選択
夜の森というのは、非常に不気味である。
虫の鳴く音が響くだけで、ビクッと肩が震える。おまけに、草が生い茂っており、足元もよく分からない。
「ひあっ!?」
「な、何だよ!」
「いや、悪い。何かヌルッとしたものに触っちまってな」
突如、ザックが声を上げたため、思わず足を止めたがどうやら大したことはないらしい。
び、びびらせやがって。
ただでさえ、夜は視覚に頼れない分他の感覚に便ってしまうのだ。安易に驚かせないで欲しいぜ。
悪い、悪いと手を前に出すザックを軽く睨む。
「まったく……ビビらすんじゃねえよ。お前の可愛らしい悲鳴なんて需要ないから――ひょええええ!!」
突如、ヌルッとした何かが頬を撫でる。
思わず、奇声を上げるとザックが目を丸くして俺の方を見ていた。
「くっ! なんだその目は! 勘違いすんなよ! ちょっとヌルッとしたもんにビビッたとかじゃないから! なんか、叫びたい気分になっただけだからな!」
「馬鹿! そんなことどうでもいい! 後ろ見ろ!!」
「後ろ?」
ザックに言われて、振り向くと、俺の目の前にぼやけて浮かぶ白い人型のなにかがいた。
「やあ」
「「いやああああ!! 幽霊いいい!!」」
ザックと抱き合い、叫び声を上げる。
それと同時に、俺たちはほぼ同時に白い何かに背を向けて走り出した。
「おい、ザックなんだあれ!? いつから、この森は悪霊が立ち入る森になったんだよ!」
「し、知らねえよ! お前の日頃の行いが悪いから、霊が怒ったんじゃないのか!」
夜の森を必死に駆け回っていると、背後から「オクトくん、オクトくん、まってよぉ」という声が聞こえて来た。
「おい、オクト呼ばれてるぞ! やっぱりお前が何かしたんじゃないのか!?」
「知らねえよ! くそっ! 美女ならまだしも、幽霊に追いかけられても嬉しくねえ」
「それだ! オクト、もしかしたら美女の幽霊かもしれないぞ! 一度、足を止めて顔だけ確認してみろ!」
「た、確かに! ザック、お前は天才だぜ!」
走っていた足を止める。
言われてみれば、そんな気がして来た。きっと、この世に未練を残した美少女幽霊がこの男の中の男の俺に助けを求めているに違いない。
少し気持ちを高揚させながら、意を決して振り返る。
「やあ」
月の明かりが俺たちを追いかけていた存在を照らす。真っ白の髪に大きく丸い黒い目、そして白濁した触手。
そして、そいつは聞き覚えのある陽気な声で白濁した触手を上げた。
「イカルゲじゃねえかああああ!!」
「オクトくん、足を止めてくれて嬉しいよぉ。実は君に見せたいものがあるんだぁ」
イカルゲは嬉しそうに口角を吊り上げると、あっという間に俺の全身を十本の触手で縛り上げる。
「は、放せ! くそっ! ザック! おい、ザック!!」
必死にザックの名を叫ぶが、ザックの姿はどこにも見当たらなかった。
あいつ、逃げやがったな……!!
