表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すべてはその手の中に  作者: 黒澤ヨカ
1/18

1,ソメイヨシノ

この先もずっと、時間を殺しながらただ生きるだけーー

そう思っていた。


陰影×青春ヒューマンドラマ。


第1話:高校生活を始める葵。これからの人生に何も期待などしていない。しかしーー。


サッカー少年・仁との出会い。


 その花の色は、ピンクというには淡すぎる。


 相対して幹は、焦げたような陰影の深い色。

 花曇りの空を背負う川沿いの並木を見上げながら、まるで水墨画のようだと葵は思った。

 四月の早朝、葵は高校の入学式に向かって歩いていた。まだ肌寒さの残る大気に、真新しい制服のブレザーが防寒にちょうどよかった。

 この並木道の先、信号を渡って坂を少し下ると、目的地はすぐ目の前。


 だが、式開始の時間まではまだだいぶあった。

 時間を持て余して、葵は足下の河川敷を眺めた。緩やかな斜面には芝生が広がり、その先に多目的グラウンドや、いくつかの遊具を擁した公園が見渡せた。

 平日の朝のこと、人はまばらだった。風景に目を馳せながら、葵は昨晩のことを思い出した。ーー


 珍しく三人そろった夕食の席で、父親がぎこちない笑顔で口を開いた。

「明日は入学式だね、おめでとう」

 葵は視線を他所にそらしながら、ぼそりと言った。

「......余計なお金をかけて、すみません」

 父が困ったように黙ってしまったので、母が取り繕うように、間に入った。

「そんなこと言わないの、葵。今まで家庭の都合に振り回されて、大変だったでしょ? だからこれからは、あなたの好きなことを自由にやって欲しいと思ってるのよ、私たち」

 葵は無表情に聞き流して、

「気を遣ってくれて、ありがとう」

と、短く答えた。母は諦めたように肩をすくめると、付け加えた。

「式は、仕事で行けないけど......高校生だもの、いつまでも親と同伴でもないわよね」

 葵は箸を置いた。

 ーー今までだって、行事なんてろくに来たことなかったくせに。

 そんな言葉は、もうずっと飲み込んでいる。

「ええ、もちろん。ーーごちそうさまでした」

 メニューが何であったか、すぐに思い出せないくらい、寂寞とした夕食の時間だった。


(……)

 ふと、視界の中に動くものを感じて、葵は現実に意識を戻した。

 自分と同世代くらいの男が、グラウンドで一人サッカーボールを玩んでいる。ルーズに着崩している白シャツにレンガ色のネクタイ、紺色のズボンは、制服のようだった。


(わ......、すごい)

 そのボールはまるで忠実な飼い犬のように、蹴られても次の瞬間には足に吸い付くように戻って、 彼の思い通りに動いているように見えた。

 実際には彼がボールを追っているのに、不思議だった。

(きれい......)

 しばし、葵はその様子に見とれた。

 そのうちに彼はボールを右足の下に捕らえ、静止した。それから肩で一息ついて、天を仰ぐように 斜面の上に顔を向けた。

 目が合いそうになって、葵はあわてて体を背け、再び歩き出した。

(あの制服......。同じ学校の人かな)

 歩く足が、さっきより僅かに軽かった。

 他の何かで一瞬でも自分を忘れたことなど、かつてあっただろうかーー。


 程なく学校に着いたが、やはりまだ静かなものだった。

 葵は校舎へ入らず、構内を散策することにした。

 歩いていると、南北の校舎の間に中庭があった。芝生とむき出しの土が半々で、石像やベンチが点在している。

 渡り廊下を越え、そのベンチに何となく腰掛けると、校舎の中の掲示板が窓越しに見えた。

 そこには、部員募集のポスターが所狭しと張ってある。テニス、バスケ、バドミントン、柔道、野球......。何度見てもそこにサッカー部のものは見つからない。

 その理由は、明白だった。

 この神奈川県立綾西高校が、全国出場レベルの強豪チームだからである。入部はむしろ狭き門なのだ。

 そして葵には、入学を決めた時から考えていたことがあった。この強豪サッカー部で、マネージャーとして働くことだ。

(朝から晩まで、少しの休みもなく......)


