3-15:生産統制
商人連合会が、外国商人や中小、新興の商人に、関税という追加のコストを課す。
目的は大商会の競合をまとめて排除するため。
大まかにまとめてしまうと、そういうことになるだろうか。
商人連合会とは商いを有利にするための同盟。であれば、そもそもの発祥となった大商人達が、利を追いかけるのは自然なことかもしれない。
ぱちん、と頭で算盤の音が弾けた。
この規制で『海の株式会社』がどの程度の影響を受けるか。エンリケさんや、ギュンターさんは。シェリウッドや、聖フラヤ修道院は。
打たれたように頭がじんとする一方で、算盤の音が清流のように巡る。
大商会に認められれば関税などがかからないとすれば、改めて認可を受けることを目指すべきだろう。感情を排せば、巨大な相手に逆らうより現実的だ。
問題は認められる可能性。
条件はどの程度の厳しさだろうか?
認められなければ、事業の利益は危ぶまれる水準となるだろう。
……まだ、わからないことが多すぎる。それに値上がりしていた『塩』の謎も、解けないままだ。
まったく、よろけそう。
結った髪をなでて、私はみんなを見渡した。
ログさん、ハルさんは、それぞれ必死に状況を理解しようとしているようだった。
エンリケさんは眉を曇らせている。関税がかかる外国商人で、『海の株式会社』に出資しており、ギュンターさんとの共同経営者。いわば王国の商いにどっぷりつかっているわけで、難しい立場だ。
「でも……」
咄嗟に出る否定の言葉は、弱気の証。口を結んで、こらえる。
ギュンターさんがゆっくりと足を組みかえた。
「正直なところ、ほとんどの商人が不意をつかれたと思う」
苦笑と怒りが、半々のため息だった。
「当然、議場は大荒れだ。反発する商人もいるし、商人連合会から脱退する都市も出るかもしれん。外国商人や、新興の商人とすでにうまくやっていたところにとっちゃあ――『取引相手をなんでお前らに指図されなきゃいけないんだ!』とまぁ、それが当然の反応だよ」
ギュンターさんは目を細める。
「それでも、おそらく大商会は押し切るぜ。連合会の加盟都市が半分になってもな」
「そこまで」
言いかけて、心のどこかが囁いた。
もとから、彼らはそうだったではないか――と。
商人連合会がいかに閉鎖的か。私が追放されたのだって、彼らが『北方商圏』を恐れていたからだ。
「なるほど」
私は首をすくめた。
「……他の商人が王国内からいなくなれば、少なくとも王国内での利益は保証される……?」
それは、私達とはまったく逆の考え方だった。
商圏を新しく作ったり、いいものを見つけ出したりするのとは。
今ある商品を、できるだけ高い値で、王国の人に売りつける。ライバルがいないのだから。
シェリウッドでやろうとしたような独占を、王国中でやろうとしていると言っても、大げさではない。
「……!」
胸に杭が打ち込まれたみたいだ。後悔が次から次へやってくる。
もっと早く気づけていれば、対応ができただろうに。
エンリケさんが顔を歪めた。
「すまない。僕も、気づけなかった。貿易は互恵主義だ。こんな手をとれば、連合会の商人はフィレスや外国で商いがやりづらくなる――国という単位で見れば、むしろ失うものの方が多い」
思考が閃く。
……商人連合会はあくまで商人の組織で、『国』ではない。
大商会の利益のみを追求するというところが、結果的に想定の裏になったのではないか。
神聖ロマニア王国は、どう対処するつもりなのか。こんな時、王宮での経験が活かせればいいのですけど。
「泣き言も言い訳もしたくないが……これほどの規制でありながら、広く根回しされた形跡もない。商人連合会から離脱する都市が出ても、織り込み済みだろう。王国内の商いを統制できれば、大商会の地位は安泰だ」
彼らの強みは、王国内の販路と、海の東西を結ぶ交易路を押さえていること。
内外に敵を作り、王国の商いを細らせ、長く広く見ればきっと誤っている。でも実現させる算段だけは、しっかり算盤が弾かれていた。
敵もやはり、商人ということだ。
「でも、強引すぎる……」
呟き、私ははたと気づいた。商人連合会の強みは、『道』だけではないということに。
ログさんが口を開く。
「わからないな」
頭を振り、豊かな黒髪をかく。
「可能なのか? ……俺はそんなに商いに明るいわけじゃない。だから、想像がつかないんだ。統制って――商人連合会は、全ての街に監視でも送るつもりなのか?」
「そこだ」
ギュンターさんが手を振った。
「問題は、そんな強引なやり方が議決されるかどうか、だけじゃない。実効性だ」
かりそめの希望に飛びつきたくなるのを、頭の冷静なところが打ち消した。
商人連合会には、『あの手』がある。
