3-12:総会の噂
年が明けてからの3ヵ月は、ニシンが獲れない期間となる。もともと北にある楽園島だけど、付近を暖流が流れるせいか王都ほどには冷え込まない。
私達は冬の日々を、次の漁期の準備をして過ごした。ハルさんと瓶詰の研究をしたり、シェリウッドで漁具を新調したり、倉庫を借りる相談をしたり、休漁期の仕事もけっこうある。
それでも半ばはお休みのようなものだ。
お父様の出漁も控えめとなり、島に来て初めてゆっくり過ごせたと思う。
やがて暦は進み、第1月の終わりになった。
今日も朝早く起きたけれど、竈に火を入れた後は特に急ぎの用もない。
着替えてから、朝もやが煙る外へ出る。厚手のマントがあっても、ぶるりと震えるほど肌寒い。吐く息が白くなって、霧と混じって消えていった。
遠く鐘の音がしなければ、いつまでも夢にいる気分でいただろう。
「交易船がくる、鐘の音――」
どうやら見張り台が交易船を認めたらしい。
港へ向かうと、ハルさんが先に着いていた。体が小さいから、厚着してモコモコである。
「おはようございます、クリスティナ様」
ぺこりと可愛らしく挨拶するハルさん。
続いて、ログさんも港へ出て来る。こうして3人が朝から揃うのは久しぶりだった。
「俺も、妙な予感がしてな」
私は小さく頷いた。
もやを進んでくる交易船。見慣れた頼もしい存在のはずなのに、妙に不気味に思える。小舟が下ろされて、ギュンターさんとエンリケさんが桟橋にやってきた。
表情は硬い。
冷たい風が2人のマントをなびかせていく。
私はまず尋ねた。
「お久しぶりです。……何か、あったのですか?」
「うむ。領主殿は?」
「お通しします」
私が応じると、ログさんが屋敷へ走っていく。領主様に交易船のことを伝えにいくのだろう。
お屋敷の応接に辿り着いた後、まず長旅を終えた2人に温かい薬草茶をお出しした。ギュンターさんはしばらく喉を温めてから、切り出してくる。
「クリスティナ。総会に来てくれ」
目を瞬かせてしまったと思う。
「……総会?」
「ああ、そうだよな。商人連合会の規則なんだが」
言いさすギュンターさん。部屋には『海の株式会社』のログさんにハルさん、エンリケさん、ダンヴァース様もいる。
領主様が私を見やってから引き取った。
「総会とは、商人連合会が全体を統率するために開く会合のこと。属する商会、都市の代表、そして商人らが集まり、最後には通達を発布します」
「……ああ、総会のことは存じています」
商人連合会が、大勢の寄り合いである以上、議論する場は必要だ。実際は、裏で有力商人がすでに話をまとめており、総会は決定事項を通知するだけの場、というのがほとんどだと思うけれど。
わからないのは、私が呼ばれたことだ。
「……私が、ですか? どうして?」
喉元に指を当てた。
なんだか胸騒ぎがする。追放された令嬢が商いをやっていることが、総会で取り上げられるほどの大問題になったとは思えないけれど。
ギュンターさんは身を乗り出す。
「直接議事に参加するのは、いつも通り都市の代表や有力商人だけだ。だが『総会』をやるということ自体が、ある意味じゃ事件だ」
「わかります。各地に散っている商人を集めるだけで、数か月はかかるでしょう」
「うむ。実際、総会は商人歴の第5月、つまり4か月後だ」
大勢の有力者を集めるのは、簡単ではない。これは王宮の時の経験なのだけど、招待状、席次、待っている間の接遇等々、とにかく費用も時間もかかるのだ。一種の『投資』である。
「……それだけの決めごとをする、ということですね」
私が顎に手を当てると、ハルさんとログさんも息をのむ。
「僕からも1つ」
エンリケさんが腕を組み、眉を曇らせた。
「僕の母国が、情報をよこしました。商人連合会が、新しい『規制』を導入するつもりのようです」
「規制? 穏やかではありませんわね」
「海沿いの街に、商人連合会が人を送っていたりしたでしょう? あれはどうも、新しく導入する規制の地ならしだったらしい。海沿いの街までしっかり支配が行き届いていないと、抜け道になる」
私はぐっと口を結んだ。
……シェリウッドも、その一つだったのだろう。
強引なやり方で、その規制もまたよいものではないのは簡単に想像がついた。
エンリケさんが目を細くする。
