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すべてはその手の中に  作者: 黒澤ヨカ
2/17

2. サッカー部

この先もずっと、時間を殺しながらただ生きるだけーーそう思っていた。


陰影×青春ヒューマンドラマ。


第2話:サッカー部での出来ごと。葵の家庭事情が、同じ中学男子によって暴露される。

 翌日授業が終わると、体操着に着替えて葵はサッカーグラウンドに行った。


 広いグラウンドは、校舎から正門まで伸びる並木道の外側の低地にあった。隅の方にプレハブの部室が二つ、やや間を空けて建っていた。フィールド沿いには屋根付きのベンチ席があり、グラウンドの四隅には立派なライトが装備されていた。


 まだ部員は誰一人来ていない。 葵は女子部室と思われるプレハブ小屋のドアをノックしたが、返事はなく、鍵も閉まっていた。

 勝手が分からないので、仕方なくそのまま誰かがくるのを待つことにした。ひどく手持ち無沙汰で、いたたまれなかった。


 すっ、と目の前を人が通り過ぎた。

 先輩部員かと思ってその人物を目で追うと、葵同様体操着の彼は、葵同様に部室が施錠されていることに気づいた。

「チッ」と舌打ちをしながら地面に荷物を置いたとき、彼は初めて葵に目を止めた。

「あ、あの......」

 急に目が合って、葵は何か会話しようとしたが、言葉に詰まった。


 彼の方は、特に何も見なかったように視線を足下に移し、自分のボールを手にすると、部室から少し離れてリフティングの練習を始めた。

(あ……やっぱり)

 葵は改めて思った。入学式の朝見たのは、間違いなく彼だったと。

 葵はその姿を、今は遠慮なく観ることができて、手持ち無沙汰ではなくなった。


「お! 早いな、一年!」

 清々しい声がして見上げると、本城が降りてくるところだった。彼もリフティングをやめて、そちらに目線を向けた。

「今日は最初に自己紹介と、一年生プレーヤーは実力テストやるからな」

「はい」

 葵と彼は同時に返事した。

 程なく、続々と部員や新入生がやって来た。


 サッカー部員は二年と三年あわせて四十人弱。女子マネージャーは二年生が二人、三年生が一人。葵が想像していたよりは少人数だった。

「集合!」

 キャプテンのかけ声で、あっという間に部員は監督を囲んで整列した。一年生も形ばかり、近くに集まった。

 一年生は、三十人ほどいた。マネージャー希望者も、葵の他に四人いた。


「とりあえず、入部おめでとう、と言うところだが」

 新入生に向けて、本城は言った。その言い回しで、葵は、ここにいるのは既に何らかのテストをクリアした正式な部員だけなのだと気付いた。

(マネージャーだったから、昨日でも入部できたんだ)

