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火の国煉獄

 

  迷い込んだ女の子



「せみの鳴き声のせいで余計暑く感じる…」

みけんから流れる止まらない汗を拭いながらまおはつぶやいた。

耳にかけた髪は汗のせいでしっとりしている。


真夏の昼って、外に出てはいけない法律を作るべきだと思う。それか外に出る人みんなに無料でアイスが配られるの。


京都は特に暑い。

前にいた兵庫はまだもうちょっと涼しかった気がする。

引越ししてまだ2週間しか経ってないのに兵庫にいた時がずっと昔のようだ。

ママに理由を聞いたら「京都は盆地だからでしょ」と言っていた。

盆地ってなんだろう。

知らない言葉を覚えるたびになんだか少し偉くなったようになる。ゲームのレベル上げみたい。

でも盆地っておせんべいの名前みたいだ。


こんな暑い日なのに外に出ているのには訳がある。夏休みになってもお昼くらいまでだらだら寝ている私をみたママが怒って、お手伝いとしてお使いを頼んだのだ。


しかも頼んだものが、クーラーが効いた涼しいスーパーにある牛乳でも、お醤油でもなく神社のお札なんて。


なんでお札なの、って聞いたらこの辺に引っ越してきたんだから地元のお札を飾るのよ、だって。ふーん。よくわからない。

「あんな大きな神社が近くにあるのに行ったことないんでしょ。お使いがてらお参りしてきなさい。」

ママに言われた言葉を思い出す。


私達が住んでいる最近引っ越してきたマンションは、坂のずっと上にある。

その坂をくだって大きな川にかかってある橋を越えると、お使いで頼まれた神社があるのだ。

山とくっついている上川神社は、世界遺産にもなっていて、観光客も多い。

入口の鳥居の前に大きなバスが何台か停まれる駐車場がある。

今日もこんな暑いのにバスが1台止まっていて、たくさんの観光客がバスから次々と出てきていた。


20人…ううん、30人くらい。

まおが神社に入ろうとした時タイミングが悪く一緒に巻き込まれてしまう。ただでさえ暑いのに、人の熱気で更に周りが暑くなった気がした。


こういう時は早歩きして先に進みたいのに、お年寄りが多いせいかやけにみんなゆっくり歩く。

追い抜こうにも歩道はたくさんの人でふさがれた。はぁ。なんでこういう時ってイヤだなぁと思ったことが起きちゃうんだろ。


仕方がないからまおは観光客に合わせて、後ろでゆっくり後をついていくように歩いた。随分前の方であげた片手に旗を持ったバスガイドさんがこの神社の歴史について話をしていた。


それにしても歩くの遅いなぁ。

2つ目の大きな鳥居をくぐっても、お参りする場所までまだまだたどり着きそうにもない。

なんか近道とかってないのかな。まおはそう思ってあたりを見回した。

すると観光客が歩く道から反対側の山の方で、山の脇道をずらっと大人が1人通れそうなくらいの鳥居が目的のお参り場所まで伸びていたのだ。


やった!まわり道になるけどこっちなら誰もいないし、この前の人達より早くお参り場所まで着きそう。


そうと決まれば歩いていた足の方向を変えて、まおは鳥居に向かって歩き出した。


人の多い場所から少し離れたところにあるこの鳥居の道は、誰もいなくて鳥居も少しボロボロにみえた。

山の坂に沿って鳥居は伸びている。

10歳になったばかりのまおにとって、少しくらいの山の斜面はどうってことない。


山の近くまでくると、スピーカーにでも繋げたみたいにセミの声がいっそううるさく聞こえた。


鳥居をくぐりながら、まおはたくさんの木と鳥居のおかげで影ができて、さっきよりずっと涼しいことに気がついた。

伸びている階段をすいすいとまるで足にローラーのついた靴を履いているかのような足取りで先へどんどん進む。


外からみた山の木々は緑色ばっかりだったのに、山を歩くと茶色い落ち葉も目立った。

すると、遠くの方の階段で、落ち葉がが動いたのがみえた。落ち葉って動くのかな?

