3-7:広がった世界
潮騒の音を聞きながら、ログは木剣を振っていた。
季節は移ろい、日差しのきつい夏から、秋へと変わりつつある。早朝の陽は柔らかく、潮風は少し肌寒かった。
「ふっ」
額には汗が浮き、黒髪がはりつく。
体の熱さとは裏腹に、剣を振っている時間は自然と落ち着いた。網の配置や船の順繰り、そんな色々な采配が整理できる。
幼いころも、こうして父と鍛錬した。7歳の時に騎士であった父が流刑されたため、幼少期にはあまりいい思いがない。父に習った素振りは、数少ない平穏な記憶だった。
ログは木剣を休めて、水を飲む。
汗をぬぐって、独り住まいの自宅から、なだらかに降る道を見下ろした。その先には、海。朝日で水面がきらめき、海鳥が風に舞い上がった。
クリスティナの言葉が頭を過ぎる。
――興味がない? あなたのお魚が、都で通用するかどうか。
どうしてあそこまで前向きに、島の仕事に突き進めるのだろう。
彼女といると、自分も強くありたいと思う。21年生きてきて、そう思ったのは初めてだ。
鍛練の再開は、礼儀や計算を――父に習ったはずのことを、体で思い出したいからでもある。
「……まったく、強すぎだ」
大柄な商人や、荒事でも怖じ気づかないのは驚いたが。近くにいるこちらの身にも、たまにはなってほしい。
先へ先へといこうとする少女と、周りとの調整役という苦労をしょいこみつつあるログであった。
――大樽の倉庫がそろそろいっぱいだ。修道院へ向けて出荷するか、それか、新しい倉庫を建てるか……。
気づくとクリスティナのように、いつも商いのことを考えている。
古くなった桟橋、更新したい漁具、あった方がいい灯台、などなど漁師からの相談はログへくるのだ。たまに体がもういくつか欲しくなる。
休んでいると、足音が坂から上がってきた。
「ログ!」
こちらを見た途端、ハルが目をパチパチした。
「うわ、すごい汗……そんなに剣を振って大丈夫なんですか?」
「準備運動だ。漁の方がきついし、漁場の配分の方が頭を使うよ」
今年11歳になるハルも、クリスティナと出会い変わった一人だった。
どんどん人が減って寂しくなる島に、いつも浮かない顔をしていたと思う。けれど今は、弾けるような笑顔だった。
「鍛錬なんて、本当の騎士さんみたいです」
「そんなわけがないだろう」
「でも、みんないってます。歩き姿とか、お作法とか、すごくきれいになったって」
木剣を地面について、ログは目をしばたたかせる。
「……そうかな」
「ハルも頑張らないと……!」
苦笑し、ログは今度こそ剣を置いた。
家に入り、軽く体を拭ってから、着替える。世話焼きのハルは、待っている間、家の外を掃いてくれているようだ。
後で食堂に何か届けよう、とログは思う。
ハル自身も『海の株式会社』のため、瓶やトマトを使って何かを作ろうとしているらしかった。
「騎士か……」
ハルに言われたせいか、つい呟く。
潮風が吹き込んで、壁でサビまみれの盾がかたりと音を立てた。父の盾である。かつて騎士の家系だったことを示すのは、島にはもうそれしかない。
静けさの中に、潮騒が続く。
ログは流刑にされた理由を、『父親の敵前逃亡』と教えられた。母がずっとそう言っていたし、父親も否定しなかった。
母は流刑になったことを心底恨んでいて、金切り声をあげて父を糾弾した。流刑地の暗い生活が、ログの半生にはべったりとへばりついている。
そんな両親も、すでに他界していない。
今は、引っかかることを思い出している。それは、大陸を去る前、父の同僚――他の騎士たちがログや父に妙に優しかった点だ。敵前逃亡をした男を慰めるほど、世間はいたわり深いものだろうか?
この引っ掛かりも、クリスティナがいなければ、きっと目を向けなかった。
「大陸か……」
自分をここに流した運命について、知る機会があるだろうか。
いつしか諦めていた。
今は、外を知りたいと思う。
家を出ると、海は日差しを受けてきらきらしていた。
「……ログ?」
問いかけるハルに首を振る。
「なんでもないさ。いこう」
島を勇気づけた少女への気持ちこそ、おそらく父が言っていた騎士らしい気持ち――敬愛というやつだ。
髪を結い上げた少女が浜で手を振り、ログは頬を緩めて歩き出す。
秋の風は、どこか切なく感じた。
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続きは10月4日(水)に投稿予定です。