「決まった規制が、実行されずに骨抜きになるなんてのはよくあること。連合会は、邪魔な商いに関税をかけると言っているが、たとえば――関税のかかる商人が、かからない商人に海外でモノを売って、その商人が連合会に持ち込んだら、現状とほぼ同じことになる」
熟練の交易商は、ふっと息をつく。
「でかいことを言っているが、商人は多少の規制は魚のように抜ける。上に規制あれば、下に対策あり。面倒になるのは変わらないが、規制の影響はやり方次第でかなり緩和されるだろう。ただ――」
目を伏せるギュンターさん。
その視線が、こちらに向いた。きっと、私は青い顔をしていたのだろう。
「……もう気づいたか」
「ええ。一つだけ、実効性がある統制が可能な、産物がありますわ」
私達が普段から使っているもの。
エンリケさんに島で見せてもらったような、真っ白な塩だ。あって当然と思えるものだけど――高品質な、純度の高い真っ白な塩の生産は、商人連合会が握っていた。
「『塩』、ですね」
「そうだ。商人連合会は、食品の保存に使う『白塩』を、自分たちが決めたところにしか卸さないつもりだ。おかげで、市場にはほとんど流れなくなる」
私はふっと息をついた。
「……『塩漬けニシン』については、流通を統制するだけじゃない。原材料を握っているから、生産も統制可能で、事実としてやってきた」
「そうだ……!」
だから取引所で、値段が揚がっていたのだろう。
唇を噛んでしまう。
笑えてくるほど、愚かしい。
「……馬鹿なことを」
『塩漬けニシン』は単なる保存食ではない。聖導教で必要とされる大事な食べ物で、パンと並ぶ主食ともいっていい。
たとえばパンの原材料を統制する――その意味がわかっているのだろうか。
ぱちん、ぱちん、と頭で悲鳴のように算盤の音が鳴っていた。
「塩漬けニシンの需要は膨大です。でも、シェリウッドで見たニシンの品質には、本当に悪いものがありました。それを売るために、気に入らない商人を締め出すなんて」
『独占』だけなら、おそらく抜け道はあっただろう。
塩漬けニシンに対しては、彼らはより強い対応をとった。それは――
「独占に加えて、生産統制。『塩漬けニシン』の生産も、流通も、全部商人連合会が支配するということ」
その中に、『海の株式会社』は入れるだろうか。これほどの統制ならば、流刑地という歴史も、『いいもの』を商っているということも、認可を難しくさせるだろう。
販売で北方商圏を産み出そうとしていたエンリケさんも、きっと無理だ。
……会社としては、まずは王国内に販路を築き、事業を安定させることを狙っていた。あんなによいお魚がとれるのだもの。
でも原材料を絞られ、販路に費用を課されて、果たして島の事業は成り立つだろうか。
ハルさんが声を震わせてくる。
「し、塩、なんですよね? しょっぱい海水を煮たてれば、手に入る分もあるんじゃないですかっ?」
「……確かに。でも『ニシンの塩漬け』は、大量に塩を使うの。島は雨が多いから、日光で海水を乾かす手は使えない。木が少ないから、煮たてるやり方も取れない。何より――海水から塩を作るのって、工夫しなければとても効率が悪いの」
でなければ、領主様がとっくに着手していただろう。
樽1杯の塩を煮詰めても、匙1つ分の塩しか取れないのだ。では他所ではどうしているかというと、『海水を日光にさらして濃度を高めてから煮たてる』、『岩塩の近くを流れる地下水をくみ上げて煮たてる』、などなどで濃度の高い塩水を得ている。
島では、いずれも難しい。
雨が多いという気候は私達に湧き水をくれるけど、塩づくりには不利なのだ。
ハルさんは目をまん丸にして、息をのんでいた。
「……ごめんなさい、ハルさん。少し、強く答えすぎたわ」
ハルさんは悪くない。動転している証拠だ。
「こんなの……」
理不尽だ。
ひどい。
そんな言葉を吐いたところで、なんになるだろうか。
抗うんだ。私は、『海の株式会社』の社長なのだから。
「私がまず……!」
「待て、クリスティナ」
ログさんが気づかわしげに言った。
驚く私に歩み寄り、額に手を当ててくる。
「ちょ……!」
「やっぱり、熱い。クリスティナ、君は……熱があるんじゃないか」
そんなわけない、と思った。一歩下がって頬に手を当てると、確かに火照っている。
考えないといけないことばかり。
なのに頭も胸も熱い。ぼうっとして、ログさんの大きな手に鼓動だって妙に早鐘だ。
「俺達に任せてくれ。なんとか、手を考えてみる」
ログさんの琥珀色の目が、私を見つめた。根拠だってきっとないだろうに、励ます笑みは力強い。
ハルさんも、ギュンターさんも、エンリケさんも、みんな頷いてくれる。
もどかしくも嬉しくて、自分の心がわからなかった。私は気づくと、椅子に座りこんでいた。
……どうしてしまったんだろう。




