2-12:独占
商会が並ぶという通りも、やはり同じように寂れていた。大商会の支店はすでに街を去り、この街が発祥という小さな商会だけが、唯一まだ営業しているらしい。
空き家ばかりの通りも、一軒一軒が大きいと寂しさもひとしおだ。
歩きながら、ため息をついてしまう。
「試作品のニシンを売るだけじゃなくて、ゆくゆくは大口の取引も考えていたのですけど――」
人口千人という、島の5倍以上の規模。それに大陸にあるから、資源も豊富。
期待していたけど――これは、取引相手としては望み薄かもしれない。
連なる空き店舗に、ログさんも息を落とす。
「……本当に『商会』へ売らないとダメなのか?」
商会とは、商人が大きな商いのために立ち上げる組織だ。
株式会社に少し似ているけれど、人名がつく商会が多いとおり、個人の事業という面が強い。お金の出し手――出資者が増えることも、一族以外が経営することも、希だ。私がいなくて、『海の株式会社』をダンヴァース様が直接経営していたら、おそらく商会であっただろう。
ただ仕組みとしては、むしろこちらが主流。王侯にも匹敵する大商会から個人商店のような小商会まで、いろいろなものがあった。
シェリウッドにも複数の商会が支店を出していたようだが、今は見る影もない。
歩きながら、ログさんは言う。
「この寂れ具合じゃ、わざわざ街の店を通すまでもない。俺達が直接市場でニシンを売った方がよさそうだが」
「それはダメです」
首を振る私に、ログさんが眉を上げる。
「どうしてだ」
「あ! それ、ハルも気になりますっ」
「たいていの街では、余所の商人が勝手に店を出すことはできません。市場で販売できるのは、街が認めたお店だけ。シェリウッドの場合、『塩漬けニシン』などの交易品は、必ず地元の商会を通す必要があります」
私達が市場でお店を開くことは、できない。
代わりに地元の商会に卸し、そのあと、商会が市場の小売商へ卸すのだ。この辺りは、小麦や布地などでも事情は同じである。
「そうなんですか?」
首を傾げるハルさん。ログさんは、すぐに口の端が歪める。
「なるほど。そうやって、街にいる商人を守るわけか」
「そういうことですね。外の商人がどんどん参入したら、元々街にいた商人にとっては、競争相手が増えてしまう」
住む商人を優遇するのは、多くみられる施策だった。商会にとっても、街に支店を出す動機になる。
「小麦を船で運んできた交易商人が、直接住民に売り始めたら、街に住んでいる商人は困ってしまいます。でも、船は突然来なくなることもあるし、街としてはずっといてくれる商人も大切にしたいと思う」
その折衷案が、『街にいる商人を通して売る』という決まりだ。
「典型的な条文は、こうですね。
販売の目的で市内に商品を持ち込むものは、公の市場の外でそれを売ってはならない――。
つまり『どこで』『誰が』商品を売ってよいかは、街が決めているということです」
歩きながらログさんが腕を組む。
「……なんか釈然としないが」
「ハルはいい仕組みって思いますけど」
「こういう決まりって多いのですよ」
ログさん、けっこう鋭いと思う。商いにはこうした『決まり事』があちこちにあって、時にはルールを悪用する商人も現れる。
複雑な仕組みは、悪事をも見えにくくするのだ。
オリヴィアさんが驚いた顔をする。
「クリスティナさん、あなた、本当にお詳しいわね……?」
「え、ええまぁ……」
そのうち、この人にも島にきた経緯を話そう。
私はちらりと通りの端に目を向けた。
「でも……」
じっと私達を見ていた男が、物陰に消えた。
……なんでしょう。寂れているだけじゃない。
なんだか、ピリピリした雰囲気を感じる。
「わかるか?」
先頭のログさんが言った。
「ちょっと雰囲気が妙だ。なにかあったら、ハルと下がっていてくれ」
ログさんや漁師さんが頼もしい。この人なら、確かに守ってくれそうだ……。
変なのは、雰囲気だけではない。
通りを進むにしたがって、放置された荷車や、置かれたままの樽が目立つ。まるで倉庫に入りきらなかったかのようだが、野ざらしの産物は二等以下の品ばかりだ。
刻印の有無や樽の痛み具合で、だいたいの品質はわかる。管理不足というより、管理するほどの品ではないのかもしれない。
「変だ……」
ガラガラの通りに、低等級品の山……?
