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すべてはその手の中に  作者: 黒澤ヨカ
6/18

5.仁(後編)

この先もずっと、時間を殺しながらただ生きるだけーー

そう思っていた。


陰影×青春ヒューマンドラマ。


第5話(後編):仁を心配する葵と大杉。そして練習のあと、本城家に連れられて来た仁。本城から提案されたのは…

 朝練にも授業にも仁が現れなかったので、葵は安堵した。


 しかし、心配の種がまだ心の中に引っかかっていた。


 このまま、彼を放置していいものだろうか。

 確かに、サッカー部の中には遠方からわざわざここに入学し、その為に下宿している者もいる。


 しかし、彼等はもっと環境の行き届いた受け入れ先に暮らしている。


(まるで家出して来たみたいに見えた……)


 葵は、何も見なければ良かったと後悔した。



「どうしたの?」

 四時間目終了のチャイムが鳴ったと同時に席を立ったカエデが、授業中から微動だにせず肘をついて考え込んでいる葵の顔を覗き込んだ。


「あ、ごめん」

 葵が慌ててバッグから弁当を取り出していると、


「北川ちゃん!」

 廊下から大柄な男子生徒がニコニコ顔で手を挙げていた。


 カエデはその男に不審者を見るような視線を向けたが、

「大杉くん」

と、葵が彼の名前を呼ぶと、サッカー部員だと察しがついて警戒を解いた。


 大杉は百九十センチの巨体で、ズカズカと大股で教室に入って来た。

「三浦、来てない?」


 葵が欠席だと教えてやると、持ってきたサッカー雑誌に視線を落として、

「何だ、貸してやろうと思ったのに」

 残念そうに呟いた。


 が、すぐに愛嬌のあるタレ目を細くして「ま、明日でいっか!」と笑った。


 そして葵の隣に立っているカエデに向かって、

「どーも! 俺、F組の大杉武人。あんたは?」


 いきなり自己紹介されて、さすがのカエデも面食らったようだった。

「松山、楓だけど……」


 女子では長身のカエデだったが、サッカー部屈指の巨人相手では、さすがに見上げる格好だった。


 大杉は巨体に似合わず愛玩動物のような笑顔で、

「松山ちゃん、ね。よろしくねー!」

とカエデの肩をポンポンと軽く叩いた。


 叩かれた肩をカエデは不快そうに眺め、何も返事をしなかった。葵にはそれが少し面白くて、先ほどまでの行き詰まった気持ちが和らいだ。


「じゃっ」

と、大杉が身を翻すと、葵はハッとして彼を呼び止めた。


「そういえば、大杉くんって三浦くんと仲いいの?」


「仲いいっていうか……」

 大杉は考え込んだ。そして、

「ちょっと購買行って来るから、続き、昼飯食べながらでいい?」

と、頭を掻いた。


「え? あ、うん」

「はぁ!?」

 葵は拍子抜けして思わず頷き、カエデはあからさまに不満を表したが、もう大杉は昼食の調達に向かっていた。



 ものの五分で、大杉は大量のパンとともに戻って来た。


 葵とカエデは教室で食べるつもりだったが、他クラスの大男とのランチは目立ちすぎるので、やむを得ず中庭に移動した。


 中庭の植木は五月らしいはつらつとした太陽を浴びて、弾けるように葉を茂らせていた。

 時折心地いい風が吹いて、葵達の他にも、昼食を食べているグループがいくつかあった。


「で、俺と三浦の関係だっけ?」

 ベンチ半分の場所を一人で占めて、焼きそばパンを頬張りながら大杉は話を戻した。


「同じ中学出身なの?」

 葵はベンチの残りのスペースをカエデに譲り、そのはす向かいの石に腰掛けて言った。


「いや、違うよ。実は俺、クラブにも入ってるんだけど、そこであいつと一度サッカーしたことがあるだけなんだ」

 大杉は焼きそばパンを飲み込んで、コロッケパンの包装を破った。


「去年の夏休み無料体験みたいなやつかな、一人で来て……。でもセンスのある奴だってすぐに分かった。試合も少しやって、コーチも『あいついいな』って、特別に次の日も呼んだんだよ。


 そしたら来て、同じようにやってったんで、入ってくるかと思ったのにさ、それだけで来なくなっちゃった。もったいねぇなって思ってたんだよ。だからここで会えて嬉しくってさぁ」


