2-9:修道女オリヴィア
よく整備された桟橋を、高台から灰色の建物が見下ろしていた。
私達は船を停泊させ、長い坂を上る。船には10人以上がいるけれど、ついてきてくれたのは2人――ログさんとハルさんだけだった。
「……楽園島は、流刑地の歴史だ」
それが答えだとばかりに、ログさんは言葉を切る。
売りに行く試作品の1樽は、この人が抱えてくれていた。
「教会の人間なんて、ここ10年で一度も来ていない。流刑地ってだけで印象は悪いし、こちらから品物を持って訪れたこともあるが、門前払いだ」
だいたいの事情は、私も領主様から聞いている。ダンヴァース様は暗に反対しているようだった。
ハルさんも、ログさんも、表情が硬い。
それでも向かうのは、商機を無視できないと思うから。
坂の上にのぞく屋根を見上げながら、私は言った。
「聖導教では、四本足で歩く獣の肉は、戒められています。魚食を勧める魚の日まであるくらいだし――この場所を素通りする手はないですよ」
坂を上り切ると、石造りの門が見えた。
さて、私は『服』を確かめる。
男爵家から持ち出してきた衣服で、唯一布地にばらさずにとっておいたものだ。仕立てのよい、落ち着いた青色の生地は、私を年上に見せてくれるだろう。
「見た目で、商人だと思ってくれればいいけど……」
門に近づくと、棒を持った男性がじろりと睨みつけてきた。
「どこから来た」
「北の『楽園島』から」
「……まさか、流刑島か? 罪人から買うものはない」
修道院は罪人の保護も戒律の一つだったはず。けれども、それを頭から指摘してもダメだろう。
辺境にいる彼らは自衛をしなければいけない。慎重さも当然だ。
私は腰を折り、丁寧に頭を下げる。
「突然の訪問、申し訳ありません。ですが、よい塩漬けニシンができましたので、お勤めをされている方々の助けになればと……」
「つ、勤め?」
「食欲を戒めている方々がいらっしゃる場所でしょう」
男性は呆気にとられたようだった。荒っぽい流刑者を、どなりつけて追い返すつもりだったのかもしれない。
領主様から聞いた昔の例も、似たようななりゆきだった。
ハルさんが、ログさんの後ろから顔を出す。
「おいしいですよ!」
「こ、子供……?」
「塩抜きして、甘い果物と合わせてパイにしてもいいお味です! ニシンのパイは保存もききますっ」
「ごくっ……い、いやしかし!」
男性の後ろで、教会の門が開いた。
シスターの恰好をした女性が、よく通る声で呼びかける。
「通してあげて」
年齢は20歳を過ぎたくらいだろうか。
金髪が帽子からこぼれて、笑みを浮かべた口の端に垂れている。
「しかし……!」
「全能神のお導きでしょう。わたし達もまた、今は助けを待つ身ということを思い出して」
門番は口をつぐんで、脇にどいた。
シスターは手招きする。
「中へどうぞ、商人さん達」
◆
修道院の中は、外で見たよりもかなり大きかった。
聖堂の脇を歩く間、高台に広がる畑や鶏舎が目に入る。頭を剃った修道士、帽子を被った修道女と何人もすれ違った。
ログさんが落ち着かなそうに首を回す。
「……広いな」
「ええ」
修道院は、戒律に従って生きることを目指す施設だ。
私は呟く。
「辺境ですし、街からも遠い。俗世から離れて、自給自足ができるようになっているのですね」
聖フラヤ修道院はブドウ畑さえも併設した、40人ほどの信徒が暮らす場所のようだった。
とはいえ、完全に自給自足とはいかないところに、商人の需要があるのだけど。
私達はぐるりと聖堂の裏手に回り、応接間に通される。
部屋で、オリヴィアさんは一礼した。
「修道女、オリヴィアです。院長様から、宿坊係――いわば資材の買い付けなどを任されています」
それぞれの自己紹介を終え、いよいよ商談になる。
