2-15:ヘリンガー
お母様がまだ商人であった頃、帳簿を締め切る時、末尾に『神の御名において』と記す商人が多かったという。
教会から帰ってきた夜、私は『海の株式会社』の帳簿をつけながらそんなことを思い出した。
商売は多かれ少なかれ、ライバルを出し抜く要素がある。だからひっそりと、許しを請うような言葉を乗せるのだろう。
最も儲かる商いは、結局のところ――独占だ。
ライバルをすべて閉め出してしまえば、お客は高い製品でも買うしかなくなる。
『海の株式会社』や各地にある『組合』だって、利益を守るための存在。情報や、鉱山、それに漁場、そんな利益を生み出すものから、『どうライバルを排除するか』とみんな考えている。
教会が商いを禁じるのは、そこに欲深い面を見るからだろう。
「……でも」
魚油ランプを帳簿にかざしながら、私は日報を締めた。
「よいものを、よい値段で売るのは、よいことです」
それでも、商いが好きだ。
頑張ろう。明日は、ちょっとした勝負になる。
◆
良く晴れた空に、商人ベアズリーさんの大声が響き渡った。
「なんだ、この騒ぎはぁ!?」
教会の前、噴水通りと呼ばれる大通り。
そこには、大勢の人が即席の店を出している。
ベアズリーさんの大声は予想通り過ぎて、私は心の中でぐっと手を握った。
大通りに出現した、教会による慈善市。品目は、革、毛皮、糸や布。小麦にワイン、そして塩漬けニシンなどなど。
交易船で持ち込まれた低等級品ではない、シェリウッドの近郊で生産された産物ばかりだ。もちろん、塩漬けニシンは私達『海の株式会社』の製品である。
大賑わいを舟のように押しのけて、ベアズリーさんが教会の前にやってきた。
ハルさんが指差す。
「灰色熊さんっ」
「ベアズリーだ! お前、あの時の子供かっ」
ベアズリーさんは大きな目をさらに大きくしている。
私は前に出て、巨体の商人と向かい合った。
視線がぶつかり合う。
「どう見ても無許可の市場じゃねぇか、すぐにやめろ!」
私は首を振って、笑いかける。
「これは、聖導教の教えに基づいた、『よい品』を、『安値』で売るための市場です」
「なにを……あ」
騎士同士の戦いなら、不用意な突きを跳ね上げたようなものだろうか。
ベアズリーさんは呻いて、苦々しく顔を歪める。
騒ぎで修道院の人達も集まってきた。追い打ちをかけるのは、微笑するオリヴィアさん。
「『低品質な品』が、『高値』で売られているのが、独占による市場の現状でした。ここの市場は、よい品質のものを、適正な価格で売っています」
独占済みの市場では値段がつり上がる。そのせいで、まっとうな価格で売っている教会の市場は、ものが安く手に入るのだ。
結果的に――買う人にとっては、慈善的な、安い価格になる。
神父様も加勢して、きっと目を鋭くした。
「た、確かに商いによって、個々の商人に利益は生まれている。だが、あなた達のように低級品で暴利を得ているわけではない。人々は、実際に、困っていた。売る側も、買う側も、この市場では損がない!」
口調がだんだんと強くなっていくのは、参事として、我慢してきたことがあったのかもしれない。
「この光景を見て、確信しました。教会として、ベアズリー商会が行う独占に、全能神に誓って抗議をしますぞっ」
市場のあちこちからどよめきがあがる。
「いいぞぉ!」
「閉め出しやがって!」
「こっちのものの方が、断然にうまいじゃないか!」
頬が緩むのを感じた。
おそらく、シェリウッドはもう大丈夫だろう。参事の1人が腹をくくって独占と戦うことを決めた。
市場がもう一つできた以上、まっとうに競争すれば、不良品が売れるはずもない。
他に買う場所がないという前提が、独占には不可欠だ。
私は商人として、ベアズリーさんに助言する。
「……値段を下げれば、そちらの市場でもきちんと売れると思いますよ? あくまで、値段と品質が釣り合っていればいいのです」
「ちっ」
ベアズリーさんが舌打ち。太い腕をぶんと振り回した。
「街の商いの邪魔だ。この女どもをつまみ出せ」
すると、ベアズリーさんの後ろに大柄な男達が現れる。
実力行使、か。
「ハルさん、私の後ろに」
「クリスティナ様!」
伸びて来る手に身を固くした直後、誰かが私の前に立った。
「うちの社長に何か用か?」
ログさんだった。私をかばって、男達が伸ばした手を受け止めている。
ぽかんとする私に、ログさんは眉を上げた。
「どうした?」
「いえ……」
「…………なんで棒立ちしてるんだ。俺らを呼べばよかっただろう」
「それはっ」
王宮で断罪された時、守ってくれる人はいなかった。
今回もそうかもしれない、なんて心のどこかで覚悟していたのかもしれない。
「――ありがとうございます」
「はは、こうなるとは思っていたがな!」
続いて飛びかかってくる男を、ログさんは軽やかにかわし、ばかりか足をかけて転ばせてしまう。
ハルさんが目を輝かせた。
「ログ、すごい……!」
「父親の薫陶だな。生きてる間は、島でも訓練してくれたから……」
ぼうっとしていた私は、はっと口を開けてしまう。
もともと、街の雰囲気はピリピリしていた。ここで乱闘なんて始まったら、市場が台無しだ!