 いつも話題牽引役のカエデは珍しく黙って弁当を食べていたが、葵同様、大杉の話を興味深く聞いていた。


「ま、相変わらず無口だし、スカした野郎だけどな」

「そっかぁ」

 葵は相づちだけ打って、黙ってしまった。


 やはり少なくとも家が遠方という訳ではなさそうだ。

 ――結局、彼の一人暮らしの不自然さが浮き彫りになったのだった。


 大杉は次にタマゴサンドをガブつきながら、

「北川ちゃん、三浦のこと気になるの?」

と、ニヤけた。


「え? うん……」

 葵が大杉のニヤけ顔の意味が分からず真面目に答えたので、大杉は期待が外れてガックリし、それを思い切り左肩を落として表現した。


 カエデが少し離れた隣で吹き出した。

「あ~、分かるよ。訳ありっぽいのが気になるんでしょ。葵、おせっかいだからね。自分のこと棚に上げて」


 カエデが笑いが収まらない腹を押さえて、苦しそうに言った。


「でもいいんじゃない。友達ゼロって訳じゃなさそうだし。――ねぇ?」

 カエデが大杉に笑いかけると、彼はパッとランプがつくように明るさを取り戻した。


「そうそう。だから何か心配事があったら俺に言ってよ」

と、大杉はカエデに向かって自信満々に胸を叩いた。


 そのオーバーアクションにカエデはしらけ顔で首を傾げ、


「何であたしに言うのよ…」

 誰に言うともなくボソッと呟いた。




 放課後、葵がグラウンドに出ると、仁が一人でウォーミングアップしていた。

「えっ」

 驚きの後、葵はしかめっ面になった。


 仁は葵が現れた一瞬だけ目を向けたが、後は素知らぬ顔をしてアップを続けていた。顔色はそんなに悪くないように見えた。


 葵は小さく溜息をつくと、自分もいつもの仕事を始めた。

 ボールとパイロンを倉庫から出すだけで、もう汗をかいていた。夏の炎天下での練習を想像すると、やはり相当の体力が必要だと改めて感じるのだった。


 程なくして部員が集まり、練習が始まった。

 ランニングが終わってパス練習をしていると、本城が現れ、集合がかかった。


 本城はいつものように全員を見回し、ふと仁に目を留め、

「三浦、朝練と学校を休んでいたな。もう体調はいいのか」と声をかけた。

「はい」

 仁は平然と答えた。

 聞いていた葵は小さく肩をすくめた。


 本城は満足したように頷いて、今度は全員に向かって話をした。

「みんなも体調管理を怠るなよ。これからは大会が目白押しだ。試合中心の練習をして、今期のレギュラーも絞って行くからな。一年だってチャンスはあるぞ。気を抜くな」

「はいっ」

 気合い十分の返事とともに、部員達は散って行った。


 本城はいつものベンチ前でグラウンドの様子を見渡した。そして一年生のドリブル練習に注意を向けた。


 葵はドリンクボトルが詰まったクーラーボックスをベンチに運びこんで、ふうっと息をつき、首に巻いたタオルで額の汗を拭った。


「やっぱ三浦は本調子じゃないなぁ。大事にしないと」

 本城の声に葵は目を向けたが、彼はグラウンドを見ていた。特に返事をせずに本城の後ろからベンチ席を出ると、背後でまた声がした。


「今期から使えば、相当な戦力になるぞ。楽しみだ」


 葵は振り向いた。


 本城は笑みを含んだ清々しい顔をしていた。

 その視線の先には、誰よりも自在に、そしてひたむきにボールを追う仁がいた。


 気がつくと、葵は自分のTシャツの胸をぎゅっと握りしめていた。


「葵ちゃん、次コレお願いー」

 水道のところで、先輩マネージャーの呼ぶ声がして我に返った。

「あ、はい!」

 葵は走ってベンチを離れた。




 八時半頃帰宅すると、義父と母が食事を終え、リビングのソファで寛いでいるところだった。


「ただいま、帰りました」

 リビングのガラス戸越しに一応言って二階に上ろうとすると、母がドアから顔をのぞかせた。


「あら、今日は早かったのね。夕飯、温めておこうか」

「……いい。それくらい自分でやる」

 うつむきがちに言って、階段を上った。


 着替えてまた下に降りると、二人は自室へと消えていた。気を遣われていると分かっていても、一人でいる方がホッとした。


 食卓には、総菜のハンバーグとサラダ。それからみそ汁。

 葵はご飯をよそってテーブルにつき、黙って手を合わせて食べ始めた。


 なんと言うこともない味。


 それもそのはず、母は元来、料理などしない人だ。子育てなど二の次で、医師としてどんな時も前線で働いて来た。


 葵は小学校高学年頃から、自分で食事の支度をするようになり、それからはほとんどの家事を担っていた。


 だが中学三年の時、母は北川と結婚生活を始めるようになって、夕食だけは用意するようになった。総菜や冷凍食品中心だが、それまでがゼロだったのだから、葵にとっては劇的な変化だった。