私達は、唯一看板を出している建物にたどり着く。
『ベアズリー商会』と書かれていた。口を開けた熊のマークは、大笑いしているようにも、威嚇しているようにも見える。
私は扉に近づいた。
途端、内側から怒鳴り声。
身を強ばらせる私に代わって、ログさんが扉の前に立つ。
「様子がおかしい……なんの騒ぎだ?」
言い争う声が、どんどん扉に近づいてくる。
「みんな離れろっ!」
ログさんの言葉で飛び退かなければ、ドアにはね飛ばされていただろう。それくらいの勢いで扉がぶち開けられたのだ。
開いたドアから雪崩れるように人が突き出されてくる。
全員、見覚えのある服装だ。
「みんな……副院長も!」
オリヴィアさんが叫ぶ。
地面で痛がる修道士達に、荒々しい声がぶつけられた。
「まったく、何度も何度も来やがって」
ドアから最後に出てきたのは、ヒゲを生やした、海賊みたいな大男だった。黒地の仕立てのいい装束でなければ、本物に見えただろう。ドクロの帽子が似合いそうだ。
「けっ! 何度来ても同じだよ! この街は、もう一つの仕入れ先からしか買わねぇんだ!」
「しかし……!」
「ワインどころか、あなた方が商っているのは不良品ばかりじゃないか!」
「黙れ黙れ」
大男は面倒そうに腕を振る。
そして、私達に気付いた。
「――なんだ、お前らは?」
「この街に商いに参りました、商人です」
私は支え合って起き上がる修道士達を見やった。ログさんが彼らを立たせてやっている。オリヴィアさんもその手を取り、心配そうに涙ぐんでいた。
状況がわからないまま、私は問う。
「この騒ぎは、上品とはいえませんね」
「お貴族様みたいな口の利き方だな」
男は口を曲げた。
「あなたは?」
「俺は、ベアズリー。この商会の、商会長だ」
え、と呻きそうになった。この乱暴な仕草で、商会の長……?
ハルさんが震える。
「ぐ、灰色熊さん……!?」
「ベアズリーだ! なんでガキまでいるんだ」
大男に睨みつけられ、ハルさんは私の陰に隠れた。
「……先程も告げましたが。私達はニシンを商いに参りました、商人です」
「ニシン? どこのだ?」
ハルさんが叫んだ。
「北の、楽園島から、です!」
大男はにやっと笑う。とびきりのオモチャを見つけた、意地悪な熊のような笑い方だ。
「楽園って――流刑島かよ!? 遠いところから、罪人どものまずい魚を売りに来たのか?」
言葉を失うハルさんを漁師さん達に守ってもらう。
私は前に出た。
「あら」
まっすぐ見上げられて、大男は一歩下がる。
これくらいで、気圧されるとでも思ったのだろうか。直截な暴言は、持って回った貴族の言い回しより小気味がいいくらい。
「品質には自信がありますよ。もっとも……」
商会の奥には、別の男がいた。細面で、頭には黒い帽子。そしてその帽子では、『白い羽』が一つ揺れていた。
「どのような逸品であっても、あなたは買うつもりはないようですが」
「はっ、逸品とは大きく出るなぁ?」
大きな手で、男は顎をなでる。
「だが合ってる。この街に売る品物は、すべて、とある大商会から買うことに決まった。お前らは閉め出しだぁ」
大男は背を向け、扉に戻る。
少しだけ見えた細身の男は、口元を歪め小さく一礼した。
乱暴に商会の扉が閉ざされ、寂しい通りがしんとなる。
床にへたりこんでうめく修道士に、涙をこらえるハルさん。
「く、クリスティナ様……? 今のは、何なんです?」
「予想はつきますけれど」
なんというタイミングで、なんという厄介な。
寂しい通り。港に碇泊していた交易船。
頭でピースが組み合わさっていく。
「これは『独占』といいます」
商いが細り、一つだけになった商会。
――どんな規則にも、原則がある。
それは一つの存在に権限を集中させないこと。
規則が規則として守られるための礎なのだが、きっとこの街では……。
「はっきりしているのは、シェリウッドの街は、私達からニシンもワインも、何も買うつもりがないということ」
閉ざされた商会の扉は、今の街そのものだった。