「……神聖ロマニア王国の都にも、招待状は届いたらしい。王家まで話を通したいということは、かなり影響が大きな話ということ」
手が震えたのは、王宮での婚約破棄が頭を過ったから。
もう関わるつもりはなかったけれど――。
「王家から、誰か来るのですか?」
「そこまでは」
私は、悩みを払うように首を振った。やめよう、昔を思い出して、不安になるのは。
来るのは、おそらく大臣や文官だろう。第二王子が出てくるとは思えない。
ギュンターさんは私に何か気づいたようだけど、あえてか、話を戻してくれた。
「総会で情報を得てから、俺が交易船で島に情報を伝えるのでは、最悪で1か月近い遅れが出る。連合会の決定によっては、塩なんかの重要な資材の値が暴れるかもしれない」
「……なるほど」
良質な『白塩』は、樽やニシンと違って連合会を通じて買うしかない。
私は、同行を求められた意味を察した。
「『海の株式会社』の社長として、決定にすぐ対応してほしい。それには、街に居合わせるのが一番早い」
「そうだ。もし事業の将来を左右する規制が決まったら、1月も対応が遅れれば――致命傷だ」
ギュンターさんの眉間には、深いしわが刻まれていた。
ニシンや資材の売値が上下するくらいなら、きっと私が行く必要はない。それ以上の何かが起こりそうだから、私を招いているのだ。
ふっと息をつき、微笑む。
「もちろん、行きましょう」
おそらく1年ぶりに大陸へ戻ることになる。
「ここで退きさがっては、損ですもの」
◆
総会が行われる場所は、『リューネ』という交易都市だった。
大陸の北方には巨大な半島が突き出しており、海を東西に切り分けている。リューネは半島の西側、その根元にあった。
陸地の奥深くまで切り込んでいる運河の出発点でもある。
海の東西を越える産物は、一度はリューネを通って運河から内陸部へ運ばれる。そして今度は街道をゆき、半島の東側にある別の交易都市で下ろされるのだ。
つまり海の東西を結ぶ、王国随一の商都である。
私が総会に行くというのは、最初は島の人達には伏せていた。だけど、出発が迫った4月にはさすがにバレる。
あちこちが大騒ぎになった。
準備で荷物をまとめると、勝手に保存食だとか護身用のナイフとかが放り込まれる有様。
あれも持っていけ、これも持っていけと――私を嫌っていたはずの漁師さんまで、心配げにカチカチの干しタラを持ってくるのだ。
「……大陸に戻るのか」
「そうけぇ。やっぱりあんたが、流刑ってのは間違ってたんだな」
「…………罪が解かれたわけじゃないんですよ」
そんなやりとりを何十回と繰り返した。
そして、ついに出航の日になる。第4月、季節は冬から春に変わっていた。
まだ太陽は昇ったばかりで、空の端には夜が残っている。さすがに、見送りの島民はまばらだった。
海を見ると、まだ数は少ないけれどニシンの魚群が戻っている。今年も、彼らは変わらずに島にやってきてくれたのだ。
ニシンは『春を告げる魚』――そんなハルさんの言葉を思い出す。
「……クリスティナ」
桟橋で小舟の準備を待っていると、島から出られないお父様が心配そうに言った。
苦笑しながら首を振る。
「まったく、君はいつも私に心配をかけるな」
私は心からお父様に頭を下げた。
「ごめんなさい」
思えば、お父様には心配をかけっぱなしだ。事業をしていた時から、きっと気をもんでいたと思う。
「いい。そういうところも母さんに似ている。君には、王宮は狭すぎた。広い場所が似合うもの」
「お父様……」
「ただ、くれぐれも体には気をつけてな――母さんも商いで体を壊した」
お父様は言葉を切り、ほほ笑んだ。
「――いってきなさい」
「はい」
私はお父様と、少しの抱擁を交わした。
体を離し、お父様は目を伏せる。
「少し前になるか。シェリウッドで、教会を見たと言っていたね。どんな教会だったか、もう一度教えてもらってもいいかい」
「え、ええ……」
不思議に思いながらも、以前に見た光景を伝える。
お父様は瞑目した。
「そうか。それだけの規模であれば、洗礼の管理もしていよう」
「教会に、何か?」
「私も……この土地で、少し気になることがあってね。オリヴィア殿と調べてみる」
……なんでしょうか。
オリヴィアさんと――と考えると、ワインが浮かんでダメだった。