自分の勘違いかもしれない。


もう一度目をこらして動いた方をよく見てみると、その正体は落ち葉じゃなくて、落ち葉色の毛の色をした三毛猫だった。

「かわいい〜ねこちゃんだ」

小さい頃からねこが大好きで、でもマンションのせいでずっと飼えていないまおはねこをみるなり歩くスピードを早めた。


人に慣れたねこなら、ちょっと撫でさせてくれるかもしれない。


そんな期待をしたまおは目でずっとねこを追いながら逃げられないようにゆっくり歩いた。

フッっと何かを気づいたように、立ち止まっていたねこが先の道を歩き出した。

けれどまおの気配には気づいていない様子だ。


まおもそれに続いてゆっくり歩く。でも気づかれないように、距離をつめすぎて逃げられないように。

野良猫なのかな?でもすごく綺麗な毛並みをしている。

もしかしたら神社の飼い猫かもしれない。


それにその猫の歩きが独特だった。長い尻尾をお腹の下に入れて歩いているのだ。そんなねこは見たことがない。

怪我でもしているのかな?

そんなことをずっと考えながらまおはずっとねこに集中して鳥居をくぐり山道を歩いた。

そのせいで、なんと自分がなぜ山道を歩いているのかも忘れてしまい、鳥居の道が分かれていて神社から遠のいてしまっていることにも気づかなかったのだ。

頭の中はどうやったら前を歩いているねこを抱っこできるかでいっぱいだった。


よし…もう少し、あとちょっとで手が届く

声を出してバレないように、心の中で話しながらゆっくり歩く。


スッと伸ばした手がついにふわふわしたねこのお腹に触れた。

そのままねこを後ろから持ち上げて、まおは抱きかかえた。

「つかまえたぁ!」

ねこは知らない人間に抱かれても逃げず大人しくしていて、まおの顔をじっと見ていた。

「かわいい…ふわふわだ」

両手で抱きかかえながらふわふわしたねこの眉間に顔を擦り付けた。


それからハッとまおは自分が行くべき道だったところから外れてずいぶんと山奥に来てしまったことにようやく気づいたのだ。


周りを見渡すと家を出た時はお昼だったのに、いつの間にか夕暮れで外が真っ赤になっている。

「うそ…なんで…?」

ねこにだけ集中していたけれど、何時間も歩いていたはずがない。

山の中でねこと自分だけ、後は誰もいない怖さが今になって押し寄せてきた。

遠くからカラスの鳴き声も聞こえて一層不気味だ。

ずっと鳥居の道を歩いてきたから、そのまま元来た道を引き返せばきっとすぐに帰れる。

そうして後ろを向こうとした時、目の前に並んだ鳥居の提灯から、自動でぱっと明かりがついたのだ。後ろの鳥居には提灯がついていても明かりはない。

道が明るく照らされたおかげで、まおは鳥居の先に日本家屋の家があるのをみつけた。古そうだが家の窓からは明かりがついているのが見える。

「もしかして神社で働いている人が住んでいるのかもしれない」

このねこだって、あの家の人の飼い猫なのかも。だからねこも家に帰ろうと歩いていたのかも。


そうと決まれば、まおはねこを抱えたまま明かりのついた家に向かって歩き出した。

提灯の明かりで照らされた鳥居は、より一層赤が際立たされていた。


夕暮れと相まって、それがより非現実的な雰囲気をかもしだしている。

けれど今のまおにとってそれは不気味以外の何者でもなかった。

足取りを早めて家に向かった。

その間でもねこはずっとまおの腕の中で大人しくしている。


とうとう家の前までたどり着いた。

木でできた家は、近くで見ると家というよりお店みたいな作りだった。

扉が町の古い食堂屋さんみたいに両方開けるくもったガラス扉だ。

まおは両手がねこで塞がっていたのでそっとドアの前でねこを下ろした。

「自分で歩く手間が省けたけど、乗り心地はまぁまぁだったわね」

すると、驚いたことに急にねこが言葉を話したのだ。

「えっ」

まおは最初は誰が話していたのか分からなかった。

当たりをきょろきょろとみてみたけれど誰もいない。