 最初はうまく受け入れられなかったが、帰宅後に食事が準備されている生活はありがたいには違いなかった。

 今日もその瞬間は、形には表さないが、葵は母に感謝して食事を口に運んだ。


(三浦くんは夕食、何を食べているのかな……)


 あの薄暗いアパートの風景が脳裏に浮かんだ。

 何もないキッチン。山積みの衣類。土煙と疲労にまみれた肉体を十分に癒すには、足りない物が多すぎる。


(あんなに期待されているのに)


 本城が呟いた時の顔を思い出し、葵は溜息をつくのだった。




 土曜日はAチームが重要なリーグ戦を翌日に控えていることもあり、部活は比較的早めの解散となった。


 午後四時には全員部室から姿を消し、仁も自分のサッカーボールを持ってジャージのまま学校を出た。


 アパートには帰らず、河川敷まで来ると、グラウンドを見下ろした。小学生達が数人ボールを蹴って遊んでいたが、仁は構わずにグラウンドに降りた。


 荷物を降ろすと、隅の方でリフティングを始めた。

 右足、そして左足。

 ボールが全く地面に落ちないので、小学生達はボールを追うのをやめて仁に見入った。


 それが終わると、仁は斜面に向かってダッシュを始めた。雑草の生える坂道を全速力で走ることは相当の体力が要った。一つ目の平地にたどり着いて少し休憩し、降りてまたダッシュ。

