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一難去ってまた一難





メディシン?蒸発事件から約一週間、日常を取り戻したかに見えたメルキオール研究所では、今日再びスコーン・タルト博士のとんでも発言が響き渡っていた。

「何ということだ……」

「博士、どうしたのですか?」

資料や試験管が溢れかえった小さな部屋で、灰色の白髪をはやした老人、スコーン博士が呟いた。老人と表現したが、実年齢はまだ若く、六十には届いていない。老人の呟きに、近くにいた二十歳そこそこの男、キプツェル・マカロンが振り返って詳細を訊ねた。

「キプツェル君、それが大変なことになってしまったんだよ……」

「と、いうと?」

博士ことの詳細を簡単には言わず無駄にタメを作った。キプツェルはそのくだらない演出に「さっさと言えよこの老いぼれジジイ」と声に出さず悪態をついた。彼にとっては「何ということだ……」の先なんて気にもなっていないのだ。ただスコーン・タルト博士が聞いてほしそうにしていたから訊ねただけなのだ。

「それが……やっぱり言うのやめる」

語尾に星をつける博士に、キプツェルのこめかみがピクピクとひきつった。

「はァ!?言えよ。まさかまたメディシン?が蒸発したとかじゃないですよね」

「そんなもんじゃない!もっと重大な問題なんだ!」

「まさか……保存していた天然痘スーパーのサンプルが蒸発した……とか……」

「いや……そんな嫌なパターンできてないから」

「いやあああッ、まだ死にたくない――ッ!」

「落ち着けキプツェル君!ほら、天然痘スーパーはちゃんとそこにある!」

そう言いつつ全くもって整頓されていない棚を指差す博士。キプツェルは両手で頭を抱えたままチラリとその指の先に視線を向けた。

「……どこに?」

博士の部屋の棚は汚すぎて何が何やらわからない状態なのだ。この棚の使用方法は、基本的には空いているスペースに物をねじ込んでゆくというものである。なので奥の方の物は当然、手前の物まで名称不詳の物ばかりなのだ。

この棚の中身を完全に把握しているのはこの研究所の所長であり、この部屋の主であるスコーン・タルトだけである。よって、キプツェル助手は天然痘スーパーのサンプルを見つけることが出来なかったのだ。

「そこに!」

「だからどこに!」

「上から三段目の右から十四番目!」

「汚すぎて右から三番目あたりからもう数えられないんですよ!」

博士は「はあ~っ」とわざとらしく深いため息をついた。

「仕方ない、とってきてやろう。キプツェル君がこんなに馬鹿だったなんて知らなかったよ」

キプツェルは笑顔を引きつらせながら言葉を返す。

「天然痘スーパーはもういいです、そこにあるなら安心ですけど!とりあえず!博士が何に悩んでるのか教えて下さいよ!」

「いつ世界中にばらまかれるかわからないけどな」と心の中で付け加えながらキプツェルが改めて博士を見ると、彼は目をうるうるさせながらキプツェルを見上げていた。キプツェルは思わず一歩後ずさる。

「キ、キプツェル君……そんなに私を心配してくれているのかね……?博士感動~~」

「ええ、博士のとんでも発言が聞こえたら間違いなく私にも災難が降りかかりますからね。もうパターンできてんですよ」

「……結局自分のためか。情けないなぁ~今の若者は」

再びわざとらしいため息をつく博士。しかし今日のキプツェル・マカロン助手は冷静であった。

「あれ~?この前評価だの地位だの名誉だの栄光だの言ってたのは誰でしたっけぇ~?」

キプツェルの言葉に博士は苦々しげな顔をする。

「ぐっ、そ、それは……」

「情けないなぁ~、今の大人は」

「キ、キプツェル君!私は君をそんな子に育てた覚えはないぞ!」

必死で話の方向を逸らそうとする博士。彼はとりあえず意味のわからないことを喚いた。しかし今日のキプツェル・マカロン助手は冷静だったのである!