「ちょっと、入るなら早く扉を開けてちょうだい」

そこでまおは初めて、ねこが言葉を話といることに気づいた。

「えっ…ね、ねこがしゃべってる!?」


「せみの鳴き声のせいで余計暑く感じる…」

みけんから流れる止まらない汗を拭いながらまおはつぶやいた。

耳にかけた髪は汗のせいでしっとりしている。

真夏の昼って、外に出てはいけない法律を作るべきだと思う。それか外に出る人みんなに無料でアイスが配られるの。

京都は特に暑い。前にいた兵庫はまだもうちょっと涼しかった気がする。引越ししてまだ2週間しか経ってないのに兵庫にいた時がずっと昔のようだ。ママに理由を聞いたら「京都は盆地だからでしょ」と言っていた。

盆地ってなんだろう。知らない言葉を覚えるたびになんだか少し偉くなったようになる。ゲームのレベル上げみたい。

でも盆地っておせんべいの名前みたいだ。


こんな暑い日なのに外に出ているのには訳がある。夏休みになってもお昼くらいまでだらだら寝ている私をみたママが怒って、お手伝いとしてお使いを頼んだのだ。

しかも頼んだものが、クーラーが効いた涼しいスーパーにある牛乳でも、お醤油でもなく神社のお札なんて。

なんでお札なの、って聞いたらこの辺に引っ越してきたんだから地元のお札を飾るのよ、だって。ふーん。よくわからない。

「あんな大きな神社が近くにあるのに行ったことないんでしょ。お使いがてらお参りしてきなさい。」

ママに言われた言葉を思い出す。


私達が住んでいる最近引っ越してきたマンションは、坂のずっと上にある。その坂をくだって大きな川にかかってある橋を越えると、お使いで頼まれた神社があるのだ。

山とくっついている上川神社は、世界遺産にもなっていて、観光客も多い。入口の鳥居の前に大きなバスが何台か停まれる駐車場がある。

今日もこんな暑いのにバスが1台止まっていて、たくさんの観光客がバスから次々と出てきていた。


20人…ううん、30人くらい。

まおが神社に入ろうとした時タイミングが悪く一緒に巻き込まれてしまう。ただでさえ暑いのに、人の熱気で更に周りが暑くなった気がした。

こういう時は早歩きして先に進みたいのに、お年寄りが多いせいかやけにみんなゆっくり歩く。追い抜こうにも歩道はたくさんの人でふさがれた。はぁ。なんでこういう時ってイヤだなぁと思ったことが起きちゃうんだろ。

仕方がないからまおは観光客に合わせて、後ろでゆっくり後をついていくように歩いた。随分前の方であげた片手に旗を持ったバスガイドさんがこの神社の歴史について話をしていた。


それにしても歩くの遅いなぁ。

2つ目の大きな鳥居をくぐっても、お参りする場所までまだまだたどり着きそうにもない。

なんか近道とかってないのかな。まおはそう思ってあたりを見回した。

すると観光客が歩く道から反対側の山の方で、山の脇道をずらっと大人が1人通れそうなくらいの鳥居が目的のお参り場所まで伸びていたのだ。


やった!まわり道になるけどこっちなら誰もいないし、この前の人達より早くお参り場所まで着きそう。

そうと決まれば歩いていた足の方向を変えて、まおは鳥居に向かって歩き出した。

人の多い場所から少し離れたところにあるこの鳥居の道は、誰もいなくて鳥居も少しボロボロにみえた。

山の坂に沿って鳥居は伸びている。

10歳になったばかりのまおにとって、少しくらいの山の斜面はどうってことない。

山の近くまでくると、スピーカーにでも繋げたみたいにセミの声がいっそううるさく聞こえた。

鳥居をくぐりながら、まおはたくさんの木と鳥居のおかげで影ができて、さっきよりずっと涼しいことに気がついた。

伸びている階段をすいすいとまるで足にローラーのついた靴を履いているかのような足取りで先へどんどん進む。

外からみた山の木々は緑色ばっかりだったのに、山を歩くと茶色い落ち葉も目立った。

すると、遠くの方の階段で、落ち葉がが動いたのがみえた。

落ち葉って動くのかな?

