表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/73

2-9:修道女オリヴィア

 よく整備された桟橋を、高台から灰色の建物が見下ろしていた。

 私達は船を停泊させ、長い坂を上る。船には10人以上がいるけれど、ついてきてくれたのは2人――ログさんとハルさんだけだった。


「……楽園島は、流刑地の歴史だ」


 それが答えだとばかりに、ログさんは言葉を切る。

 売りに行く試作品の1樽は、この人が抱えてくれていた。


「教会の人間なんて、ここ10年で一度も来ていない。流刑地ってだけで印象は悪いし、こちらから品物を持って訪れたこともあるが、門前払いだ」


 だいたいの事情は、私も領主様から聞いている。ダンヴァース様は暗に反対しているようだった。

 ハルさんも、ログさんも、表情が硬い。

 それでも向かうのは、商機を無視できないと思うから。

 坂の上にのぞく屋根を見上げながら、私は言った。


「聖導教では、四本足で歩く獣の肉は、戒められています。魚食を勧める魚の日(フィッシュ・デイ)まであるくらいだし――この場所を素通りする手はないですよ」


 坂を上り切ると、石造りの門が見えた。

 さて、私は『服』を確かめる。

 男爵家から持ち出してきた衣服で、唯一布地にばらさずにとっておいたものだ。仕立てのよい、落ち着いた青色の生地は、私を年上に見せてくれるだろう。


「見た目で、商人だと思ってくれればいいけど……」


 門に近づくと、棒を持った男性がじろりと睨みつけてきた。


「どこから来た」

「北の『楽園島』から」

「……まさか、流刑島か? 罪人から買うものはない」


 修道院は罪人の保護も戒律の一つだったはず。けれども、それを頭から指摘してもダメだろう。

 辺境にいる彼らは自衛をしなければいけない。慎重さも当然だ。

 私は腰を折り、丁寧に頭を下げる。


「突然の訪問、申し訳ありません。ですが、よい塩漬けニシンができましたので、お勤めをされている方々の助けになればと……」

「つ、勤め?」

「食欲を戒めている方々がいらっしゃる場所でしょう」


 男性は呆気にとられたようだった。荒っぽい流刑者を、どなりつけて追い返すつもりだったのかもしれない。

 領主様から聞いた昔の例も、似たようななりゆきだった。

 ハルさんが、ログさんの後ろから顔を出す。


「おいしいですよ!」

「こ、子供……?」

「塩抜きして、甘い果物と合わせてパイにしてもいいお味です! ニシンのパイは保存もききますっ」

「ごくっ……い、いやしかし!」


 男性の後ろで、教会の門が開いた。

 シスターの恰好をした女性が、よく通る声で呼びかける。


「通してあげて」


 年齢は20歳を過ぎたくらいだろうか。

 金髪が帽子からこぼれて、笑みを浮かべた口の端に垂れている。


「しかし……!」

「全能神のお導きでしょう。わたし達もまた、今は助けを待つ身ということを思い出して」


 門番は口をつぐんで、脇にどいた。

 シスターは手招きする。


「中へどうぞ、商人さん達」



     ◆



 修道院の中は、外で見たよりもかなり大きかった。

 聖堂の脇を歩く間、高台に広がる畑や鶏舎が目に入る。頭を剃った修道士、帽子を被った修道女と何人もすれ違った。

 ログさんが落ち着かなそうに首を回す。


「……広いな」

「ええ」


 修道院は、戒律に従って生きることを目指す施設だ。

 私は呟く。


「辺境ですし、街からも遠い。俗世から離れて、自給自足ができるようになっているのですね」


 聖フラヤ修道院はブドウ畑さえも併設した、40人ほどの信徒が暮らす場所のようだった。

 とはいえ、完全に自給自足とはいかないところに、商人の需要があるのだけど。

 私達はぐるりと聖堂の裏手に回り、応接間に通される。

 部屋で、オリヴィアさんは一礼した。


修道女(シスター)、オリヴィアです。院長様から、宿坊係――いわば資材の買い付けなどを任されています」


