。
産業が人とモノを次々と引き寄せる。
大勢に意識されつつも、生まれなかった商圏。生き残るため、改めて必要となったらどうだろうか。
「北方商圏……」
私は呟いた。
商人連合会は、邪魔な商人から大陸の商いを切り離そうとしている。
でも切り離されたところが、消えていくとは限らない。むしろ生き残るため、互いに商いを始めて、強くなるかもしれない。
私は額を指先で叩いた。
すでに同じ可能性に気づいて、動いている人はいるだろうか?
エンリケさんのフィレス王国はやりそう。『開拓騎士団』はどうだろうか。他の毛皮や材木の産地は。
もし私と同じことを考えている人がいれば、そこが、次の塩漬けニシンの売り先だ。
「よしっ」
私は地図を見ながら、算盤を弾き続けた。
どの場所に製品を売るかによって、当然ながら輸送費が変わり、値段は変わる。交易して得られる産物は、島の近く、シェリウッドや聖フラヤ修道院にとっても良いものであった方がいい。
もちろん商人連合会も、黙ってはいまい。
近々、きっと北方商圏にまつわる商談が巻き起こる。リューネの代わりを探して。
その時にどの程度の値段で売れるか、どの程度の輸送費がかかるか、楽園島の近くから一緒に運べる産物は何か、頭になければ話にならない。
気づくと、日が暮れていた。
外も薄暗い。そろそろ、外に出ていたみんなが戻ってくる頃だろう。
「クリスティナ様」
ハルさんが部屋から出てきた。
「ハルさん――」
「今、お時間いいでしょうか? やっと、うまくできたのです」
「え、ええ……」
招かれて部屋へ行く。
そこにはいくつかの実験道具が置かれていた。小鍋に、ガラス瓶、そしてランプ。
まるで錬金術師の実験場である。
ついさっきまで使われていたのか、ランプの側には火打石が置かれていた。つんと魚の香りがするのは、島で少量作られている魚油を用いたからだろう。
「これを」
ハルさんがお盆で持ってきたものに、私は目を見開いた。
「真っ白い、塩……?」
「はい。ハルが、作ったのです」
私は混乱した。
「ちょ、ちょっと待って。作った? 市場で、『白塩』を買ったのではなくて?」
商人連合会が卸す白塩は、彼らに独占されている。
でもハルさんは、あっさりと『作った』と言ったのだ。
「できるかどうか、わからなかったのです。でもエンリケさん達に、器具や材料を買ってもらって……」
ハルさんはテーブルの隅に置かれた皿を示す。そこには茶色の塩――質が悪くて塩漬けには使えない、『黒塩』が盛られていた。
「あの黒塩を、ハルは安く買ってもらいました。それを、くんできてもらった海の水で煮たてて、上澄みをとったのです」
「あ――」
声が出た。
盲点だった。
今まで、私は『買ってくる』ことだけを考えていた。『白塩』を売ってもらえなくなるから、主要な材料が手に入らなくなってしまう、と。
「精製した、ということ?」
「はい! おじいちゃんのやり方を、思い出してみたんです。純度が悪い金属とか、お薬とかは、溶かしてから上澄みをとると……」
私は、もう少しでへたり込んでしまうところだった。
「ハルさん……」
「は、はい? やっぱり、ダメでした?」
「とんでもないわ! ありがとう!」
私はハルさんを抱きしめた。
「……確かに、私、動転していたかも。塩なんだから、『質が悪い塩を海水に戻して、煮たてて上澄みをとる』――このやり方なら、島でも白い塩が作れるかも」
抱きしめられたハルさんは、目を白黒している。
「は、ハル、まだちょっとしか試してないですけど……」
「ええ。実際のコストは調べる必要があるけれど――採算が合う可能性が、ずっと増したわ」
このやり方の長所は、塩水の濃度だ。
海水を樽一杯煮立てても、塩は匙ほどしか取れない。
けれども、質が悪くても、塩は塩。
『黒塩』を海水に溶かして、ハルさんのように上手に精製すれば、上澄みだけ――つまり『白塩』だけが手に入る。それも海水の時よりも、ずっとわずかな量を煮立てるだけで。