自分の勘違いかもしれない。

もう一度目をこらして動いた方をよく見てみると、その正体は落ち葉じゃなくて、落ち葉色の毛の色をした三毛猫だった。

「かわいい〜ねこちゃんだ」

小さい頃からねこが大好きで、でもマンションのせいでずっと飼えていないまおはねこをみるなり歩くスピードを早めた。

人に慣れたねこなら、ちょっと撫でさせてくれるかもしれない。

そんな期待をしたまおは目でずっとねこを追いながら逃げられないようにゆっくり歩いた。

フッっと何かを気づいたように、立ち止まっていたねこが先の道を歩き出した。

けれどまおの気配には気づいていない様子だ。


まおもそれに続いてゆっくり歩く。でも気づかれないように、距離をつめすぎて逃げられないように。

野良猫なのかな?でもすごく綺麗な毛並みをしている。もしかしたら神社の飼い猫かもしれない。

それにその猫の歩きが独特だった。長い尻尾をお腹の下に入れて歩いているのだ。そんなねこは見たことがない。怪我でもしているのかな?

そんなことをずっと考えながらまおはずっとねこに集中して鳥居をくぐり山道を歩いた。

そのせいで、なんと自分がなぜ山道を歩いているのかも忘れてしまい、鳥居の道が分かれていて神社から遠のいてしまっていることにも気づかなかったのだ。

頭の中はどうやったら前を歩いているねこを抱っこできるかでいっぱいだった。

よし…もう少し、あとちょっとで手が届く

声を出してバレないように、心の中で話しながらゆっくり歩く。


スッと伸ばした手がついにふわふわしたねこのお腹に触れた。

そのままねこを後ろから持ち上げて、まおは抱きかかえた。

「つかまえたぁ!」ねこは知らない人間に抱かれても逃げず大人しくしていて、まおの顔をじっと見ていた。

「かわいい…ふわふわだ」両手で抱きかかえながらふわふわしたねこの眉間に顔を擦り付けた。

それからハッとまおは自分が行くべき道だったところから外れてずいぶんと山奥に来てしまったことにようやく気づいたのだ。

周りを見渡すと家を出た時はお昼だったのに、いつの間にか夕暮れで外が真っ赤になっている。

「うそ…なんで…?」

ねこにだけ集中していたけれど、何時間も歩いていたはずがない。

山の中でねこと自分だけ、後は誰もいない怖さが今になって押し寄せてきた。遠くからカラスの鳴き声も聞こえて一層不気味だ。

ずっと鳥居の道を歩いてきたから、そのまま元来た道を引き返せばきっとすぐに帰れる。そうして後ろを向こうとした時、目の前に並んだ鳥居の提灯から、自動でぱっと明かりがついたのだ。後ろの鳥居には提灯がついていても明かりはない。