 それぞれの自己紹介を終え、いよいよ商談になる。

 私がオリヴィアさんの正面に座り、ハルさんとログさんは私の左右に腰を下ろした。

 ある意味で主役となる『塩漬けニシン』の樽は、オリヴィアさんの前に置かれる。ログさんが蓋を外すと、オリヴィアさんは言った。


「塩漬けニシンですね」

「ええ。私達は、北にある島から参りました。そこで捕れたニシンを、塩漬けにしたものです」


 目を細めるオリヴィアさん。


「楽園島から……」


 ログさんがかすかに眼を見開いた。おそらく『流刑島』と呼ばれることを警戒していたのだろう。

 座ったまま、オリヴィアさんはじっと樽を覗き込んだ。


「係としてさまざまなニシンを見てきましたが、身が大きいですね」

「島でとれた、産卵前のニシンです。捕ってすぐ下処理をして、きれいな水で洗いました。香りもいいと思いますよ」

「……確かに。辺境でニシンを買うと、いやな臭いがすることもあるのだけど」


 オリヴィアさんは首肯する。

 この場所で島以外からニシンを買うと、遠くから運んだものになるはずだ。回遊する魚であるニシンが再び陸地に近づくのは、島のずっとずっと先である。

 おまけにもし経費節減のために安物を買っていたりすれば、『海の株式会社』の方が保存法も、鮮度も上等だ。


「いかがでしょう?」


 手応えを感じながら、私は笑みで押した。


「試作品ですが、しっかりと検品をしています。できれば今後も、長くおつきあいできれば幸いです」

「は、ハルは、召し上がった感想もいただきたいですっ。帰りに寄らせていただきますのでっ」


 緊張のせいか、ハルさんが上ずった声を出した。

 ログさんがたしなめるのに、オリヴィアさんは噴き出す。


「ふふっ。確かに、これはいいものです」


 居ずまいを正して、オリヴィアさんは一礼する。


「全能神に、出会いの感謝を。継続的にお取引をして、感想もお伝えしたいわ」


 あっけない、という気持ちが先にきた。

 私達は顔を見合わせる。

 『売れた』という理解が来て、体の内側が熱くなった。


「あ、ありがとうございます!」

「1樽50尾ですか。ならば、5樽はほしいですね。ご用意は大丈夫ですか?」


 20樽のうち、5樽も一気に売れてしまった。

 1樽50尾なので、250尾をここで買ってもらえた計算になる。

 修道院での目的はあくまで、買い手がつくかどうか、つまり品評だ。さらに今後も取引できるとすれば、事業の見通しがぐっと開ける。


「クリスティナ様……!」


 目がキラキラしているハルさんは、きっと私と同じ気持ちだ。

 できるだけ落ち着いているように見せたいけれど、効果はあるだろうか。


「も、もちろん!」

「試作品ということですが、お値段は相場どおりに払わせて下さい」


 話がトントンとうまくいく。

 私のどこかが、警報を発した。

 ……うまくいく? 商売でこういう時は、気をつけないといけない。


「ところで……わたし達も、実のところ助けを待つ身でして」


 オリヴィアさんは笑みのままだけど、きらりと目が光ったように感じた。

 彼女が手を叩くと、修道士が樽を2つ転がして現れる。かすかに甘い匂いがした。


「……ワイン?」


 尋ねてもオリヴィアさんは笑みのままだった。

キーワード解説


〔修道院〕


 戒律に従って生活することを目的に、俗世から切り離されて作られる施設。

 清貧や自給自足を目指す一方、有力者からの土地の寄進や、ノウハウの蓄積で、有力な生産者となった修道院もある。

 特にワインは修道院の重要な産物だった。



魚の日(フィッシュ・デイ)


 その名のとおり、魚を食べることが勧められる日。

 時代と地域によっては、1年の3分の1以上がこの日に当たっていたことも。

 食欲を戒めるという戒律のほか、そもそも肉が不足していたという当時の事情、海軍のために漁民の数を増やそうとした政策など、色々な要素が重なっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