3-16:開拓騎士団
クリスティナ、と呼ばれた気がした。
夢の中で、私は薄く目を開ける。即座に夢と気づいたのは、あまりにも懐かしい光景だったから。
温かい日差しが注ぐ机に、帳簿が広げられている。すでに失った領地――フェロー男爵領の『帳簿』だ。
細く白い指が隣から伸び、数字を示す。
ここは『債権』、ここは『棚卸資産』、そんな言葉と共に指は次々と帳簿の項目を教えていった。
今ではすべて意味がわかるけれど、当時はなんのことだかわからなかっただろう。私が隣を見上ると、お母様が微笑んでいた。
――詩や作法より、まずはこっちを教えてほしいなんてね。
私はお母様から、7歳の頃に商いを教わった。
帳簿は、まるで生き物だった。季節によって中身を変えながら、新しい産物を仕入れ、外へ売り出し、また仕入れをする。フェロー男爵家の帳簿は、いかにも辺境らしく、草を食む牛のようにのんびりと在庫を回転させていた。
『面白い!』と思ったこの数ヵ月後には、もう計算を手伝っていたと思う。
――あなたがどんな商いをするか、楽しみだわ。
お母様はそう言って笑う。母娘は同じく茶髪で、お父様は並んで座る私達を姉妹のようだといって目を細めた。
それから1年もしない内に、お母様は亡くなってしまう。結婚される前の商いや、故郷のことを、少しは話してくださった。けれど、今でももっと話をしたかったと思う。
やがてお母様を奪った疫病は、不作と共に嵐のように領地を襲った。
商いの教えと心得があったから、乗り切れたのだろう。
どんなに絶望的に見えても、過たずにつけた帳簿は、資産を切り売り、転用し、負債を返済する可能性を示し続けていたから。
――クリスティナ。
次に聞こえた声は、ずっと乾いて、しわがれて、でも温かみがある。
同じように商いを習った経験は、ごく最近。
楽園島だ。
領主様はお母様と同じような手つきと口調で、『海の株式会社』の帳簿を指し示す。
夢は、いつの間にか回想になっていた。記憶の中の領主様は、立ち上がり、窓辺へ寄る。きっと海を見ていたのだと思う。
――あなたのような人を、弟子にとったことがあります。
弟子、か。お母様やダンヴァース様もいた女商人という区分けに、私もまたいるのかもしれない。
『帳簿』を通じて、商人同士が結ばれている気がして、なんだかおかしかった。商人は、債務、債権という縁で結ばれている。
私もまた、お母様やダンヴァース様に、恩という借りがある――。
「クリスティナ様」
呼び掛けられて、急に意識がはっきりした。
目を開くと、眩しい。もう朝になっているようだ。
ベッドの傍らでハルさんが目を丸くしている。
「びっ、びっくりしました。頭の布を取り替えようと……」
「私は――」
半身を起こして、体がずいぶんと楽なことに気が付いた。
額に手を当てる。あんなに感じていた熱が、去っていた。
……みんなの前で熱を出してから、どれだけ経ったのだろう。
ハルさんは眉を下げて、落ちた布を拾った。
「大丈夫ですか? 昨日は、急に倒れられたのです」
「ああ……」
そんな覚えもある。長旅に加えて、島でもずっと気を張っていた。その疲れが出たのだろうか。
ハルさんは片手に新しい濡れ布をもち、隅のテーブルには朝食らしい麦粥があった。
情けなくて、申し訳ない。
「ありがとう、ハルさん。心配おかけしました」
ベッドから降りようとすると、ハルさんが目をまん丸にする。
商人連合会の関税に、生産統制。
事態を思えば、リューネでの情報収集や商談などなど、やるべきことは山積みだった。
「みんなは?」
「は、ハル、今日はずっとお宿にいるので、なんなりと! 情報収集は、ギュンターさん達やログがやるので、お気になさらず!」
走ってきて、両拳をぶんぶんするハルさん。
大方、みんなから『クリスティナを外へ出すな』と言われているのだろう。
小さな体で前を塞いで、私を休ませる気満々だ。
しばらく、視線での攻防。ふっと口元が緩む。