道が明るく照らされたおかげで、まおは鳥居の先に日本家屋の家があるのをみつけた。古そうだが家の窓からは明かりがついているのが見える。

「もしかして神社で働いている人が住んでいるのかもしれない」

このねこだって、あの家の人の飼い猫なのかも。だからねこも家に帰ろうと歩いていたのかも。

そうと決まれば、まおはねこを抱えたまま明かりのついた家に向かって歩き出した。

提灯の明かりで照らされた鳥居は、より一層赤が際立たされていた。

夕暮れと相まって、それがより非現実的な雰囲気をかもしだしている。

けれど今のまおにとってそれは不気味以外の何者でもなかった。足取りを早めて家に向かった。その間でもねこはずっとまおの腕の中で大人しくしている。


とうとう家の前までたどり着いた。

木でできた家は、近くで見ると家というよりお店みたいな作りだった。


扉が町の古い食堂屋さんみたいに両方開けるくもったガラス扉だ。

まおは両手がねこで塞がっていたのでそっとドアの前でねこを下ろした。

「自分で歩く手間が省けたけど、乗り心地はまぁまぁだったわね」すると、驚いたことに急にねこが言葉を話したのだ。

「えっ」まおは最初は誰が話していたのか分からなかった。

当たりをきょろきょろとみてみたけれど誰もいない。

「ちょっと、入るなら早く扉を開けてちょうだい」

そこでまおは初めて、ねこが言葉を話といることに気づいた。

「えっ…ね、ねこがしゃべってる!?」まおは驚いて目をビー玉みたいに広げて、足元にいるねこをみた。

そのときにまた初めて、ねこの長いしっぽの先が2つに分かれていることに気づいたのだ。

抱いていた時しっぽはまおのお腹にくっついていたから、全く見えていなかった。

第一ねこのしっぽが2つに割れてるなんて見たこともないから、確認もしようとなんて思わなかった。

こんなねこは見たことがない。


ねこの方を向いて唖然とするまおに、ねこは下からじろっと睨みつけ「なによ」と言いたげだ。

その威圧に少したじろいで、大人しくまおはねこの言う通り、明るい光がガラスに照らされた左側の引き戸をゆっくりと横に引いた。

ガランガランと音を立ててすべるように引き戸が開いていく。

そのままスルッとねこは身体を曲げて先に家の中へ入っていった。

「すみません、ちょっと道に迷ってしまったんです。」

そう声をかけながらまおは家の引き戸を全て引いた。

開けた先に見えたものは、やはり人の住んでいるような家ではなかった。

というよりむしろ昔ながらの食堂っぽい。テーブルが3台並んでいて、カウンターがあった。

そこでまおを出迎えたのは神主さんではなかった。

だからといって怪しい人…ううん、人ですらなかったのである。

そこに立っていたのは、大人くらいの身長で白い割烹着をきた、二足歩行の黄色い毛並みが立派な狐だった。


「きつね!」

まおは思っていたことをそのまま口に出した。

それから、もしかして失礼だったんじゃないかと慌てて自分の口を手で塞いだ。

だって私が急に「人間!」って言い返されても困っちゃうものね。


きつねはまおの声に一瞬びっくりして目を丸くしたけれど、すぐに笑顔になって

「さぁ、ようこそいらっしゃいました。どうぞどうぞ入ってください。オサマのお客さんなんて本当に久しぶりだ。」

優しい低い声をしたきつねがまおに向かって少し腰をかがめて話しかけた。


オサマ?オサマってなんだろう。

そのままずっと立っているのもなんだったので、きつねに案内されてまおは大人しくカウンターに座った。

「はじめまして。小さなオサマのお客さん。私の名前は勘兵衛といいまして、この小さな飲食店を経営しています。とは言っても売っているものは油揚げの商品ばかりで…、いやいやでもこれは味に大変自信があるんですよ。稲荷寿司がうちの看板商品です。お嬢さんもおひとついかがですか?」