「ちくしょおおお! ザック、許さねえからなああああ!!」
「さ、行こうか。オクトくん」
そして、そのまま俺は森の奥地へとイカルゲに連れていかれた。
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イカルゲによって連れてこられた場所は、悪魔の森の奥にあるとある洞穴の前だった。
この洞穴を抜けた先には、木々が生えておらず月明かりや日差しが差し込む花畑がある。
その花畑には、美しさの象徴と言われているリリスという花や、ツクヨ草といった、珍しい花が咲く。
その洞穴の前でイカルゲは足を止め、俺の身体をゆっくりと地面に下ろし、触手から解放する。
イカルゲが口笛を鳴らすと洞穴の中から二つの大きな影とその影に挟まれた小さな影が一つ、姿を現した。
そして、それらの影の正体が洞穴から出て月明かりに照らされることで露わになる。
「リーゼか……」
小さな影、その正体は黒髪ロングの女性であり、俺の同期だった。
新人冒険者の頃は共に依頼をこなすこともあったが、触手に強い忌避感を抱いており、知り合った時からずっと俺を嫌っていた女だ。
となると、リーゼの腕を触手で縛っている二つの大きな影、デーモン・テンタクルの正体はアックスにマックスだろう。
よく見れば、一際大きくなった身体の所々に二人の面影を感じさせる装備が見える。
「どうだい、オクトくん。彼らは邪王様と同じ僕らの触手を馬鹿にしていた愚か者でね。僕が懲らしめてあげたんだよぉ。オクトくんのことも馬鹿にしてたし、許せないよねぇ。だから、彼らにも触手を生やしてあげたんだぁ。あ、でもオクトくんが女好きって話を聞いたから女だけはそのままにしておいてあげたよ。一人には逃げられちゃったけど、オクトくんが望むなら直ぐに捕まえてくるよ。ねえ、どうだい? 僕からの贈り物、気に入ってくれたかい?」
イカルゲが誇らしげに語る。
その言葉に悪意がないあたり、本当に良かれと思ってやっているのだろう。
イカルゲの言葉を聞いた俺は、静かにリーゼの下に歩み寄る。触手に四肢を拘束されており、気を失っているのか目は閉じている。
よく見れば、触手に縛られている腕と足には縛られた跡が赤く残っており、目の端には涙の流れた跡が残っている。
リーゼが自慢していた長く綺麗な黒髪も薄汚れており、普段、高慢で自信に溢れた表情は苦痛に歪んでいるように見えた。
「これは、お前がやったのか?」
「うん。勿論だよぉ」
「そうか。一つ聞かせてくれ」
「うん? なんだい?」
「お前にとって、美女、美少女とはなんだ?」
イカルゲはキョトンとした顔を浮かべた後、声を上げて笑い出す。そして、ひとしきり笑った後に、顔を上げてさも当然かのように口を開く。
「そんなの、子孫を残すための苗床に決まってるじゃないか。オクトくんも、子孫を、邪王様の偉大なる触手を世界に残し続けるためにメスを求めるんだろう?」
答えは出た。
否、元から出ていた答えを再確認しただけだ。
イカルゲの言葉を聞いた俺は、腰からナイフを出し、リーゼを縛る触手を斬り落とした。
そして、そのまま崩れ落ちるリーゼの身体を受け止める。
「……オクトくん、どういうつもりだい?」
「女性を悲しませる奴らの味方になるか、それともそいつらから女性たちを守る側に回るか。どっちがモテると思う?」
俺の言葉を聞いたイカルゲは目を丸くしてから、触手で顔を抑えながらくぐもった笑みを浮かべた。
「ひゃひっ……ひゃひひっ。そうだよぉ、そう! 誰かのためじゃない。己の欲望のために、損得勘定抜きで突き進む。その生き方こそ、僕が君に目を付けた理由だぁ」
なんだこいつ。
自分の申し出を断られたのに、笑い出すの気持ち悪すぎるだろ。
マゾヒストなのだろうか。
「嬉しいなぁ、本当に嬉しいなぁ。ああ、やっぱりあの人復活の器は君がいい。いや、君じゃなきゃ嫌だ。君もエゴを突き通すんだ。なら、僕だってエゴを突き通したっていいよねぇ!!」
その言葉と供にイカルゲが飛びあがる。
そして、空中から一気に俺目掛けて突っ込んでくる。
リーゼを抱きかかえている俺は、直ぐに触手を出し迎撃するが、元々触手の本数はあちらが十本と、俺が不利だ。
徐々に押し込まれて生き、イカルゲの触手が遂に俺の首に伸びる。
だが、その触手は直前で跳んできた一本の火矢によって撃ち落とされた。
更に、イカルゲの身体目掛けて数本の火矢が飛ぶ。
「うぎゃああああ!!」
俺に集中していたイカルゲはまともに火矢を浴びる。それと同時に背後から声がかけられる。
「オクト!」
振り返るとそこには逃げたはずのザックの姿があった。