「ギャグに持っていってごまかさないで下さい。で、今日は何が起こったんですか?私は無事に今日を終えることが出来ないパターンなんですよねぇ、きっと」

「そ、それは……。くっ、誰にも言いたくなかったが……仕方ない、君だけに言おう。いいかね?絶対に誰にも言ってはいけない」

博士の突然の真顔に若干たじたじとするキプツェル。しかし彼は考えた。ここは博士の秘密とやらを握っておくべきであろう。キプツェルはなるべく真面目な顔を取り繕った。

「わ、分かりました」

「うむ、では言うが……。実はな……」

「はい」

キプツェルは内心で「早くしろよ」とイライラした。博士は演出を重視したい質なのですぐには言いたがらないのだ。

たっぷりタメを作った博士は、ようやく核心に触れることを口にした。

「実は……宝くじを落としてしまったんだ。……一億円の」

その言葉の意味を理解するのに、キプツェルは一、二分の時間を要した。

「い、い、い、一億円んんんんんん!?」

「うん、一億円」

先程後ずさった一歩の距離を一気に詰めるキプツェル。彼の頭の中は八つのゼロで埋め尽くされていた。

「は、博士、いつの間に宝くじなんて!?」

「最近ハマってて……」

「それで、それでまさか一億円を落としてしまったんですか!?」

「うん……。落としたっていうか、無くした……かな?研究所の中にあるとは思うんだ」

曖昧な言い方をする博士だが、そんな言い方にイラついている暇は今のキプツェルには無かった。彼は指折り自分の欲望を数え始める。

「一億円もあったら……。車買って……あれしてこれして……自分の研究所なんかも……」

博士の存在そっちのけで妄想を働かせるキプツェル。そんな己の助手に、博士はさりげなく声をかけた。

「キプツェル君、一緒に探してくれるかね?」

「三割で」

こっそりと頼んだ博士だったが、しかしキプツェルはそれに即答する。彼は真顔で指を三本立て、それを博士の眼前に突きつけた。

「三割も!?」

「あれ、ダメですか。そうかー、ダメですかー。残念、交渉決裂。さぁ研究所中にばらまいてこよう!今日のディナーは豪華だぞ――!」

「待って待って待って!」

走りだそうとするキプツェルの白衣を博士が慌てて掴む。キプツェルは首を捻り、しらっとした顔を博士に向けた。

「何ですか。私忙しいんですけど」

「いやいやいや、三割払うから!誰にも言わないで!私の一億盗らないで!」

「最初からそう言やーいいんですよ。さぁ、さっさと探して三千万貰うぞー!」

「トホホ……」

俄然やる気を出すキプツェルを見て、やはり一人で探せばよかったと博士は後悔した。

やる気というオーラで全身を覆う作業をしていたキプツェは、くるりと博士の方を振り返るとへらっと笑った。

「まぁ、研究所の整理整頓も兼ねてゆっくりやりましょうよ」

「それはダメだ!」

目の前に突き付けられた手のひらにびっくりするキプツェル。この研究所は出したら出しっぱなしなことが多く、宝くじを探しながら片付けをするのは彼には名案に思えたのだ。

「なんでです?まさかまた片付けしたくないとか……」

「今日までなんだ」

「は?」

答えになっていない一言にキプツェルは眉を寄せる。もっと詳しく聞こうと思ったところで、先に博士が口を開いた。

「今日の五時までに取りに行かなきゃダメなんだよ!」

「はあああッ!?お前今の今まで何してたんだよ!」

「いや、だって、番号が発表される前に無くしたから……」

ばつの悪そうな顔をする博士に、キプツェルは頭上から怒鳴り散らす。

「だから日頃から片付けとけって言ってんですよ!」

「だって片付けると何処に何があるかわからなくなるじゃないか! キプツェル君が棚をいじくって、まじないが滅茶苦茶になっちゃったらどうするんだ!」

「ハウルかよ!で、何で無くしたのにそれが当たってるって分かるんですか?まさか嘘ついて……」

疑惑の眼差しを向けるキプツェルに、博士は当然とばかりに答えた。

「それは番号を覚えているからだよ」

「……本当ですか?」

疑いの色を更に強めるキプツェル。その視線に気付いた博士は、ムキになって大声を出した。

「本当だよ!なんなら全部の番号を言ってやろう!一一九二四〇、一七九八八一、一〇〇三三ニ、一四ニ六三三……」

「わかったわかった、いいですいいですもういいですよ!信じました信じました!」

呪文を唱え始めた博士を慌てて止めるキプツェル。博士が子供っぽいところを出したら自分が折れた方が早いことをキプツェルは知っているのだ。

キプツェルは「無駄に記憶力いいんだな」と心の内で悪態をつきながら、ふんぞり返る博士を見やった。

「よろしい。疑うことは人として最低な行為だ。以後気をつけるように」

立派な口髭を捻りながら言う博士を前に、キプツェルは「お前に言われるとムカつくな」という言葉を必死に飲み込んだ。

「とりあえず今ちょうど十時だ」

博士が壁の時計を見上げると、ジャストタイミングでぽっぽーと鳴きながら鳩が飛び出した。再びキプツェルに向き直った博士は真剣な表情を作って言う。

「あと七時間以内に例のブツを見つけないと……ジ・エンドだ」

何かになりきっている博士を総スルーして、キプツェルはぐいっと白衣の袖を捲った。

「まぁ三千万のためだ、やるかぁッ!」




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