3-5:買収提案
私はエンリケさんに導かれて、お屋敷の外へ出た。
お屋敷は小高い丘の上にあるのだけど、一箇所だけ防風林が途切れて、見晴らしがよくなっている。エンリケさんと私は、そんな海まで一望できる場所で向かい合った。
停泊する交易船も見える。
荷下ろしを手伝う小船が、沖に碇を下ろした交易船との間を往復していた。
「驚かせてしまい、申し訳ない。あなたについて調べたことも、謝罪を」
エンリケさんは帽子をとり、優雅に腰を折った。
「改めて、名乗らせてください。私はエンリケ・フィレスと申します。フィレス王国の第四王子です」
頭に地図を描きながら、記憶をたぐる。
「フィレス……西方にある自由都市のひとつですね」
「さすが、ご存じでしたね」
「名高い交易の都でしょう。商いをしていて、知らない方はいませんわ」
都市1つだけの領土を持つ『都市国家』だ。
商業が盛んなほか、絵画や劇などでも有名な、瀟洒な国である。
特に仮面をつけて行うお祭り――仮面舞踏会は発祥の地で、風流を好む貴族はわざわざ船を仕立てて見にゆくほど。
そう言われると、エンリケさんには商人らしい質実さと、王族らしい気品があるように感じる。
宮廷の知識も豊かだったし、王子という身分は確かのようだ。
帽子にささった青い羽と、豊かな金髪が、潮風になびいていく。
エンリケさんは頬を緩めた。
「商聖女にお会いできて、光栄です」
恥ずかしくて咳ばらいをした。その呼び名は、あまりにもこそばゆい。
「商聖女なんて、初めて聞きました。本当にそんな風に?」
「ええ。第二王子の婚約者が、男爵令嬢というのは少し噂になりました。もっとも当時は、第一王子がおられましたので、注目は圧倒的にそちらが上でしたが」
ただ、とエンリケさんは言い添える。
「婚約を境に、第二王子の施策がずいぶんとよくなりました。壊血病への予算も、税制の整理も、商才がなければできないこと。ですから、我々商人は噂をしたのです。婚約者はおそらく、全能神が遣わした聖女に違いないと」
目が丸くなってしまうような話だ。
あまりにも大げさである。
「あなたが冤罪というのも、想像がつきます。領主様も、きっとあなたを信じているんじゃないかな」
「……そう願いますわ。事業としては、信用に応えられていると思いますけれど」
謙遜で誤魔化し、話のペースを元に戻す。
「それで、ご提案とは?」
「あなたが流刑になった経緯を考えると、きっと気に入ると思いますよ」
完璧な微笑みが、かえって事前の準備を感じさせた。
……夜会では、整った顔立ちに頬を染める令嬢もいるのだろうなぁ、などと思う。
「商聖女と呼ばれたほどの才覚。半年に満たず島をここまで変えるほどの手腕もある。そんなあなたが、商人連合会や王国を意識したまま商いをするのはいかにも窮屈では?」
笑顔は、商人がつける仮面だ。
王族のエンリケさんが交易商人を名乗っていたことも、私に声をかけてきたことも、きっと意味がある。
領主様から聞いたある言葉が、頭をもたげた。
「クリスティナ。あなたに、出資を持ち掛けたい。そも、『株式会社』は大勢の出資をまとめあげるための仕組みでしょう」
「出資……どれくらいを」
「船です。私が乗ってきた交易船、同じものを3隻あなた方の島に贈りましょう。もちろん、乗組員付きです」
目が点になってしまう。
「それは」
「北方商圏」
告げかけた言葉を、エンリケさんは微笑みで封じる。
「……この島は、大陸の北端。海峡を越え、北へ向かう中継地点には丁度いい。ものづくりをしなくとも、船さえあれば稼げますよ」
領主様は、北方商圏を『生まれつつある商圏』と呼んだ。少なくない商人が、すでに手を打ち始めているとも。
――なるほど、そういうことですか。
エンリケさんは続ける。
「まだ、多くの商人は気づいていないようですが。あるいは、現状を変えたくないのかも」
……とりあえず、一つだけ尋ねよう。