 汗だくになりながら、何度も繰り返していた。


「何やってんだ? あの人」

 小学生達は再び遊び始めながらも、チラチラと様子をうかがっていた。


 やがて仁は額から流れる汗を拭い、走るのを止めてボールを置いた隣に座り込んだ。


 立てた膝に頭を垂れて肩で息をついていると、ジャリっと靴音が近づいた。

 地面を向いたままその方向に目線を少しずらすと、視界に派手なオレンジ色のシューズが入って来た。


「まだ練習するのか?」

と言う声に、仁は顔を上げた。


「監督」


 本城は少年のように笑った。

「つきあうぞ」


 二人は一対一でボールを競り合ったり、本城がキーパーをしながらシュートの練習をしたり、ひとしきり汗を流した。


 ボールが一つしかなくても、仁も本城も大きなミスコントロールがなかったので、流れるようなプレーがずっと続いた。


「スゲー!」

 小学生はいつの間にか座って見学していた。


 西の空が夕陽に染まってくると、本城はボールを足下に受けて静止した。

「今日は、このくらいにしよう」

「ありがとうございました」

 仁は頭を下げた。

 気持ちのいい風が吹き抜け、汗をかいた体に心地よかった。


 仁が自分のバッグを拾って肩にかけると、

「じゃ、行くか」

 本城は仁のボールを持ってグラウンドに背を向けた。


 仁は首を傾げた。


「え……どこに?」

「メシ食いに来いよ。ウチに」

「は!? いいですよ、そんな」

 仁は驚いて遠慮した。


 が、

「いいから、来い!」

と、本城は仁に歩み寄って背中を押した。


 すると、

「帰るの?」

「ねえねえ、どこのクラブの人?」

 小学生が二人に走り寄って来た。


 そのキラキラする瞳に、本城は白い歯を見せて答えた。

「クラブじゃない。綾西高校サッカー部だ! かっこいいだろ? お前らも、大きくなったら来いよ」


「そしたらお兄ちゃんみたいになれる?」

 一人が仁に向かって聞いた。


 仁は少年を見下ろした。

 希望に満ちあふれた顔が、仁を不快にさせ、黙っていた。


「――なれるさ。がんばればな」

 代わりに本城が答えた。

 そして順番に頭をなでると、少年達は満足げな顔で手を振って去って行った。


「さ、行こうぜ」

 気を取り直して本城は声をかけ、渋い顔をしながらも、仁は彼に誘われるまま車に乗った。



 渋滞もあって、本城の自宅に着いた頃には空は薄藍色に変わっていた。

 仁を下ろしてから本城はガレージに車を停めた。二階建てのモダンな作りの新しい家だった。


「ただいま!」

 玄関を開け、本城が中に向かって声をかけると、パタパタと足音がして、髪の長い綺麗な女性が出迎えた。


「おかえりなさい」

 上品なレースのついたエプロンをした彼女を、本城は仁に紹介した。

「嫁さんの瑞穂だ。――瑞穂、こいつが一年の三浦仁だ」


「噂は聞いてるわ。よろしくね」

 彼女は仁に顔を向けると、理知的な瞳を細めた。


 夕食はごちそうだった。

 海老フライに茶碗蒸しに野菜炒め、サラダにスープ。普段コンビニ弁当ばかり食べている仁には、なおさらそう思えた。


「育ち盛りなんだから、たくさん食べてね」

 瑞穂は少女のように笑った。


 仁は目の前に盛られたごちそうを、居心地の悪い気分ながら次々に平らげて行った。久しぶりの手作りの食事は、空腹を優しく満たしてくれた。


「――今年はともかく、来年は相当いいチームが作れそうだぞ」

 ビールを飲みながら、本城は上機嫌で瑞穂にサッカー部の話をしていた。


 仁がいるのを半分忘れているかのように、部員を名指しでダメ出ししたり、逆にほめたりしている。

 瑞穂は微笑みながら、ただ頷いていた。


 テーブルの向こうの仲の良さそうな二人を、仁は珍しい物を見るように眺めていた。


「欲を言えば、お前ももう少しチームメイトと関わってくれるといいんだがなぁ」

 相変わらず言葉少ない仁に、本城は話を向けた。


「はぁ」

「センスもいい、技術もある、その細い体でスタミナも申し分ない。大したもんだ。だがサッカーは一人でやるもんじゃないだろ。今の仲間達を仲間と思えなかったら、いざというときに力を出せないぞ」


 仁は閉口した。

 いよいよ居心地が悪くなって来たと思っていると、


「本城くん、まだ一年生の五月よ。チームが分かってくるのもこれからだし、人それぞれ個性があるんだから」

と、瑞穂が間に入った。


「うーん、それもそうだな。つい熱くなっちまった」

 本城も苦笑して頭をかいた。

 食事が終わると、瑞穂がコーヒーを持って来た。


 本城はビールをやめて水割りの焼酎を飲んでいた。顔色も態度も、特に酔っぱらった様子はなかったが、二杯目の焼酎は瑞穂に止められて名残惜しそうに断念した。


 熱いコーヒーをブラックで口に運ぶと、本城は急に真面目な顔で仁に向き直った。

「ところで三浦。お前、ウチに来ないか?」


 仁はコーヒーにミルクを入れていたところだったが、その手を止めて視線をあげた。


「ウチに、って……何の話ですか?」


「お前、一人暮らししてるそうじゃないか」

 その言葉に、仁の眉がぴくりと動いた。


 二人の間に緊迫した空気が張りつめた。

 しかし、身じろぎもせずに本城は続けた。


「入学時の調査票では、自宅からの通学となっていたぞ。どうしてそんなことになったんだ……いや、理由はまぁいい。とにかく、高校生のお前に、ウチの部でまともに活動しながら、帰って洗濯だのメシの調達だのは無理だろう。サッカーだけじゃない、勉強だってあるんだぞ」


 瑞穂はキッチンで片付けをしながら、二人を見守っていた。


「下宿してる奴なんてサッカー部には他にもたくさんいますよ」

 仁は本城から視線をそらして言った。


「それは保護者の承認のもとで、学校から紹介された下宿先にいる奴らの事だろう。お前とは状況が全然違う」


 思わず口調が厳しくなって、本城は平静を取り戻すようにひと呼吸置いた。


「――いいか、親御さんの所に帰れるんならそうしろ。だがもし何かあって、どうしても帰れないなら、しばらくウチで面倒見てやる。俺はただ、お前を潰したくないんだ」


 一向に減らないコーヒーの上で、白い湯気が有るか無きかのごとく漂っていた。



 瑞穂は洗い物が済んで蛇口を閉めると、

「ぜひ、そうなさいよ。二階に空いてる部屋あるし、私、汗臭い洗濯物を綺麗にするの大好きだから」

 カウンターキッチンから無邪気に微笑んだ。


「おう、そうだった。コイツ元マネージャーだからさ。遠慮すんなよ」


 仁は顔を上げて本城と目を合わせた。

 芯の強い目と、屈託のない笑顔。

 キッチンの方を向くと、瑞穂が静かに頷いた。



 数日後、仁は荷物とともに本城の家へやって来た。

お読みいただき、ありがとうございました。

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