3-8:新商品開発
大量生産を始めてから、時間は飛ぶように過ぎた。夏から初秋はニシン漁の最盛期なので、樽に詰めるためのニシン漁も、修道院を通した樽の手配も、検品作業も、倉庫を増やす段取りも、並行してやっていく。
お父様に体調を心配される勢いだったけれど、修道院やシェリウッドとの交渉で私が出て行かないわけにはいかない。
とにかく踏ん張っている間に季節は進み、第10月になった。
約束だった交易船団が、楽園島を訪れる。
私が島にやってきてから、3回目の来航だ。
作り貯めをしておいた大樽40個が、貯蔵庫から外に出されて日を浴びている。
ギュンターさん達が見ている前で、私達は一つ一つを検品した。いやな臭いがしていないか、樽から水漏れしていないか、魚にカビが生えていないか――ギュンターさん、それにエンリケさんの目は真剣だ。船からは仕入れ担当の商人も降りてきて、私達のニシンを検査する。
驚くなかれ、ニシン検査官という専門の方だ。
私達の出荷に備えて、わざわざ商人連合会に連絡を取り、南の大都市から連れてきてくれたのである。なお旅費は、『海の株式会社』と折半。
検査官は、ヒゲをなでながら厳かに頷いた。
「素晴らしい。一級品にも劣らない、見事な出来ですぞ」
胸を撫でおろす。
ギュンターさんがにっと口角を引き上げた。
「いいだろう。全部、買い上げる」
「よかったです」
素直な感想が口から漏れて、ギュンターさんに笑われてしまった。
「なんだ。自信がなかったのか?」
「初めての大口の出荷なので、正直なところ緊張はしました」
品質、品質、品質というけれど――維持するのは、ミスもする人間だからなおさらだ。
「はは、君も緊張をするとはな。帰りに海が荒れないといいが」
ギュンターさんが合図を出すと、船員たちが「おう!」と叫んでいっせいに樽を船に積み始める。交易船の船腹は膨大だ。荷馬車十数台でようやく積めるほどの樽が、次々と船に積み込まれる。
最後の1樽が運ばれるのを見届けてから、私達は領主様のお屋敷へ移った。
商談と情報交換のためである。
前回のこともあって、私がエンリケさんと目線を合わせづらかったのは――秘密だ。手に口づけする貴婦人向けの作法、なんだって商売相手の私にしたんでしょう。
……こちらのペースを崩す作戦だったりして。
場所をお屋敷の応接へ移した後、まずギュンターさんが口を開いた。
「さて、早速だが報告がある」
私とダンヴァース様を順に見やって、ギュンターさんは顎をなでる。
「商人連合会についてだ。俺達の販売先にして、重要資材や販路を独占している目の上のたんこぶでもあるが――ここは、シェリウッドと同じような動きを王国の沿岸でやったらしい」
私は尋ねる。
「独占、ということですか?」
引き取ったのはエンリケさんだ。
「ええ。土地の有力商人や参事会に取り入って、市場を独占する。ここまでは共通した手口ですが、有望な街では良質な品も流していた。どうも『低等級品を仕入れて、独占した市場で高値で売り抜ける』というよりは、独占自体が目的であるようですね。良品を市場に流すのは、短期の利を得るのではなく、独占を維持する目的でしょう」
なんだか気になる動きだった。
地図で確認をしてみると、独占があった都市はシェリウッドのような沿岸ばかりなのである。
「僕の母国、フィレスの方でも気にしています」
「次の来航でも、わかったことがあれば教えてください」
ギュンターさんは首肯した。
「もちろんだ。今までは2か月ごとの寄港だったが、冬の間は1月ごとに来れるだろう。冬季は、北方の材木産地が航路を閉ざすからな」
かすかな不安に反して、『海の株式会社』の事業は順調だった。
帳簿をみれば一目瞭然で、月ごとに利益が積み上がっている。
1月あたり20000尾出荷で、利益30万ギルダー。たった3か月で100万近くも利益が出るのだ……!