ぱちん、ぱちん、と頭で算盤を弾きながら。
「どうして、島の事業にそこまで?」
「功績です。フィレス王国は、都市が一つだけの小さな国。第四王子くらいまで継承権が下がると、使える男と思ってもらわなければ、仮に王子でも母国に居場所はない。あなたが作る北方商圏に食い込んだとあれば、先行投資として割がいい」
殿下は言葉を切って、手のひらの先で海を示した。
「航海技術は、私どもフィレスの方が上です。クリスティナ、島でもっと大規模にニシンを捕り、最新の交易船に乗せ、航海技術を頼り海峡を越えるといい……この島を起点に交易船が動けば、大陸だけでなくその北方にまでニシンを売りにゆける」
潮風が吹き抜ける。エンリケさんの帽子にさされた青い羽が、涼し気にそよいだ。
熱くなった頭をも風は冷やしてくれる。
「商聖女。北方商圏は、あなたが、意図的か、偶然か、手をだしかけたものでしょう?」
私は息を整えて、エンリケさんを見据えた。
ダンスで足運びを整えるように。相手のペースが速すぎる時は、のまれてはいけない。
見るべきは、私自身の足元。
「ご提案、ありがとうございます」
一歩下がり、笑いかけた。
あなたの手はまだ取れない。
「一つ質問が。その場合、島の人はどうなりますか?」
「島?」
きょとんとした顔に、揺れていた心が決まった。
エンリケさんが気圧されたのは、私の目がきらりとしたからかもしれない。
胸元に手を当てる。
「殿下。魚を捕るのも、暮らすのも、島の人達です。いきなり大商いを始めて、暮らしを乱せば、うまくいきません」
言葉を継ぐ。
「北方商圏――確かに魅力的な言葉です。でも、私は島のお魚が、本当にいいものだから、売りたいだけ。商圏は、後でいい」
エンリケさんは微笑を少し硬くさせていた。
「断ると?」
「はい。『海の株式会社』は、あくまで生産をする会社です」
殿下は大げさに肩を落とした。
「……やっぱり、だめか。なるほど?」
「それに」
右眉がピンと跳ねたと思う。私は、腰に両手を当ててエンリケさんを見上げた。
ダンヴァース様から学んだこと。
会社に資金を提供する出資は、配当、つまり分け前を受ける権利である。でももう一つ、会社の持ち主になるということなのだ。
「エンリケ殿下。交易船3隻は、たいへんな金額です。それだけの出資を引き受けると、出資額のほとんどはあなたになります。つまり……!」
「ふふ! そう、こちらの発言権が抜群に強まります。これは、『買収』というのですけど――さすがにばれましたか」
株式会社という仕組みは、資金の出し手と、経営者がしっかりわかれている。
しかし資金を出した側、今ならばダンヴァース様は、誰を経営者にするかは選ぶことができるのだ。その意味で、私は領主様に認められて社長をしている。
エンリケさんが主な出資者となれば、決まりごとの上では、私をやめさせることも可能だ。
「商聖女、あなたが少しわかったような気がします。無謀な野心家ではなさそうだ」
エンリケさんは顔をあげて、くすぐったそうに笑った。
断られることは織り込み済みだっただろう。
……北方商圏の話をちらつかせて私の反応を見ることこそ、目的だったのかもしれない。
殿下は眩しげに目を細めて、ぱちんと指を鳴らす。
「いいよ、わかった。僕の敗けだ。突然の提案と非礼、お詫びします」
エンリケさんは深く頭を下げる。
「でも、もしよければ……あともう一回、あなたを驚かせる機会をくれませんか? 今度は手ごろな商談です」
下手にでつつも、再び指を立ててそう提案してくる。
まったく、商人ときたら!
いっそ小気味良さを感じるくらい。
……いいでしょう、乗ってみましょうか。
「お次はなんですか?」
「こちらに」
エンリケさんは私を港へ招く。
坂を下りていると、どよめきと歓声が海風に乗ってきた。
お読みいただきありがとうございます。
続きは、明日に投稿いたします。