 小さく溜息を漏らした後、気配に気づいて葵は振り向いた。

「カエデ」

 中学からの親友が、微笑んで立っていた。

「おはよう。髪切ったんだ。一瞬、分かんなかったよ」

 葵は左手首の時計を見た。まだ受付開始まで三十分近くある。

「早いじゃない。いつもギリギリなのに、珍しい」

「失礼な。あたしだって気がはやって早起きすることもあるよ」

 相変わらずの陽気さに、葵はクスッと笑った。

「そのショートボブ、似合うよ。心機一転って感じ。なんかワクワクするね」

 カエデはぴょんと跳ねるように葵の隣に座った。艶やかな黒髪のポニーテールが、生き生きと弾んだ。


「そう言えば、カエデのお母さんは?」

「ああ、後から来るって。家の用事片付けてからね」

「自家営業だもんね、忙しいよね」

 カエデの家は、車の板金屋だ。父が実務をし、母が経理を切り盛りしている。

「まぁね。あたしには関係ないけどね」

「強がっちゃって」

 葵は、カエデが母を手伝って家事や弟の面倒を見ていること、父親の仕事に誇りを持っていることを知っていた。そんなカエデと家族を見ていると、いつも心が和んだ。


「葵んちは……?」

 カエデが遠慮がちに聞いた。

「仕事。いつものことだよ」

 葵が屈託なく笑うと、カエデは一瞬顔を曇らせた。しかしすぐに明るい声で、

「お医者さんこそ、そう簡単に休めないでしょ。なにしろ、社会ホウキなんだから!」

「ホウキ? ……それ、もしかしてホウシ? 社会奉仕」

「え? あー、ソレよソレ。だからさ、葵の母親役は、あたしってことで! まかせなさい!」

と、カエデは何故か力いっぱいほうきで掃くジェスチャーをしながら言った。

 葵は笑って「いいよいいよ」と逃げるフリをした。

 校門の辺りが、人の声でにぎわってきた。入学生徒らが徐々に集まり出したようだ。

 二人は、昇降口に向かった。入り口付近に大きくクラス分けが張り出されてあった。カエデがいち早く、名前を見つけた。

「やった! 同じクラスだよ、葵」

 葵は素直に喜んだ。


 生徒達は張り紙を見て、ぞろぞろと各教室に流れて行った。葵とカエデも、「1−E」の教室でそれぞれ席に着いた。

 そのとき、

(あっ……)

 カエデの席の近くに、今朝見たサッカー少年が座っているのに気づいた。遠くから見ただけだった が、きっとそうだと葵は思った。

 額に降りた少し癖のある茶色がかった髪と、無表情でありながら強い意志をみなぎらせた目。その一角が彼だけの空間のような、触れがたい空気を作り出していた。

 教室の喧噪の中で、ただ退屈そうにしているだけの彼は、妙に浮いた存在に見えた。

 やがて前方のドアが開き、担任が入ってきた。


 午前中で式とホームルームが終わると、

「お腹空いたぁ。葵、帰ろー」

と、カエデが誘いにきた。

 が、葵は済まなさそうに言った。

「これから、サッカー部に申し込みしにいくんだ」

「サッカー? 葵が?」

 カエデは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「じゃなくて。マネージャー、しようと思って」

「何それ......。部活ならもっと楽しそうなのにすればいいじゃん。あんなのムダに疲れるだけ」

「ううん。――それでいいの」

 葵が静かに、しかしはっきりと言うと、カエデは口をつぐんだ。

「分かったよ。でも、あんまり無理しないようにね」

 肩をすくめながら微笑んで、教室を後にした。


 葵はカエデを見送ると、すぐに職員室へ向かった。

 職員室は一年の教室と同じ一階で、南側の校舎にある。昇降口の前を通り過ぎ、曲がったところで足を止めた。

 静かにドアを開けて中に入り、目の前を通りかかった教師に葵は尋ねた。

「すみません。サッカー部顧問の先生はどちらですか?」

 その青年教師は、ぎょろりと葵を見下ろした。短髪で浅黒く、やや童顔ながら威圧感があった。

「お前、入部希望者か?」

「は、はい。マネージャー……ですが」

「マネージャー! そりゃ大歓迎だ」

 その浅黒い顔はきらりと白い歯を出した。


「まずは入部申込書だ。クラスと名前を書いてくれな。ところで、うちの部については知ってるか?」

 彼は自分のデスクから用紙を取ってきて渡しながら、葵に聞いた。

「強豪チーム......ですよね」

 そう答えると、彼は頷いた。

「自慢じゃないが、そうだ。つまり、マネージャーの仕事も楽じゃない。選手同様、例年退部者が出る。チームの一員ではあるが、最後まで奉仕で終わり、選手ほどの見返りはないと感じるかも知れない。それでもやるか?」


「はい」

 葵は迷わずに頷いた。

「よし。記念すべき新入女子第一号だな! 俺は顧問・監督の本城浩だ。よろしくな」

お読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