勘兵衛と名乗ったきつねが、カウンターの上に大きなお皿に山盛り積んである稲荷寿司からひとつ取ってまおに勧めてきた。

ママからお金をもらってきていたが、稲荷寿司はいくらかわからなかったし、それに知らないきつねから勧められたものを食べていいのか不安になった。

どうしたらいいのかわからなかったので、しばらく目の前にある稲荷寿司をじっと見ているとそれに気づいた勘兵衛が

「あぁ、お代はいりません。私の稲荷寿司がオサマにも美味しいのか知りたいだけです。それに毒なんて入っていませんよ、ほら。」

そう言って勘兵衛はまおの方に向けていた顔を横に向けて目配せをした。

隣の席にはいつの間にか女の子が座って稲荷寿司を食べていた。

まおは初め、自分の席の横に大きな鏡があるのかと思った。

だって隣に座っていたのは自分だったからだ。

「うん、やっぱり旦那の稲荷寿司はいつ食べても絶品だわ」

上手に箸で稲荷寿司を持って、笑顔でそっくりの私がそう言った時、まおはあっ!と気づいた。

さっき話しかけてきたねこと声がそっくりだ。

それにおしりの方から2つに別れたしっぽが出ている。

さっきのねこが自分に化けたのだと思った。

「ね、彼女のお墨付きです。」勘兵衛はにっこりとまおに笑いかけてそう言った。


そんなに美味しいなら…。

おそるおそる目の前の稲荷寿司を箸でもった。

稲荷寿司なんてめったに食べない。兵庫にいるおばあちゃんの家に行った時に、おばあちゃんが時々作ってくれるからその時に食べるけど

回転寿司に行っても絶対食べないし、それにどちらかというとファミレスのハンバーグとかオムライスが好きだった。


箸でつかんだ稲荷寿司を口まで持っていき、まおは一口かじってみた。

口に入れた瞬間、酢飯のまわりをおおっていた油揚げからジュワッと甘いタレが出てきて、それが口の中で酢飯とからみ優しい味わいになった。

まおはこんなに美味しい稲荷寿司を食べたことがなかったので、夢中になって食べた。

普段はそんなに食いしん坊じゃないのに、食べてなくなっていく稲荷寿司がすごく名残おしく感じたぐらいだ。

それをみた勘兵衛が満足そうに微笑んだ。「満足してくれたようで、何よりです。」

食べ終わってから、ご馳走さまといい、まおは気になっていたことを勘兵衛に聞いた。

「あの、さっきから言っているオサマって何なんですか?」

「あぁ、オサマとは私達妖怪が呼んでいる人間のことですよ。」勘兵衛は答えた。


「やっぱりあなたも着ぐるみじゃあなくて、妖怪だったんですね。」

まおは改めて勘兵衛にたずねた。

「はっはっは。着ぐるみだなんて。

そうです、私は狐の妖怪なんです。そして彼女は猫又という猫の妖怪です。ここはおあげ食堂という名前の店でしてね、彼女のような妖怪がお客として私のご飯を食べに来るのです。けれどオサマのお客さんが来ることは滅多にありません。いや、来れないと言った方が正しいのかな。」

途中からうーんと右手をあごの下に置いて言った。


まだまだ知りたいことや聞きたいことがたくさんあったように思えたけれど、

暗くなっていた外を思い出し、途端にきっとなかなか帰ってこないまおを心配しているママのことが急に気がかりになった。


「勘兵衛さん。私は本当はこの山の下にある神社に行きたかったんですが、猫又さんの後をついていってここまでたどり着いてしまったんです。

なんとかして帰らせてくれませんか。」

カウンター越しに勘兵衛をじっと見つめてまおは頼んだ。

「私についてきて道がわからなくなるなんて、ドジねぇ。」

ケラケラと隣に座っている猫又が笑う。

「こらこら、この子は困っているんですよ。笑ってはいけません。」

勘兵衛は猫又をたしなめた。


それから少し考えるように勘兵衛はゆっくり答えた。

「ふむ…ということはこのおあげ食堂は今神社の近くに繋がっていたということなんですね。」

「どういうことですか?」

勘兵衛の言っている意味がわからなかった。


「この食堂はいつも決まった場所にあるわけじゃないの。妖怪が住んでる異界とオサマの世界を行ったり来たり…自由に動いてて、たまたま見つけたらラッキーって感じなんだから」猫又が言った。

「そうなんです、だからまぁこうして、お客さんも安定しないのですが。」

まお達以外誰もない店内をみた勘兵衛は苦笑いだ。

「ここからが本題なのですが、問題は私もこの食堂が次にどこに行くかどうかわかりません。けれどこの食堂はいつも逢魔時に動く。そして今が残念なことにその逢魔時なのです。」