奇妙な言い方だけど、守ってくれているような気がした。ここで無理をしてまた熱を出せば、それこそ損。
「頼りにしてますよ」
「は、ハルも、頑張りますから! おっきな船に乗ったつもりで、ぜひ楽しみにお休みをっ」
ピンチなはずなのに、ハルさんの言葉にくすりと笑ってしまった。
◆
……そういうわけで。
私がまともに動くことが叶ったのは、熱を出してから3日目のお昼だった。
さすがに発熱の2日目はもう動こうと思ったのだけど、全員総出で止められた。
体調管理を怠った私のせいとはいえ、口も尖らせようというものである。
しかも『私の顔を知っている人』と出くわすのを避けるため、商会の近くへは行けない。当然ながら、商談もまだダメだ。
せいぜい市場調査を兼ねて、宿近くの食事場に行くくらい。
「もう治りましたのに」
「そういうなよ」
文句を言うと、ログさんに苦笑されてしまった。
宿近くの食事場で、私はログさん、そしてハルさんとカウンターに並んで座っている。
なお、ギュンターさんとエンリケさんは、別行動。それぞれ協力者に伝手があるらしく、今日も交渉へ行っているのだ。
水を飲みながら、ログさんがぽつりと言う。
「……やっぱり、本物の商人はすごい。こんな大きな街にも人脈があるんだな」
隣では、ハルさんがイマイチなお味のニシンに顔をしかめていた。
目をぱちぱちして、首を傾げる。
「ログも、昨日は街へ行っていましたよね」
「ああ。そういえば、行き先は告げていなかったな」
言葉を濁すログさん。
私も気になっている。島では汚れてもいい麻のシャツ姿だったけれど、今はしっかりした仕立ての、枯葉色の上着を着ていた。黒髪も後ろに流す形で整えられ、ちょっと日に焼けすぎていることを除けば、いかにも『上級商人の使い』といった容姿だ。
衣服がいいと、大柄なのに、割に知的な眼差しが際立つ。
夜会だったら令嬢がヒソヒソ噂し出すレベルかも。
うわこれは侮れないなどと内心思っていると、ログさんは上着の襟元をつまんだ。
「これは島で稼いだ金で、用立ててもらった。店はギュンターさん達に紹介してもらったが――この街で動くには、必要だと思ったんだ」
やがて意を決したように、私とハルさんへ体を向けてくる。
「この街には、『開拓騎士団』が来ているんだ」
名前には、聞き覚えがある。私は固いパンをごとりと置いて、頬に指を当てた。
「かつて大陸を追放された騎士団が、海を越えた北方で領地を得たものですね」
「ああ。倉庫街で、もめている商人達がいただろう? 彼らのマントにあったマークが、開拓騎士団のものなんだ」
聖導教を示す十字、その左右に剣とツルハシをあしらった模様のことだろう。
「そういえば、確かに……でも、よくご存じでしたね?」
私は王宮の教育を受けたが、そうでなければ紋章を知る方法は少ない。
不思議に思ってから、ログさんの出自に気が付いた。
「思い出しました。開拓騎士団は、10年ほど前までは王国東方を防衛する騎士団だった。確か敗戦の責を負う形で、領地を失い、追放に……」
「うん。追放される前、つまり神聖ロマニアの騎士団だった頃は、俺の父もそこに所属していたんだ。俺達家族を、よくしてくれた方も多い。命がけの仕事だし、結束は固いのだと思う」
「なるほど」
ログさんは、流刑された騎士の息子として島にやってきたのだ。
開拓騎士団はもともと、大陸を追い払われた騎士団である。だから『開拓』なのだ。所領を奪われたからこそ、開拓する必要が生じる。
「騎士団の伝手をあたっていたのですね?」
「そうだ。だが父の場合は、敵前逃亡を犯している。これは重罪だ」
「楽園島への流刑、ですか」
「他の騎士たちは家族や領民と移住という形だが、父は明確に流刑だ」
昔を思い出しているのか、ログさんは目を伏せる。
「ハル達には、とっても優しい方でしたけど……」
呟くハルさんに、ログさんは首肯する。
