3-11:交易の輪 ~レッド・ヘリング~
修道院は、丁度、昼食に入る前だったようだ。
人数分の昼食に加えて、新しく客人――つまり私達の分まで用意してもらわなければならない。申し訳なく思うけれど、幸いにして材料には余裕があるらしかった。
代わりに、せめて準備を手伝わさせてもらう。
みんなで食堂のテーブルを拭いたり、野菜や果物、それに見慣れた小樽――私達の塩漬けニシンだ――を運んでいる間に、準備はさっと整った。
その後、来客用の部屋に通される。
「この出会いを、全能神に祝して」
食前の祈りを捧げるのは、聖フラヤ修道院の院長様だ。
院長は、穏やかな顔をした初老の男性だった。王国北方で長く生活を神にささげてきたといい、実直さと壮健さががっしりとした体に表れている。
長テーブルに座るのは、『海の株式会社』の私とログさん、交易商人のギュンターさんとエンリケさん。
修道院からは院長の他、修道女オリヴィアさん、そしてやや不機嫌そうに見える年配の女性、副院長も同席した。
「わぁ――」
なんて、料理に声を出すのは、本当ははしたないことですけれど。
それくらい美味しそうなのだった。
豆の煮物や季節の葉野菜。素朴なライ麦の黒パンは、ブドウやベリー、それにリンゴのジャムと一緒に供された。
玉ねぎの上に載っているのは、すっかり見慣れたお魚、ニシンである。
修道院で作られた白ワインも食前酒としてついていた。
同席する副院長が口を尖らせる。
「昼間からお酒とは」
この方は、シェリウッドでオリヴィアさんのお酒作りに反対をしていた。
院長がおおらかに笑う。
「たまにはいいでしょう。産物は、この地方にとって大事です」
……オリヴィアさんがこれほどの質のお酒に邁進できた理由が、さらっとわかった。院長の方は、辺境の生活からか、『生産』という活動に理解があるのだ。
笑みは柔らかい。
「さぁ召し上げれ、遠いところから来られたお客人」
素朴だけれどしっかりとお腹が膨れる、修道院らしい食卓だ。
当然ながらお肉はなく、脂を感じさせるのは島のニシンだけ。
こうして食べると、ニシンが必要とされる理由もわかる。脂っこいこのお魚は、疲れたり、お腹がすいている時は、本当に美味しく感じるのだ。
『ヘリンガー』が、元気さの誉め言葉になるのも納得である。ニシンは、体に元気をくれるお魚だ。
自分で作ったものだからか、なおのこと誇らしく、そして美味しい。
一方、ログさんを始め男性方は、別の産物に興味津々だった。
「……本当に美味しいお酒ですな」
ギュンターさんが感嘆する。
食前酒の白ワインは、すっきりとした飲み味。喉を清めるようなもので、ニシンとの相性が抜群だった。
オリヴィアさんも得意げ。
「シェリウッドでも卸していますわ。交易の際は、ぜひどうぞ!」
「これは確かに、地域の産物にもなりましょう。しかし……」
ギュンターさんはにやっとして、エンリケさんを見やる。
「これほどの産物、この地方はいい起点になるな」
「ええ」
頷くエンリケさん。
その口元がちょっと緩んでいた気がして、これは聞き出すチャンスだぞと思った。
「また何か、お考えが?」
これは『船の上で何してたんですか?』という意味。私の空気が変わったのを察してか、ログさんが身じろぎした。
エンリケさんは肩をすくめる。
「そんな大それたものではありませんよ。ただ、ちょっと交易船が余りそうですので――私もこの辺りの商いに本格的に参入しようかと。ギュンターさんとの共同事業ではなく、商人エンリケの事業としてね」
私は目を細めた。
……なるほど。
エンリケさんは『海の株式会社』に買収をちらつかせる時、交易船3隻と明言した。買収自体は私の反応を見るためのハッタリだったはずだけど、交易船自体はきちんと用意があったらしい。
『海の株式会社』に断られたことで、島を漁業ではなく、交易拠点とする案は使えなくなった。
代わりに自分で事業を立ち上げ、ワインなどの取引に参入する――。
「クリスティナ、いずれはあなたが作る販路と重なるでしょう。お互い、『協力』しあえそうですね」
端正な笑みの後ろには、真っ黒い影がぼやぁっと浮かんで見えた。私は、口元がひくつく。
『海の株式会社』が生産に特化している間に、交易船で近郊の販路をすべて押さえ、やがてはエンリケさんの船を通してしか商いができないようになる――。