「私だけじゃ、きっと思いつかなかった」
「そんな――!」
家の扉が開く音がする。私とハルさんが迎えにいくと、エンリケさんとギュンターさんが帰ってきたところだった。
私は、ハルさんの発案について話す。
二人は顔を見合わせて、やがてにやっと笑った。ギュンターさんが口を開く。
「……なるほどな。うまくいきそうだとは思っていたが、本当に上澄みをとって白くなったか」
お二人は、すでにハルさんから実験を聞かされていたらしい。私に伏せていたのは、うまくいくか未知数だったこともあるけれど、治療に専念させるためだったようだ。
……改めて、気を遣われていたようで、恥ずかしい。
確かにこれを知っていたら、私はすぐにでも算盤を弾いてしまったと思う。
有力なやり方だけれど、新しい課題ができてしまうのだ。
エンリケさんも微笑する。
「黒塩なら安いですし、調達もできるでしょう。ただ――」
私は頬に指を当てた。
「そうなると、次の問題は燃料です。塩そのものを海水に投じているから、濃度が高くて、煮たてる量も少しで済む。でも生産が始まったら、毎日のようにやることになる。結局は島だと木が足りないし、シェリウッドの森も林業用の木を切ってしまうわけにはいかないし……」
そこで、また玄関が開いた。
入ってくる姿に、私達は目を見張ってしまう。
「ろ、ログさんっ!?」
姿は別れた時のままだったけれど、一つだけ違う点がある。
右側の頬が真っ赤に腫れているのだ。
「け、怪我を――」
「いや、平気だ。ちょっと商人同士が言い合いになっていて、仲裁したら、こっち側に一発もらってしまった」
ハルさんから濡れた布を受け取って、ログさんは頬を拭う。そのまま濡れ布を頬に当て続けた。
「だが、なんとか収穫にこぎつけた」
「え……」
「仲裁した片方の商人が、なんとも、開拓騎士団の一人だったんだ。助けた礼か、色々と情報が聞けた。副団長のフーゲンベルクという方が、父の友人だったかもしれない。流刑される前、俺にもよくしてくれた方だ」
私とエンリケさん、そしてギュンターさんが顔を見合わせる。
開拓騎士団は、開拓地のため、大量の林産品を出す。
その中の産物が――『木炭』なのだ。
「塩と、炭――」
結びつかないこの2つだけと、精製という工程を通すことで、『白塩』という重要な原材料と繋がる。
木炭は塩を煮立てる燃料に最適だ。
ログさんは不思議そうな顔をする。
「――どうした?」
「え、いえ……」
私は首を振った。
「ありがとうございます、みんな、それにログさん。私が動けない間に、こんなに情報や、商談をしてくださって」
自分が恥ずかしかった。熱を出している間に、焦って、みんなへろくに『ありがとう』も言えていなかった。
戸惑ったようになるログさん。
「あ、ああ。だが、俺の方は、まだ商談にこぎつけたわけじゃない。副団長とは縁がありそうだが、時間を作ってくれる確約までは得られなかった。一応、俺の名前を、副団長に伝えてはくれるらしいが……」
私は腕を組んで考えた。
エンリケさんが手を挙げる。
「あー、ええと。いいでしょうか?」
ごほんと咳払い。
「フィレス王国の伝手を使って、商談の場を提供できるかもしれない」
驚く私に、エンリケさんは微笑した。
「『会議は踊る』というでしょう? この手の総会は、領主層まで集まるから、会議の節目には必ず夜会が挟まる。この時ばかりは王子の身分で、僕と、僕がエスコートするご令嬢、そして――そうだな、護衛代わりの一人くらいは夜会に潜り込めるかもしれない」
エンリケさんは肩をすくめた。
「これほどの混乱だ。どのみち、夜会でも商談は継続でしょう。そして有力者は必ず来る。どうだろう、商聖女、そして騎士で、彼らの夜会に潜り込むというのは」
お読みいただきありがとうございます。
続きは10月24日(火)に投稿予定です。