「事情は、俺も詳しくは知らない。罪に問われた後も、騎士たちはよくしてくれたが――今でも同じ気持ちかはわからない。そもそも俺と父を覚えているかどうかも、今となってはな」
笑みは寂しげだけれど、コップの水面を見つめるログさんの目には、確かな意思がある気がした。
私は腕を組む。
「……2日の不在は、そういう理由ですか」
「ああ。開拓騎士団は、今では商人連合会に加盟している。それも有力な一派として。武具のために鉄も掘るし、開拓地だから材木もある。特に鍛冶場の炭は、彼らの一級の商材だ」
目を細めるログさんは、すでに一人の商人の顔だった。
いつの間に学んだのだろう、と感心してしまう。
「もし商人連合会の規制どおり、『海の株式会社』がリューネの商いから追い出されたら、騎士団は有力な売り先になりますね……」
リューネほどではないとはいえ、数千人という騎士団が家族や領民と移動した土地だ。
1月あたり数万尾のニシンなど、べろりと食べてしまえるだろう。
「『総会』にも出るらしいが、彼らの逗留場所は商人で行列、ほとんどが門前払いだ。そんな状況だから、大昔の縁でも顔が繋がれば大きいと思うのだが」
期待は膨らむが、ログさんが言うようにかなり細い繋がりかもしれない。
確実な商談というより、賭けに近い部類だろう。本人もそれは自覚しているらしく、大きな体を神妙に縮めた。
「勝手に動いて、すまなかった。止めるべきか、社長?」
居住まいを正して、ログさんが見つめる。
「俺達は流刑地から出てきた身だし、わざわざ『逃亡騎士の息子です』といって開拓騎士団に名乗りにいくのは、軽率の部類だとは思っている」
私は顎に手を当てた。
食堂の喧騒がいやに大きく聞こえる。
ハルさんが気づかわしげに、私とログさんを交互に見た。
「――いいえ」
ふっと口元を緩める。
「でも、ログさんはきっと確かめたい。騎士団にまだ自分に協力してくれる人がいるか、どうか」
ログさんは眉を上げた。
「……君には敵わない。実のところ、どんな事情で逃亡騎士になったのか、知りたい気持ちもある」
「なら、止めません」
私は指を一つ立てにっこりした。
「その代わり、しっかり商談、お願いしますよ!」
ログさんが目を輝かせた。燃えるような瞳から、なぜか私は目をそらしてしまう。
「任せてくれ」
「え、ええ」
ごほんと咳払い。なんだか頬が温かい。また熱だろうか。
なぜかハルさんから視線。
「なにか」
「いえいえー?」
もし縁ができたら有望な販売先だ。『騎士団』は戦うための存在でもあるけれど、実は『塩漬けニシン』――というより、魚食を勧める聖導教とは深い関係がある。
食事に戻ろうとしたけれど、今度は後ろから大声がした。
「なんだよこの料理は!」
数名の男性が立ち上がり、つかつかとカウンターの方へ歩いてくる。お酒を召した赤ら顔だ。一人が皿を、厨房へ突き返す。
「こいつぁ、ずいぶん古いニシンじゃないか!? 漬かりっぱなしで食えたもんじゃねぇ!」
「こっちもだ! 革を噛んでるのかと思ったぞっ」
私達3人は、身を低くしつつ、揃って耳をそばだてたと思う。
わざわざ外へ食べに出てきたのは、きちんと理由がある。
実は今日が魚を食べる日――フィッシュ・デイにまさに当たっていたからだ。魚食を勧める教会は、魚を食べるべき日をきちんと定めていて、1週間のうち3日目と6日目がそれにあたる。
今日は、6日目だった。
カウンターから中年の店主が出てきて、帽子をとって詫びる。
「……申し訳ありません」
かっかする客とは対照的に、弱り切っていた。
「商人同士のゴタゴタで、いいニシンがずいぶん市場に流れづらくなりまして。おまけに、漁期がちょうど今から始まるところ。つまり今、並んでるのは、どうしたって半年より前にとれた――長く長く塩漬けしたやつなんですよ!」
ログさんがぼそりと呟く。
「あるいは、産卵を終えて身が痩せた痩せニシンか、だな」
『これは』と商魂がめらりと燃えた。
こんな時でも――いや、いい商いは、こんな時だからこそ!
