3-9:ハルの決意
私は、ハルさん、そして交易商人のギュンターさんとエンリケさんを見渡す。
瓶をしっかりと抱えながら、指を一つ立てた。
「もしこの『瓶詰め』製法が、あなた方の交易船でも野菜保存に有効であったなら――製品ではなく、製法を買いませんか?」
「ふむ、なるほど?」
「もちろん、ハルさんがよければです」
早速ギュンターさんが面白そうに食いついた。ハルさんが怖がるので、そんなご馳走を前にしたネコみたいな顔をしないでください。
エンリケさんも楽しげに首肯する。
「なるほど? まぁ僕は、商圏が盛り上がりそうな品ならなんだって大歓迎だが……」
首を傾げ、ハルさんは指を絡ませた。
「せ、製法……?」
「『製法販売』というのですけど。楽園島だけでは、どうしても資材の限りがある。なら……」
ハルさんが、茶色の目をきらりとさせる。
「あ、なるほど。ギュンターさん達に『作り方』を教えて、役立ててもらう――その代わりに、お金を……」
「正解です。塩漬けニシンとは違って、私達が生産をするわけではない。その代わり、最初に『製法』を教える時にお金をいただきます」
やっぱりハルさんは、かなり要領がいい。計算もできるし、領主様の側にいたせいか商いの感覚も持っている。
資材や生産量の関係で、島で事業化することは難しい。なら、それを活かせる交易船に『製法』を教え、資金を得るという手があった。
「瓶詰製法を必要とし、事業として役立てられるところ。交易商人のお二人なら、覚えがあるのでは」
「ふむ。俺達がそこに製法を広めたり、そこから瓶詰を仕入れたりしてもいいってことだな?」
「もちろん」
ギュンターさんがにやっとした。
「仮に今なら、いくらで売る」
「――ハルさん、あなたが決めてみる?」
びっくりするハルさん。以前はお給料がいらないとまで言ったハルさんだけど、私達と商いを学んでいる。
「で、ですけど……」
「計算が必要なら、私が手伝います。でも、あなたが産み出した技術ですもの。商いは1人ではできない。ハルさんも、交渉の経験を積んでおくのもきっといいですよ」
……自分で言っておいてなんだけど、かなり、厳しいやり方だ。
11歳の女の子に、値段を決めさせようというのですもの。
ハルさんは気圧されたように数歩さがったけど、やがてぶんぶん頭を振った。赤毛のおさげが左右に振れる。
「ぎゅ、ギュンターさん。これはきっと、トマト以外のお野菜にも使えます。交易船で新鮮なお野菜が手に入るなら……」
「お、おおう? ……エンリケ、意外と手ごわそうだぞ」
「はっは、船団長、お任せします」
だいたいの値段は、銀貨32枚、32万4千ギルダーというところに落ち着いた。
事業の1月分と同じ儲けだけれど、潜在的な利益を考えるとちょっと安い。成功すれば、交易船にも、街の料理店にも、旬を過ぎてなおみずみずしい野菜を売れるのだから。
これは、交易船が検証を手伝うこと込みでのお値段である。
まずはギュンターさん達が瓶詰を全て買い上げ、保存食として試す。輸送や保存がうまくいけば、正式に製法もお買い上げ。
ハルさんの『瓶詰め』は、今回の取引品目の最後にきちんと書き加えられた。
ただ、実はこの技術には秘密があったらしい。それは――
「実は、思いついたのはハルだけじゃなくて――おじいちゃんのメモ書きが、途中まで残っていたんです」
商談が終わった後、ハルさんはこっそり私にだけ教えてくれた。
嬉しそうに舌を出す。
「おじいちゃんの技術、やっぱり、凄かったんですね……」
私とハルさんは、すでに他界した共同発明者に、ささやかなお祈りを捧げる。
贋金で捕まった錬金術師というのが、ハルさんのおじいさんだった。
頬が緩む。
「せっかく、よい保存技術なのです。なら、島の外でも役立ててもらった方が、きっと技術も嬉しいでしょう」