いや、さすがにお酒関係ではないでしょうけれど。
続いて、かつん、かつんと杖をつく音。お父様と入れ違う形で、今度はダンヴァース様が近づいてきた。
「クリスティナ、これを」
渡されたのは、二つの手紙だ。
「一つはギュンターに託しなさい。彼なら連合会の、しかるべき人に渡してくれる。もう一つは、あなた自身が持っていて」
「これは――」
「いつか、言ったでしょう。あなたのために『魔法』を使うと」
島に来てから、領主様のお顔の変化がわかるようになった。
商人時代の癖なのか、いつもあまり表情を動かさない方です。でも今は、きっと心配をしていた。白い眉が強張っているように見えるもの。
「リューネにある古い教会に、私は商人時代のさまざまな情報を預けてあります。あなたが持つ手紙は、部屋の番をしている神父への紹介状と、部屋の鍵です」
領主様は口をつぐんだ。
身を支えるように、杖に両手を置いている。そんなダンヴァース様を見るのは初めてだ。
「……北方商圏」
灰色の瞳が私へ向く。
試されている気がした。
「クリスティナ。あなたの商いは、いずれそこへ繋がっていく。『それでも進みたい』といった、かつての気持ちに、今も変化はありませんか」
応えるのには、少し勇気が要った。
領主様は重ねる。
「エンリケ殿下の情報によれば、総会には王国の重鎮も来るといいます。宮廷時代のあなたを知る人もいるかもしれない。あなた自身が……辛い記憶を思い出すこともあるでしょう」
私は首を振った。
「領主様。過去は関係ありませんわ。私は、罪を贖いたいわけでも、許しを請いたいわけでもない。ただ、いいものを商う――それだけなのです」
領主様は息をつき、ほほ笑んだ。何かを諦めたような、でも少し救われたような、不思議で優しげな口調だった。
「その手紙で封じられた部屋には、私が行った罪も封じられているのです」
「領主さまが……罪?」
ダンヴァースという名前も、その名で起こしたという罪も、記憶にはない。
「領主様。あなたが島にしてきた投資をみれば、大商人だったことはわかります。でも、罪だなんて――私は妃教育で過去の商いも学びましたが、領主様のお名前は見ていません」
「本当に悪い人というのは、表に出ないものなのですよ。自分で自分の身を処すしかないほどにね」
苦笑する領主様。
「あなたにその失敗を告げるのは、部屋の中身を話すことと同じ。だから――あなたは自分で開きなさい、クリスティナ」
背中を押すように。
「リューネへ行って、連合会と、王国を見て、それでも決意が揺らいでいなければ。あなたがかつて言ったように、自分で運命を切り開きなさい」
定時の鐘が鳴る。ダンヴァース様が杖をついて去る。
出港の時間だ。
桟橋についた小船から、ログさんが迎えにきてくれた。島の人でリューネへついてきてくれるのは、ログさんだけである。
ハルさんも来たがったけれど、さすがに11歳の子を長旅に連れだすわけにはいかないもの。
「クリスティナ」
「……平気です、ゆきます」
その、とログさんは言い淀む。
「俺が、こんなことをいうのも変だが……」
黒髪が潮風になびき、茶色の目が私を見つめた。
「騎士だった父に誓って、都でも君を守ろう」
ふっと呼吸が楽になった。誰も庇って、守ってくれなかった王宮で断罪された記憶――それがゆるく溶けて消えていく。
2人で桟橋を歩いた。私達が小舟に乗り込むと、待っていたように島を離れる。
「ありがとう、ログ」
小さく言うと、ログさんがごほんと咳払い。
私の隣に積み込まれていた樽が、なぜか『ガタガタ!』と揺れた。
……あれ、こんなところに樽の荷物なんてあったでしょうか?
調べようとした時、大声が渡ってきた。
「おおい!」
びっくりして振り返ると、岸辺にはいつの間にか大勢集まっていた。菜園のおじいさん、お父様、事業を手伝ってくれた漁師さんや女性たち。
手を振る姿に、ちょっとは役に立っていたんだ、と胸が熱くなる。
「気を付けてなぁ!」
「稼いで来いよ、社長!」
「ええ! いってきます!」
小舟から交易船に乗り換える。帆が風をはらんで、船が出航した。
空が、珍しく曇っている。
だけど、ニシンのウロコは海面下で銀貨のようにきらめいていた。
お読みいただきありがとうございます。
続きは10月14日(土)に投稿予定です。