年が変わる頃に帳簿を締めて、その時点の利益を配当するべきでしょう。
ただし利益の少なからずが、来年には新しい倉庫の建設代、船の購入代、壊してしまった桟橋の修理代などに消えていきそうな予感がしていた。
「先は長いですね……」
「いや待て、儲かってるだろ」
「事業を始めた時は、投資がかさむものですよ」
ギュンターさん、そしてエンリケさんと話しながら屋敷を出る。
すると、玄関の辺りでハルさんが追いかけてきた。
「く、クリスティナ様! お待ちをっ」
両手で何かを抱えるハルさんに、私は身を屈める。
「ハルさん、それは?」
「え、ええとですね」
言いさしてから、ハルさんはギュンターさん、そしてエンリケさんに一礼する。
「こ、これを……」
差し出されたのは、一抱えほどの『瓶』である。
ふと気づいた。
ハルさんの声が震えたのは、意図せずに交易商人への発表になってしまったからだろう。ハルさんが大慌てで何かを持ってくる時は、大体が新しい商品のアイディアなのだ。
「ありがとう。見せてもらいますね」
お礼を言って瓶を受け取る。
すでに中身が入っていて、けっこう重い。
「――瓶詰、ですか?」
分厚い緑色のビンは、最近では食材やワインの貯蔵に使われる。修道院との交易で、樽以外の容器も入ってきたのだ。
陽にかざすと、中に果物のようなものが入っているのがわかる。
「そうなんです。これはトマトの瓶詰です」
「と、トマトっ?」
「これは夏の終わりに作ったものですが、まだまだ日持ちしそうなのです」
私はギュンターさん達と顔を見合わせた。
反応がよかったせいか、ハルさんは得意げに解説する。
「島でとれたトマトを長く保存する方法がないか、考えたのです! トマトソースと、あとジャムとかをヒントにしたのですけど、まずは煮詰めて水分を飛ばして……」
「は、ハルさんストップ!」
私はばっとギュンターさん、エンリケさんを見た。
ギュンターさんが今まで見たことないほどにっこりしている。
「ハルさんと言ったね? その作り方、とても興味があるなぁ、ぜひ教えてくれないか」
「僕も興味がありますねぇ。特に製法を重点的に」
「二人とも」
……どう見ても製法を聞いて真似する気ですね。
放っておくとハルさんを船で連れて行ってしまいそうだ。
ハルさんが涙目で後ずさる。
「えっ……え!?」
「ご、ごめんなさい、ハルさん。教えなかった私が悪いのだけど、作り方、特に新しいものの『製法』は秘密にするのが普通なの」
「そ、そうなのですね……」
落ち着いたところで、私は瓶詰を検分する。
「でも……ずいぶんしっかり密閉されていますね」
ふたの部分は、コルクになっている。直径は親指と人差し指を広げたくらいだ。
乾いた樹皮『コルク』を栓に用いることはワインでも試されている。
けれどこの瓶詰は、さらにロウを垂らした完全な密封だ。ハルさんはこの製法をどこで編み出したのだろう……?
とはいえ――これでは、商品としての話が進まない。
「季節は丁度、秋になりますわ。トマトは珍しいお野菜なので、育てている人がそもそも少ない。秋と冬でも美味しいトマトが食べられれば、よいお値段でも買う人はいるでしょう」
「うーむ」
「あ、あの! まだ試してないですけど、他のお野菜や、もしかしたらお魚も保存できるかもです!」
言い募るハルさんに、ギュンターさんは悩む。エンリケさんも顎に手を当てた。
「……問題は値段だ。ガラス瓶は、まだまだ貴重です」
ええ、と私は首肯する。
「楽園島では、この容器が頻繁に手に入るわけでもないですし……」
もちろんハルさんの話は、きちんと検証――確かめなければいけない。食べ物を売るなら当然のことだ。
けれど、夏の終わりにとれたトマトがまだ食べられるということは、少なくとも1月は日持ちするということ。
あれだけみずみずしいトマトを、腐らせずに。
「……都のレストラン、あるいは、交易船。そうした食材が価値をもつところに卸せば、瓶のコストも回収できるでしょうか……」
とはいえ、である。
「うーん」
腕を組んでしまう。
ガラス瓶は、樽のように最寄りの街から買うわけにはいかない。樽はシェリウッドが材木産地であるから、なんとかなったのだ。
そもそも、ガラス自体がまだまだ貴重。王宮や貴族の屋敷では、ガラス細工が飾ってあることが一つのステータスになる。
容器としてのガラス瓶が普及したのは、長距離交易船で何度も使いまわせる入れ物が求められた結果だ。樽は傷んだり臭いがついたりして、使いまわすのに向かない。木材の弱みだ。
一方でガラスはカビが生えることもなく、臭いが沁みつくこともない。木桶や素焼きの壺に比べて、抜群に清潔で、使いまわせるのだ。
ハルさんの食堂にも、もともとガラス容器があったけれど――おそらく長距離交易船と同じ理由で、島でも使われていたのだろう。往来が少ないから、何度も使いまわせる容器が便利なのだ。
私は、一抱えほどの瓶を眺める。
「この大きさでも、3000ギルダー。倍の大きさの樽並みに高いのですよね……」
シェリウッドで手に入らない以上、遠くから運んでくるしかない。
つまり高いものを、高い運賃をかけて、島に運ぶ。
しかも樽と違って、中身にそんなに詰められない。
エンリケさんが茶化した。
「いかにあなたでも、これをお金に変えるのは難しいのでは?」
「……あら、そうでしょうか?」
島では活かしにくいだけだ。
『ならば』、と私は案を出した。
キーワード解説
〔ガラス〕
紀元前からすでに容器や装飾品として利用されていたが、
特に酢や酸に強いという性質が大航海時代(16世紀ごろ)から注目され始める。
食品を密閉して保存するという発明は、後々の保存食の走りともなった。
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続きは10月6日(金)に投稿予定です。