「こいつら――!」
顔を熊のように歪め、真っ赤にするベアズリーさん。
その肩に、ポンといくつもの手が置かれた。
「都から流されてきた令嬢と思ったが……」
「賑やかな人だわい」
楽園島からついてきてくれた、漁師さん達だった。
彼らはベアズリーさんの肩に手を置いたまま、にっと歯をむいて笑う。
「流刑されて24年、俺は元海賊だ」
「はは! こちとらは先代が密猟だよ」
「あー、ウチの先祖は大昔から島の住人だが――こうなっちゃ黙っちゃいられねぇ」
ベアズリーさんが呼んだ男達は、とたんに浮足立つ。
「る、流刑島――!」
「おい、逃げるなぁ!」
逃げ出す男達を、ベアズリーさんの声が追った。
乱闘の気配はとたんに霧散してしまう。楽園島の悪名を使ってしまったようで気が引けるけど……。
「どうです? まだ続けますか?」
「ぬっ、ぐぅ……!」
ベアズリーさんは地団太を踏みかねない勢いだ。
もう彼らに味方をする人はいない。敵を増やしすぎたベアズリー商会は、早々に独占をやめざるをえないだろう。
ハルさんが、そっと囁く。
「すごいです、クリスティナ様。うまくいきましたね」
「……もともと、多くの人が不満に思っていたはずだもの。こうやって意見を見える形にすれば、参事会だって無視できないはず――って、まずいまずいっ」
私は慌ててログさんの後ろに引っ込んだ。
それというのも、黒帽子に白羽をさした商人が歩いてきたからだ。独占をしかけたもう一人、細面の、商人連合会の男性である。
ログさんが怪訝そうな顔をした。
「クリスティナ?」
「わ、私、妃候補だったんです。もしここに来ていた交易商人が、私の顔を知っていて、都に話が伝わったら……」
ログさんには、事情をすでに打ち明けてある。一昨日、すでにちらりと顔を見られているが、用心に越したことはない。
日焼けした顔が面白そうに笑った。
「ああ、なるほどな。流刑先で暴れてるってバレるな」
「あ、あの! 暴れてるって……!?」
「安心して、後ろにいな。向こうが手荒な真似をしないとも限らない」
広い背中は頼もしい。
細面の商人は辺りを見回して、眉間に皺を寄せる。何が起きたか、察しがついているようだった。
「もう一つ市場ができては、独占など成立しませんな」
「ぶ、ブルーノ殿、これは……」
「やむをえませぬ。手仕舞いです」
商人は呟いた。
「この程度の街が多少栄えたとて、北方商圏が甦ることはない。今後の交易船は――そうですね、開拓騎士団領にでも振り向けますか」
商人の視線がログさんの方へむき、私は慌てて頭を引っ込めた。
そのまま、男は辺りを見回す。
「……先日いた、茶髪の女性が見当たりませんな?」
どきりとした。ベアズリーさんが舌打ち。
「ああ、くそ、儲けがパァだ。……すみません、女が何か?」
「いえ……クリスティナ、どこかで聞いたことがあるような……」
ドキドキしたけれど、なんとか姿を見られずに済みそうだ。
2人の商人は去っていく。細面の方――ブルーノと呼ばれていた――が言葉を落とした。
「この市場をしかけたのが、あの娘だとしたら――大したヘリンガーですね」
ほっと息をついて、私はようやく落ち着いた気持ちで噴水通りを眺めた。
午前中だというのに、市場は大盛り上がり。
これが本来の、この街の賑わいなのだ。
楽園島の漁師さん達も、今は樽を開けて塩漬けニシンを売っていた。騒ぎにつられてやってきた主婦や、食事屋の主が次々に島の魚を買っていく。
慈善市には屋台まで出ていて、塩抜きしたニシンを早速焼いていた。
脂が豊富なニシンは、じゅうじゅうと美味しそうな音をたてる。1本200ギルダーで売られており、興味本位で買った人達が舌鼓を打っていた。
おいしい、うまい、そんな言葉はなによりも嬉しい。
顔がにやけて、私は口許に手を当てた。
「――評判は上々ね!」
島の漁師さん達は、銅貨を受け取る度に信じられない顔をしていた。
こんなに売れるとは思っていなかったのだろう。
屋台にはハルさんが乗り込んでいって、焼き加減や、合わせる野菜を指導していた。島のドライトマトを売り込むことも忘れていない。赤いお野菜は、市の中でも目を引いている。
島の産物が、しっかりとこの街に根付いた気がした。
「……よかった」
市場の熱気で私の頬まで熱い。
オリヴィアさんがやってくる。
「クリスティナさん、あなたは……まさにニシン売りですね」
首をひねる私。
「さっきも言われたけど、それは?」
「ふふ、ニシンを扱う土地では、よく言うのですけど。ニシンは、『ひどい目にあう魚』として説教や、劇で使われるのです。料理の前、味をしみこませるため叩かれたり、塩塗れにされたり」
転じて、とオリヴィアさんは続けた。
「それでも負けない、強い商人をさすようです」
なるほど……ニシンは、地域によっては『へリング』とも呼ばれる。
それでニシン売りと、ニシンのように強いニシン者をかけたのか。
でも、悪くない。
肩をすくめてにっこりした。
「ま、これでへこたれてたら、損ですもの」
初夏の風が、噴水広場を抜けていった。
賑わいは風に乗って、きっと海まで届く。その先にある島に帰るのが、もう待ち遠しくなっていた。
「さて、オリヴィアさん?」
「はいはい、忘れていませんよ。樽職人でしょう? この街で、もうあなたとの取引を拒む人はいないわ」
商いの成功を信じながら、私は本来の目的、樽の仕入れへ向かう。
もちろん、うまくいった。
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