3-10:修道院と交易船
髪を結った耳元を、海風が抜けていった。
私は今、交易船に乗って島から東へと向かっている。
最初の大口出荷と、瓶詰の商談は無事に終わった。
いつもなら交易船はすぐに海域を離れ、北へ向かう。けど、今回は少し違った。4隻編成のうち3隻は南の大陸へと引き返し、残る1隻は私とログさんを乗せて近郊の街シェリウッドを目指す。
交易商人であるギュンターさん、エンリケさんも同じ船で一緒だ。
一隻だけ残った目的は、商いの下見をするため。
定期航路の行き先は、海峡を越えてずっと北上した先にある材木産地だ。でも、冬の荒天では港を閉ざすから、交易船は冬場を休みとしていたらしい。
その代わりが私達だ。
ギュンターさん達は、今年から楽園島の周辺を冬期の商売相手としたいという。私とログさんが同乗するのは、道案内だ。
今は、出港から3日目の朝。
ギュンターさんが不安げに呟く。
「修道院か」
秋が深まっていて、甲板は少し肌寒い。交易船の進路では、もう崖の上に灰色の建物が見えている。
以前訪れた時は夏で、陸地は青々とした緑に覆われていた。今は葉の色が変わり、修道院までの上り坂が黄金色に飾られている。
ギュンターさんは、居心地が悪そうに身じろぎした。
「何度も言うが、俺達は交易船だぜ? 聖導教の船じゃない」
私は微笑みで受け止める。
「あら。聖フラヤ修道院は、良質なワインを作るのです。島でいくつかお試しになったでしょう?」
近郊の商いが盛んになれば、巡り巡って楽園島にとってもよいことだ。
海域が魅力的になれば、来航が増えるかもしれない。それは当然ながら、出荷タイミングの増加となり、倉庫負担が減るのだ。ついでに現金もよく回る。
「高品質なワインか。確かに、値が付きやすい産物だが」
「シェリウッドの材木も有望でしょうけれど、こちらの修道院もぜひご紹介を」
オリヴィアさんのワインは、王宮にあってもおかしくない出来映えだ。商売仲間でもあるし、ここで交易船の2人を紹介しておくのも、よい頃合いです。
ギュンターさんは呆れたように首を振った。
「クリスティナ、君はダンヴァースのばあさんや、近くの地主からカネをもらった方がいいんじゃないか? この辺り一帯を考えるなんて……領地経営の感覚だぞ」
「でも、そうしないと、商いは長続きしませんわ」
『海の株式会社』は、修道院やシェリウッドと取引をしている。
島でニシンを獲ったとしても、シェリウッドの樽がなければ外へ売れない。そして魚食を勧める聖導教があるからこそ、ニシンが求められるのだ。
楽園島が栄えてゆくなら、周りもそうであるべきだろう。
私は振り返り、手のひらで船尾の方を示した。
「少なくとも、あちらは楽しみのようですけれど?」
エンリケさんは、上陸を前に船員やログさんと熱心に話しこんでいる。
時たま半円型の道具と、重石のついた糸を使って、太陽の高さを調べていた。方位と刻限がわかれば、海図上のおおよその位置も判明するらしい。
おそらく、辺りの正確な地図を作るつもりなのだろう。
「ああ、あいつは」
言い淀むギュンターさん。
……気になるじゃないですか。
「なんですか?」
「いや、いい。あいつが自分で言うまで待つ。少なくとも俺は、あのばあさんの前を荒らす勇気はねぇ」
そんなやりとりをしながらも、船は桟橋に辿り着いた。
すぐ側に石組の倉庫があって、空樽や塩漬けニシンの仮置き場となっている。今も、数人の男性が作業をしていた。修道院に住まう聖職者以外の人手、つまり助修士だろう。
みんな、突然の交易船で呆気にとられていた。
私が船を降り来訪を告げると、何人かが慌てて走っていく。
やがてオリヴィアさんが、修道服の裾をつまんで坂を駆け下りてきた。
「クリスティナ!」
交易船を見上げ、目をまん丸にする。帽子からこぼれる金髪が緩い風になびいた。
「……驚いた。島がもうこんな大きな船を買ったのかと」
「ま、まさかっ」
思わず声をあげてしまう。事情を説明すると、オリヴィアさんは噴き出した。
「――なるほど! それで、交易船が」
「ええ。来航の日取りは予定通りのはずですけど……この大きさの船では、驚かせてしまいましたね」
オリヴィアさんは肩をすくめた。
「交易船が寄るなんて、事故か病気かで医者を求めるくらいしか理由が思いつかないから。でも、あなたが乗っていて納得」
ふっと口元が緩む。私は初来航となる2人を手のひらで示した。
「こちら、楽園島の塩漬けニシンを運んでくださる、ギュンターさん、エンリケさん」
オリヴィアさんは、2人の交易商人へ一礼する。
「全能神のご加護あれ」
たおやかで、ひっそりとした微笑み。
「修道女オリヴィアです。当院の宿坊係、そしてワインの醸造係をしております」
「これはお美しい――と、神の家でこの言葉は失礼でしたな」
咳払いし、ギュンターさんは帽子を取って一礼する。
「交易商のギュンターといいます」
「こちらは、エンリケです。お見知りおきを」
出会った三人は、早速航路やワインの情報交換を始める。私は嬉しく、そして頼もしく感じた。
顔合わせは完了。後は交易船に積んだニシンを修道院で下ろせば、最低限の目的は達成する。
そこで、坂の上からそよ風が吹いてきた。
ふわりとブドウの香り。
「秋は、全能神の実りの季節」
話を区切り、オリヴィアさんは私達を見渡した。
「ブドウはワイン以外にも、ジャムにもなります。他にもイチジクやリンゴ、もちろんお魚もございます。丁度お昼時ですし、お近づきの時間も兼ねて、当院でのもてなしはいかがでしょう?」
みんなで顔を見合わせる。
いきなり訪れて、さすがに悪い。
「そこまでは……!」
言いかけてお腹が鳴り、顔が赤くなった。
……し、仕方ないじゃないですか。
お読みいただきありがとうございます。
続きは、10月10日(火)に投稿いたします。




