2-4:過去を断ちきって
ハルさんは首を振って、にっこりした。
「いえ、クリスティナ様。気になさらないでください、何もおかしくないのです」
小さな腕が、私の手を引く。作業場の隅には椅子と机があり、私達はそこに並んで座った。
開きっぱなしの窓からは初夏の海が見える。思考で火照った頭に、風が心地いい。
後ろで結った髪は軽く、耳元にとても風を感じられた。
「ただ、ハル、気になるのです。クリスティナ様、どうしてそんなに商いにお詳しいのですか?」
「それは――」
ちょっと言い淀む。
島で仕事を始める前、領主様から正式に私とお父様の紹介があった。
その時に罪人である旨は告げられたけど、罪状についてはピンときていない人の方が多そうだった。
自分達から詳しく説明しようとすると、どうしても弁明のようになる。それである意味、『本当はどの程度の悪人なのか』――冤罪なのかどうかも含めて――という問いは、保留になっていた。
ハルさんは目を伏せる。
「……島には、決まりじゃない決まりがあるんです。過去の罪について、本人が話すまで触れちゃだめって……ハルから尋ねるのもあんまりよくないんですけど……」
「あ――」
ようやく気が付いた。
島の人達が私達に罪状を問い詰めたり、怪しんだりしないのは、流刑地という歴史が生んだ『暗黙のルール』のためなのだろう。
悪人かそうでないか、決めつけたりしない間に、だんだんと島になじんでいく。
それは再出発を促すための知恵だろうか。
私も、私だ。こんな小さな子に気を使われるなんて。
弱気を振り払うように首を振った。
「いいえ、聞いてくれてありがとう、ハルさん」
心の整理がついていなかったけど、もう大丈夫。
ハルさんに負けないくらい、にっこりできた。
「といっても、商いのことになると、けっこう前からになりますけど――」
「どうぞどうぞ! クリスティナ様のこと、知りたいです!」
明るい声が心強い。
信じてもらえるかはわからないけど、この人にはありのまま伝えよう。
「私、もともとは辺境の男爵家の娘だったの。フェロー領……って、知らないかな」
私は肩をすくめた。
「私はそこの一人娘。戦乱に疫病、天候不順に作物の病、色々な災難がきた時期があったでしょう」
「ハル、聞いたことがあります。10年くらい前でしょうか」
「正確には10年前に始まって、7年前に終わった形ですね。そこで領地が傾いて、お父様と一緒に私も領地経営に働きました」
ハルさんはぎょっとし、指折り計算を始める。
「10年前って――クリスティナ様、今、おいくつですか?」
「17ですよ。私は7歳の頃から、もう領地の帳簿をみていた。計算結果の確認くらいは、小さな子供でもできるから。それから帳簿が読めるようになって、天災がひと段落した頃には11歳」
昔のことを話すと、ちくりと胸が痛む。故郷の話だからだろうか。
「その頃には、領地の産業はボロボロ。疫病の後に不作だもの、農地を捨てて逃げてしまった人もいました。唯一安定していたのは鉱山なのですけど、そこも、どうも帳簿の数字が怪しくて――」
「誰かが、お金を横領していたとか?」
11歳のハルさんから、さらりと『横領』という言葉が出るなんて。
流刑先という感じである。
「い、いえ、逆よ。鉱山は地下水が出たり、鉱脈が尽きたりして、とっくに利益を出さなくなっていた。鉱山の経理担当者は、閉山させたくなくて、男爵家に『数字をよくみせていた』というわけです」
「はぁ……な、なるほど」
「私がそれを見つけてしまった。正確な数値で計算したら、鉱山はとっくに閉鎖するしかなくなってた。でも働いていた人達はいるから、ちょっと色々、手を打ちました」
私はハルさんに、領地でやったことをかいつまんで話す。
「閉山するから、人が余る。でも農地も余っているから、そこにいってもらうという手がありました。鉱山から溢れて来る地下水は、見方を変えると、地下に水源があるから――灌漑に使えます」
何事も、言うは易し、だ。
鉱山の人は結束が強いし、もともとの仕事に誇りも持っている。
けれども、もう頼れないのは数字が示していた。だから計算をして、他の仕事を提案する。
「鉱山の人は、土木工事の知識もある。だから井戸や水路を掘ったりするのが、やってみたらうまくいきました。知識が他に転用できたわけですね」
「クリスティナ様……その後は」
目を見張ったハルさんは、眼差しがキラキラしていた。ちょっと得意になる。
