2-19:魔女と弟子
どくん、どくん、と胸が鳴っている。
「私、そんなつもりは」
繰り返した言葉は、心細く消えていった。
……改めて、大貴族の中に混じっていくということは、恐ろしいことなのだと感じる。私もお父様も、第二王子殿下の事情は知っているつもりだった。王位に興味がないことを示すため、あえて、身分が低い男爵令嬢を婚約者にした、と。
壊血病への予算も、領地への見舞いも、大規模なものでは決してなかった。
そうであったなら王子殿下も許可をしなかったはずだろう。
でも『北方商圏』という言葉を知っている人から見れば、故郷である北の領地への利益誘導に見えたのかもしれない。
幻の商圏を復活させようとしている、と。
過去を知り海路を恐れる大貴族と、私達とでは、見ているものが違ったのだ。
一つ一つの施策ではなく、施策全体を見た時に何を疑われるのか、慎重であるべきだった。北方商圏という言葉は、20年以上前に流行したもの。私は宮廷で、思い出しもさえしなかった――。
「……守ってくれなかったはずですね」
追放される時、殿下は私を守ってはくださらなかった。
選んだ婚約者が、そもそも『無難な』令嬢ではなかったことに気づいたのだろう。
「……ダンヴァース様。あなたは二つとおっしゃいました。もう一つは?」
「今後です。『海の株式会社』でニシンを売るようになれば、あなたも注目される恐れがあります」
私は微笑んだ。
「……領主様は、私を商いに関わらせたことで、また私が陰謀に巻き込まれることを心配してくださっているのですね?」
どうだろう。
私は、この島の商いから手を引きたいと思っているだろうか?
答えは決まっていた。
「ありがとうございます。でも王宮にいた時以上に、自分でものを作って売っていくのは、面白い。初めて、自分で運命を切り開けたような気がします」
続けながら、はたと気づく。
「……私が社長をやることで、島の方々のご迷惑になりましたら、また別ですけれど……」
ダンヴァース様は息をつく。
「聡い人ですね。先ほども言いましたが、『海の株式会社』は、まだできたばかり。ニシンを数万尾商おうとも、交易路の中では大海の一滴のようなもの。注意をする必要はありますが……商売敵として注目をされるのはずっとずっと先でしょう」
なにより、と領主様は言い足した。
「北方商圏は、保守的な人達が何を言おうと、いずれできます。現在も、できつつあります。ですからニシン漁が軌道にのってさえいれば――彼らを逆に引き込むことができる」
あ、と気付いた。だから後から出資を得やすい株式会社なのか。
株式会社が『大勢に利益を分配する仕組み』だとすれば、商圏ができあがった後に、王国から出資を受け入れることもできる。
「『海の株式会社』が利益を出すようになっていれば、王国にはむしろ私達を守ろうとする動きも出るでしょう。潰しきれないなら、北方商圏への窓口はあったほうがいい」
『楽園島』はニシンの好漁場であると共に、北方商圏にも近い。もともと、国の北端なのだ。
「……商いで、存在を認めさせる……?」
「そういうことです」
息をのんだ。
「クリスティナ。この島では事業を興さなければ、誰も住まない無人島になり、島民は散り散りとなってしまうでしょう。商人はただ事業をするだけでなく、事業を守れるよう、強くならなければなりません」
――強く。
都を去って、貴族ではなくなった。
それでも今の暮らしは好きで、私をかばってくれた人もいる。
「なおさら、やってみたいです」
進みたいという気持ちが、笑みになって現れた。
「ここで踏み出さなければ、損ですもの」
領主様は目を閉じて、深く頷いた。
「時に、クリスティナ。あなたは、誰かに商いを習ったことがあるのではないですか?」
「……誰か、ですか?」
「商売には、感覚というものがあります。あなたは最初からそれが備わっていた。どなたかから、商いについて学んだことがあるのでは?」
「ほとんどは独学ですけれど、心得や基礎というのなら、お母様から習ったのだと思います」
7歳の時に死別してしまったけれど。
『北方商圏』という言葉も、おそらくお母様から教わったのだ。最後にはほとんど病床からだったけれど、読み書きや帳簿をすぐ覚えたのは、お母様の教え方がよかったからだと思う。
もっと話していたかったけれど……。
失って後悔するのはもう嫌だから、私は今あるものを、守りたい。
「故あって、お母様もまた商人をされていたそうです」
「名前を聞いても?」
「アリス、と」
ダンヴァース様は小さく頷いた。なんのための頷きかはわからない。何かを認めた、そんなそぶりだった。
「……私は以前、『魔女』と呼ばれていたことがあります」
「え、ええ……」
今も、魔女っぽいですけど――とは言わなかった。
眼差しがきらっとした気がしたけど、ばれてないだろうか!?
「もしあなたが本当に困った時は、『魔法』を使って助けてあげます」
目を瞬かせてしまった。領主様は、口の端に微笑をのせる。
……冗談、なのでしょうか?
私は首をすくめる。
「まぁ! 空でも飛べるのですか?」
「私が使えるのは、商人としての『魔法』です。ただ、もう使えるのは数度きり。島がこのまま発展しなければ、島民の生活のために残しておこうと思いましたが……」
ダンヴァース様は笑みを深めた。
「賢い娘よ。残した『魔法』は、あなたのために使います」
まっすぐに告げてくる。
「……そして改めて、ありがとう、クリスティナ。こんなに島を幸せにしてくれた」
私とダンヴァース様は開かれた窓に近づいた。
火の側で、まだ大勢の島民達が踊っている。修道院の方々も残り、熱心に島民と話しているように見えた。その中には菜園を管理している方もいる。
金肥――魚油の絞りかすから作る肥料のことにも、オリヴィアさん達は興味を持っていた。
商いで、島と世界が繋がっていく。
「領主様、まだ始まったばかりですよ」
吹き込む夜風は熱っぽく、すっかり夏の気配だった。
さぁ、次へいこう。
塩も樽もニシンもある今、いよいよ大量生産だ。
お読みいただきありがとうございます。
次から、いよいよ交易商人にも再登場いただいて、遠隔地交易が始まります。
ただ少しお休みをいただきまして、第3章『炭と塩と騎士団』は9月中に投稿を再開いたします。
以下、物語上の地図となります。
お楽しみいただく足しになれば幸いでございます。
地図1:楽園島と大陸の位置関係
地図2:北方商圏と大陸商圏
北方商圏は重要な交易路(緑のライン)と競合するので、成立を阻まれている。
神聖ロマニアの版図は半島を含む南の大陸側です。
右端の交易都市(赤点)の辺りが東端となります。
【お願い】
『先が気になる』、『面白そう』と思って頂けましたら、ブックマーク、評価、感想をいただければ幸いです。
評価は広告下↓の【☆☆☆☆☆】からです。
応援を頂けると、更新の励みになります。