話がよくない方向に流れていくのを感じたまおだったが、逢魔時の意味がわからなかったので勘兵衛に尋ねた。

「逢魔時とは、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻を指しています。黄昏時とも言いますが。

この時間帯はオサマの世界と異界の境界線が非常に曖昧になり、今オサマのあなたが外に出てしまうと非常に危険なのです。」

「じゃあ…私はどうすればいいんですか。もうずっと、元来た世界に戻れないんですか?」

急に目の前が暗くなって、涙が目に溜まっていくのをまおは感じた。

泣きたくなんてなかった、でもすっかり困ってしまってどうしようもなく感情が止まらなくなる。


「やだ…、ちょっと落ち着きなさいよ。」急に泣き出しそうなまおをみて、まおそっくりの猫又が立ち上がりまおの背中を撫でた。

自分そっくりが自分をなぐさめているなんて、あんまりにもシュールできっといつもだったら笑っていたことだろう。

けれど今のまおはそれどころじゃなかった。

「そうです、気を落とすことはありませんよ。」

優しく微笑んだ勘兵衛が言った。

「今の間だけ動けないだけです。少し経てばこの食堂はまたどこかの場所にしばらくとどまります。

それが異界だったとしても大丈夫ですよ。異界にははぐれたオサマの為の元の世界へ戻れる出口があるのです。」


「でも…でも、お母さんが、なかなか帰ってこない私を知って、きっとすごく心配しちゃう」もう本格的に泣き出したまおは下を向いて、涙をずっと両手でふきながら言った。

「あぁ、それなら大丈夫です。異界とオサマの世界には時差があるのです。もしあなたが異界でどれだけ長く過ごしても、オサマの世界に帰った時には数時間ほどしか時間が経っていません。けれどそのせいでこうした時間軸の歪みが出てしまうのですが」

「それにそんなにあなたのお母さんが心配なら、私がこのまま代わりに帰ってあげるわよ。あなたは逢魔時が過ぎたらゆっくり帰ってくればいいわ」

まおはこの猫又が最初にあった時とずいぶん印象が変わった。

こんなに優しいねこだったなんて気付かなかった。

「ありがとう…」

自分に敬語を使うのもおかしかったので、改めて自分に化けた猫又に向かってそう言った。

「まぁ、あなたをここに入れた私もちょっとは責任を感じているのよ。」


「それじゃあ、すみませんがしばらくの間ここにいさせてください」

涙をふいてからまおは勘兵衛に向かって頭を下げてお願いした。

「もちろん。気の済むまでここにいてください。礼儀正しい子は誰だって大歓迎です。」


そうして猫又はまおのママの元へ代わりに行くことになり、まおは逢魔時が終わるまでおあげ食堂にいることになった。

ガラス窓越しに写る空がずっと薄暗いままだ。

何をしていいかわからなかったのでまおはしばらくカウンター席に座って周りをきょろきょろと見渡した。

木の板に書かれたメニューが壁にたくさん貼られてある。

日替わり定食、きつねうどん、稲荷寿司定食、おあげたっぷり炊き込みご飯…全部油揚げが入っている。

昔どこかの本で、きつねは油揚げが好きだと読んだことがあったけれど本当にその通りなんだなぁと感心した。


「勘兵衛さんはいつからこの店を始めているんですか?」

気になったまおは尋ねた。

「そうですねぇ…、もう50年近くになるのかなぁ。最初は単に自分が油揚げが好物で、色んな料理を作っていたんですよ。それがいつしか自分の作ったものを人にも食べてもらいたい、そして喜んでほしいと思いましてね、そうしたらこの通り、店を始めたわけです。」

