2-10:醸造師
「お支払いなのですが、こちらのワインでいかがでしょう」
「……物々交換ですか」
修道女オリヴィアさんの申し出に、少し表情が曇ってしまう。
これほどの規模の修道院なら、支払い用の銀貨をきちんと持っていそうだけど。
「あなたが心配するのもわかります。お酒は質がばらつくもの」
オリヴィアさんは立ちあがって、ワインを運んできた修道士に何かを指示した。
待っている間、自信ありげな微笑。
しばらくして戻ってきた修道士は、両手にカップを一つずつ持っている。受け取ると、真っ赤に熟成された葡萄酒が揺れていた。
「あなた方がニシンを見せてくださったように、わたしも産物をお見せします」
ログさんと顔を見合わせて、ワインを含む。豊かな香りが口に広がった。
「俺は、いい酒というのはわからないが……うまいんじゃないか、これは」
「ええ……」
驚いた。
王宮で午前酒に出されてもおかしくない、上等で爽やかな味わい。
すると、ますますわからなかった。
「こんないいワイン、塩漬けニシンの数が倍でも釣り合いませんわ……」
「ありがとうございます。わたしが醸造を指揮しています」
オリヴィアさんはおっとりと笑う。気恥ずかしそうだけど、本当にうれしそうだ。
「わたし、3年前までは都にいたのです。そこでもワインを作っていたのですが……その、あまりにも出来が良すぎて、街の醸造組合と問題に」
ぼそっと付け足す。
「あと、作りすぎまして」
なんだか嫌な汗が出てきた。
ハルさんが私の袖を引いて耳打ちする。
「おじいちゃんから聞いたのですけど、お酒って、確か勝手に作って売っちゃだめなんじゃ……」
「ほとんどの都市ではそうですね。少量なら見逃されるんですが……」
私とハルさんの会話は聞こえているだろうに、オリヴィアさんはにこにこしたまま。
引くつく口元で尋ねた。
「……ちなみに、都ではどれくらい作ったのです?」
「月に、大樽10個ほど」
頬を赤らめるオリヴィアさんに、ハルさんが叫んだ。
「密造です!?」
「クリスティナ、ここと取引して大丈夫なのか……!?」
「ハル、おじいちゃんから聞きました。密造は利益が大きいから、一度やった人は何度でもやるって……!」
おじいさん、何を教えているの?
額を押さえた。
「ええと……」
公金横領(冤罪だけど)で追放された男爵令嬢。
流刑騎士の息子。贋金で捕まった錬金術師の孫。
さらに取引先が密造犯……!?
並べて考えると、すごい会社になってきたように思うけど、一応、フォローしておくべきでしょう。
青い顔で固まっているハルさんとログさんに告げた。
「……他の産物と違って、お酒を造る権利は確かに王国で制限されています。ただ修道院には、ワインを作って卸す権利があるのです。聖導教では儀式に使いますからね」
オリヴィアさんは肩をすくめて頷いた。
「ちょっと作りすぎた感はありますけれど……きちんとルールは守っていたのですよ? 質が良すぎて、都の醸造組合ともめたこと以外は。おかげで、辺境のこの修道院へ放逐された次第です」
照れながら物騒なことを言わないでほしい。
「今はどうです?」
「ご心配なさらず。当院のワインは、きちんと街で受け入れられています」
苦笑していたオリヴィアさんだけど、やがて私をまっすぐに見つめた。
「作り手として、上等な品に対価を払いたいという気持ちに、嘘はありませんの。質が高い、よく手入れされたお魚です。品質には敬意を持っています」
醸造師としての矜持だろうか。
目を伏せる表情は本当に申し訳なさそうだ。
「ただ――問題はむしろ、当院の方」
オリヴィアさんは眉根を寄せる。
「ワインを船に乗せ、遠方のシェリウッドで売るのが、当院の数少ない収入源です。今も、このワインを売りに行った修道士らがいるのですが……まだ帰ってきていない。予定を、もう5日も過ぎています」
話が少し見えた。
つまり、街へワインを売りにいった人が帰ってこないため、銀貨が手に入らない。貨幣が不足気味だから、物々交換で手を打ちたいということか。
シェリウッドは私達の目的地でもある。
「さらにお願いがあるのです」
オリヴィアさんは両手を組み合わせ、頭を下げた。
「私と、何名かの修道士を、街まで乗船させていただけませんか!? 不躾なお願いだとはわかっています。それでも、もう院に船はありません。私達には様子を見に行く術がないのです」
震える声から、どれだけ心配しているか、伝わってくる。
「……それはご不安でしょう」
なんとか力になってあげたい――そんな気持ちの裏で、商人としての算盤が動いてしまった。
ログさんが問いかける。
「クリスティナ。荷に、余裕はあるが……」
「少し考えさせてください」
商いとしては、チャンスだ。
修道院はやはり楽園島を、流刑地として警戒していた。中に招き入れたのは、街へ向かう船が必要だったからだろう。
品質を判断でき、作り手に敬意を払うオリヴィアさんは、ぜひとも繋がっておきたい方だ。
そのうえで、頭を整理する。
まず収穫が一つ。
ニシンの品質が認められたことだ。
助ければ、今後も魚を買ってくれるかもしれない。この方達は戒律で魚食をするのだから、取引が始まれば互いに得だ。
修道院で売れたとあれば、島民の自信にもなるだろう。
全能神のご加護あれ――そんな挨拶がある通り、島の人には信心深い人も多いから。
でも実は、大きな収穫がもう1つ。
ワイン造りをしている修道院は、とっても重要な情報を持っている。
「失礼」
私はオリヴィアさんに近寄る。
目指すは、彼女の足元にあるワイン樽だ。
「オリヴィアさん、この樽を少し見ても?」
「え、ええ……」
「樫製。留め金もしっかり。ワイン樽は、長期保存用だからそもそも品質は上々のはずですね……」
気づくと、みんなが私を見ていた。
熱い頬を、こほんと咳払いしてごまかす。
「じょ、乗船の件は、承知しました。代わりといってはなんですが……もしよろしければ、ワイン樽の『樽職人』を紹介していただけませんか? 私達の塩漬けニシンにも、樽が必要なのです」
そして、と指を一つ立てる。
「院にまだワインがあれば、私達の船に載せて、街へ売りに行くのはいかがでしょう?」
「へ……?」
「修道院の方々を乗せるだけでなく、その産物もご一緒にということです」
私は言葉を切って、オリヴィアさん達を見渡した。
「帰ってこない理由ですけど、道中の事故ということもありえますが、なんらかの事情で街で足止めを受けているかもしれません。もし金銭で解決できるなら――上質なワインなら代わりになります」
もちろん修道士たちが無事だったら、そのワインも市場で売ればいい。
オリヴィアさんは、安堵の息をつく。
「確かに……先のことを考えなければいけませんね」
私達が修道院へ示したのは、救援だけではなく、銀貨を得る機会。
その対価は、樽職人の情報だ。
「我々も事業を始めたばかり。お互いに、助け合いましょう。ぜんぶ上手くいきましたら――」
そう言い足して、私はにっこりする。商人はこの笑顔ができなければね。
「神様も私達の出会いを祝福しているということで」
オリヴィアさんは目を見開き、やがて笑みを咲かせた。
「――ええ! きっと祝福してくださいますわ」
楽園島を発した2隻は、修道院の産物も含めた交易船団となって出港した。




