ヘンダラ様
種々の木に藤の花が咲き乱れる季節でした。
私は、趣味の写真を撮るため、ナビを頼りに某山の上にある神社へ向かいました。
車で2時間ほどかかる場所ですが、ナビのGPSがズレてしまい、到着までさらに1時間ほどかかってしまいました。
ですが、人里を離れるにつれ風は涼しく、木々のざわめきは強まり、道に迷っている間ですら心地良い時間でした。
雑草が生い茂った駐車スペースに車を停め、カメラと共に「熊注意」という看板が乱立している小路を登りました。
小路はハイキングコースのため一本道です。しかし、道は細く草木が生い茂り、すぐ脇には獣道が見えます。ある田舎町で起きた熊の事件を思い出し私は少し怖くなりました。
植物や昆虫の写真を撮って気を紛らわせていると、遠くから芝刈り機の音が響いてきました。人間の出す機会音は山に反響し様々な方向から聞こえ、心強く感じました。
道すがら、もう使われていない作業小屋らしき建物と数体のお地蔵さまを見つけました。味のある廃屋だったので私はカメラを構えました。
レンズを通してその小屋の窓ガラスを見ると、言葉にできない違和感を覚えました。ガラスに景色が映っているようで映っていない気がしたのです。
周囲の木々は確かにその窓ガラスに映りこんでいるのですが、作り物のように感じました。
長時間の運転で目が疲れているのだと思い、あまり気にせず山を登り続けました。神社のある高い広場へ着くころには息が上がり、大量の汗でTシャツは濡れていました。
いつの間にか草刈り機の音は聞こえなくなっていましたが、周囲の雑草は刈られており、植物の切り口から漂う青く茶色いにおいがしました。人の気配はありませんでした。
ハイキングコースの看板が指す方向を見上げると赤い鳥居の一部が見えました。少し休憩してから登ろうと思い、近くにあった切株に座りました。
広場は最盛期を終えたツツジに囲まれ、緑が生き生きとした淋しさを感じました。
足元を見るとキノコがたくさん生えています。近くで見ようと前かがみになったとき、目の端に緑色以外のものが動きました。
目を凝らしてみると、ツツジの隙間に人がいました。膝から上は葉の陰になり見えません。熊ではなかったことに安堵しました。
鳥の鳴き声や木々のざわめきが心地よく、ぼんやりと景色を眺めていました。ふと、先ほどの人を見ると、さっきよりもこちらに近い位置にあるツツジの木の下に移動していました。
草刈りをしている人が休憩しているのだと思いましたが、山なのに長ズボンをはかずサンダルを履いていたので違和感がありました。
汗が少し引いてきたので、私はハイキングコースに戻り神社を目指して登り始めました。
大きく立派な鳥居をくぐると、広々とした敷地の奥に簡易的な神社がありました。
来た道を振り返ると、素晴らしい景色で遠くの海まで見渡せました。先ほど休憩した広場を見下ろすと、もう人はいませんでした。
写真を撮った後は、ハイキングコースを一周する予定でしたが、暗くなる前に帰りたいと思い来た道を戻ることにしました。
登りで休憩したツツジの広場を通り過ぎようとした時、辺りに嫌なにおいが漂いました。下水やヘドロのようなにおいです。
においの元が気になり広場に入ると、ボロ布を身につけたボサボサ頭の人が反対側を向いて立っていました。やせ細った老人で、性別は分かりません。
老人の足元には異常な数のキノコが生えていました。
私はその場から動けず、その人を見ていました。老人はゆっくりこちらへ振り返り、私の方を向きました。
老人は日焼けしているのか肌が黒く、服装からは予想できないほど生き生きとした表情をしており、目はキラキラ輝いていました。
老人は独り言のように何かもごもご言っていましたが、その声はどんどん大きくなり最後には大声で叫んでいました。
「アチェイ チョゥロン アチェイ … ハマンティア アチェイ チョゥロン … ハマンティア」
と聞こえました。
老人はハキハキと同じ言葉を繰り返しながら、両手をあげたり空を見上げたりしていました。
腹から出ている力強い声で、何かの舞台を観ているかのようでした。老人の足が動くたびに足元のキノコが増えているように見えました。
刈ったばかりの草で緑色だった地面は、キノコで白っぽくなっていました。
異様な雰囲気にのまれ、私はその場に座り込んでしまいました。
するとすぐ、後ろから声をかけられました。振り返ると作業服を着たおじさんが2人いて、心配そうにこちらを見ていました。
慌てて立ち上がり広場へ目を向けると、先ほどの老人はいなくなり、嫌なにおいも消えていました。辺りには少しのキノコと、ほのかに甘い香りが残っていました。
私が熱中症で倒れたのかと心配していた作業服のおじさんたちに、広場に不審者がいたことを伝えました。2人のおじさんはなにやら話し込んでいましたが、訛りが強かったため聞き取るのは困難でした。
「かまりする。びぐのへんだらさまが来た。一緒に○○さんの所へ行こう。」
訛りなのか、知らない単語なのかすらわかりませんでしたが、おじさんはそう言っていました。そして、一緒に軽トラに乗るように言われました。
ですが、初対面の人の車に乗るのはかなり抵抗があったため丁寧に断り、足早に駐車場へ向かいました。
来るときに写真を撮った小屋が見えた時、全身から嫌な汗が出てきました。
そこには廃屋ではなく、新しくきれいな小屋が建っていました。お地蔵さまに苔は生えておらず、窓ガラスは割れておらず、周囲の雑草はきれいに刈られていました。
窓から見える小屋の中には、箒やコート、ヘルメットなどが雑多に置いてありました。
走って駐車場につき、急いで車に乗り込もうとしたところ、先ほどの軽トラのおじさんとお坊さんがこちらへ向かってくるのが見えました。
このお坊さんが、先ほどおじさんが言っていた○○さんかなと思いましたが、神社なのにお坊さんだったことに少し驚きました。
おじさんたちとお坊さんに話しかけられ、少しの時間でしたがお話しをしました。
お坊さんは物腰が柔らかく、周囲の時間をゆっくりにさせるような雰囲気の方でした。話を聞くと、山の上の神社ではなくふもとにある寺院の方でした。
私がここへ来た理由と、私が見た不審者の様子や言ったこと、においのことなどを詳しく丁寧に質問されました。お坊さんは私の目を真っすぐ見ながら、微笑みながらうなずいて話を聞いてくれました。
小屋が新しくなっていたことは、話しませんでした。
質問に答えたことに対し丁寧にお礼を言われました。そのまま帰ろうとするお坊さんに思わず、私が見た人は誰で何と言っていたのか、何をしていたのか聞きました。
「その方は遠いところからここへ来ました。修行している人でした。何と言っていたのか、ここで何をしていたかは私にも分かりません。とても素晴らしい方なのです。あなたから聞いたことを私は信じますが、同時に全て幻なのです。」
そのようなことを言い、お坊さんとおじさんたちは来た道を戻っていきました。