島と、修道院と、シェリウッドを結ぶ三角形を考えると、そんな図が見えてきた。
「北方商圏へも、いい足掛かりになる。商聖女、あなたが北の商圏へ出てくる頃には、販路は当社が押さえているかも」
声をひそめるエンリケさんに苦笑していると、ログさんが顔をあげた。
「……エンリケ殿。今、『当社』と?」
「ええ! 『株式会社』は、なにも『海の株式会社』の専用ではありません。当然ながら大規模に事業をするにあたって、ウチも考えていますよ。社名、募集中です」
私は笑顔を保ったけれど、ちょっと冷や汗が出てきました。
生産で北方の商いを盛んにしようとしているところ、エンリケさんは物流に食い込んで、その利益だけを吸い上げようとしている。
「商人ですねぇ」
「お褒め頂き光栄です。もちろん今でも、あなたとの交流を諦めたわけではないですよ」
エンリケさんは、夜会で浮かべるような微笑をした。
ログさんが囁く。
「クリスティナ」
わかっています。
商いとしてはライバルになるし、油断はできない。相手は王子、いざとなったら資金面での無理もきく。
ただ、すぐにどうこうというわけではないだろう。
海域の商いをすべて握るには、まずシェリウッド、修道院、そして楽園島の3つの拠点を押さえなければいけない。少なくとも楽園島は無理だ。また、海域にはすでにギュンターさんがいて、こっちはこっちで、やっかいな集団『商人連合会』に属している。
エンリケさんが明かした理由は、きっとこう。
――商聖女。
――いつまでも『生産』していると、北方商圏の商いを僕が全部とってしまいますよ?
発破をかける、というやつである。
ふっと頬を緩めた。
「平気ですよ、ログさん。挨拶のようなものです」
「……君がそういうなら」
憮然と息をつくログさんに、くすくすとエンリケさんは笑う。
「丁度、シェリウッドでは商会が一つ撤退をしたようだ。僕が代わりをできれば、という思いもありますよ」
そこで、部屋の扉がノックされた。
オリヴィアさんが応じると、ドアが開き、ふわりと燻された香りが漂ってくる。
私は呟いた。
「……これは、燻製?」
真っ赤に燻されたニシンが、食卓に追加される。下処理をされた後、きれいに焼き上げられており、食欲を誘う香ばしさだ。
頬に指を当てる。
「『レッド・ヘリング』?」
オリヴィアさんが首肯する。
「この燻製は、修道院でハルさんのレシピを試したものですよ。島では煙が出て燃料も使うので、難しいと。当院では、保存のために食材を燻すこともありますから」
なるほど。
島で試せないレシピは、修道院にも協力をお願いしていた。
ニシンの燻製は、よく赤ニシンとも呼ばれる。塩漬けニシンよりもさらに保存がきくが、塩味がきつくなり、身もカチカチになるのだ。
「これ、お酒にあうのです~」
白ワインと燻製ニシンを、幸せそうにいただくオリヴィアさん。
私とログさん、エンリケさんにあった、ぴりついた空気が霧散する。
ギュンターさんが呆れたように言った。
「修道院が酒造りがうまいのはよく聞くが……」
「お酒は尊いものですわ。ブドウを醸し、人の和も醸す」
にっこりするオリヴィアさん。
「お酒は仲良く、楽しくね?」
はい、とみんなで言った。
『レッド・ヘリング』には話を逸らすという寓話もあって、なんだかその通りの成り行きである。
院長がからりと笑い、副院長も鼻を鳴らした。ただ副院長は、頬が少し緩んでいたように思える。
白ワインのカップを持ち上げ、ニシンの燻製を眺めながら、院長は言った。
「……生産は、生み出すこと。賑わいも、人も、それがなければ消えていたでしょう」
食事は和やかに過ぎ去る。
先に院長、副院長が退席した。みんなでお皿も片付けてしまうと、この場にいるのはもう商人だけになる。
食後のお茶を飲みながら、オリヴィアさんが切り出した。
「あなた方の話で思い出したのですけれど。シェリウッドで独占をもくろんだ商人がいたでしょう」
「グリ……ベアズリー商会ですね」
あ、危ない。ハルさんの癖が移っていた。
「ええ。シェリウッドの噂では、結局、彼は商人連合会に迎え入れられたようなのだけど――教会から詳しく聞くと、商人連合会は各地で似たような独占をやろうとしたようなの。街によっては、廃業させられた商会や、職人もいる」
「……それは」
島で聞いた情報と、同じだ。
エンリケさんが首を傾げる。