……思えば、塩漬けニシンの製法だって、最初は技術書に頼った。私達の事業は、大昔の発明者のおかげである。
瓶詰技術を広めるのも、そのささやかなお返しになるだろうか。
◆
ハルは交易商人らと別れた後、住まいである食堂の奥、納屋へ向かった。いつもの作業に取り掛かるためである。
彼女の祖父は『錬金術師』を名乗っていた。最終的には贋金造りで流刑となる。
その折、火つけ道具や金物一式を島に持ち込んでおり、ハルの家が食堂になったのは、もともと火を使う道具が多かったからだ。
家の納屋には、そんな当時の道具や覚え書きがたくさん残っている。
祖父はすでに他界していた。
一方、祖母は病がちで寝込んでいたが、交易船から良質な薬草――サフラン、東原産のニンジンなどなど――を買えるようになったことで、最近はすこぶる調子がよい。
納屋の机に座って、ハルは全能神に召された祖父へお祈りした。
「ありがとう、おじいちゃん。おかげで、おばあちゃんにまたいいお薬が買えたよ」
悪事がバレた原因は、ある実験に失敗して家を火事にしたからという。焼け跡から贋金づくりの設備が見つかって、悪事が露見したのだ。
ハルが座る年季の入った机には、ボロボロのメモがピン止めされている。
【食材の保存法について】
容器を煮沸消毒して、しかる後に水分を飛ばした食材を詰める。
その後、沸騰した湯で容器ごと茹でる。
緩く蓋をすれば、熱くなった空気が容器から逃げていく。
湯から出し、まだ熱い状態できつく蓋を封じれば、中身が常温に戻る時に減圧され、より強く密閉される。
(荒々しいメモ書きで)この密閉方法を金属でやれば……。
保存食を作る時はきちんと容器を洗う――それは最低限の心得だ。祖父のやり方は、瓶を中身ごと熱湯で加熱し、空気さえ抜いた減圧状態で密封するところが特殊だった。
熱された空気を閉じ込めると、常温に戻る時に瓶の蓋を固く締める役割を果たすという。
祖父は、贋金に良心が咎めるところがあったのかもしれない。
冶金技術を瓶詰ではなく、金属詰め――いわば缶詰に転用しようとして、実験中に火災を起こし運に見放されたというわけだった。
料理経験からハルはいくらかの改良を施したが、祖父がこだわったように金属でやるのは無理だろう。食品を保管できるような、錆びなくて丈夫な金属容器は、瓶より希少だ。少し発想が先へ走りすぎていた。
「でもやっぱり、おじいちゃんの技術はすごいんです」
ハルは大きな椅子にちょこんと座って、ぶらぶらと足を振る。
祖父の知恵と島の味が組み合わさって、海を越えていくのが楽しみだった。
「ありがとうございます、クリスティナ様」
ハルもまた、島を盛り立てた少女に感謝していた。
――お守りします。
――クリスティナ様がどこかへ漕ぎ出すときは、たとえその船に密航してでも!
教育の影響か、決意は少し治安が悪い。
ハルはほっぺたに指を当てた。
「今回は、交易船で修道院やシェリウッドに寄ると言っていますし――」
交易商人らは、冬の間は何度も近くに来るらしい。今のうちに商いの下見をしたいということだろう。
ログとクリスティナが、近郊の案内に乗船していた。食堂の娘としての目ざとさで、最近の2人の距離感が気になり、ついていけなかったことが悔やまれる。
納屋の窓から、ハルはきらめく海を見やった。
南風に乗る海鳥と一緒に、思いは令嬢が向かう次の海へ飛んでゆく。
キーワード解説
〔缶詰〕
瓶詰は重く、壊れやすいという欠点があった。
そのため、主には軍隊の糧食目的で、やがて金属缶に詰める缶詰が発明された。
ハル祖父も似た発想をしたようだが、冶金技術が追いつかなかったのかもしれない。
熱で殺菌する缶詰・瓶詰は、実用化すれば、いずれ塩漬けは不要になっただろう。
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続きは10月8日(日)に投稿予定です。




