2-3:塩漬けニシン作り
【ニシンの保存について】
用意するもの:
ニシン
新品の樽(ニシン100匹につき容積3ガロンを用意すること)
塩
1.ニシンを漁獲した後、速やかにエラと内臓を取り除かなければならない。
2.ニシンは規則正しく、互い違いに、層をなすように樽に詰める。
3.格段ごとにニシンの重量10に対して、塩の重量3をふる。
4.ニシンを詰め終わったら、高濃度の塩水を樽にそそぎ、密閉する。
5.樽を10日置き、ニシンが脱水で縮んだ分だけ、新たなニシンを入れる。
以上の工程を経たニシンは、7ヶ月以上食べることができ、教会への寄進や、領主への納税に耐えうる。
ただし、手のひらよりも小さなニシン、航海で劣化したニシンを樽に入れないのは当然の心得である。
産卵後に栄養を失ったニシンも、同様に塩漬けに適さない。
商人連合会『ニシン塩漬けの手順書』より
◆
私はハルさんと一緒に家を出て、海沿いにある小屋へ向かう。
元々4人家族が住んでいたという建物は、今は『海の株式会社』の事務所兼倉庫として領主様から借り受けていた。
一抱えほどの空樽を持って港へ行き、色々と怪しまれたり笑われたりしながらも、二往復してニシン50匹ほどを入手する。
ここ数日の日課となったせいで、歩きにくい浜にもすっかり慣れた。
「ふぅ……」
汗を拭いながら、今日も作業の段取りだ。
外に出しっぱなしの台にまな板と包丁を置き、足元にニシンの入った小樽と、処理したニシンを詰めていく新品の空樽を用意する。一袋の塩も忘れてはいけない。
空樽も塩も、領主様から安値で譲ってもらったものだった。
塩は高値を承知で買いだめしていたもので、空樽は島の森から少量だけ生産されているらしい。
準備を整えて、私はハルさんに言う。
「さて。『塩漬けニシン』の、試作品作りを始めましょう」
ニシンは、手のひらよりも少し長いくらいの魚体だ。背中側が黒々として、お腹側は銀色。新鮮で、樽の中でまだ跳ねているのもいる。
「では……」
その腹を裂いて、エラと内臓を外し、汲み上げた冷たい水で洗浄。
……覚悟はしていたけれど、けっこう胸にくる作業です。
でも、これも経験だ。領地だって王都だって、この作業がなければ私は何も食べられなかったはず。
同じ工程を繰り返しながら樽に敷き詰めていく。ニシンの下処理は私の役目、水を汲んだり、敷き詰めて塩を振るのはハルさんの役割だった。
たった50匹処理するだけでも、かなりの時間がかかる。教会の鐘がないから詳しくはわからないけれど。
小さな樽がニシンでいっぱいになり、ようやく塩水で封じた時には、手はべとべと、冷たさで指先の感覚がなくなっていた。
ハルさんは私にきれいな布を渡しながら、心配そうに尋ねる。
「領主様に言って、人を増やしませんか?」
当然の提案なのだけど、私は首を振った。
「人を増やすのは、試作品が成功したらですね。私は島の外から来たばかり。人を集めて失敗をすれば、次はもう集まらない」
とはいえ、目指すは『一万尾』の出荷だ。
先は長い。とんでもなく長い。
私は塩水で封じた樽を、ぽんと叩いた。これを傾けて、コロコロと転がしながら小屋に入れるのである。
「この樽は、1尾100ギルダーで売れるニシンが、50匹入っています。だから理屈の上では、5千ギルダーで売れるはず」
だいたい、銀貨半分くらいの値打ちだ。
この二倍で、職人の1日の稼ぎくらいになるだろうか。
「塩の価格が下がるという前提があるけれど、儲けは3割くらい」
「はぁ……」
ハルさんは目をパチパチしていた。
「月に1万尾のニシンを取って、1尾100ギルダーで売って、儲けは30万ギルダー。これで、なんとか2人くらいのお給料が出せるでしょう」
くり返すハルさん。
「月あたり一万……」
みるみるうちに、眉間に皺が寄る。
「そ、そんなに捕れるんですか……?」
「ハルさん、一日の漁で、ニシンはどれだけ捕れていると思う?」
私は島に来るとき、浅い海を大量のニシンが泳ぐのを目にしている。この近くを回遊している群れが、きっとたくさんいるのだろう。
「ええと……数えたこと、ないです」
「ここ数年分は、領主様が記録していました。ずばり、1日あたり平均で400匹」
「そんなに……」