「灌漑した農地で、麦やイモを育ててもらいました。イモの方はまだ王国に入ってきたばかりでしたけれど、荒れ地に強くて、うまくいきました。鉱脈がなくなった山は、冬の氷を貯める氷室に。食物の貯蔵庫にできるし、お酒の熟成にも使えます」
「すごいですね。ちなみに、その時のお年は……」
「14歳。そこでちょっと目立ったというか、やりすぎたというか……おかけで、王子殿下の婚約者候補になりまして」
ハルさんが今度は顎を落とした。
「……トマトの時におっしゃってた――あ、あれって本当だったんですね!?」
「本当ですよ」
む、信じていなかったのか。
「王国の貴族は、15歳でお披露目、デビュタントがあります。その前に婚約者候補として認められると、王宮が費用をたてて家庭教師をつけてくれます。あと、王都への旅費もね」
私はそこで、本格的に産業や経済を勉強した。
男爵領の中でおぼろげに感じていた、品物、そしてそれを運ぶ商人達の動きが、王国の地図とともに一気に頭に入ってきた瞬間だった。
「すごかったのですね」
「ありがとう。作法は、まぁその……いまいちでしたけど」
ちょっと肩をすぼめる。
作法の先生からは、『多少は品のある村娘』と散々な評価だった。やがて『異様に品のいい村娘』を経て、『婚約者候補と認めざるをえない』となんとか言わしめた。
村娘の期間が長かった気がするが、終わりはなかなかのものだった。
「王子殿下と私は、少し似てました。お互いに産物の話しや、異国語の話をするうちに、2人で試してみたい政策ができて……」
胸が、また痛んだ。今度は懐かしさとは違う。
後悔だ。
「……他の貴族にしてみたら、私はおかしかったのだと思う」
思わず自嘲的に笑ってしまった。
ハルさんが首を傾げる。
「な、なんでです?」
「伝統ある国の妃としては、やっぱり失格だったんですよ」
今思えば、私と王子の施策は誰かの領分を冒していたのだ。
貴族の多くは儲ける構造をすでに固めている。現状維持をしたい人達の中で、たとえ小さくても、新しいことを試す私達は受け入れがたかったはずだ。
そもそも、政策で意気投合するのは、互いに気持ちが通じ合った結果といえるのだろうか。
殿下と私はそもそも――いや、やめよう。
「一つ一つは小さなことなのですけれど、そのどれかが誰かを敵にしてしまった」
お父様が気づいてくれたけれど、少し遅かった。
第二王子に継承権の目が出て婚約者を変更するのであっても、もっと軽い罪状で十分に婚約破棄の理由になる。
縁ができた貴族や商人の方が手を回してくれて、領地に類が及ばなかったのは、せめてもの慰めだ。
「ごめんなさいね。ハルさんも、怖がらせてしまったかもしれないわ」
……異質、異常。
そういう感じだったのだろうなぁ。
商いのことになると、頭に算盤の音が響き出す。
そもそも結婚とか、恋愛とか……私はうまくできるのだろうか。
「でも誓って、横領だとか、背任だとか、悪いことはしていないつもりですよ」
もう一度謝ろうとした時、ハルさんがぐっと顔を近づけた。眉がきゅっと寄っている。
「謝らないでください、クリスティナ様」
「……え」
「ハル、そんなに計算はできません! クリスティナ様のおかけで島にパンが増えましたし、食堂の食材もずっとたくさんになりました!」
真っすぐな目で見つめられて、ぽかんとしてしまう。ハルさんの目は潤んでいた。
「やっぱり、クリスティナ様はすごい方なんです。追放した方が悪いに決まってます! もう決めました。ハル、クリスティナ様のことを信じます」
お詫びの代わりに、お礼を言った。
「ありがとう、ハルさん」
結った髪を風がなでていく。王宮での華美で重い結い上げ方より、単に髪を縛る今が好きだ。
ハルさんはぐしっと目元をこする。
「なんだか、ハル、株式会社やれるような気がしてきました」
「あら。私は、もともとそのつもりよ?」
くすりと笑えた。
「ただ、目指すのは『1万尾』の出荷よ。課題は多いです。塩以外にも、保存する樽、漁獲を増やすための漁具。事業が大きくなったら、人だって増やさないとね」
うひゃー、とハルさんは呻く。
「人ですか……ハル、食堂やってるんで、島の人ならわかりますよ。どんな人が必要です?」
「腕のいい漁師さんね。ニシンは傷みやすいから、獲ったら直接、この作業場に持ってきてもらいたいもの」
「それなら、ハル、紹介できます!」
ハルさんが手を挙げ、私も立ち上がる。
亡くなったお母様も故あって商人をしていた。独り立ちしたのは18歳の頃といったから、私は次の冬、同じ年齢になる。
ゼロからの出発に、今の夏は丁度いい季節でしょう。