4.学習室ーーモラトリアム
この先もずっと、時間を殺しながらただ生きるだけーーそう思っていた。
陰影×青春ヒューマンドラマ。
第4話:葵は、病院へ安藤を見舞いがてら通い、徐々に柊と仁の間に溶け込んで行くが…
葵は次の週も病院へ行き、安藤を見舞ってから学習室へ行った。
再訪を柊は喜んでくれ、親しみやすい柊と無骨な仁の関係の中に、葵も徐々にとけ込んで行った。
学習室での時間は、静かに、思い思いに流れていた。
柊は主に教科書を開いて勉強をし、仁は暇を持て余すように雑誌を眺めて過ごし、それに飽きると昼寝したり、外へ出たりした。
葵は勉強や、本棚から本を借りてめくった。
そこは病院というより、外界と遮断された安全な異世界で、誰もが、必要なことをやっている振りをしていた。
柊は円滑剤のように、控えめな葵にも寡黙な仁にも時々話しかけ、場を和ませた。
葵の見る限り、仁は学校でだけでなく兄に対しても、何かの話題で盛り上がったりすることはなかった。
が、唯一、サッカーに関することだけは、積極的に口を開くのだった。
そういうとき、柊はもちろんだが仁の表情がいつになく生き生きと見えてーーそれは学校ではまず見たことのない表情だったーー、葵は共通の趣味を持ったこの仲の良い兄弟を、夜空の星座でも見るように、静かに穏やかに、ただ見守るのだった。
初めて学習室を訪れてから何回目かの月曜、ドアが開いて安藤が入ってきた。
「先生」
葵が机から声をかけると、安藤は驚いて、
「何だ、葵。やっぱりまだ病院にいたのか」
と、呆れ顔をした。
葵は少しバツが悪かったが、安藤は怒っている訳でもなかった。
「寝てるばかりって言うのも割に疲れるもんだよ。お前がここに本がたくさんあると言っていたから、借りに来たんだ」
笑顔でそう言って、本棚を物色し始めた。
その安藤の後ろ姿を、葵はじっと見ていた。
入院してから、ベッドにいる姿しか見たことがなかったが、こうして立って歩いている姿は、明らかに昔とは違っていた。
「先生......、やっぱり、前より痩せましたよね」
不安を隠さずに葵は言った。相変わらず、病気のことを教えてもらってはいなかった。
しかし、安藤はそれを笑い飛ばした。
「病院の食事は口に合わないんだ。それに、こんなブカブカのパジャマを着ているせいだろうな。かみさんがサイズを間違えたんだよ」
安藤は手近な本を二冊手に取った。もう一方の手で、キャスターのついた点滴台を握り、ゆっくりと出口に向かって歩み出した。
そのスピードは、健康体の葵にはあまりにも頼りなく、点滴台を支えにしてやっと歩いているようにも見えた。
「先生、本、病室まで私が持って行きますから」
葵はたまりかねて立ち上がった。
それを安藤は制止した。
「おいおい、いいよ。全く、そろそろ教壇に戻らんとなぁ。お前に心配されるようじゃ」
「でも......」
心配顔の葵をよそに、安藤は朗らかに笑った。
「俺なんかよりも、自分の心配しろ。ちゃんと家に目を向けないとダメだぞ」
葵は安藤の言葉にドキリとした。
ここにいる二人には、自分のことをあまり聞かれたくない......。
急いで出口の方へ向かうと、両手の塞がった安藤の代わりにドアを開けた。
「ありがとう」
安藤は点滴台を持っていた手を離し、
「しっかりするんだぞ」
ポンポンと、葵の頭を軽くたたいて出て行った。
葵は返事の代わりに微笑を返しながら、胸に針を刺されたような痛みを覚えた。
「ーー今のが、入院中の先生?」
葵がドアを開けたまま安藤の背中を見送っていると、柊が声をかけた。
「......はい」
一瞬柊を振り返ってから視線を戻すと、安藤はもう見えなくなっていた。
「いい人そうだね」
また柊が言うと、葵はゆっくりとドアを閉めた。
「はい、すごくいい先生です」
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