 想像以上の厳しい世界に身を置いたことに、足がすくんだ。

「公立高校だからって、甘く見るなよ。ビシバシやるから、皆、覚悟して臨めよ」

 彼の言葉に、部員は水を打ったように静かになった。本城はそれを見渡し、緊張をほぐすように、

「じゃ、一年の自己紹介から行くか。名前と、ポジションを言うこと。このあとチームを作るからな」

と、気さくな調子で明るく笑った。


 それから一年の集団の最前列にいた、彼を指差した。

「よし、一番に来てたお前から」

「はい」

 呼ばれて、彼は立ち上がった。

「三浦仁。ポジションは......FWです」

 低めだが通りの良い声だった。隙のない目で全体を見渡し、軽く頭を下げると、

「FWは、こっちだ」

と、上級生が手招きをした。

 その後、他の一年生も自己紹介とともに、ポジションごとに整列させられた。


「次、女子」

 本城は葵を見て言った。女子も一番に来ていた者から、ということらしい。

「き......北川葵です。マネージャー希望です」

 普段大声など出さないので、葵は精一杯息を吸い込んで声を出した。滅多にされない注目をされ 、緊張に声がうわずった。

「北川? ……」

「まさか、妹?」

 すると、葵の緊張とは無関係に、上級生の集団がざわついた。

 訳が分からないでいると、列の先頭にいた三年生が、スッと立ち上がった。

「えー、キャプテンの北川祐樹です。いや、たまたま同じ名字で。これも縁かな、よろしくね」

 いかにもスポーツマンというような、物腰の爽やかな人物だった。


「そうか、じゃあ下の名前で呼ばないとな。『北川ぁっ!』って、よくどやしてるからな」

 本城がからからと笑い、部員も「確かに」と頷き合って笑った。

「よ、よろしくお願いします」

 ホッとして葵は頭を下げた。 自己紹介はその後、二・三年生に回り、最後は、チーフマネージャーの金谷範子だった。

「私たちもチームの一員として、全力でプレーヤーのサポートをしていくので、よろしくね」

と、落ち着いた挨拶で締めくくられた。


「よし、じゃあ早速実力テストをするぞ。まず一年だけのチームを作ろう。それから試合だ」

 本城が立ち上がり、指示を出した。

「マネージャーは、こっちよ」

 範子が葵達に向かって手招きした。二年女子はいつものマネージャー業務のためにその場を離れた。

 一年女子は全員部室の前に案内され、範子に一通りの業務について説明を受けた。


 女子部室の中は、部室とは名ばかりで、ほとんど倉庫だった。ボールやパイロンが所狭しと置かれ、奥に は洗濯機と物干、冷蔵庫があった。

「業務は細かくてその時々で色々と変わるから、臨機応変にってことかな。ルーティーンワークは、 その都度一緒にやって覚えて行きましょう」


 部室内の備品を案内し終わって、範子と一年女子が部室を出ると、

 ザワッ。

 グラウンドにどよめきが起こった。

「なに?」

 範子達もそのどよめきの方へ行くと、仁がドリブルからミドルシュートを打ったところだった。そのボールは見事な直線でディフェンダーの隙間を抜け、ゴールキーパーの伸ばした手をパスして後方の ネットへ吸い込まれた。

「うめぇ」

「どっかのクラブ所属かな」

上級生が口々に言った。

「おいおい、相手は新入生だぞ。いくら二軍のBチームでも、点取られるなんて......」

 本城は仁王立ちで腕組みをして、楽しそうに観戦していた。


 Bチームボールで、実力テストは続行された。今度は油断しないとばかりに二人掛かりで仁をマークし、ボールはBチームが優勢に運んだ。

 が、ゴール前でのシュートを、飛び抜けて大柄な一年生DFが跳ね返した。

「何だ、やけにデケエのがいるな」

「おいおい、決めようぜ。何焦ってんだよ」

誰かが、野次を飛ばした。


 するとスローインの後、Bチームの選手は真面目な顔で互いに頷き合い、一旦中央にボールを戻 した。Bチームは体制を立て直し、先輩らしい落ち着いた動きでパスを回しながら得点のチャンスを 狙い始めた。

 観戦中のAチームから、安堵と落胆、両方の溜息が漏れた。こうなると、統制の取れている先輩チ ームの方が、寄せ集めの一年生より優っているに決まっていた。

 ところがそこへ、さっきの大柄な一年生DFが、見た目に似合わない瞬発力で隙をついてパスをカットした。


「おおっ」

ギャラリーはまたどよめいた。

 彼が蹴ったボールは、力強くセンターラインの向こうに飛んだ。それを俊足で仁が追いついて受けた。

 油断して上がり過ぎていたBチームのDF達は、思わぬ反撃に必死でフィールドを自陣に向かって走ったが、既に全速力の仁に追い付くには、距離があり過ぎた。

「キーパーと、一対一だ」

見ている全員がそう思い、まさに彼がシュートしようとした瞬間、


 ピーッ!

 ホイッスルが鳴った。

 反射的に全員が静止した。

「......えっ?」

 観戦していた部員達が囁いた。

 仁はボールをスパイクの下に従え、不満げに眉をひそめた。

 「よし、テスト終了だ。お前らの持ち味がだいぶ分かった」

 監督が大きな声で言った。


「終わりっすか? せっかくいいとこなのに」

 部員が文句を言うと、本城は二カッと笑い、

「お前らも体がなまってるだろう。そろそろ始めるぞ。一年は、五分休憩したらセカンドコーチとまずはフィジカルトレーニングな」


 試合から解放された一年生は、肩で息をしながらベンチに戻って来て、二年のマネージャーからドリンクをもらって飲んだ。

 葵達がそれを眺めていると、範子が、

「ドリンクはすぐになくなっちゃうから、その都度補充してね。こっちに水道があるから」

と、案内した。


 移動しながらちらりと振り返ると、仁に疲れた様子はなく、すぐにドリンクボトルを置いて、交代でフィールドに入ったAチームの様子に目を向けていた。

 そこへさっきパスをつないだ大柄な一年が、仁の肩を叩いた。二人は何か少し言葉を交わした。顔見知りのようだった。


「ドリンクの粉は部室にあるけど、なくなると思ったら在庫リストにチェックしておいて。あと氷はこれからどんどん消費量が増えるから、買い出しも頻繁になると思うけど、よろしくね」

 範子の声に、葵は我に返った。




 四月末になると、一年生はプレーヤーが五人減り、マネージャーは葵を含め二人に減った。

 監督 がいうには、例年並みのようだ。ここから更に練習は過酷になり、夏を越えると二十人程度に減っ ているらしい。


  葵は入部を決めてから、サッカー雑誌や本を何冊も読んだ。

 先輩マネージャーと数日過ごすと、通常やっておくことを先回りして準備することが出来るようになった。


 マネージャーの仕事は、葵が予想していた以上に重労働かつ細やかなものだった。

 練習が始まる前にボールやパイロンなどの道具を出し、練習中は冷えたドリンクを切らさないように常備する。医薬品の不足物は、すぐさま買いに走ることもある。練習が終われば、片付けと洗濯。選手よりも帰 宅が遅くなることもしばしばだった。