食器を洗いながら勘兵衛は答えた。

「きつねの妖怪は勘兵衛さん以外にもいるんですか?」

「そりゃいます。異界には生成というきつねの国がありましてね、そこでは私のようなきつねが沢山生活しているんですよ。」

「きつねの国!なんだか楽しそう」

まおはどんな国なのか想像してみた。

動物園みたいにふわふわのきつねがいっぱいで、可愛くて…、あ、でも勘兵衛さんのようなきつねだと背が高くて人みたいに二足歩行だ。うーん。それは可愛いのかな。

「ふふ、楽しいところだといいですね。実はもうしばらく生成へは戻っていないのです。この通りこの食堂は勝手に移動をするもんですから」

「自分の生まれた国が恋しくならないんですか?」

「さぁ…どうでしょう。私がまだ生成にいた時は、あまりいい国だとは思いませんでした。

何しろ女王がいたのですが、急に姿を消してしまったのです。そうして他の貴族のきつね達が好き放題に政治を動かすようになりました。今はどう変わったのか、興味があるようなないような」遠くを見つめるように勘兵衛は話した。

全く知らないきつねの国の話なのに、なんだか学校の歴史の授業で習った昔の外国のようだなとまおは思った。


しばらく話をしていると、食堂の入り口の引き戸を引く音がした。

入ってきたのは、長い黒髪で、着物とドレスが混じった昔の時代の服を着た大人の女の人だった。

「あら、こんなところでおあげ食堂が見つかるなんてラッキーだわ」

女の人は上品な笑顔を浮かべてそう言った。

「いらっしゃいませ、どうぞ好きな場所にお座りください。」カウンターから勘兵衛が声をかけた。


女の人はまおを見るとほほえみ、

それからまおが座っている場所からひとつ席を空けて座った。

「そうね…それじゃあ、日替わり定食を2人前お願い。」

女の人は壁にかかってあるメニュー表を見ながら注文をした。

「はいよ、少々お待ちください」

そう言ってから勘兵衛は戸棚から食器を出したり、鍋を火にかけたりせっせと動き出した。

お客さんって、てっきり妖怪かと思っちゃったわ。まおは横目でチラッと女の人をみた。


たくさん食べる人なのだろう。

ちょっと古い格好をしてるけど、どこからどう見てもまおと同じオサマに見える。

もしかして幽霊とか?この人はどうやってここに来たんだろう。

まおが考えている間、手際良く勘兵衛は2人分の日替わり定食を作り終わり、女の人の前においた。


「はい、おまちどうさま」

「まぁ!美味しそう。どうもありがとう。」

湯気の出ている油揚げの味噌汁、油揚げのお肉の包み焼き、色んな種類の稲荷寿司、野菜のおひたしをみて女の人は喜んで手を合わせた。

けれど箸を持たなかった。

代わりに女の人の長い髪がうねうねと太い腕ほどの2つの束に分かれた。

そしてまるで生き物のように動き出したのだ。

あまりにびっくりしたので、まおは思わず声を上げそうになった。

けれど次に見たものにもっとびっくりした。

動いている髪の毛はお浸しが入った小鉢をつかみ、そのまま頭の後ろへ持っていった。

すると頭の後ろから今まで髪の毛で見えていなかった大きな口が出てきたのだ。

頭の後ろが裂けそうなほど大きな口は分厚い唇がガサガサしていて、金歯をのぞかせていた。昔お話で読んだ盗賊の大将の歯にそっくりだ。

そしてそのままお浸しを口の中に放り込んだ。

顔についている口は美味しそうに微笑んでいるが閉じたままだ。

そのまま稲荷寿司、お肉の包み焼き、お味噌汁と長い髪は器用に食器をつかみ、流れるようにぽいぽいと後ろの口に入れていった。

まおが急いでいる時に早食いするよりも早く、流れるようなスピードで大きな口は次々に食べ物を飲み込んで、あっという間に2人前の定食が綺麗に空になった。

「あぁ、とっても美味しかった。味は噂以上だわ。お腹いっぱい。」

女の人は、ひと口も食べていない口でそう言った。


食後の温かいお茶でさえ、後ろの口が器用に髪を使って飲んでいた。

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