「大きな魚じゃないし、すぐに油を搾ってしまう場合も多いから、数のイメージはないでしょう。ただ、実際にこれだけは獲れている。さらに、大漁の時は4000匹ですよ」
ハルさんは固まってしまった。
どうして『大漁』と『そうでない時』で漁獲がそれだけ分かれるかは、理由がある。
ぱちり、ぱちり、と頭の中で算盤を叩いていった。
「ニシンを大勢で取りに行くのって、7日に一度くらいの頻度でしょう? 少ないと思ったけど、一回でこれだけとれるのだから、それ以上は処理できないのだわ。普段はむしろ、あえて取らないように気を配っている」
油を絞るためにだって、水で茹でる。けれども燃料の薪だって、島の東からとってくるのだ。数は限られているし、茹で切れなかったニシンを海に捨てることさえあるようだった。
「数えてみると、黒字にするどころか、大もうけだって可能な島なの」
「ちょ、ちょっと待ってください。4000尾で、1尾100ギルダーとして……」
「1日、40万ギルダー。一年で豪邸が建ちます。塩漬けにして、外に売れればだけど……」
逆に言えば、この島は塩漬けの保存加工をしていないために、毎月莫大な利益を取り損なっている。
「どうして」
「理由の1つは、塩。ニシンの重さに対して、塩の重さは3割。ダンヴァース様のお屋敷が塩の樽でいっぱいになるくらい、とんでもない量の塩が必要なの」
試作品では、領主様が少しずつ買いためしておいた塩を安く買い取ることができた。大量生産が始まったら、この塩も自前になる。
これも教本からの受け売りだが、流通しているニシンは25ガロンの樽に詰められる。ワイン樽と同じ大きさだ。
樽の重さは3デール(約100KG)にもなり、塩も大量に要る。このころには、当然ながら何人もの男性が必要だ。
ハルさんは両手で拳を作り、何度も頷く。
「そっか。塩って、高いですものね」
「今はね。でも、実は――なんとかなるかも」
「え?」
「暮らすだけなら、塩ってちょっとでいいでしょう? 1年で、島全体で樽1つ分も使わない」
私は指を頬にあてた。さて、また計算だ。
結った髪のおかげで、頭に涼やかな風を感じる。
「交易船は、4隻編成でした。一隻につき船員は30人。この島に寄るために、航路が3日伸びたと言っていた。だとすると――」
交易船が寄るためにかかった費用は、まず船員の給料だ。
「1日あたり、職人と同じ1万ギルダーだとして……」
1万ギルダー × 30人 × 4隻 × 3日分。
「最低360万を、ほとんど産物がない島への輸送にかけている。これを、塩や小麦の代価にのせて回収しようとしている」
船員は、命の危険があることもあって、高給取りだ。
実際はこれよりもさらにコストは増えるだろう。
「でも、この島で塩漬けニシンを作れば、塩の消費量は一気に増える。運んでくる量が1樽から、10樽になれば、1樽あたりの輸送費は10分の1に下がるでしょう」
実際に増える量は10倍じゃきかないと思うけれど。
「さらに……」
「ま、まだお考えがあるんですか!?」
「交易船が来たがらないのは、この島で積む物がないから。小麦や塩を島で下ろしたら、交易船は荷物が空っぽの状態で次の港を目指します」
もしそこに載せる荷物があれば、運び代で稼いだり、市場で取引できる。
空の荷室は交易船がもっとも嫌うものだ。
「交易船は、売れるものを運ばない限り、お金を稼げない。だから――本当は、彼らも島で何かを積みたいはずです」
ぴたりとはまるのが、ニシンだ。
「塩を運んでもらって、島に下ろす。そして空いたスペースに、塩漬けニシンを積み込んで売ってもらう。この取引は、有望ですよ」
ギュンターさん達は、2ヶ月後にまた島に寄るといってくれた。
その時に塩の輸送と、塩漬けニシンの取引を持ちかけたい。このチャンスを逃せば冬が来て、漁期が終わりかねない。
ぱちん、ぱちん、と算盤の音が頭に響く。
「クリスティナ様……あの、流刑ってお聞きしましたけど……それまで、どこにいらっしゃったんです?」
ハルさんは引きつった顔で聞いてきた。
頭が冷えるとの一緒に、急に心も寒くなる。
「……ごめんなさい。ちょっと話しすぎたかも」
恐がらせてしまっただろうか……。
ハルさんの顔が、別れを告げるときの王子殿下に重なり、私は目を伏せた。




