2-14:もう1つの市場
シェリウッドにある石造りの教会では、聖職者達が難しい顔を突き合わせたいた。
空気は重い。
オリヴィアは辺りを見回して、嘆息したいのをこらえる。この沈黙では、ため息さえ響きそうだ。
戒律によれば、全能神は沈黙を尊ぶ――とはいえ誰も話さないのは、手のうちようがないという状況のせいだろう。
日が落ちた後も、議論が終わる気配はない。
「……やはり、商いは悪しきものですね」
切り出したのは、修道服をまとった年配の女性だ。オリヴィア達の施設、聖フラヤ修道院の副院長である。齢は60を超え、この中では最も年長だった。
「この街に渦巻く欲深さが見えるようです」
声を震わせ、副院長は席を立つ。
「……あまりにも長く院を離れすぎました。もうけっこう、戻りましょう。そして、二度とこの街に来ることはない」
慌てたのは、中年の神父だ。シェリウッド教会の責任者であり、街の有力者でもある。
『独占』という状況を許した負い目か、声は弱弱しかった。
「お、お待ち下さい。あなた方が造るワインは、良質で、この街の貴重な産物です! これは、街の参事の立場から言いますが……今は耐え、取引を続けた方が互いに得です」
「だからこそ、問題なのです」
副院長は机についた手を震わせた。
「修道院は、そもそもは祈りの場。自給自足でやっていくのが本来のあり方です」
オリヴィアは胸をつかれた。
富商の父が、妾に生ませた娘がオリヴィアである。罪悪感を、子を神に捧げることでごまかそうとしたのか、オリヴィアは早々に修道院へ入れられた。
オリヴィアは、ほどなく酒造りの才能を発揮してしまう。
どうしてこんなにうまくできるのかわからなかったが、良質なワインを醸した時、本当に全能神が祝福してくれたように思えた。
他の醸造所が混ぜ物をし、安価なワインを卸していたとなればなおさらである。
修道院で醸したワインは、予想外に当たってしまう。
オリヴィアは辺境に送られた。醸造組合が文句を言ったという噂は、おそらく事実だろう。都の修道院は利益だけを懐に入れて、製法を改良したオリヴィアを辺境送りにすることで話をつけた。
結んだ唇からため息が落ちていった。
ここでも、とオリヴィアは思う。
「ここでも、いいものは作れないのでしょうか……」
副院長に睨まれ、オリヴィアは俯く。
「修道女オリヴィア。あなたのワイン造りの才は認めます。しかしそれが、当院を本来の自給自足から遠ざけてしまった。なまじ質がよかったがゆえに」
そこからは、また繰り返しだった。
他の修道士らがなだめ、地元教会の神父も慰留する。
「街には、歴史あるあなた方を敬う信徒も多い。司牧、教えの伝道にも障りましょう!」
街への滞在が長引いたのは、なんとかワインや写本を売る方法を探していたという事情もあるが、ここで取引が切れれば頑固な副院長は二度と商いを許さないと危惧したためと思われた。
オリヴィアは手を組み合わせて祈る。
「誰か――」
部屋の扉がノックされた。
応えを待って、3人の来訪者が部屋に入ってくる。
「クリスティナ、さん……?」
ぽかんとするオリヴィア。
がっしりとした青年ログ、そして子供にすぎない少女ハルを従えて、クリスティナはテーブルに進み出る。
副院長が迷惑気な目を向けた。
「夜に、なんでしょうか? 流刑島の商人と聞いていますが」
「提案をお持ちしました」
挨拶の後、クリスティナは微笑する。長机に一枚の紙を置いた。
「今の街で商品が売れない職人、行商人、それに毛皮を持ち込む狩人や、糸や布を販売にきた農夫を、ここにまとめました」
オリヴィアは、意味を察する。
独占で街に商品を卸せなくなり困っている人達の一覧だ。
「さすがに日持ちしない野菜や肉は、これまで通り商いができているようです。代わりに閉め出されたのは、保存食や、服飾などなど……日持ちがする交易品ですね」
「これが何か?」
副院長がうろんげにクリスティナを睨む。
令嬢は青色の目をきらりとさせた。
「品目はざっと30ほど! 手法はお悪いですが、なかなか努力がみられます。今、市場に出された品物には低品質なものも目立ちますが、普通の品質のものも一緒に売っていました。お金を出せば今までどおりのものが手に入る、少しだけ賢いやり方をしてますね」
オリヴィアは目を瞬かせてしまった。