私がオリヴィアさんの正面に座り、ハルさんとログさんは私の左右に腰を下ろした。
ある意味で主役となる『塩漬けニシン』の樽は、オリヴィアさんの前に置かれる。ログさんが蓋を外すと、オリヴィアさんは言った。
「塩漬けニシンですね」
「ええ。私達は、北にある島から参りました。そこで捕れたニシンを、塩漬けにしたものです」
目を細めるオリヴィアさん。
「楽園島から……」
ログさんがかすかに眼を見開いた。おそらく『流刑島』と呼ばれることを警戒していたのだろう。
座ったまま、オリヴィアさんはじっと樽を覗き込んだ。
「係としてさまざまなニシンを見てきましたが、身が大きいですね」
「島でとれた、産卵前のニシンです。捕ってすぐ下処理をして、きれいな水で洗いました。香りもいいと思いますよ」
「……確かに。辺境でニシンを買うと、いやな臭いがすることもあるのだけど」
オリヴィアさんは首肯する。
この場所で島以外からニシンを買うと、遠くから運んだものになるはずだ。回遊する魚であるニシンが再び陸地に近づくのは、島のずっとずっと先である。
おまけにもし経費節減のために安物を買っていたりすれば、『海の株式会社』の方が保存法も、鮮度も上等だ。
「いかがでしょう?」
手応えを感じながら、私は笑みで押した。
「試作品ですが、しっかりと検品をしています。できれば今後も、長くおつきあいできれば幸いです」
「は、ハルは、召し上がった感想もいただきたいですっ。帰りに寄らせていただきますのでっ」
緊張のせいか、ハルさんが上ずった声を出した。
ログさんがたしなめるのに、オリヴィアさんは噴き出す。
「ふふっ。確かに、これはいいものです」
居ずまいを正して、オリヴィアさんは一礼する。
「全能神に、出会いの感謝を。継続的にお取引をして、感想もお伝えしたいわ」
あっけない、という気持ちが先にきた。
私達は顔を見合わせる。
『売れた』という理解が来て、体の内側が熱くなった。
「あ、ありがとうございます!」
「1樽50尾ですか。ならば、5樽はほしいですね。ご用意は大丈夫ですか?」
20樽のうち、5樽も一気に売れてしまった。
1樽50尾なので、250尾をここで買ってもらえた計算になる。
修道院での目的はあくまで、買い手がつくかどうか、つまり品評だ。さらに今後も取引できるとすれば、事業の見通しがぐっと開ける。
「クリスティナ様……!」
目がキラキラしているハルさんは、きっと私と同じ気持ちだ。
できるだけ落ち着いているように見せたいけれど、効果はあるだろうか。
「も、もちろん!」
「試作品ということですが、お値段は相場どおりに払わせて下さい」
話がトントンとうまくいく。
私のどこかが、警報を発した。
……うまくいく? 商売でこういう時は、気をつけないといけない。
「ところで……わたし達も、実のところ助けを待つ身でして」
オリヴィアさんは笑みのままだけど、きらりと目が光ったように感じた。
彼女が手を叩くと、修道士が樽を2つ転がして現れる。かすかに甘い匂いがした。
「……ワイン?」
尋ねてもオリヴィアさんは笑みのままだった。
キーワード解説
〔修道院〕
戒律に従って生活することを目的に、俗世から切り離されて作られる施設。
清貧や自給自足を目指す一方、有力者からの土地の寄進や、ノウハウの蓄積で、有力な生産者となった修道院もある。
特にワインは修道院の重要な産物だった。
〔魚の日〕
その名のとおり、魚を食べることが勧められる日。
時代と地域によっては、1年の3分の1以上がこの日に当たっていたことも。
食欲を戒めるという戒律のほか、そもそも肉が不足していたという当時の事情、海軍のために漁民の数を増やそうとした政策など、色々な要素が重なっていた。