「教会にも、噂が広がっているのか」
不穏な雲行きだった。商人連合会は何を狙っているのだろう。
私は顎に手を当てた。
「シェリウッドでは、低等級品、古くなった売れ残り品が商われていた」
引き取ったのは、ログさんだった。
「商人連合会は、意外と売り負けているのか? そもそも売れ残ったりするから、無理に捌かなければいけなくなる」
私は驚いてログさんを見てしまったと思う。
エンリケさんも目をぱちぱちしていた。
「……やるね。船上で商いを少し教えただけで、きちんとそこまで読めたか。さて、誰のための勉強か……」
「実際、どうなんだ?」
「そうだね。商人連合会に属する大商会は、毛皮や宝石、そうした奢侈品に投資をして、国内に資金を回さなかった。投資を渋った分が、品質や値段で外国の品や新興の商会に競り負ける原因にはなっているだろう」
ギュンターさんが難しい顔で腕組みする。
「経験だが、商人が最も欲深になるのは、儲けている時じゃない。損をしている時だ。損を取り返そうとするとき、とんでもないことをしでかすやつもいる」
くすんだ茶髪をかいて、熟練の交易商人は遠い目をする。
「落ち目の大組織なんてのは、その意味じゃ、危険だな。この先、何をやってくるか……」
ただ、それでも前に進んでいくしかない。
昼餐は終わり、出された薬草茶は冷え始めていた。
私達は修道院をお暇し、シェリウッドへ向かう。かつての材木産地だったシェリウッドは、長く森を休めていた分、木の質が改善をしていたらしい。
ギュンターさんは樽にも使われる樫材、それに割れづらく加工しやすい白樺材に目を付け、空いた船倉を満たしていった。楽園島のニシンと合わせて、島に来るよい理由ができた喜んでいる。
その後も、生産と出荷は順調に進んだ。
手がかじかむ冬の間も、塗薬で手を守りながら塩漬けニシンを売り上げる。暖流のおかげで冷え込みがマシだったのが幸いだ。
漁期が終わる第12月までに、島の生産量は月産3万4千尾までに増加する。
気付けば島に流されてから、ずっと魚のことを考えていた。
楽しい。
自分の手で、商いをして、ものを作って、運命を開けている気がした。
第12月は聖導教の祝日があり、年が改まることを兼ねたお祝いが王国では執り行われる。まさにその日が年内最後の交易船来航、そして出荷だったから、ログさん、ハルさん、それにギュンターさんとエンリケさん、もちろん領主様とお父様も一緒にお祝いした。
島で焚き上げた篝火は、澄んだ夜空に輝く火の粉を舞い上げていく。
新年を迎えた後は、ニシン漁はしばらくお休み。
代わりにタラが獲れるのだけど、海の底にいるからニシンほどの漁獲は見込めない。漁師が板についてきたお父様に言わせると、大きな船と、大きな網が要るとのことだ。
『海の株式会社』は少しの間、閑散期に入る。
夢を見たのは、そんな第1月だ。
昔、世界は平面と思われていたらしい。海の果てには巨大な滝があり、そこまでゆくと落ちてしまう。
もちろん今の考えは違う。
海原をずっとずっと西へ航海し続ければ、やがて東側から帰ってこられる――そういうふうに世界は球体になっているのだと、少なくとも私はお母様から教わった。
でも、それを確かめる術はない。
だからかもしれない。小さな頃から、不安な時に同じ夢を見る。
延々と航海する、私を乗せた船。帆にいっぱい風をはらんで突き進んでいく。でもある時、下が流れ落ちる滝になって、船は仲間ごと深い奈落へ落ちてしまう。
無限に見えた世界は、終わりが定められた、ひどく狭いものなのではないか――そんな不安な夢だ。
新しい年を――楽園島での2年目を晴れやかに迎えた後、私は不穏な噂を耳にした。
それは商人連合会が、『総会』を開くという噂だった。
国の重鎮、王家さえ関わってくるという。
キーワード解説
〔レッド・ヘリング〕
燻製ニシンのこと。
塩漬けにした後、さらに燻製にかけるという念の入りよう。
身が赤くなるほどカチカチに燻されるため、保存期間は塩漬けよりも伸びた。
ただし食べられるようにするための下処理も大変になる。
また、その臭いから『話をそらす(注意をそらす)』という意味での慣用句としても使われた。
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続きは10月12日(木)に投稿予定です。