「ごちそうさまでした!」
大急ぎでお勘定をして、宿に取って返し、試供品として持ち込んでいた塩漬けニシン50尾入りの樽を、3人でお店へ持っていく。
ドタバタ勘定した3人が樽を持って現れたことで、店主さんには思い切り怪しまれた。
ただ売り物がフィッシュ・デイの重要食材『塩漬けニシン』と気づくと、慌てて私達を奥へ通してくれる。
店主さんは樽の蓋を外して、目をまん丸にした。
「これは……すごい。臭みもないし、ウロコも銀貨みたいにきれいだ」
「去年の冬に漁獲したものです」
「はぁあ、まさかこの時期に、こんないいニシンが出るとはな!」
店主さんは咳払いした。
「で、いくらですかな、これは?」
「時価で――」
こちらが言いかけると、店主さんはびくりと肩を揺らす。
私は首をすくめた。
「驚かせてしまったようですね。商人連合会が『塩』を規制したせいで、塩漬けニシンの値段も高騰した。お店にあるニシンも、きっと難しい買値だったでしょう」
「よくお分かりで。まったく、無茶苦茶な規制ですよ!」
「お店に出ているニシンは、どの商会から」
「ああ、そりゃ商人連合会のダイモス商会に、新興の――なんか、辺境から出てきた、動物みたいな名前の商会からだよっ」
ついでに情報収集だ。
ニシンの品質がまだ十分でないこと、規制は評判が悪いことが裏付けられた。よほど怒っていたのか、店主は次々に現地の情報を教えてくれる。
私は聖女のように微笑んだ。
「お安くしますわ。具体的には値上がり前、一週間ほど前の相場でいかが?」
「ありがたい!」
「まいど!」
私はこの言葉で商いを締めた。
事務手続きとして、店主さんがきちんと『小売商人』としての免状を持っているかどうか確かめた。これがないと、私達の商いは『小売』となって、外の商人の小売参入を禁じる規制に引っかかる。
問題がなかったので、110ギルダーの塩漬けニシンは、まず50尾、その後船倉の2000尾を納入することで決着した。
しめて225,000ギルダー、職人の月収ほどで、臨時収入としては非常にいい。
ついでに市場の様子も聞けたし、万々歳だ。
満足して外へ出る私に、ログさんがくく、と笑う。
「君をみてると、こっちまで元気が出てきたよ。今日、もう一度、騎士団の詰所へ行ってみる」
ログさんと別れ、私とハルさんは宿に戻った。
動けなかった間にたまった情報を整理して、商人連合会へ抗うために。
キーワード解説
〔フィッシュ・デイ〕
魚を食べる日のこと。現在でもヨーロッパの地域によっては、金曜日をこの日にあてている所も。
金曜日の理由は、磔刑の日だかららしい。
〔ショットン・ヘリング〕
産卵後で身が痩せたニシンのこと。
つまり旬を過ぎたニシンのことで、値段も品質も一段落ちる。
産卵期のニシンを塩漬け保存することは、栄養のある状態のニシンを保存する意味でも重要だった。
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続きは10月22日(日)に投稿予定です。