 とにかくプレーヤーが練習に集中できるように整えることが、マネージャーの存在意義なのだ。


 しかし、葵はその全てを進んでやった。もちろん他のマネージャーたちも当然動いているが、出来 ればやりたくない仕事もある。重い物の買い出しや最後の洗濯などはその典型で、自ら引き受ける葵は重宝がられた。

「ふぅー。あとコレ干すだけだね」

 二年のマネージャーたちが、ビブスを洗濯機から出してカゴに入れた。

「じゃあ、あと私がやっておきますから」

 葵は言った。

「助かるわぁ。いつも悪いね」

「いいえ。私、家近いので」


 そうしてマネージャーは葵以外全員帰った。選手たちも順次帰宅していた。

 八時半を回っていた。

 一人になって、葵は部室のベンチに座った。

 部室の片隅の、蓋の開いた洗濯機や、カゴの黄土色 に汚れたボールをぼうっと眺めた。

 ひどく疲れていた。

 しかし、これでいい。家に着き、食事と風呂をさっと済ませたら、泥のように眠るのだ。


 あの虫かごのような家で。

 干渉することもされることもなく、ただ同じ空間に、存在するだけ。

 そのことを考えると、葵は晩夏の蝉のように乾いた気持ちになるのだった。



 男子の部室では、練習後の着替えを済ませた部員たちが帰り支度をしながら、ダラダラとベンチにたむろしていた。

 倉庫兼用の女子部室より二倍以上広いが、ロッカーが二列にわたってびっしり並び、汗と砂埃の臭いが充満していた。


 大方の三年生がいなくなり、部室が閑散とし始めたのを見て、二年生の真鍋が同じ二年の谷町に小声で話しかけた。

「なぁ、新しいマネージャー、どう思う?」

「おいおい、それ言っちゃう?」

と、谷町はあきれたが、小声で頷いた。

「......、葵ちゃんて、ちょっと変わってるよな」

「だよな。頑張ってくれてていいんだけど、なんかちょっと陰気でさ」

「そこ行くと加奈ちゃんは明るくていいよな。仕事は多少ザツだけど」


 二人が話していると、

「あの、北川葵のことッスか」

 少し離れたロッカーにいた一年の高本が口を挟んだ。

 一瞬気まずそうな表情をした二人に、高本は誤解を解くように頷きながら続けた。

「いやオレ、彼女と同じ中学出身なんスけど、昔から、陰気でしたよ」

「え、そうなの?」

「彼女、中学時代に名字が三回も変わったんスよ。ある意味有名人でしたよ。親の離婚とか再婚とからしくて......。そのせいか、基本無表情。笑ってるとこ見たことないス」


「マジか〜。きちぃな」

 周囲にいた他の部員からも声が漏れた。

 先輩達の注目を一身に浴びて気分よくなった高本は、 調子に乗って続けた。

「確か母親は医者だってハナシで。だから本人もメッチャ頭よくて。何でウチの高校来たのか 、ワケわかんないっすよ。しかも、よりによって[この]サッカー部のマネージャーになるなんて......」


「中学のときは何部だったの?」

 谷町が聞いた。

「うーん、何もやってないんじゃないスか? 知らないけど......」

「プチ反抗とかね。親への当てつけ。――か、フツーにモテたいから、とか?」

 真鍋が言い、

「ああ、意外に、フツーにね......」

と、辺りに軽い空気が漂った。


 バタン、と奥の方でロッカーを閉める音が、その空気を壊した。

 高本達は反射的に口をつぐんだ。

「お疲れ様でした」

 バッグを肩にかけると、仁は通りすがりにその集団に横目で会釈した。

「お、おう。また明日な」

 真鍋がごまかすように作り笑顔を返した。

 そして彼が部室から去ると、またゴソゴソと話し始めた。


  空は藍色に晴れ、ちらほらと星が見えていた。

 仁が視線を前に戻すと、ちょうど二年のマネージャーたちが女子部室を出て来た。部室の窓からは、まだ明かりが漏れていた。

「いやー、二年になると、仕事かなりラクだね」

「ほんとほんと。ツライこと全部葵ちゃんがやってくれるもんね」

「うん。まだ一ヶ月も経ってないのに、助かるよねぇ」


 二人は鈴の音のようにコロコロと無邪気な声で笑った。

「ホント、何であんなに働くんだろう?」

「無表情でね」

「あれじゃあマネやってても誰にもモテないよね」 「だよね。それだけがマネの美味しいトコなのにね」

「だけ、って。コラコラ」

 アハハハ、と二年女子は楽しげに笑った。

 彼女らが自転車置き場へ向かって道を折れると、仁は足早に校門を通り過ぎ、学校を後にした。

お読みいただき、ありがとうございました。

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