この子は誰だろう、と思う。修道院で出会ってから、島に流されてきた令嬢だとは聞いていた。
年齢は、まだ17歳だったはず。なのに今は微笑みを浮かべて状況を一枚にまとめ、会議を仕切り始めている。
「神父様は参事会でいらっしゃいましたね」
いきなり話を振られて、中年の神父は笑ってしまいそうなほどうろたえた。
「あ、ああ……それで君は?」
「参事会を招集し、街として動くことは?」
「8人中3人が、ベアズリー商会から借金をしている。それで強く出れないのだ」
「ふむ……でも、生活が脅かされている人がいます。職人さんは死活問題ですし……暴動がおきますよ」
「なっ」
目をむく神父と副院長に、クリスティナは初めて見るほど、冷たい目をした。
「傾いた領地で、人の心がどれだけ荒れるか、見たことはありますか」
オリヴィアは声を張る。
「何か手はあるの?」
「修道女オリヴィア」
「副院長。シェリウッドが大きな街であった時なら、街から離れて、自給自足もよいと思います。ただ、人が減った街と取引を断ち、見捨てるようなことは――本当によいことなのでしょうか。私達も、役に立つことができますわ」
生産という形で。
付け足すオリヴィアは、副院長と視線をぶつけあう。
引き取ったのは、クリスティナだった。
「産物を持っている人が、売れない。この状況をすぐに解決する方法があります。ただ、それには聖導教の教会、そして修道院の協力が必要なのです」
クリスティナは指を一つ立てる。
「なお、このまま放置をしますと、参事会で結論が出ない間に、ベアズリー商会は低品質品を売り続けます。職人や農夫は閉め出され、やがて生活が苦しくなる。いよいよ暴動となる頃には、商会を畳んでベアズリーさんは別のところにいるでしょう。おそらく、商人連合会で交易船の船主にでも納まるつもりでは」
神父がごくりと口を引き結んだ。
「……それで、あなたの案は」
「街の規則で、市場は一つのみ。そしてそこで商品を売れる商人は、制限されている。ところで教会は、買い上げた物資を人々に施すことがありますね」
「教会を巻き込むつもりですかっ」
声を出しかける副院長を、オリヴィアは制す。クリスティナの話が続いた。
「同じように、『慈善を目的にものを売る場』を設けることも、教会には認められています」
『教会が商人から物資を買って人々に施すこと』も、『商人が人々に施す場を教会が提供すること』も、土台は同じではないか。
物資の受け渡しに、教会が入るかどうかの違いだけ。
おそらく、そんな理屈だろう。
「慈善を行うための、特権です」
オリヴィアは思い出した。
一年ほど前、王都でそのような催しが開かれたという。当時、遠出をしていた修道士から聞いたのだ。
提案したのは、第二王子の妃候補。
教会は商人に利子を取ることを禁じたことがあるほど商いを嫌うが、その時は教会内部に市場がたった。商人らは貧者に安値で商品を売り、値引き分は『寄付』という扱いになる。
在庫一掃、そして宣伝目的で多くの人が集まったという。
神父の声は震えていた。
「教会が、市場をたてる……そんなことが可能なのか!?」
一つしかない市場の入り口を、ベアズリー商会が塞いでいる。
ならば別に市場をたてればいい。
単純な発想だが、教会に市場をたてる権利があるなんて、誰も思い出さなかったのだ。
「他ならない王都で前例があります。教会の鐘を鳴らして、次の安息日をこの『施しの日』にするというのはいかがでしょう」
クリスティナの笑顔は頼もしかった。
こんなことは何回もやってきたのだ、とでも言わんばかり。
「クリスティナ、あなた……何者なの?」
「オリヴィアさん、後でお話しします」
クリスティナは修道士達から、困惑する神父へ視線を移す。
「街の商いが、このままだと信用を失ってしまいます。失われてからでは、立て直しは大変です」
唯一、『参事』として責任がある神父は目を泳がせていた。
「ですが……私は確かに参事だが、商いのことは……」
「街を守れるのは、そこに住む人だけです」
はっと神父が息をのむ。
クリスティナに見つめられ、静かに顎を引いた。
「――わかった」
令嬢はにっこりした。
「さぁ、善行ですよ。ちなみに、この仕組みは、慈善市と呼びます!」
一夜が明けた早朝、鐘が打たれる。
翌日の安息日に、教会が市場を開くことがシェリウッド中に周知された。




